BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百十八話 己の血へと

 

 ――何が起こったのか。

 

 それを解明する前に拾い上げた石を投擲するジェイムズに、キザハシは苦戦していた。

 

 この場で最も実戦型のサヤは自分だけ。

 

 頼みの綱だったオトナシは恐らくは瀕死だ。

 

 如何にサヤの再生能力とは言え、頭蓋を潰されれば致命的だろう。

 

 キザハシは灼熱を纏わせたジェイムズの両腕へと切り込む。

 

 しかし、やはりと言うべきか、敵の有する硬質化の堅牢さに阻まれる。

 

 舌打ちを滲ませて弾かれ合い、キザハシは刀を構え直す。

 

 ――これは相当にまずいか。

 

 ホムラバやクルメは戦力としては数えられない。

 

 かといってツキシロやイスルギも戦力としてみれば心許ないだろう。

 

 彼女らの戦術が一切通用しないシュヴァリエを相手に、少しは善戦出来るのは自分の強みだ、と柄を握り締めたところで、ジェイムズは炎を払っていた。

 

「解せんな」

 

「解せない? それはあんたがあたし達相手に時間稼ぎをしている事なのかしらね?」

 

「善戦? ……ああ、そうか。そう映るか、貴様らには。ハッキリ言っておこう。これは勝負にすらならない。その上……発動は思ったよりも早かったようだな。あの巨大な生物は、〈古きもの〉、と言う。その中でも上位種に相当する、デイダラと呼ばれる存在だ。あれは〈古きもの〉を喰って成長する。つまりこのセクションそのものを飲み込むまでそう遠くないと言うわけだ。貴様らサヤは、自ら網にかかったようなものなのだよ。加えて状況証拠を見るに、かかったのは雨宮小夜だな。最強のサヤとは言え、九頭相手に勝てなかった、と言うわけか」

 

「勝手に納得しないでよ。……あたしがあんたを殺し、デイダラとやらも止める。それでいいでしょう?」

 

「言うは易しだな。だが、そもそも先ほどから私の攻撃を避けてばかり。それでは敵は墜とせんぞ」

 

「どうかしらね。千載一遇のチャンスを狙っているのかも」

 

「だとすれば、それはもう過ぎ去っている。先ほどのサヤの奇襲で決めるべきだった。永劫に勝ち筋を逃したな」

 

 キザハシは刃を構え直し、そしてジェイムズの動きを観察する。

 

 灼熱の両腕に、起爆性能を自在に付与出来る能力。

 

 その上、肉体の硬質化ではこれまで遭遇してきた翼手ではトップクラス。

 

 この牙城を果たして崩す事など可能なのか――否、可能だと判断しなければ敗走となる。

 

 ジェイムズは余裕を崩さず、鼻歌交じりに足元の石を拾う。

 

「さて……誰から死にたいか」

 

 ジェイムズの狙いはこの時、僅かに及び腰になったホムラバへと向けられていた。瞬時に投擲された機雷の石を彼女も弾くが、弾いた瞬間には爆発して視界を塞ぐ。

 

 その好機を逃さず、ジェイムズは手刀を形作って彼女の首を刈らんとしていた。

 

 呼気一閃。

 

 特段に強力な硬質化能力を誇るジェイムズの手刀は断罪の刃に等しい。

 

 軽く、ホムラバ程度のサヤならば殺されてしまうだろう。

 

 キザハシにはそれを止められない。

 

 否、これも違うか。

 

 ――今のままのあたしなら、きっと止められない。だけれど。

 

 直後、ジェイムズの手刀を止めたのは太刀筋であった。

 

 決断する前だ。

 

 血の力を使い、サヤとしての潜在能力を引き出してでもホムラバ達を逃がす――そう規定した己を引き出そうとした、その直前に。

 

 黒く硬質化した手刀の一撃を、ギリギリのところで止めたのは。

 

「……嘘でしょう……。オトナシ……?」

 

 先刻、頭蓋を砕かれ、そして戦闘不能に陥ったはずのオトナシが、ホムラバにかからんとしていた必殺の一撃を受け止めている。

 

「……オトナシ、さん……?」

 

 ホムラバ自身も認識出来ていないようであった。

 

 自分に降りかかった必殺の感覚も、ましてや、眼前に佇むオトナシから迸る殺意の波も。

 

「……音無、……小夜ッ!」

 

 薙ぎ払った手刀をオトナシは軽い挙動で回避し、舞い踊るようにして太刀筋をジェイムズへと叩き込む。

 

 しかし、硬質化の表皮を引き裂く事は出来ない。

 

「何度言えば分かる。……貴様らでは私には勝てん」

 

「そうかもしれない。……階小夜」

 

 切り詰めたマイナス百度の声に、キザハシは一拍だけ反応が遅れる。

 

「……どう、したって……」

 

「他のサヤと共に戦線離脱を。こいつは私が殺す」

 

 違う、と。

 

 彼女は「倉橋真那」を殺し切れていない存在ではない。

 

 まるで異なる。

 

 血の衝動に身を焼く、真に恩讐の乙女として舞い降りた、狩人。

 

 間違えようもなく「音無小夜」――。

 

「で、でも……あんた一人じゃ……」

 

「二度も言わせるな。私以外では、巻き込んでしまう。……だから、お願い。言う事を聞いて、キザハシさん……」

 

 それも、違う、と。

 

 今しがた、冷酷無比な殺戮機械だと断定しかけて、キザハシは目を戦慄かせていた。

 

「……中に居るって言うの、まだ……」

 

「倉橋真那」の意識が完全に消え失せたわけではない。

 

 しかし、彼女は今にも「音無小夜」の衝動に掻き消されかねない事を理解している。

 

 理解しているからこそ、突き放す物言いを選んだのだろう。

 

 キザハシは一瞬の交錯でそれを把握し、そしてホムラバの肩口を掴んでいた。

 

「……一時離脱するわよ」

 

「で、でも……オトナシさんが……」

 

「もう諦めなさい。この子は、あんたが知る“音無小夜”じゃない」

 

 断じてから、イスルギとツキシロとも“声”で交信する。

 

 ――異論ないわね? と。

 

 彼女らは首肯して、瞬時に離脱挙動に入る。

 

 最後に残ったキザハシは未覚醒サヤの袖を引こうとして、それを振り払われる。

 

「……あんた……」

 

「あの人、死のうとしてる……」

 

 それくらい分かっている。

 

 共にアマミヤの下で鍛錬したのだ。

 

 誰よりも理解しているつもりだ。

 

 それでも――オトナシの覚悟を無下には出来ない。

 

「……一つだけ。片道切符って言うのは御免よ。必ず……帰ってきなさい」

 

「……はい」

 

 答えたのは「倉橋真那」なのか、それとも「音無小夜」なのか。

 

 それを問い質す前に、キザハシは青い加速術で大地を蹴っていた。

 

 ジェイムズが追い縋ろうとしたのをオトナシが留めていく。

 

 次第に距離が空き、飛空艇の想定していた離脱距離まで逃れた後、キザハシは呼吸を荒立たせていた。

 

 これほどまでに色濃いサヤの力の行使。

 

 それに加え、血の力の真髄を使おうとしたのだ。

 

 肉体が限界を迎えようとしていた。

 

 だが、どうあったとしてもここで逃げ切らなければ。

 

 機関へとこのイレギュラーを持ち帰り、そして本部を守らなければ。

 

 その意志が足を進めようとして、不意に未覚醒サヤの少女が袖を引く。

 

「……何? 今さら……!」

 

「違う。これ……」

 

 少女が指差したのは古代文字だ。

 

 かつてエメトピアが建国される前の旧人類が構築したとされる文字と言語は、そう言えばこのセクションに入ってからしきりに目にしていたか。

 

「……あんた、読めるの?」

 

 こくりと頷き、少女が文字をなぞる。

 

「シン、ジュク……って、書いてある」

 

 古代文字の解読能力が彼女に与えられたサヤの素養なのだろうか。

 

 益体のない考えに浸っている間に、飛空艇が高度を落としていく。

 

「そんな余裕はないわよ、キザハシ! 収容されると同時に本部に急がないと!」

 

 イスルギの声が響き渡る中で、キザハシは少女の腕を引く。

 

「……行くわよ。機関本部で少しは事情なら聴くから、その時に――」

 

 不意に首裏を粟立たせたのは殺気の波だ。

 

 それも並大抵ではない。

 

 キザハシは咄嗟に腰に提げた刀も抜刀し、二刀流で攻撃を受け止める。

 

「速いですね、階小夜」

 

 片腕を大剣に変異させた黒いローブの男の姿は見間違うはずがない。

 

「……アダム……! あんた、どういうつもり……!」

 

「ラビ様に頼まれて敗残処理をしておこうと思いまして。なんて事はない、ジェイムズ様は私怨で動いている。彼だけではあなた方を殺し切れないかもしれない。予感は当たったようですね。一、二……それに未熟なサヤが二人と、未覚醒のサヤ……全員で向かってきても構いません。僕は全滅させるように命令されている」

 

「キザハシ、私も――」

 

 加勢しようとしたイスルギに、キザハシは刀で制する。

 

「……黙って。こいつとあたしは……ここで決着をつける。あんた達は本部へと無事に帰投する事。あたしの代わりはどうとでもなる。けれど機関のサヤを何人も死なせるわけにはいかない」

 

「立派な心掛けです、キザハシ。僕が見ていた頃とは、様変わりしましたね」

 

 その言葉を言い終える前に、キザハシは双剣を振るい上げていた。

 

 距離を殺して打ち下ろした斬撃を、アダムはほとんど力も籠めずに弾き返す。

 

「……あんただけは、あたしが仕留める……!」

 

「……相変わらずだ。私情と他の感情を切り分けられていない。こういう時に、全員でかかったほうが勝率が高いのは分かるでしょう? それなのに、貴女は一人で立ち向かってくる。だから愚かしく、間違いだけを繰り返す」

 

「黙りなさい……! あんたの首はあたしのものよ……!」

 

 突き付けた切っ先にアダムはせせら笑う。

 

「そんなくさいセリフを吐いてまで、僕を殺したいですか? どうしたところで三下だ。階小夜。あなたは何も変わっていない。僕を殺したければ、そう、あのサヤ……音無小夜と結託すべきだった」

 

「あの子の力なんて要らないわよ。……イスルギ、ツキシロ。後は頼むわ」

 

 彼女らは沈黙したまま頷き返し、ホムラバ達を収容する。

 

 飛空艇が舞い上がるのをアダムは仰ぎ見ていた。

 

「撃墜すれば何人死にますかね」

 

「させると思ってるの?」

 

 瞬時に懐へと潜り込み、交差する太刀筋でアダムを断ち切ろうとする。

 

 だが、その一撃は片腕の大剣で跳ね除けられる。

 

「あなたは相変わらず、考えなしで飛び込んでくる。あの夜もそうだった。考えなしで、僕をシュヴァリエにした」

 

 その言葉が許せる閾値を超え、キザハシは吼えていた。

 

「言うなァ――ッ!」

 

 白熱化した脳内で相手を殺す事のみを考え、刃を奔らせる。

 

 アダムは軽い動作で受け止め続けるが、それも無限ではない。

 

 血の力を使ってでも、シュヴァリエ、アダムをここで滅殺する――その覚悟が肉体を伝導し、剣筋が平時よりも鋭くなる。

 

 アダムの片腕へと渾身の力で叩き込み、相手の防御が崩れた一瞬をついて蹴り上げる。

 

 大剣がぶれた瞬間、キザハシの放った剣術がアダムの肉体を引き裂いていた。

 

 ――入った……!

 

 その感慨を噛み締めつつ、次手を打とうとしてキザハシは引き裂かれたローブの下に覗くアダムの肉体に瞠目していた。

 

「……それ、は……」

 

「見せるつもりは、なかったのですが」

 

 ぼろきれのような黒いローブを自らの力で引き千切り、アダムは変異し始めた肉体を晒していた。

 

 そう、変異だ。

 

 アダムの身体はところどころ翼手へと変異を果たしており、法則性のない肉体はまるで不出来なパズルのようであった。

 

「……それは……」

 

「完全ではない。あなたにそう告げた事は、そう言えばなかったか。キザハシ、あなたにシュヴァリエにされた後、僕は拷問を受けたのですよ。機関の者達によって、昨日まで味方だと思っていた人々の手によって。切り刻まれ、血を抜き取られ、様々な実験の果てに。僕の身体は、もう自分の意志だけでは完全翼手化と平常時を移行出来なくなった。不格好なだけの、ただの作り物。いいや、まるで紛い物だ」

 

 こんな姿に、彼を追い込んだのは自分だ。

 

 こんな様に、彼を逃げられなくしたのは自分だ。

 

 キザハシは刀を取り落としていた。

 

 戦慄する視界の中で、アダムが片腕を大剣の状態に変異させる。

 

 血脈が蠢き、アダムの肉体に永劫失われない傷痕を刻んでいる。

 

「さよならです、キザハシ。あなたは最も愚かで、そして僕にとっては忘れられない人だった」

 

 打ち下ろされるのはお似合いの断罪だと思っていた。

 

 それが一筋の銀の閃光に遮られるまでは。

 

「……特殊……弾頭……?」

 

『聞こえているか! 階小夜! これより君を援護する!』

 

 首輪の通信機器から漏れ聞こえて来たのはアマミヤの担当であるはずのマイケルの声であった。

 

 新型の戦術ヘリより放たれた特殊弾頭が花開き、その内奥に納められた一本の直刀を輝かせる。

 

 白色の鞘に納められた牙の顕現に、アダムが僅かにうろたえる。

 

「……まだ、抵抗を続けるのですか……」

 

 一瞬だけ気勢が削がれる。

 

 自分を裁こうとしていたアダムの注意を逸らしたのは、彼らなりの贖罪であったのだろう。

 

 本来ならば、機関本部の守りを固めなければいけない彼らなりの手向け。

 

 ならば――受け取らないのはサヤとして嘘だろう。

 

 直刀へと手を伸ばし、鯉口を切ると同時に血を吸わせる。

 

 真紅の残火を帯びた一閃はアダムの肩口から斜に切り裂いていた。

 

 彼は出血を見据え、それから尋ねる。

 

「……いいのですか? 裁かれるべきはあなただ」

 

「そう、なのかもしれないわね。……でもあたしは、ここであんたに殺されるために居るんじゃない。本部に帰投したサヤ、それにここまで色んな犠牲があった。彼女らの血を、あたしは無駄に出来ない。絶対に……あたし一人だけで立っているわけじゃないから。だから……」

 

 だから、戦える。

 

 だから、刃を取れる。

 

 アダムは迸った血糊を撫ぜ、すぐに修復していた。

 

「語るまでもないでしょうが、あなたの血で造られたシュヴァリエだ。他のサヤならばともかく、キザハシ。あなただけでは僕は殺せない」

 

「どうかしらね。〈古きもの〉みたいに一度に大量出血させれば、それも分からないんじゃない?」

 

 分かっている。これも分の悪い賭けだ。

 

 だが、ここで立ち向かわなければ。

 

 ここで刃を突き付けなければ――自分は一生後悔する。

 

 アダムは片腕を戻し、それからこちらに向けて一礼する。

 

「……どういうつもり」

 

「あなたを見誤っていた、その謝罪ですよ。罪悪感に付け込んで殺そうなど、それは少し舐めていた。だから、僕は間違えようもなく、アシッドに属するシュヴァリエとして、相対しましょう。階小夜。僕と殺し合いをしていただきます」

 

 直後、アダムの痩躯がめきめきと膨れ上がる。

 

 骨格が変貌し、その儚ささえも感じさせる相貌がひび割れて砕け、内側より這い出たのは獣の野生だ。

 

 茶褐色に染まった疾駆に脈打つのは、いつかの傷痕。

 

 決して消えない、裏切りの刻印。

 

 真紅の双眸を据え、アダムは完全翼手化形態で吼え立てる。

 

「……翼手」

 

 最早、語る言葉はないとでも言うようにアダムは掻き消える。

 

 キザハシは青い加速術で一点に集中させる。

 

 アダムの速力は軽く追従してみせるが、それを刃で切り返しつつ、大剣の威力に息を呑む。

 

 細身だが、さすがは切り札である翼手化形態。

 

 ただの一振りだが掠りでもすれば一撃だろう。

 

 キザハシは下段に刃を構え、アダムの肉体を引き裂こうとするが相手も射程は心得ているのか片腕の大剣で弾き返す。

 

 その直後、脈打つ体表の肉腫が膨張し、キザハシに向けて一射される。

 

 蹴り上げて回避したが、地面が融解しているのを見るに毒だろう。

 

「……アダム。あんたとの決着はここでつける。絶対に……!」

 

「キザハシ、あなたはいつもそうだ。自分勝手なドラマに浸って、レクディもそう。だから、僕には勝てない」

 

「黙れ!」

 

 激情のままに刃を薙ぎ払うも、その時にはアダムの姿はなかった。

 

 速度で回避したのではない。

 

 影へと埋没し、その肉体を捉え損ねたのだ。

 

 ――ウキフネと同じ能力……!

 

 認識した直後には影の移動法で背後へと回り込まれている。

 

 奥歯を噛み締め、血の力を絞り出す。

 

 瞬時の反応速度で弾き返すも、たたらを踏んだのは明らかなロスだ。

 

 大剣が刺突の姿勢で心臓を狙い澄ます。

 

 しかし、それもキザハシにとっては計算通りであった。

 

 片足を上げる。

 

 舞い上がったのはつい先刻まで使っていた双剣のうち片方だ。

 

 逆手に握り締め、アダムの大剣をぎりぎりで受け流す。

 

 それと同時に血の灯火が宿った太刀で飛び込み、その胴体を寸断しようとしたがアダムは“声”の質量音波でこちらを吹き飛ばす。

 

「策は巡らせているようですが、あなたではどうあっても勝てない」

 

「そう……かもね」

 

 瓦礫から身体を起き上がらせる。

 

 肉体が軋み、激痛が神経を引っぺがす。

 

 意識を保つだけでも相当の集中を要する。

 

 それでも、キザハシは再び刀へと血を籠らせる。

 

「……ここで相討ちに持ち込もうとも、あなた方には勝利はない。既に本部は瓦解しているでしょうし、アマミヤは九頭様に封じられた。詰んでいるのですよ。だと言うのに、何を信じられるのですか?」

 

「……何を信じるかって……? それは……いい? よく聞きなさい。何を信じるかって言うのはねぇ……ッ! あたし自身が決める事よ! 決して他の誰かにほだされたわけでもなければ、誰かの理由を自分の理由にする事もない……! あたしはあんたとレクディが許せないから、こうして剣を取っているだけ。そこに高尚な理由もなければ、ましてや低俗だとも思っていない。あたしはあたしの理由に、唾を吐きたくないだけ……!」

 

 二刀流で構え直す。

 

 アダムは心底呆れたように嘆息をついていた。

 

「そんな理由で、我々アシッドに立ち向かうと? どれもこれも、些末事。どれも蒙昧だ。だと言うのに、キザハシ。あなたの眼にはかつてなかった力がある。何故です?」

 

 その問いかけにキザハシはすぐには答えられなかった。

 

 だが、間違えようのないのは一つ。

 

 ――サヤとしては及第点にも至らない少女。そんな彼女が自分の矜持を抱き、そして殿を務めたのだ。ならば、先輩である自分が逃げ出すわけにはいかない。

 

「……悪いわね、アダム。女子には色々あるのよ」

 

「理解出来ない感情ですね。そんなもののために死にますか」

 

「あたしは死なない。そしてあんたはここで仕留める。……さぁ、シュヴァリエ、アダム。決着の時よ」

 

 血の残光が交差し、アダムを斬り伏せようとしたが、相手は軽いステップでそれを回避して大剣を叩き込む。

 

 逆手に握り直した剣でそれを凌ぎつつ、キザハシは浴びせ蹴りを叩き込んでいた。

 

 しかし、堅牢な翼手の表皮には牽制にもならない。

 

 アダムはキザハシの脚を掴み、そのまま膂力のままに投げ飛ばす。

 

 空中で制動と受け身を取ろうとして、背後に回り込んだ相手の気配にハッとしたのも束の間、振るわれた大剣の一撃が肩口に食い込む。

 

 激痛が意識を血色に染めようとするが、キザハシは奥歯を噛み締めて反撃の太刀を浴びせていた。

 

 互いに弾かれ合い、大地を滑ったものの、アダムのほうが立て直し能力は上だ。

 

 青い加速術で駆け抜け、瞬時に射程へと飛び込んだアダムの太刀筋にキザハシは沈みかけた意識を引き上げて闘志を燃やす。

 

 最早、事ここに至っては小手先の手段は下策であろう。

 

 ならばこそ――最大限の殺意だけに己を一滴の血として搾り切れ。

 

 下段より振るい上げる。

 

 アダムは呼気を詰めて刺突を見舞うが、それを刀身で受け流して即座に反撃の一撃。

 

 しかし、どちらも決定的にはならず、キザハシは大地を蹴る。

 

 つい先刻まで頭部があった空間を大剣が引き裂き、喉がひりつくように痛んだのを感じながら蹴り上げてアダムの頭蓋を激震させる。

 

 だが、完全なる翼手化を果たしたアダムの耐久力は格闘程度で怯ませられるほどではない。

 

 大剣が迫るのを切っ先で同じように銀色の音色を響かせ、キザハシは呼吸を荒立たせる。

 

 ――肉体は限界だ。

 

 加えて血の力を使うのならば、確実に仕留めなければこちらの手の内を明かす事になりかねない。

 

 今のところ、アダムに決定的な隙は生じていない。

 

 ゆえにこそ、踏み込む事への躊躇いがある。

 

「どうしたのです? キザハシ。僕を殺したいのでしょう? ならば、もっと果敢に攻めてくるといい」

 

 それとも、と彼は言葉の穂を継ぐ。

 

「怖気づきましたか? 自分が生み出した罪科を、ここで自分自身の力で殺せないと言う、情けない結末に。それが少しでも掠めれば、貴女は終わりだ」

 

 終わり――否、もう終わり切っている。

 

 己の罪を直視し、そして決着をつける覚悟がないのならば刃を握る資格はない。

 

「……アダム。あんたとそう言えば、真っ当に喋った事はなかったわね」

 

「時間稼ぎですか。いいでしょう、乗りましょうか。どうせ、本部を見捨てた者達の援護など期待出来ないでしょうし。貴女にしてみても、これは賭けなのでしょう。僕を殺す事に、躊躇いはないはずですが?」

 

「躊躇いはないわ。ええ、そう。躊躇いは、ね……。けれど、あんたを殺す前に聞いておきたい事がある。人間であった頃と翼手に成ってからの事……どっちが、あんたは幸せだったの?」

 

 それは最大の命題。

 

 自分の過ちを彼は糾弾するのか。

 

 それとも、他の答えを。

 

 別の結末を彼は描いてくれるのだろうか。

 

 期待したのは、シュヴァリエ、アダムを殺す前のほんの戯れであったのかもしれない。

 

 アダムは一度変異した片腕を戻してから、そうしてその指先でこちらを指差す。

 

「シュヴァリエになってから、僕は最悪だった。拷問と実験、血の一滴でさえも解析され解読され、そして死んだほうがマシな境遇だった。……ですが、今さら人間に戻りたいなんて思いませんよ。それは虫がよ過ぎる。貴女が、貴女自身が……階小夜、僕に夜を歩く生き方を強制した。だと言うのに、今さら被害者面が出来ると思っているのですか?」

 

 ああ、その通り。

 

 アダムを、彼を翼手にしたのは自分だ。

 

 戻れない道へと誘ったのは自分自身だ。

 

 だからこそ、聞きたかった。

 

 だからこそ、問いかけたかった。

 

 彼にとっての幸運が人間であった事ならば、自分の過ち。

 

 それとも、シュヴァリエである事が幸福ならば、少しはその重石をどうにか出来たかもしれない。

 

 だが、それは叶わぬ望みだ。

 

 彼はシュヴァリエに。

 

 自分はサヤとなった。

 

 如何にその在り方が醜悪であろうとも、今さら時計の針は戻せない。

 

「……殺すわ。あたしはあんたを殺す。アダム。そしてその後に、レクディも殺してみせる」

 

「その後はどうするのです? 翼手人類との終わりのない戦いへと身を置くとでも?」

 

 その問いには答えられなかった。

 

 刀へと血を宿らせ「emeth」の血文字が輝く。

 

 伝い落ちる殲滅の残火を纏わせ、キザハシは構えていた。

 

 同じようにアダムも鏡合わせのように両腕を大剣と化して相対する。

 

 一呼吸の沈黙。

 

 そして、互いの心拍を感じさせる静寂。

 

 キザハシは駆け出していた。

 

 青い残像を帯び、一撃目はアダムの刺突をかわし瞬時に首を刈らんとするが、“声”の質量音波が視界を砕く。

 

 一瞬のブラックアウト。

 

 再生能力が発揮される前にキザハシは肉薄した殺気の直感で飛び退っていた。

 

 視野が淡くぼやける中で薙ぎ払われた大剣が、一拍でも遅れていれば寸断されていた恐怖が這い上る。

 

 それでも、刃を止めさせない。

 

 上段から唐竹割りを見まい、火花が眼前で弾け飛ぶ中でアダムも加速術で一瞬にして攻防を入れ替える。

 

 背面に回られたのを認識し、振り払った刃を大剣が干渉する。

 

 至近距離でアダムの言葉が耳にこびりつく。

 

「僕を殺したところで、残存するシュヴァリエを始末出来る強さではないですよ、キザハシ」

 

「かもしれないわね。……でも、あたしは……あんたとレクディさえ殺せれば、それでいい。もう、終わったっていい」

 

 だからこそ、このゼロ距離を。

 

 指先が触れられるほどの、最大の好機であり最大の窮地でもある。

 

 キザハシは先ほど切った親指の切り傷をアダムの大剣へと押し当てていた。

 

 途端、高周波を有する大剣の波長がキザハシの片腕を分解する。

 

 だが――布石は打たれた。

 

 アダムは埋め込まれた血に、まさか、と赤い眼光を戦慄かせる。

 

「……血の力……、しかしこれは……」

 

「データになかった、でしょうね。あたしの血の力は元々、自身の血を埋め込む事による、生物無生物問わない隷属。でも、今あんたに打ち込んだのは」

 

 アダムの大剣が脈打ち、内側から爆ぜる。

 

 ぼろぼろに砕け散った片腕が脈動して伝った瞬間、彼は肩口から先を叩き落していた。

 

「……サヤの血の呪縛……? だが僕の場合は通用しないはずだ……」

 

「だから、言ったでしょう? データにはないはずだって。あたしの血の力は、もう一段階上があった」

 

 

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