BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百十七話 血風圏域

 

 返答に対し、九頭は心底理解出来ないとでも言うように首をひねる。

 

「何故、強者であるはずのあなたが助言などするのです。するべきは今すぐにこのセクションに訪れているサヤ達を帰還させ、少しでも持たせるべきでしょうに」

 

「せやね、そうやと思うわ。けれどなぁ、十二年の月日って言うのは結構長くって。ウチも他人を信頼するように心構えが変わったんよ。ここに来たサヤ達は精鋭。そして本部で待機している者達も、言うまでもなく。ウチはこれでも、信じとるんよ。あの子らが戦いでちゃんと成果を出してくれる事を」

 

「それは、まるで十二年前の苛烈さを失ったかのようだ。あの時のあなたは、抜き身の刃の如く、苛烈で麗しかった。その輝きを失ったのならば、長引かせる必要性はない。雨宮小夜、ここでお命を頂戴いたします」

 

「……やれるん? ウチ、結構強いと思うけれどなぁ」

 

「最強のサヤの言葉にしては当て擦りだ」

 

 一拍の静寂。

 

 沈黙が流れたのは、恐らく必要であったから。

 

 互いに手練れであるが故の、あるいはそれぞれの信じた決意の帰結が理解出来てしまったからだろう。

 

 ――自分は己だけで戦っているわけではない。

 

 過去ではここまで信を置くことは出来なかっただろうが今ならば出来る。

 

 サヤ同士の実力を、心の奥底から。

 

 煤けた風が吹き込む。

 

 入り混じった血の臭気が鼻孔を抜けた瞬間、アマミヤは大地を蹴っていた。

 

 九頭も駆け出し、斜に振るい上げた太刀を受け止める。

 

 そのまま打ち下ろす一撃を叩き込んだが、相手も距離を心得ているのか、鉄拳で一度仕切り直しをしようとしていた。

 

 だが、回避するような時間も惜しい。

 

 アマミヤは肘と膝で相手の拳を挟み込み、そのままサヤの膂力に任せて打ち砕く。

 

 この時初めて、九頭の呻き声が漏れたが、それは己も同じであった。

 

 手袋の内側に仕込まれていた高圧電流の武装がアマミヤの肉体を一瞬怯ませる。

 

 その好機を逃さず、九頭は振るい上げていた。

 

 大上段からの一撃が頭蓋に迫る。

 

 アマミヤは己の中に内在する血の力を指先に集中させていた。

 

 反射的な片手の白刃取りがその刃を留め、自在な動きで浴びせ蹴りを叩き込む。

 

 感触としては肋骨が数本折れた程度。

 

 それでも九頭は姿勢を持ち直し、地面に手をついて刃を担ぐ。

 

 アマミヤも一旦飛び退り、下段に構え直していた。

 

「さすがですね、雨宮小夜」

 

「あんたさんもやるやないの。……聞かせてもらえんかな? 純正人類で、なおかつそれほどの老練の身。何でウチとここまで渡り合えるんか」

 

 命題に対し、九頭はほんの一瞬だけ殺意を仕舞う。

 

「……人間は、何故、このように生まれ老いるのだと思いますか?」

 

「それが当然の摂理やからやと思うけれど」

 

「私がしたいのは……そうですね、血肉の話じゃない。そうあれかしと願われたのならば、そのように振る舞うのが当然だとされているからでしょう。例えば、あなたも“SAYA”にさえ覚醒しなければ? ただの少女として、生きられたのかもしれません。全ては可能性世界の物語でしかない。ですが、あの時こうしていれば、あの時、もっとうまく立ち回れれば……誰しもそう思うはずです」

 

「禅問答なん? 気に食わんわぁ」

 

「いいえ、これは禅問答ではございませんよ。ただ単に、シンプルな答え。――勝者には褒美を、敗者には罰を。ヒトは、“それ”に生まれるのか、それとも、“それ”になるのか。その答えは……」

 

 アマミヤは刃を払い、再び接近の好機を生み出そうとしていた。

 

 九頭ほどの相手だ、少しでも手を抜けば死ぬ。

 

 だが、本部では護衛部隊が今も迎撃戦に打って出ている事だろう。

 

 自分が連れてきたサヤ達は、強大な敵と相対しているのかもしれない。

 

 ならば、自分がこんなところで足踏みをしている場合ではないはずだ。

 

 呼吸を整える。

 

 赤い湖で、灰色の翼に臓腑の臭気を纏いつかせた水鳥のぎょろりとした瞳と、アマミヤは視線を合わせていた。

 

 ――分かっている。ここで殺す。

 

 ぎゃぁ、と水鳥が鳴いて飛び立つ。

 

 その瞬間、アマミヤの世界は赤の地獄へと沈んでいた。

 

 吹き荒ぶ真紅の暴風。

 

 その感覚に身を任せ、刃へと血を吸わせる。

 

「emeth」の血文字が呪いのように浮かび上がり、アマミヤは躍り上がっていた。

 

 九頭も同じく跳躍し、空中で互いの刃が弾かれ合う。

 

 着地と同時に太刀を奔らせ、交錯の一瞬でアマミヤは握り締める。

 

 それは九頭の袖口より出現した暗器であった。

 

 クナイ型のそれを握り締めて血染めし、離れる間際に返答のように投げ返す。

 

 九頭が片手で刃を薙ぎ払ったその隙を突いてアマミヤは刺突の姿勢で撃ち込んでいた。

 

 紙一重で回避した九頭が手刀を払う。

 

 ただの手刀の速力ではない。

 

 殺意の籠ったそれは、常人ならば首を落とされていてもおかしくはない。

 

 顎先を掠めた手刀へとアマミヤは応じるが如く下駄で蹴り上げる。

 

 九頭の胸元へと突き刺さったのを嚆矢として身をひねり、相手を一時的とは言え組み伏せる。

 

 すかさず刃をその心臓に向けようとしたが、千載一遇の好機を前に身が竦んでいた。

 

 這い上る拒絶感。

 

 襲いかかる反証の感覚。

 

 瞼を閉じてそれに耐えようとしたが、それでも血の宿業には抗えない。

 

 嫌悪と薄れていく殺意を持ち直そうとしたが、その時には既に九頭の切っ先がアマミヤの腹腔を貫いている。

 

 逃れる術はない。

 

 当然、抗う手段も。

 

 だが、アマミヤは血の運命によって定められた法則を、一時的とは言え解除してみせる。

 

 否、これは解除などと言う生易しいものではない。

 

 流れる血に刻まれた呪詛、呪縛。

 

 ならば、解呪、と呼ぶのが相応しいだろう。

 

 レイコンマ一秒未満とは言え、呪いを解き放ち、アマミヤは刃を突き刺す。

 

 血が迸っていた。

 

 鮮血だ。

 

 赤に染まった視界の中で、血飛沫が舞い上がる。

 

「……なるほど。見事」

 

 血の行方は――アマミヤ自身の膝頭を切っ先が貫いている。

 

「しかし、呪いには勝てなかったようですね」

 

 これも宿縁か。

 

 あるいは、サヤの身ではこの永劫に近い呪縛は解けないのだろうか。

 

 だが、どうであろうと最適解だ。

 

 最短距離で、適合する解答を導き出す。

 

 そのために、呪いを一時的とは言えこの身に受けた。

 

 九頭の太刀が迫る。

 

 至近距離だ。

 

 馬鹿でも外さない。

 

 両断の刃が殺気を帯びて、アマミヤの頭蓋を割らんと振るい上げられた。

 

 見事、と呼ぶのだとすればここまでヒトの身でありながら練り上げられた戦闘能力であろう。

 

 サヤに比肩するだけの応戦には、一秒の迷いすら許されない。

 

 ましてや自分は機関に謳われた最強のサヤ。

 

 ここまでの反応速度も。

 

 ここまでの適応能力も。

 

 そして、討つべしと決めればその機を逃さずに最短距離を講じる術も。

 

 何もかもが一流。

 

 美しき数式を描いていると言っても過言ではない。

 

「……だからこそ……!」

 

 だからこそ、これは読めないはずだ。

 

 読めないはずだった。

 

 ――自らの膝から下を掻っ切り、その反動で跳ね上がった刃には。

 

 当然、これは計算ではない。

 

 アマミヤ自身ですら、制御出来ない太刀筋だ。

 

 しかし、だからこそ届く。

 

 だからこそ、この局面で応戦の刃となる。

 

 九頭は咄嗟の習い性で飛び退ろうとした。否、飛び退るべきであった。

 

 そうでなければアマミヤの脚を引き裂いた刀はそのまま、九頭を狙うであろう。

 

 それを、アマミヤ自身でも制御不能。

 

 今しがた必殺の太刀を振るおうとしている九頭に、その行く末が分かるものか。

 

 だが、相手は決断する。しなければならない。

 

 ここで相殺覚悟でも自分を殺すか、それとも防御するか。

 

 九頭の判断は素早い。

 

 アマミヤは切り裂かれた脚部を振るい上げ、血を撒き散らす。

 

 その血が九頭のモノクルを濡らすのと、すぐ傍の地面を渾身の一撃が叩き割ったのは同時であった。

 

 九頭は最後の最後で、殺し切る事に徹したのだ。

 

 だからこそ、アマミヤの刃は九頭の片耳を落としていた。

 

 よろめき、敵は後ずさる。

 

 片足を失っていても、これ以上の戦闘継続は旨味がない。

 

 九頭は判断せねばならないだろう。

 

 アマミヤは刀を逆手に握り締め、そして構えを取る。

 

 それは純正人類を傷つけた事で意識が漂白されていない現れであったが、しかし、「わざとではない」という免罪符はどうやら通用しないようだ。

 

 呼吸が荒くなる。

 

 酸素が上手く取り込めない。

 

 唐突にブラックアウトしかねない意識の中で、アマミヤはギリギリの戦闘神経を尖らせていた。

 

 これを相手がどう見るか――全ては賭けである。

 

 片足を自ら断ち切ってまで、その刃を迫らせた事に対して恐怖を募らせれば、自分の勝ち。

 

 こちらの異常を的確に把握し、純正人類をサヤは傷つけられない、という法則を信じ切れば相手の勝利だろう。

 

 アマミヤは片足でも、それでも闘志を消さないように努めていた。

 

 宿らせた真紅の瞳には、未だ燃え盛る戦闘意識がある。

 

 九頭は片耳からの出血を抑えながら、こちらを仔細に観察する。

 

「……どうしたん? とっとと続けへんと、変わって来るんちゃう?」

 

 足一本で九頭を退けられるかどうかの分水嶺。

 

 しかし、これまで一太刀だって浴びせられなかったのだ。

 

 ならば、それ相応の畏怖を持っているはず。

 

「……モノクルがあってよかった。サヤの血を粘膜接触で浴びていれば、私とてどうなったかは分からない」

 

 モノクルを捨て、九頭は血塗れの相貌を向ける。

 

 壮絶なる面持ちであった。

 

 アマミヤは激痛を押してでも、ここで九頭を縫い留めるべきだと判定していた。

 

「……どうしたん? やろうや」

 

「痛み分け、と言うわけですか。ですがあなた方の勝利には成り得ない」

 

 九頭が懐から取り出したのは呪符である。

 

〈古きもの〉――蛙のような頭部形状を持つ薄紫色の怪物が出現する。

 

「私は言った。三十体の〈古きもの〉を用意したと。これは別に、彼らの牢獄であなたを封殺するためだけではない。〈古きもの〉同士でも共食いは可能なのです。そして、今呼び出したのはそう言った類の怪物」

 

 蛙の頭部を有する〈古きもの〉はその躯体を振るい上げ、直後には檻を形成していた中空の〈古きもの〉へと食い掛っていた。

 

 血潮が弾け、薄紫色の怪物は一回り大きくなっていく。

 

「……どういうつもりなん……」

 

「撤退させていただく」

 

 端的に告げられた事実に、アマミヤは目を見開いていた。

 

「……それはセクション三における作戦行動を諦めた、とでも?」

 

「いいえ。雨宮小夜、あなたは確実に封じさせてもらいますよ。今呼び出したのはデイダラ。〈古きもの〉を喰らい、強大と化す。檻を作らせている〈古きもの〉よりも少しだけ上位に存在します。この〈古きもの〉はビルを覆い、やがてこの煤けたセクションを喰らい尽くすでしょう。つまりは、サヤ。あなた方は絶対に勝利は出来ない。今、別動隊であるサヤ達はカルナ様が予め配置していたシュヴァリエに阻まれて動けず、そして機関の最も強いサヤであるあなた自身、片足では逃げ切れませんとも。デイダラに呑まれて消えるがよろしい」

 

 それほどまでに強力な〈古きもの〉が放たれた――それは即ち、作戦の継続性が危ぶまれる事態だ。

 

 すぐさま首輪の通信機に呼びかけようとして、アマミヤは通信機が用をなさない事に気付く。

 

「……通信が途絶した……?」

 

 それはデイダラと呼ばれた〈古きもの〉だけではない、三十体以上の〈古きもの〉が共鳴音叉を紡ぎ上げ、通信網を妨害しているのだ。

 

 ――この檻に落とし込まれた時点で、自分には勝利の道はなかった。

 

 そう悟ったアマミヤは奥歯を軋らせ、九頭を睨む。

 

「……しかし、これは予想外でしたよ。あなた方と違って純正人類は瞬時の再生などしない。片耳の戦果は喜んであなたに捧げましょう。その代わり、このセクションに潜入したサヤ達は生きては帰れません。それは雨宮小夜、あなたも同じ。……いえ、これも不必要な現実ですね。本部施設は確実に崩壊する。他ならぬ文人様の手によって。あなた方は指をくわえて見つめる事さえも出来ない。認めなさい。あなたは負けたのです」

 

「九頭――ッ!」

 

 久方振りの感覚であった。

 

 血の湖に堕ちた己の制御の手綱を、完全に手放す。

 

 水鳥が鳴く前に、全てを真紅の世界に染め上げる。

 

 失ったはずの片足の血肉が蠢動し、即席の骨格と肉を繋ぎ合わせていた。

 

 再生を果たす前に跳躍。

 

 大地を蹴り上げ、アマミヤの躯体は宙を舞う。

 

 深紅の眼光で九頭を見据え、そのまま垂直落下しようとしてデイダラの腕に阻まれていた。

 

〈古きもの〉を喰らって巨大化したデイダラの膂力が肉体を吹き飛ばす。

 

 大写しになったビルの壁面へと叩きつけられ、アマミヤはかっ血していた。

 

「く、とう……!」

 

 それでもまだ、戦闘意識を奔らせる。

 

 一時として、易い眠りに身を任せる事はない。

 

 既に両足は再生している。

 

 壁面を蹴ってデイダラの腕を伝い、その刃を突き立てていた。

 

〈古きもの〉は大量出血でのみ、殺す事が出来る――その理を理解しての事か、あるいは本能が勝っていたのか。

 

 突き立てた刃から力を抜かず、疾走に全霊を費やし、その腕を掻っ切る。

 

 それは血の嵐だ。

 

 噴き上がった血潮が雨となって降り注ぎ、灰色なばかりの地上を濡らしていく。

 

 振り向いた九頭はただ一言、呟いていた。

 

「……その姿。まさしく、悪魔ですか」

 

〈古きもの〉の血を纏い、その刃を本能だけで発現させている自分は悪鬼羅刹の類に映った事だろう。

 

 獣の叫びが喉から漏れる。

 

 自制心の今際の際が、躯体から発露する。

 

 封印してきたサヤとしての宿業。

 

 その禁を破り、今、アマミヤは一振りの剣として太刀を掲げて九頭だけを狙う。

 

「しかし、少しばかり遅かったですね」

 

 九頭が懐中時計を取り出し、刻限を確認する。

 

「こっちを見ろ!」

 

 視線が外されたのを認識してアマミヤは吼える。

 

 太刀を打ち下ろしかけて、アマミヤの視界は〈古きもの〉の群れに埋没していた。

 

 デイダラの傷口から無数の〈古きもの〉が出現し、アマミヤを一手、また一手と遠ざけていく。

 

 斬り伏せるも、手数では相手が圧倒していた。

 

 空中で敵を足蹴に一回転し、腹腔を引き裂くも際限なく敵は湧いてくる。

 

 デイダラの刀傷は塞がりつつあったが、今度は口腔部から羽根を持つ〈古きもの〉が空を満たす。

 

 アマミヤは敵の頭蓋を叩き伏せ、その反動で宙返りして背後の敵を斬っていた。

 

 それでもあまりにも足りない。

 

 速力も、距離も。

 

 全てが不足していた。

 

 血の衝動に任せようとしても、その判断は最早埋めようのないほどに遅れていた。

 

「――十五秒」

 

 出し抜けに九頭が口にする。

 

 その秒数の意味を理解する前に、新たな〈古きもの〉がアマミヤを遠ざける。

 

「十五秒、判断が早ければあなたは私を殺せていた。それは雨宮小夜、あなたの弱さだ。せめて、その弱さを噛み締めながら、死んで行きなさい」

 

 アマミヤは敵を叩き伏せ、斬り伏せ、打ち伏せながら九頭の背中へと手を伸ばす。

 

 しかし、その手がかかるまでの永劫の距離を殺すようにデイダラがその重量で肉体を押し潰していた。

 

「あ、」

 

 声が出る前に。

 

 致命的な言葉が意味を成す前に。

 

 アマミヤの世界は超重量にすり潰される。

 

 再生能力とて無限ではない。

 

 だが、それでもアマミヤは手を伸ばそうとした。

 

 決して折れない闘志と殺意で九頭へと。

 

 その指先が、ほとんど塵芥に成り果てた血が舞い上がる前に。

 

 白磁の指が行方を探りかねて、再びデイダラへと踏みしだかれる。

 

 何度か激震と衝撃波を感じてから、アマミヤの麗しき手は動かなくなっていた。

 

「さようならです。雨宮小夜」

 

 その言葉が届いたかどうかは不明のまま、巨体の〈古きもの〉は咆哮していた。

 

 

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