BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百二十五話 蛇

 

 死んだと思っていた。

 

 否、もう死んでもいいと思い込んだのだろう。

 

 腹腔から迸る血の臭気で、肺が満たされてしまいそうだった。

 

「……こんななりでもまだ生きているのか……」

 

 コリンズを殺せなかった。

 

 目の前に、あれほど憎い相手が居たのに、七原文人を撃てなかった。

 

 どうして――自分はここまで弱いのだろう。

 

 最後の最後まで、サヤの世話になる。

 

「十二年前から……何も進めていないじゃないか……!」

 

 這いずってジョエルは地面を進んでいた。

 

 どうやらウキフネの力で影の中を伝って飛ばされたらしい。

 

 機関のどの場所かも分からぬ暗闇で、ジョエルは痛みに呻く。

 

「……誰も、誰一人として、オレの仲間なんて……一人も居なかったんだ……!」

 

 悔恨と憎しみで息が切れそうだ。

 

 白熱化した脳内には、十二年の月日をまるで感じさせずに屹立してみせた文人の姿がある。

 

 ――自分を覚えていなかった。

 

 それは軽んじられていたのだろうか。

 

 その行方さえも分からず、ジョエルはただただ、前に進む。

 

 もう死んだほうがいい身であるのは明白であるのに。

 

 ここで終わる事を容認出来ない。

 

 ここで諦める事を、魂の根が認められない。

 

 十二年だ。

 

 それだけの月日が経った。

 

 自分一人だけ、何も成せず、何も遂げられないまま終わっていいはずがない。

 

 壁に手をつこうとして、不意にその血濡れの指先が沈み込んでいた。

 

『認証しました。ロンギヌス機関長官の生体照合を読み込みます』

 

「何を――」

 

 言葉を発する前に、空間が拓けていく。

 

 無数の隔壁で守られていた何かが、幾何学の軌道を描く防御壁の向こうで脈動していた。

 

 青い培養液で満たされたカプセルの中に浮かび上がっていたのは、薄紫色の皮膚を持つ男性であった。

 

 偉丈夫の男の全身には無数の針が突き刺さっており、虚ろに沈んだその瞳は虚空に投げ出されている。

 

「……こいつは……翼手、か?」

 

 不明瞭であったのは変異こそ明らかに翼手のそれだと言うのに、まるで殺気を感じさせない。

 

 死んでいるのか、とカプセルに手を触れたところで培養液の内側が蠢動し、男の手が反射的に伸ばされる。

 

 ハッとしてジョエルは尻餅をついたところで、男の反応が遠くなる。

 

 まるでカプセル一つで世界から断絶されているかのようだ。

 

「……何故、機関のこんな下に、翼手のカプセルが……」

 

「――見つけた」

 

 その声にジョエルは身を強張らせる。

 

 振り返った先に居たのは、黒い外套を身に纏った一団であった。

 

「……貴様ら、シフ……!」

 

「探しておりました。まさか、ここにあったとは。機関は今日に至るまで、これほどまでの闇を隠していたとは。セクション三への侵攻の前に一度訪れて正解でした」

 

 リーダー格らしい女性がガンブレードを掲げ、こちらへと歩み寄る。

 

 どうする――とジョエルは呼気を詰める。

 

 今にも痛みで意識が落ちそうだったが、ここでシフの侵攻を許すわけにはいかない。

 

 だが、武器もない。

 

 自分の身一つではサヤ相当の実力を持つシフを止められないだろう。

 

「お覚悟」

 

 その銀色の刃が打ち下ろされかけた瞬間、降り立ったのは漆黒のスーツに身を包んだ痩躯である。

 

「おや、行き着く先が同じだったとは」

 

 片腕を大剣に変異させ、ソロモンと呼ばれていたシュヴァリエがシフの一撃を弾き返す。

 

 舌打ちを滲ませてシフがソロモンと打ち合う。

 

 火花だけが明瞭に網膜にちらつく中で、ソロモンは青いカプセルへと一瞥を投げる。

 

「……まさか、こんなところに居たなんて。あなたらしい末路ではありますがね。――アンシェル」

 

 その名にジョエルは震撼する。

 

 ――アンシェル。それは十二年前に、自分達を苦しめ、機関を壊滅寸前まで追い込んだたった一人のシュヴァリエ――。

 

「この男が? こいつが、あのアンシェルだって……?」

 

 ならば何故、アンシェルが機関の下層に?

 

 その疑問を氷解する前に刃同士が激しく交錯し、シフの纏う速力とシュヴァリエが追従していく。

 

「速いですね。その実力、そしてその能力。なるほど、理解出来ましたよ。あなた方は、“サンプル01”……アンシェルの血より生まれし、人造シュヴァリエ。機関はとっくの昔に禁忌へと手を伸ばしていたわけですか」

 

「シフが……アンシェルの……血の眷属だって言うのか」

 

「黙りなさい。私達はその運命に反旗を翻す者。限りある者として、全ての運命の鎖を断ち切る」

 

 一度大きく飛び退り、それからソロモンは片腕を元に戻していた。

 

「……ぼくとしても、この展開は気に食わない。どうです? 取引と行きませんか?」

 

「取引? アシッドのシュヴァリエの事を信用するとでも?」

 

 その問いかけにソロモンは笑顔で応じていた。

 

「ぼくは、悪辣なる蛇。裏切りの烙印の名、“ソロモン”。ゆえに、ここであなた方を殺すのは簡単ですが、少しだけ……運命の変動値を、試してみたくなりました」

 

 ずずん、と機関が鳴動する。

 

 今に爆撃機で機関は終わるのだろう。

 

「ロンギヌス機関長官、ジョエル。このままでよろしいのですか?」

 

「……何が言いたい」

 

「文人様を殺せず、その上裏切られて犬死にとなる。ぼくが提案したいのは、別のプラン。運命はまだあなたを……手離してはいない」

 

 差し出された生身の手は悪魔の手だろうか。

 

 それとも救いの手なのか。

 

 分からない、だが分からないなりに――。

 

「……このままで終わるのは、気分が悪い」

 

 その手を取る。

 

 ソロモンは微笑んで、それからシフへと目配せしていた。

 

「あなた方にも手伝ってもらいたい。これは楽園をひっくり返す、千載一遇の好機となるのですからね」

 

 

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