BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百十九話 最愛の罪

 

 ぜいぜいと息を切らし、訓練場にてらてらと輝く血を撒き散らしながら、キザハシはようやく意識を取り戻す事が出来た。

 

 恐らくはアマミヤの刃で致命傷を受けていたのだろう。

 

 再生能力が働いてくれている事に感謝しつつ、壁に背を預けて寝入っているその立ち振る舞いには恐れ入る。

 

「……何分寝ていた?」

 

 アマミヤはその深紅の瞳を開いて事もなさげに返答する。

 

「五時間やね」

 

 それを聞いた瞬間、キザハシは訓練場の床に仰向けになっていた。

 

「五時間、か……。実戦型のサヤが聞いて呆れるわ。それはもう死んでいるのとさほど変わらないでしょうに。アマミヤ、あたしの弱点は何?」

 

「思ったほど眼もよくないし、耳もよくない。索敵範囲も並程度。加えて、刃の精度も弱くはないけれど突出して強くもない。……よぉ、これまで生きてこられたもんやね」

 

「……要は、十二年前からあたしは進歩していないわけ、か」

 

 自らの弱さに嫌気が差す。

 

 結局のところ、アマミヤからもらったものを何一つ有効利用出来ていないではないか。

 

 アマミヤはそんな自分の想いを知ってか知らずか、のらりくらりと鼻歌を奏でる。

 

「けれど、あんたさん、ちょっとは見れるようになったみたいやんか。十二年前ではもっと弱かったもん」

 

「……施しは要らないわよ、アマミヤ。ハッキリと言ってちょうだい。このままじゃ、あたしはシュヴァリエに……アダムに勝てない」

 

 切り詰めた言葉のつもりだったが、アマミヤは軽く返答する。

 

「そうやね。シュヴァリエには遠く及ばへん。けれど、強みはある。あんたさんの血の力」

 

「あたしの……生物、無生物を問わない、血の隷属……でもこれは」

 

「そう。相手の肉体に直接埋め込む必要性がある。加えて、操作範囲は大して広くもない。上級翼手には通用するやろうけれど、シュヴァリエには通じへんやろうね」

 

 アマミヤは一切、手心を加えるつもりはないのだろう。

 

 その在り方も、今だけはありがたい。

 

 下手に希望を振り翳されるよりかは、自分の分相応さを実感出来る。

 

「……教えて、アマミヤ。もっと強くならないと、あたしは届かない。アダムにも……レクディにも……。あたしは勝利しないといけない。だから……」

 

「だから? ああ、せやね。だから、あんたさんはもう一段階を超えないといかんね」

 

「もう一段階?」

 

 不意打ち気味の言葉に呆気に取られていると、アマミヤは仕込み刀を翳す。

 

「打ってきてみぃ、キザハシ。よく分かるわ」

 

 それは挑発なのだろうか。

 

 あるいは、別の思惑が?

 

 いずれにせよ、ここで休んでいるような余裕はない。

 

 構えは正眼、キザハシは加速術を用いて一瞬にしてアマミヤの懐に入る。

 

 だがその時には、アマミヤは太刀を受け止めて瞬時に弾き返す。

 

 やはり、届かないのか。その想いが脳裏を掠めた直後、彼女の切っ先が本当に――まるで当然の帰結のように――キザハシの頸動脈を掻っ切っていた。

 

 吐き出すように大量出血する。

 

 意識が遠ざかり、死の感触が足音を立てる。

 

 咄嗟に傷口を塞ごうとしたが、血濡れの掌へと打ち下ろされた刃が割る。

 

 血の臭気と迫り来る終わりの影にキザハシは過呼吸になっていた。

 

 それだけアマミヤの太刀には迷いがなく、それでいて的確に自分の戦意を摘む。

 

 呼吸が荒い。

 

 肺が重い。

 

 意識が閉ざされそうだ。

 

 血の一滴が零れ落ちる度に、死に行く絶望が深層心理を満たしていく。

 

 ――弱い。

 

 突き付けられた残酷なる真実。

 

 ――脆い。

 

 分かり切っていた己の不実。

 

 ――それでも。

 

 それでも?

 

 キザハシは刀の柄を握り締め、血に塗れたまま立ち上がる。

 

 再生能力は当てにならない。

 

 ならば一時でもいい。

 

 全ての能力を、敵を啄むその一瞬のためだけに使え。

 

 自己修復も、意識の集中も、ましてや戦意の高揚も要らない。

 

 切っ先を突き付け、キザハシは今一度、深く呼吸する。

 

 ここで追い求めるのは力だけだ。

 

 力だけで、最強のサヤであるアマミヤに比肩してみせろ。

 

 それ以外の事は考えるな。

 

 途端、脊髄から真紅の噴煙が放出され、キザハシの肉体へと纏いついていた。

 

 全ての事象、時間が後れを生じさせる全能感。

 

 平時ならばその衝動に身を任せはしない。

 

 アマミヤ本人もそれは危険だと告げていた。

 

 だが、勝つのにはいつも綺麗な手段だけを取れるわけではない。

 

 自らが唾棄するような最悪の勝利も。

 

 崇高であったとしても最善の敗北もある。

 

 だから――ここで選ぶべきは。

 

「――疾ッ!」

 

 キザハシの意識は一点に絞られる。

 

 自らを弾丸のように射出し、刃を振るい上げる。

 

 アマミヤには受け流されるかに思われた斬撃であったが、彼女は軽くステップを踏んで軽減させただけで反撃の太刀を向けてくる。

 

 ここに来て、初めて勝負になった。

 

 咄嗟に切っ先を払い除けて火花を散らし、浴びせ蹴りを見舞う。

 

 アマミヤはカランと雅に下駄を鳴らしながら踊るように刃を下段から振るい上げる。

 

 瞬時の感覚で地面を蹴り上げて材木を壁にしてその一撃をいなし、キザハシは千載一遇の好機を得ていた。

 

 ――トドメ……ッ!

 

 薙ぎ払った一閃をアマミヤが止め、そこで彼女の声がかかる。

 

「そこまで、やね」

 

 肺が血塗れになってしまったかのように重く、そして血の臭気が呼吸として漏れる。

 

 臓腑はどれもこれも遅れを生じさせていた。

 

 今さらになって激しくかっ血する。

 

 咳き込んでいる自分に、アマミヤは仕込み刀を番傘に納める。

 

「あんたさんには血の力にもう一段階上がある。ウチもそれは気づかんかったけれど、ここ数日の鍛錬で勘付いた。オトナシに比べるとリスキーではあるけれど、試してみる気ぃない? 言っておくけれど、今日なんて比にならんほど血反吐吐く事になるやろうけれど」

 

 アマミヤが耳元で囁く。

 

 まるで悪魔の誘いのように。

 

 だが、この力がシュヴァリエに届くと言うのならば。

 

 誰よりも強くなれると言うのならば、躊躇う理由はない。

 

「……お願い。あたしを最強のサヤにしてちょうだい……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 速力、そして覚醒した血の力はしかし、アダムのよく知る階小夜のそれであった。

 

 青い加速術で懐へと攻め込み、袈裟切りを打ち込んでくるも、その程度ならば予想も容易い。

 

 飛び退ってから、アダムは問い質していた。

 

「……解せませんね。その程度で、シュヴァリエたる僕に勝てるとでも?」

 

「解せなかろうと、どうであろうと……あたしは負けない。あんたを殺すわ、アダム」

 

「それはどっちの台詞なんだか……」

 

 互いにほぼ同時に大地を蹴り、もつれ合いながら刃と爪を交わす。

 

 音波攻撃で一度退けてから、動きを止めた好機を逃さずに連撃――そのつもりであったが、“声”の質量音叉を受けてもキザハシはよろめく気配もない。

 

 ――気配が変わった? まさか。

 

 相手の成長速度が速まったのならば、それを凌駕する性能で食い千切ればいい。

 

 アダムは再び影に没し、その移動方法でキザハシの直下へと出現する。

 

 足首を掴んでそのまま膂力に任せて骨を砕き、動きを封殺して片腕を大剣に固めていた。

 

「さよならです、階小夜」

 

 離別の言葉は短いほうがいい。

 

 そう感じて打ち下ろそうとした大剣はしかし、動きを鈍らせていた。

 

 アダムは感覚する。

 

 背後へと回り込んだ自分へと、キザハシは振り向きもせずに切っ先を突き付けていた。

 

 その超感覚はこれまでの実力を凌駕している。

 

 ハッと意識する前に一撃、さらに二の太刀が閃く。

 

 弾き返すもキザハシはこちらの動きの常に一手先を行く太刀筋でじわじわと追い込んでくる。

 

 ――だが、この違和感は何だ?

 

 キザハシの戦闘能力が底上げされた、ならばまだ納得出来る。

 

 しかし、まるで自分はこれまで交錯し続けてきたキザハシとはまた別の、別種のサヤを相手取っているかのようであった。

 

 ――手加減? まさか、先ほどまでも充分に全力だったはず。

 

 アダムは大剣を振るい、距離を取ってからキザハシの進行速度を遮るために影を屹立させていた。

 

 影の壁ならば、そう容易くキザハシとは言え突破出来ないはず。

 

 その隙に相手の首を刈るのならば造作もない。

 

 両腕を大剣に変異させたアダムが直後に目にしたのは、斬、と言う名の断罪であった。

 

 影の壁が薙ぎ払われ、両断される。

 

 信じられない心地で見つめていると、その向こうで真紅の眼光が煌めく。

 

「遅いわよ、アダム」

 

 咄嗟に反応出来たのは己でも上々だったのだろう。

 

 影を飛び越え、空間を収斂させたとしか思えないキザハシの速力が迫り、大剣を交差させて火花を散らす。

 

 キザハシはしかし、簡単な射程距離を取る事に拘泥しない。

 

 そのまま打ち払い、上段からの唐竹割りが迫り来る。

 

 舌打ちを滲ませてアダムは加速術で距離を取ろうとするも、キザハシは下段を蹴り上げアダムの姿勢を崩していた。

 

 ――この戦い方……!

 

 使えるものは全て使い、そして敵を殲滅するサヤを、自分は知っている。

 

「……まさか、キザハシ……アマミヤの血を……」

 

「ご明察」

 

 懐から取り出されたアンプルの雨宮小夜の血を彼女は振る。

 

 それならば合点も行くと言うものだ。

 

 ――最強のサヤの血を飲み干し、その実力を一時的とは言え借り受ける。

 

 他のサヤならば出来ないかもしれないが、彼女の血の力は「生物無生物問わない血の隷属」――己の血として取り込んだ時点で、キザハシの戦闘能力は跳ね上がっている。

 

「……なるほど。覚悟なしではなさそうだ」

 

「あんたをここで無力化し、そしてオトナシも連れて帰投する。これは確定事項よ」

 

「そう、ですか。ならば、どうなりますかねぇ」

 

 その時、灰色のビル群を傾けさせたのは薄紫色の怪物であった。

 

「……あれは……!」

 

「〈古きもの〉。どうやら雨宮小夜のほうの封殺に成功した様子。あれほど成長すれば、もう止められません。貴女方は負けたのです」

 

 その言葉に衝撃を受けているキザハシへと、アダムは姿勢を沈めて一気に加速する。

 

 その片腕を落とし、大剣を払っていた。

 

「……アダム……っ!」

 

「よすといい。結果の分かった戦いほど、意味はありませんよ。それとも、この状況から打開策でもあるのですか? あれば教えて欲しいものだ」

 

 キザハシは片腕だけだが、それでも戦意は衰えていない。

 

 刃へと血を吸わせ、真紅の残火を灯らせる。

 

 殲滅の輝きに、アダムも真正面から応じていた。

 

「よろしい。十二年前の清算をしましょうか」

 

 両腕を大剣で構え、アダムは交差させて身を沈める。

 

 キザハシは直刀を抱くようにして構えを取り、同じく姿勢を沈める。

 

 互いに、永劫とも思える瞬間が訪れていた。

 

 ――思えば、憎しみ合う必要性はない。

 

 それでも、運命はこうさせた。

 

 自分とキザハシを、永久に分かり合えない運命へと。

 

 だから――これはきっと、互いに罰だ。

 

 フッと自嘲したのを嚆矢として大地を蹴って距離を詰める。

 

 大写しになったお互いの相貌に、酷いものだと感じていた。

 

 ここに来るまでどれだけの眠れぬ夜があったのだろう。

 

 どれだけの殺意と憎悪、そして恩讐を胸に秘めて来たのだろう。

 

 全てはこの瞬間のために。

 

 討つべき――最愛の人のために。

 

 刃が振るわれる。

 

 大剣が風を切り裂く。

 

 そうして――ただただ不器用でしかない彼らの戦いは。

 

 

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