BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百二十七話 ラスト・リゾート

 

「姉様かと思ったわ。でも、機関のサヤよね?」

 

 第一声がそれで、イスルギは実感する。

 

 ――ああ、自分はきっと主役ではないのだろうな、と。

 

 この理想郷で、サヤに選ばれてもただの端役だ。

 

 だが、端役なりの意地はある。

 

「悪いわね、レクディ。あなたを殺しに来たのはけれど、間違いなくサヤよ。この切っ先がきっと、その歌声を発する喉を貫く」

 

「そう、じゃあやってみて。私がこれまで殺してきた相手みたいに、簡単に壊れないでよね」

 

 レクディの歌声の位相が変わる。

 

 全く別の歌が紡がれる前に、イスルギは加速していた。

 

 ――自分はそこまで戦闘に長けたサヤでもない。

 

 キザハシのように前線で切り抜けるだけの胆力もなく、アマミヤほど全ての戦闘能力が特化しているわけでもない。

 

 まして、あの読めない音無小夜ほど、サヤの衝動に身を任せているわけでもない。

 

「……だから、これが私の戦い方……!」

 

 懐へと潜り込むと同時に、指先を切って血の毒を生じさせる。

 

 レクディはそれに頓着せずに歌うが、歌えば歌うほどに毒が回るはずだ。

 

 女神の笑顔のままに楽園全土へと放たれる歌声は、三秒もしないうちに霧散するかに思われていた。

 

 だが――その歌声は止まらない。

 

「……何で……」

 

「可笑しい? けれど、これが、あなた達サヤを殺す唯一の歌。楽園の具現。私、この曲にちゃんと題名を付けたわ。これまではマネージャーが付けてきたけれど。私のこの歌は――『ラスト・リゾート』。永劫に訪れないはずの、真の理想郷を形作る歌」

 

 毒が効かない、とイスルギはすぐさま理解して刃へと自身の血を宿らせる。

 

 その血の残火を灯らせ、振り下ろしていた。

 

 レクディの肉体を斜に切り裂き、その躯体から血飛沫が舞う。

 

 僅かに傾いだその隙を逃さず、イスルギは刃を払う。

 

「その肉体に刻まれた血……それが間違いなく、『ケース38』に記録されている通りにD因子なのだとすれば……対消滅で結晶化するはず。それがSコードとの宿命」

 

 だが、レクディの肉体は結晶化を引き起こさない。

 

 本来ならば、その時点でおかしいと思うべきであったのだ。

 

 だが、この時イスルギは一手足りないと判断して踏み込んでいた。

 

 ――恐らく斬撃が浅かった。だが、今度こそは。

 

 そう決意したイスルギは血の毒が効いていない事に判別を下す前に、レクディの歌声でその場に縫い付けられていた。

 

 見えない重圧に押し潰されるようにして、身体が硬直する。

 

 否、これはよく知っている。

 

 唐突に身体が動かなくなったのは、毒のせいだ。

 

「あーあ。もう回り切っちゃったのね」

 

 レクディへの切り傷は既に再生している。

 

 彼女は赤く染まったドレスで舞踊を踏み、リズムに従って自分の周囲を躍る。

 

「……なにを、した……」

 

「何も。ただね、この曲は特殊なのよ。『ラスト・リゾート』はあなた達、サヤの力を無力化するためだけに私が作った歌。翼手化の効果はほとんどないんだけれど、でもいいわよね? サヤを討滅するためだけにしか価値がない歌だってこの世にあったって」

 

 サヤを滅ぼすためだけの歌――その言葉が信じられず、戦慄く視界の中でイスルギは刀を握ろうとする。

 

 だが、その指先は滑るばかりだ。

 

「……力が、入らない……?」

 

「この曲はね、あなた達の血に介在する殲滅遺伝子を無効化する。通用させるのには直接聴かせるしかないんだけれど、あなたは運がなかったわね。私がこの歌を歌う前に、全てを終えるべきだったわ」

 

 レクディの手持ちマイクが抜き取られ、てらてらと火の色を引き写した短刀へと彼女は指先を這わせる。

 

 滴った血潮が灼熱の血となって、イスルギの肉体へと落ちる。

 

 触れた箇所が瞬間的に結晶化し、その眼を見開いていた。

 

「……まさか、そんな……」

 

「私のほうは有効なの。本当は一番に姉様に使って差し上げたかったけれど、あなたに譲るわ。――私の血で、死んで。サヤ姉様」

 

 刃に血の残火が宿り、イスルギの肉体を炎の盤面に突き立てる。

 

「あ、あ……」

 

 この感触を自分はよく知っている。

 

 結晶化し、思考回路が消え失せていく。

 

 翼手殲滅時に、幾度となく相手に与えてきた、その死の感触だ。

 

 レクディは刃をねじり、より痛みを感じさせようとする。

 

「痛い? 痛いわよね、サヤ姉様。……けれどね、“前”の私は、もっと痛かったのよ」

 

 何を言っているのか分からない。

 

 分からないが――サヤを殺す、これは最大の毒だろう。

 

 機関のサヤに対して、この策を使わせるわけにはいかない。

 

 ――動け! 指先! 動け、この身体……!

 

 結晶化の夢に消えれば、まだマシだっただろう。

 

 だと言うのに自分は、こんな今際の際でも、思い出すのはキザハシの相貌であった。

 

 あれだけ、残酷になり果てようとしていた。

 

 全てを捨て、自分だけこの世の全ての呪いを引き受けたかのように。

 

 その顔が、いつだって気に食わなかった。

 

 そんなにお前は物語の主役なのか?

 

 そこまで悲痛に顔を歪ませて、どうして痛苦だけで生きているように振る舞える。

 

 ――お前の在り方に焦がれたサヤだって、確かに居たのに。

 

「……本当に、私も馬鹿よね……」

 

「馬鹿は言いっこなしだわ。さぁ、死んで。サヤ姉様――」

 

「私はあなたの姉じゃない」

 

 肉体が力を失う前に、イスルギの刃はレクディの喉笛を掻っ切っていた。

 

 相手は確かに、対サヤに関してで言えば最大の猛毒だが、戦闘のプロではない。

 

 よろめいたその隙を突き、蹴り上げてその姿勢を崩させる。

 

 仰向けになったレクディの喉を、馬乗りの形でイスルギは突き刺していた。

 

 悲鳴が劈く。

 

 サヤを殺す毒である歌が残響する。

 

 それと共に心臓へと突き立てられた短刀の鋭利な刀身が食い込んでいた。

 

 かっ血しながら、イスルギはレクディの喉から心臓までを引き裂こうとして、不意に姿勢が崩れ落ちる。

 

 結晶化した片腕が、レクディの胸元に落ちていた。

 

「……あ、あ……」

 

 もぎ取られた腕を蘇生するような時間もなければ、殲滅の血は既に回り切っている。

 

 視界がひび割れる。

 

 ――ああ、死んで行く。

 

 結晶化が肉体を朽ち果てさせ、思考が潰えていく。

 

 レクディは炎の舞台でのたうち回っていた。

 

 如何に血の力が通用しなくても、喉を潰されたのだ。

 

 しばらくは歌えないだろうし、動く事も出来ないだろう。

 

 足が結晶化してささくれ、イスルギは横倒しに倒れる。

 

 最後の最後、何か声を発しようとして、何もかも上手くいかないのだな、と瞼を閉じる。

 

「ああ、でも……少しはあなたに、報いられたのかしらね……キザハシ」

 

 十二年前からの憧れ。

 

 十二年前から追いつけないでいた。

 

 その距離が少しでも縮まってくれたのか。

 

 安息のうちに、イスルギは特別でも何でもない、ただの死を受け入れていた。

 

 

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