BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百二十一話 阿修羅少女

 

 脳裏に浮かんだのはいつかの夕映えを、アイスを頬張りながら帰った帰り道を。

 

 隣には千佳が肩を並べ、ストロベリー味のアイスを舐めている。

 

「……千佳はさ。ちゃんとした大人に成りたいの?」

 

「分かんないってば。今もバイトが精いっぱいだし。けれど、あんたみたいな愚図と違って、ちゃんと社会人だからね。私はそうだなぁ……多分、その辺のOLとかになるんじゃない? 楽園って言ったって、辿り着く先は凡庸なのよ」

 

「……分かった風な事、言うんだね……」

 

「何よ。真那のクセに、ちょっと悲観的じゃないの」

 

「うん……私ね……私、どう生きたって、多分誰の人生にも影響を与えないし……それでいいと思っていたんだ。誰も傷つけたくないし、誰からも傷つけられたくもない……」

 

「ふぅん。でも、そんな人生なんてないわよ」

 

 人工的な白の河川敷で、自分達は益体のない会話を交わす。

 

「そうかな……だって、誰かを傷つけちゃうのは……とっても悲しいよ」

 

「そんな当たり障りのない人生なんてないわよ。誰だって、大なり小なり、誰かとの摩耗はあるでしょ。それを遠ざけたってしょうがないんだから」

 

「……千佳は大人だね」

 

「お馬鹿。あんたが子供なのよ」

 

 ぐいっと千佳はストロベリーアイスをこちらへと翳す。

 

「はい。アイスを食べれば少しは忘れられるでしょう? あんたのチョコもちょうだいよ」

 

 お互いにアイスを交わし合い、そして頬張って微笑む。

 

「……何だか、千佳とはすごく久しぶりに話した気がする」

 

「そう? 私はあんたの保護者で大変。……けれどまぁ、悪くないかもね。真那はいつまで経っても、私にとっちゃ後ろを歩いてくる猫背の友達なんだから」

 

「も、もう……っ。猫背は言わないでよ……気にしてるんだし」

 

 千佳は夕映えにポニーテールを揺らしながら、ストロベリーアイスを頬張る。

 

 それはまるで、鮮血の色彩のようで――。

 

「……ねぇ、千佳。私は千佳が居るだけで幸せだし、店長のアイスがあるだけでいいの。この世界の秘密だとか、楽園の裏側なんてどうだっていい。……そう言うと、千佳は怒る?」

 

 千佳は一瞬だけ呆けたようであったが、馬鹿ねぇ、と頬を緩ませる。

 

「夢見心地で何言ってるの? あんたはさ、海を見るんでしょう? いつか、どれだけ遠くっても。心の中に刻まれた、“ときめき”だっけ? あんたのその原動力、私はこれでも買ってるんだからね? 猫背で前髪も野暮ったいくせに、そういうところは絶対に譲らない、あんたの頑固な性格」

 

「海……」

 

 いつか、店長に見せてもらった海。

 

 自分の原動力。

 

 いつも夢見ていた。

 

 一面の海原へと、いずれは旅立つその時を夢見て。

 

「……真那。あんた何があっても、きっと上手くいく。そりゃあ、世の中辛いわよ。理想郷だって就職率もあるし、何だかんだで遠回りする事もあるでしょう。けれど、忘れないで。あんたの胸に湧いたときめきだけは、他の誰のものでもない。あんただけのもの。だから――」

 

 不意に黄昏が遠くなっていく。

 

 千佳の最後の言葉が、どうしても思い出せない。

 

 それでも――なのか。

 

 それだから、なのか。

 

 内奥から発する声は。

 

 肉体を脈動させる、血の呼び声は。

 

 あの日の千佳の言葉を思い出すまで――死ねない。

 

 ときめきに魅せられた自分の思い出だけは絶対に、裏切れない。

 

「――だから」

 

 真紅の衝動が真那の脊髄から生ずる。

 

 現実の視野が戻ってくる。

 

 もう、幻想に逃げる事は出来ない、許されない。

 

 直後には血を纏いつかせた一閃が、ジェイムズの腕を叩き割っていた。

 

 まさかこの至近距離でこちらに力が残っている事を相手は予測出来なかったのだろう。

 

 赤熱化の直前に放たれた太刀筋は奇跡的に硬質化との間で生ずる隙を突き、丸太のようなジェイムズの腕を根元から落とす。

 

「……サヤァ――ッ!」

 

 肉体にめり込んだ剛腕を真那は片腕で抜き取る。

 

 修繕されていく血の螺旋が髪を結い、三つ編みを構築していた。

 

 それを目の当たりにして、ジェイムズの真紅の眼光に僅かな恐れが宿る。

 

「……まさか、それは……貴様、“オリジナル”だと言うのか? だが……」

 

「――知らない。私は音無小夜。翼手を狩るだけ」

 

 断じた論調のままに真那は駆け抜ける。

 

 腹腔に空いた重傷は癒えていない。

 

 だが、一秒の猶予も惜しい。

 

 大上段に振るい上げた太刀をジェイムズは片腕で受け止める。

 

 硬質化が施された腕には真っ当な刃は徹らない。

 

 徹らない、だからこそ――。

 

 相手が悟るよりも速く、刃が爆ぜる。

 

 ジェイムズが後ずさると、腕の筋肉繊維が露になっていた。

 

「……馬鹿な。私の硬質化を……!」

 

 真那は肉体を修復する血を逆巻かせ、それを触媒に刃へと纏いつかせる。

 

 紅く染まった血刀は通常の刃の数十倍の切れ味を誇っていた。

 

「……血刀……。それが貴様の血の力か……!」

 

「黙れ。翼手は狩り尽くす。それだけだ」

 

 最早、論ずる暇はない。

 

 真那は血を吸わせた血刀を振るい上げる。

 

 ただし、これは諸刃の剣だ。

 

 肉体の修復速度を遅らせて、その代わりに攻撃へと全てを振っている。

 

 結実がジェイムズの硬質化さえも打ち砕く血刀だが、デメリットがあまりにも大きい。

 

 何せ、血は放出され続ける。

 

 もし、ジェイムズが逃げに徹すれば自分は全ての血を失って死ぬだろう。

 

 だが、ここまで打ち合ってきたシュヴァリエがそのような帰結に満足するとは思えなかった。

 

 何よりも、自分は十六夜小夜を殺した存在。

 

 どうあってもここで撃滅したいはずだ。

 

「……修羅に堕ちるか。それが貴様の真骨頂だと言うのならば……!」

 

 ジェイムズが失ったはずの片腕を根元から修繕していく。

 

 その隙を逃さず、真那は青い加速術で一気に距離を詰める。

 

 だが、その瞬間、視界の隅で光が爆ぜていた。

 

 それはつい先刻落としたはずの、ジェイムズの腕だ。

 

「言っていなかったが、私は失った己の肉体でさえも機雷化出来る。これで」

 

 爆発の余剰衝撃波が真那の肉体を吹き飛ばす。

 

 想定出来ていなかった爆発の余波で聴覚も一時的に鈍っていた。

 

 わんわんと音階が遠く長く残響する世界で、ジェイムズが翼手の加速でこちらへと肉薄する。

 

 咄嗟に刃を翳したものの、聴覚をやられたせいで肉体を真正面に維持出来ない。

 

 どうしてもバランスを欠いてしまう視界の中でジェイムズは剛腕を打ち下ろしていた。

 

 火花が散り、弾き返された真那が次の手を講じる前に眼前へと爪が迫る。

 

 回避するような判断力はない。

 

 眼球が掻っ切られ、真那の視界は直後に赤く没する。

 

「……搦め手は趣味ではないのだが。これもここまで戦い抜いてきた貴様への敬意を表しよう。音無小夜、“ママ”を殺したのは許されないが、強敵であった。そして、貴様はここで死ぬ。これは決定事項だ」

 

 ジェイムズの声がどこから放たれているのかさえも判然としない。

 

 後ずさるとそこは瓦礫であったのか、真那は姿勢を崩して横向きに倒れ込む。

 

「ここまで……そうだな。私を追い込んだのは貴様が初めてだ。シュヴァリエとして、少しは刻んでおこう。音無小夜と言う名前を」

 

 ジェイムズは確実な手で自分を殺すはずだ。

 

 だが、その手段が分からない。

 

 赤熱化で爆破するつもりなのか。

 

 それとも、その余りある膂力でねじ伏せるのか。

 

 真那は血刀に意識を飛ばす。

 

 しかし、見えていなければその集中の糸も途切れる。

 

 血刀が崩壊し、少しずつ己を満たしていた全能感が消え失せようとしていた。

 

 聴覚の回復は軽く見積もっても三分以上。

 

 視界の回復はそれよりも深刻だ。

 

 このまま――何も出来ぬままに死んで行く。

 

 ここまで追い込んだのに。

 

 真那は必死に材料を集めようとしていた。

 

 決戦に足る材料を。

 

 嗅覚は生きている。

 

 血の臭いでジェイムズを捕捉出来るかと思われたが、それも散漫となっていた。

 

 彼が構築した血の霧と、そして今も成長を続けているのだろうデイダラの臭いがこの場での精密さを欠いている。

 

 僅かににおい立つのは、土煙の臭いだ。

 

 片手で握り締めた煤けた土の臭気がいやに鮮明である。

 

「音無小夜。ここで殺さなければ禍根が残る。それに、どうやらあちらの決着もついたらしい」

 

 その言葉が放たれた途端、真那は“声”を関知していた。

 

 弾け飛んだのは決死の刃を振るい下ろしたキザハシの雄叫びだ。

 

「……キザハシ、さん……」

 

「どちらが勝ったかまでは不明だが、少なくとも無傷とはいくまい。我々の決着もつけようか」

 

 ジェイムズがどこまで迫っているのかも分からない。

 

 いつまでも続く残響音が空間把握を阻害している。

 

 加えて、視界の補填も得られない。

 

 血刀は解かれ、サヤの血の力は少しずつ失われていく。

 

 真那は悔恨を噛み締め、土を握り締めていた。

 

 ――負けたくない。誰よりも自分自身に……誓ったのに。

 

 夕映えの景色を背にした千佳に。

 

 同じ戦場を駆け抜けたサヤ達に。

 

 これまで踏みしだいてきた数多の骸に。

 

「終わりだ」

 

 赤熱化で殺されるのか、あるいは別の方法か。

 

 真那はその瞬間、別種の匂いを嗅ぎ分けていた。

 

 それは今際の際の感覚が極大化した結果であったのかもしれないが、本当のところは分からない。

 

 分からないが――それに縋るしかない。

 

 真那の意識は一点に注がれていた。

 

 それはつい先ほど落としたジェイムズの腕、それに付着していたはずの自分の血糊だ。

 

 機雷化で全て吹き飛ばされたかに思われていたが、僅かに匂い立つ。

 

 そして――自分に残されているのが嗅覚だけならば、それを最大限に利用せよ。

 

 まず、飛び散った血に向けて真那は駆け抜ける。

 

 直後、先ほどまで頭蓋があった空間を爆熱が抜けていた。

 

 ジェイムズは頭部を掴んで爆破するつもりであったらしい。

 

 それを免れた感触を噛み締める前に、次に真那が向かったのは別の血飛沫の箇所だ。

 

「……眼が見えないはずだろうに、何を頼りにしている? いや、これもまぐれか……?」

 

 ここで聴覚が戻るまでの時間を稼ぐような余裕はない。

 

 この戦場に飛び散った己の血をまるで見えない綱渡りをしているような気分で踏んでいく。

 

 一歩、また一歩と。

 

 踏み締めた血が教えてくれる。

 

 ジェイムズの位置を。

 

 そして、この戦場における最善手を。

 

 元はと言えば、自分から放たれた血。

 

 それを辿れば、たとえ眼が見えなくとも、耳が聞こえなくとも関係がない。

 

 討滅の血が命じるがまま、舞踊のようにジェイムズの周囲を駆け抜け、そして一つ事だけを考えろ。

 

 集約させるのは血刀。

 

 それもこれまでのようなものではない。

 

 刻み込まれた「emeth」の血文字を赤く輝かせる。

 

 殲滅の遺伝子を宿らせ、真那は踏み込む。

 

 ジェイムズが石を掴み取って投擲したのか、頬を赤熱化した爆弾が掻っ切り、肉体を叩きのめしていく。

 

 それでも、止まらない。

 

 否、止まるわけにはいかない。

 

 渾身からの咆哮を上げ、真那は血刀を構える。

 

 ジェイムズが取る手段は全く分からない。

 

 真正面から愚直に突き進む自分を射抜くのか、それとも受け止めてから迎撃に出るのか。

 

 いずれにせよ、好機はほんのレイコンマ一秒未満だろう。

 

 血刀へと己の脈動を帯びさせる。

 

 心拍と血刀の流動が一体化し、真那は己の躯体そのものを打ち付けるつもりで、身を投げ出しつつ斬撃を叩き込んでいた。

 

 血刀が翳された肉体へと喰い込む。

 

 それはこれまで訪れなかった千載一遇の好機だ。

 

 舌打ちを滲ませ、ジェイムズは接触点を赤熱化させて弾き返そうとするのが空気の熱波で伝わる。

 

 瞬時に真那は浴びせ蹴りで相手の攻撃を逸らし、着地と同時に薙ぎ払う。

 

 真紅の残火が漆黒の重装甲を引き裂く。

 

「……これほどの、事がぁ……ッ!」

 

 結晶化現象は訪れない。

 

 サヤの血より生まれしシュヴァリエの宿命なのか。

 

 この場合、殺すのには一つの手段しかない。

 

 ――叩き込んだ一撃で大量出血させ、完全に殺し切る。

 

 眼は再生の途上であり、ようやく聴覚が戻り始めたばかりだ。

 

 しかし、今のジェイムズは手負いの身。

 

 そうそう長丁場を演じられるような余裕はないはず。

 

 それはこちらも同じ事。

 

 血刀の精度が落ちつつある。

 

 恐らく、完全構築を実行すれば、触媒となる太刀そのものが形象崩壊するだろう。

 

 だが、ここで勝利するのにはいちいち頓着してはいられない。

 

 真那は刃に血を吸わせ、今度こそ相手への断絶の一撃を溜め込む。

 

「……音無小夜、ここまでよくやったと、言ってもいいだろう。だが、私は貴様を許すつもりはない。“ママ”を殺した貴様を……首だけになったとしても喰らい付くだろう」

 

「それは数奇だな。私も、翼手を殲滅するためならば牙だけでもいい」

 

 互いに言葉の応酬を交わし、真那は漂う血の臭気からジェイムズが再生したのを感じ取る。

 

 やはり、堅実に行くか――それは即ち、赤熱化した飛礫は飛んでこないという証明であった。

 

 一気に大地を蹴って駆け抜ける。

 

 この射程を殺して刃を腰だめに構えていた。

 

 己の身を螺旋のように巻き取り、呼気一閃を叩き込もうとして、肉体を貫通する赤熱化した弾丸を感覚する。

 

 来ないと予想していた攻撃に足が止まった一瞬を突き、ジェイムズは先ほど真那が切り込んだ片腕の傷口を翳す。

 

 ささくれ立ったかさぶたが山脈のように逆立ち、それらを赤熱化させて放射する――そこまで考えが及ばなかった真那は一斉掃射を受けていた。

 

 肉体が嬲られ、何度も撃ち抜かれて血潮が地面に広がっていく。

 

 膝を折る。

 

 完全に必殺を予見しての行動を上回られ、その上で大打撃を負った。

 

 これだけで戦意が折れかねない。

 

 ジェイムズはゆっくりと歩み寄り、真那の頭蓋を引っ掴む。

 

「ここ一番の勝負勘が足りなかったな。では、遺恨なく潰させてもらおう」

 

 ぎしり、と頭蓋骨が軋む。

 

 ジェイムズはわざと赤熱化ではなく、単純な剛力だけで決着をつけようとしているのだろう。

 

 爆発させれば簡単に勝てるのに、ここまで食い下がってきた自分への慈悲か。あるいは、それなりの称賛じみたものか。

 

 躯体には灯火一つ通らない。

 

 肉体はぼろ雑巾のよう。

 

 奥歯を噛んで最期の時への抵抗にも出来なった。

 

 思えば、死の瞬間など想定したよりもずっと呆気ないのだろう。

 

 受け入れようとしたその時、首輪の通信機から声が漏れ聞こえる。

 

 それは先ほどまでの聴覚異常では聞き留められなかった、機関からの特殊暗号であった。

 

『倉橋真那、位置を特定した。これより二種類の特殊弾頭を発射する。そちら側の認証を問う』

 

 ヘリの羽音が耳に入る。

 

 ジェイムズがそれに勘付いて視線を振り向けるが、片腕だけでは撃墜は出来ないのだろう。

 

「機関の走狗か。ここに来てまで、一体何を……」

 

『応じて欲しい。危険でも動けるのならば首輪を三回叩き、命の危機ならば五回で頼む』

 

 真那は瞬時にマフラーの下に巻かれた首輪を三回叩いていた。

 

『承認した』

 

 戦術ヘリより白銀の砲弾が放たれる。

 

 無論、それを防御不可能なジェイムズではない。

 

「愚かしいな」

 

 片腕を根元から断ち切られたと言っても、滴る血を逆巻かせて特殊弾頭を血の刃で断絶させる。

 

 四散した特殊弾頭が砕け墜ちた瞬間、灼熱の放射を真那は肌で感じ取っていた。

 

「……なに――」

 

 特殊弾頭が爆ぜる。

 

 完全に虚を突かれた形のジェイムズの腕から逃れ、真那は次の布石を打つ。

 

 ――特殊弾頭の要請において、三回のコールは炸裂型の焼夷弾を発射する合図。

 

 翼手の中には索敵に長け、“声”を傍受する者も居る。

 

 そう言った存在へのカウンターとしての策だ。

 

 そして、その三秒後。

 

「――David、sword」

 

 真打ちとなる特殊弾頭が真那の進行方向へと放たれていた。

 

 青い加速術はもう、ほとんど使えない。

 

 ジェイムズは黒煙を棚引かせながら空間を駆け抜ける。

 

「させるものか……!」

 

 重戦車そのものの駆動力で大地を蹴散らし、ジェイムズが迫る。

 

 真那は振り返るような暇もないと思っていたが、それでも少しの時間稼ぎに血刀を放出する。

 

 ジェイムズがそれを片腕で弾きつつ、こちらとの距離を詰める。

 

「サヤの分際で……! 私が負けるわけにはいかない……!」

 

 どうしても血の力は弱まっている。

 

 追いつかれれば一撃で殺されるだろう。

 

 それならば、一歩でも前に進め。

 

 どれだけ醜悪でも、どれだけ弱々しくとも。

 

 戦いに定石はない。

 

 争いに貴賤はない。

 

 だからこそ、その手を伸ばして。

 

 ただただ、掴み取れ。

 

 己の牙を。

 

 研ぎ澄まされた血の残光を。

 

 だが、ジェイムズはその巨体からは想像も出来ないような策を取っていた。

 

 跳躍し、真那の直上を抜けようとする。

 

 翼手の身体能力ならば確実に先んじられる。

 

 しかし、真那には取れる手立ては限られていた。

 

 ――と、その時。

 

 片手に携えた刃へと自ずと視線が赴く。

 

「……ああ、そっか。なら、私は……」

 

 身を翻す。

 

 急速に足を止め、真那は真上のジェイムズへと視線を据えていた。

 

「勝負を捨てたか! 音無小夜ァ――ッ!」

 

 ジェイムズが吼える。

 

 真那は血刀ではなく、わざと血を吸わせない刃を下段より振るっていた。

 

 直後、銀色の刀身が中空で回転する。

 

 主を失った刀の切っ先が、そのまま落下するまでの僅かな時間。

 

 真那は折れた太刀の断面へと掌で血を吸わせる。

 

 渾身からの雄叫び。

 

 不完全な刃へと血が迸り、純然たる血で構築された切っ先がジェイムズの下腹部に突き刺さっていた。

 

 相手がかっ血した、僅かな隙。

 

 真那は血の刃を逆巻かせ、内側から爆ぜさせる。

 

 刀剣は完全に砕け散っていた。

 

 その衝撃波に煽られるようにして、真那の躯体が舞い上がる。

 

 特殊弾頭が花開き、白銀の蓮の中枢に屹立するのは藍色の鞘に納められた一振りの牙。

 

 柄頭を指先で包み込み、宙返りして着地した真那は鯉口を切っていた。

 

「サヤァ……ッ!」

 

 放たれるその怨嗟の声に応ずるように、真那は銀色の刃へと掌を這わせる。

 

 再生した真紅の瞳がジェイムズを捉え、闘争心と戦意で固めた獣の瞳孔が細められていた。

 

「終わりだ、シュヴァリエ」

 

「ころ……殺して、やるゥ……ッ!」

 

 ジェイムズが喉の奥から殺意をみなぎらせた声を発する。

 

 落とした片腕はまだ再生の途上であった。

 

 もう片方の腕を赤熱化で灼熱の域に到達させ、漆黒の牙の間から硝煙にも似た息吹を棚引かせる。

 

 炎熱を灯らせた片腕を引き、ジェイムズは構える。

 

 恐らく、次の一手が自分達にとっての最後の交錯だろう。

 

 真那は深く長く、呼吸を維持していた。

 

 血の残火を宿らせた刃を腰だめに構え、呼気を詰める。

 

 直後、互いに引き合うようにして青い残像を引いて至近距離に肉薄していた。

 

 大写しになる、猛獣の相貌。

 

 奥歯を噛み締めた、純度の高い殺戮の死徒の姿。

 

 きっと今、自分は同じような顔をしているのだろうな、と詮無い考えが脳裏を掠めたのも一瞬。

 

 真那は紅い一閃を振るう。

 

 ジェイムズの灼熱に至った貫手が突き抜ける。

 

 直後には、重なり合うようにして硬直する。

 

 その均衡を破ったのは、真那のほうであった。

 

 じりじりと肉体を焼き尽くす炎熱の腕が抜き取られる。

 

 腹腔を貫かれ、真那は激しくかっ血していた。

 

「……ごめん、キザハシ、さん……」

 

 生きて帰るって、言ったのに。

 

 そんな感慨を噛み締めながら、真那の肉体は滑り落ちていた。

 

 ジェイムズが哄笑を漏らす。

 

 それは直後には戦域を満たす高笑いに変わっていた。

 

「勝った! 勝ったよ、ママ! 勝ったんだ、私が! 十六夜小夜! あなたの敵を討てた! だから……だから傍に……居てよぉ……ママン……」

 

 ジェイムズが行方を探るようにして片腕を上げた瞬間、その肉体が寸断されていた。

 

 血飛沫が雨嵐のように降りしきる。

 

 真那はぼやけた視界の中で、刀を杖代わりにして立ち上がっていた。

 

「かえ、らなくっちゃ……私、は……。だって、だってぇ……っ」

 

 涙で前が見えない。

 

 戦闘色を失った黒い瞳から、熱い涙が伝い落ちる。

 

「だってぇ……っ! だって、千佳の……みんなの、ために……キザハシさぁん……っ」

 

「――そんなに頑張らなくってもいいのよ。真那ちゃん」

 

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