BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百二十六話 感染拡大

 

「本部は……!」

 

 叫んだ灯里は飛空艇の操舵手へと急かしていた。

 

 それをクルメが制する。

 

「ホムラバ、気持ちは分かるけれど、私達に出来るのは……」

 

「でも、でもぉ……っ! キザハシさんがチャンスを作ってくれた、オトナシさんがまだあの場に居るのぉっ! ……見捨てたくないよぉ……っ!」

 

 泣き崩れた自分に回収されたサヤ達は言葉少なであった。

 

「……こちらより、観測。セクション三、“原生林”のつい数分前の映像だ」

 

 モニターに映し出されたのは紫色の噴煙と炎に押し潰された残骸であった。

 

 高層ビルも見る影もない。

 

 世界の終わりとでも言える光景に灯里は絶句する。

 

「……こんな場所に……三人が……?」

 

「……生きちゃいないわよ」

 

 そう口にしたのはイスルギで、彼女は拳を固く握り締めている。

 

「もう、生きちゃいないわ。すぐに機関へと! すぐにでも、援護に向かわないと――!」

 

 その言葉尻を引き裂くように灯里は飛び掛かっていた。

 

「何で、何で何で何で! 何でそんな事が言えるんですかぁ……っ! オトナシさんもキザハシさんも……アマミヤさんだって、最後の最後まで戦い抜いたんですよ……! だって言うのに、何の痛みも感じていないんですか!」

 

「……私が何の痛みも感じていないって……?」

 

 その時、イスルギの鉄拳が灯里の頬を打つ。

 

 口中に血の味を感じながら、激情に奥歯を噛み締めたイスルギの憤怒が発せられる。

 

「そんなわけないでしょう……! キザハシだけじゃない、あの子達とどれだけ一緒だったと思っているの! ……ただ単に三人失ったんじゃ、ないのよ……!」

 

 馬乗りになり、イスルギに殴り掛かられる。

 

 それを飛空艇の搭乗員達が何とか引き剥がすが、灯里は胸にちくりと刺す痛みを感じていた。

 

 ――ただ単に三人失ったわけじゃない。

 

 機関の主力と言えるサヤの喪失。

 

 そして、これから先は自分達が戦わなければいけない。

 

 身を起こした灯里へとクルメが駆け寄る。

 

「ホムラバ! 大丈夫……?」

 

「うん……ごめん……ごめん……なさい……」

 

 どれだけ懺悔しても全てが遅い。

 

 自分達は、永劫に失ったのだ。

 

 あれだけ戦い抜く気概を持った戦士達を。

 

 それなのに、泣いている場合でいいのか。彼女らの覚悟に唾を吐くようなものではないのか。

 

 灯里は剣を強く握り締める。

 

 何も出来なかっただけではない。

 

 守られてばかりで、守り通すだけの意地もなくって。

 

「……強さが……欲しい……!」

 

 願いは虚しく、飛空艇が機関本部を捉えてから戸惑いがちの声が漏れ聞こえていた。

 

「……おい、何だあれ……」

 

 その声に顔を上げると同時に機関本部が爆発する。

 

 エメトピアの住人にとってしてみれば、唐突に完璧なはずの理想郷の外殻が割れたようなものだっただろう。

 

 眼下の市民が当惑し、めいめいに声を上げたのが伝わった。

 

「……爆発……? 何だってこんな――!」

 

 イスルギの当惑にツキシロは制するようにして声にしていた。

 

「……あれを……見て」

 

 指差したその先には、純白のドレスに身を纏った楽園の歌姫が、燃え盛る風景を背にして一礼する。

 

 その模様を上空を旋回する無数のドローンが映し出し、情報網をハッキングしていた。

 

「……あれは、まさかレクディ……?」

 

 蒼い瞳を伏せ、冷たい眼差しがカメラを見据える。

 

 紡がれたのは仰々しいアリアであった。

 

 歌声が連鎖する中で、イスルギはハッとして言葉を飛ばす。

 

「レクディの歌声は……潜在翼手を誘発する……!」

 

 飛空艇の乗組員は皆、蹲っている。

 

 何が起こったのか、灯里にはまるで分からない。

 

 分からないのに、明瞭に耳朶を打つのは――。

 

「……翼手の“声”……こんなにも近く……?」

 

 疑問を発する前に操舵手の肉体が弾け飛び、茶褐色の背骨が浮かび上がる。

 

 黒々とした体毛に覆われ、操舵手だった姿が折れ曲がり、現れたのは間違いない。

 

「……翼手……」

 

 だが、何故なのか分からない。

 

 人間が翼手に成るなんて――いや、そもそも何が起こっている?

 

 脳裏を掠めたその予感を確定する前に、黒い獣が躍り上がり、灯里へと襲い掛かる。

 

 それを制したのはツキシロであった。

 

 素早く立ち回り、抜刀して翼手の首を刈る。

 

 血潮が舞い上がり、舷窓にこびりつく。

 

 恐慌に駆られたのは、灯里だけではない。

 

「嫌だ……! 嫌だぁ……っ!」

 

 尻餅をついた管制室の人々が次々と翼手化していく。

 

 レクディの調べに従い、破滅の歌声がけだものの唸り声と相乗する。

 

「……キザハシ先輩が言っていたのは、本当だったのか……」

 

 クルメも抜刀する。

 

 灯里だけ、何も知らないまま涙の浮かんだ視界を振っていた。

 

「……いやぁ……」

 

「もしもの時にはクルメ、あなたが残りなさい。貴重な治癒能力を持つサヤよ。ツキシロ、任せられるわね?」

 

 問い返す前にイスルギは窓を蹴破り、風圧が彼女の髪を撫でる。

 

「……何を……」

 

「ここからなら私の身体能力でも届く。――レクディを殺すわ」

 

 その言葉で最悪の想定が現実のものとなっていた。

 

 レクディの歌は、翼手化を誘発する――だとすれば、この事態は。

 

 この現実はあまりにも窮地だ。

 

「……ホムラバ。刃を」

 

「……いやぁ……何でこんな……何で……!」

 

「泣いていたって何にもならない。私は最悪の場合、飛空艇の操舵に回る。――焔刃小夜、戦って」

 

 思わず剣を取り落とす。

 

「ホムラバ……!」

 

「だってぇ……こんなの、あんまりだよぉ……っ。こんなの、誰も望んでいないのにぃ……っ」

 

「泣いていたってどうしようもない! ……私達は、選抜試験で勝ち抜いたサヤ。……先輩達の意志を受け継がなくてはいけない」

 

 クルメはいつでも鯉口を切れるように構えつつ、彼女自身は戦闘を出来るだけ避けようとしているようであった。

 

 剣を翳し、翼手を引き付けてから、その身をかわす。

 

「ホムラバ! 戦え!」

 

「……出来ない……。こんなのって……ないよぉ……っ」

 

「だったら死になさい」

 

 イスルギは飛空艇とレクディとの距離をはかっている。

 

 恐らく、燃え盛るヘリポートへと跳躍で届く距離を概算して、一気に飛び掛かるつもりだ。

 

 レクディは歌姫の名に相応しく、その身を躍らせて炎の演舞のステップを踏む。

 

「……レクディ……『ケース38』の忌むべき結晶……。キザハシがやるのが筋なんでしょうけれど、私だってサヤ。……あの子にばかり、背負わせられない」

 

 刀を握り締め、イスルギは跳躍する。

 

 その決死のダイブに、歌を紡ぐレクディは静かに微笑んでいた。

 

「……イスルギさん!」

 

「ホムラバ、時間がない。エンジン部を担当している人間まで翼手化すれば、この飛空艇も遠からず墜ちる。その時に、むざむざ死んで堪るものか」

 

「……ボク、は……」

 

 震える視界の中で、こちらを狙い澄ます翼手を捉える。

 

 彼は――つい先刻まで自分達のバックアップをしてくれていた人間だった。

 

 間違いなく、人間だったのだ。

 

 だと言うのに、最早人間の証明は奪われ、人格は漂白されている。

 

「……こんな事をするために……サヤに成ったんじゃ……」

 

 獣が吼える。

 

 爪が空気を引き裂いて迫り、灯里は反射的に刃を抜き放っていた。

 

 抜刀の瞬間、そして薙ぎ払った一閃に宿った殲滅の血。

 

 ここまで鮮やかに翼手を両断出来る――きっとそれは、オトナシ達との訓練の賜物だったのだろう。

 

 それがこのような形で、結実する事になるとは思いもしなかった。

 

 灯里は伝い落ちる涙を堪え切れない。

 

 断ち割った翼手は、間違いなく仲間だったのに。

 

「……ボクはこんな風に……成りたかったわけじゃ……」

 

「クルメ。この飛空艇も長くは持たない。それに……もっとまずいのは……」

 

 射程を誤認させる刃で翼手を斬ったツキシロは飛び退り、飛空艇の制御を握り締めたクルメに声をかける。

 

「……分かっています……。このままじゃ、私達も諸共……」

 

「ホムラバ。あなたは一体でも多くの翼手を。飛空艇を軽く出来れば、少しは希望の芽も出る」

 

「……希望の芽って、何ですか……」

 

 震える声で灯里は糾弾する。

 

 何が希望だ、何が勝利だ。

 

 自分達は全てを失う。

 

 失ってから、それを大切なものだと認識する。

 

 オトナシも、キザハシも、アマミヤでさえ。

 

 彼女らの犠牲に報いられない。

 

 セクションに残った三人の、その最期に何が添えられると言うのか。

 

「泣き喚くだけなら後でも出来る。けれど事態は……」

 

 灯里はその瞬間、別方向からの“声”を感じ取っていた。

 

「……何、これ……」

 

 飛空艇から望む地平に、市民の黒々とした姿が――次々と切り替わっていく。

 

 ヒトである証左を捨て、獣としての本能を解き放って。

 

 ハッキングされた街頭モニターより、レクディの歌が拡大する。

 

 それは看過する事の出来ない、獣性の波紋であった。

 

「……“声”がどんどんと……増えていく……?」

 

「思ったよりも速かったよう。ホムラバ、それにクルメも。飛空艇を安全な場所まで届けさせる」

 

 ツキシロの決意が理解出来ず、灯里は戸惑うばかりであった。

 

「……何で……市民が翼手に……?」

 

「まさか、聞いていなかったの。……潜在翼手人類への一番の爆弾。それこそが、楽園の歌姫、レクディの紡ぐ歌」

 

 初めて聞く事実と、そして否定しようのない現実。

 

「……嘘、ですよね……?」

 

「……これが嘘に見えるのなら、そう思うといい」

 

 クルメは予め聞かされていたのか。

 

 翼手の波が感染拡大していく。

 

 ヒトが獣へと変異し、その本能の雄叫びが街並みを満たしていく。

 

「……嘘……だって、だってそんなの……。そんなのあまりにも……」

 

「ホムラバ。新しい剣を。それはもう刃毀れしている。飛空艇内だけでも翼手を殺せれば、別の方策も取れる」

 

 クルメは翼手の攻撃をいなしつつ、自分に新たな刀を差し出す。

 

 灯里は思わずその手を払っていた。

 

「やめてよ、そんなの! ……信じたく、ないよぉ……っ」

 

「信じられなければこの現実は終わるのか? そうじゃないだろう。私はお前に、生きていて欲しい、だから……」

 

「迂闊よ、クルメ……!」

 

 こちらに注意を向けていたクルメの背筋を翼手の爪が掻っ切る。

 

 舞い散る血飛沫に、灯里の中の本能が脈打つ。

 

 真紅の衝動が肉体を疾走し、灯里は翼手の首を叩き切っていた。

 

 その涙を拭う暇さえないまま、変異した乗組員を狩っていく。

 

 その眼差しに、セクションに向かう際の優しさはない。

 

 その声に、自分達を励ましてくれた温かみはない。

 

 だから、断ち切る。

 

 だから、討ち滅ぼす。

 

 灯里は殲滅の血の命じるがままに、刃を奔らせ人類の敵を吹き飛ばしていく。

 

 何体かは飛空艇の舷窓から突き落とされ、地表に叩きつけられる。

 

 その頭蓋がひしゃげる音を、サヤとして覚醒した聴覚が拾い上げる。

 

 奥歯を噛み締め、今際の際の無念の声に耐え忍んでいた。

 

「……何で、何でこんな事を……!」

 

 震える指先で刃を振るい、滲む視界の中で敵を殺す。

 

 まるで心が死に切ってしまったように冷たい。

 

 冷徹になる事でしか、今を生き永らえる事は出来ない。

 

 切っ先を突きつけ、その頭蓋を断罪する。

 

 自身の牙を打ち付け、血を宿らせた残火で相手を薙ぎ払う。

 

 憎しみではない。

 

 それどころか、悲しみでしかない。

 

 こんな感情で彼女らは刃を振るっていたのか。

 

 オトナシの寂しそうな横顔が今さらに思い起こされる。

 

 彼女らは知っていたのだ。

 

 知っていて、機関の指針に殉じていたのだろう。

 

「……こんなにも残酷な事を……」

 

 背後に迫った翼手へと向き直り、身を躍らせて爪を回避し様に肉体を躍り上がらせて掻っ切る。

 

 既に管制室は血濡れで、赤くない風景はどこにもない。

 

 ヘリポートで炎を挟んでレクディと向かい合ったイスルギが刃を構えて姿勢を沈める。

 

「……終わらせて……! こんなの……! 嫌……っ!」

 

 

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