BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第百二十八話 The Last Dark

 

「イスルギ……!」

 

 その名を呼んだのは誰のためだったのだろうか。

 

 ツキシロは下唇を噛み、それから呟く。

 

「……勝手に逝くなんて……絶対に許さない」

 

 何が起こったのかまでは不明だが、灯里は翼手の勢いが削がれたような気がして、刃を奔らせる。

 

「……ここで、止めないと……!」

 

 手加減をして勝てる相手ではない。

 

 その上、眼下のセクションでは市民が漆黒の獣へと堕ちていく。

 

「……何……電報!」

 

 クルメの声が管制室に響き渡る。

 

「クルメちゃん……? 何が……」

 

「……つい三十分前のものだけれど、傍受した。アシッドがこのセクションを焼く。恐らくは機関を叩き潰すのと同期して、だろう……」

 

 震撼する灯里に、ツキシロは追及の声を飛ばす。

 

「止められないの?」

 

「……もう遅い。私達は……少しでも遠くの、機関の支部に、助力を乞う事しか……」

 

 既に転がり出した石なのだろう。

 

 悔恨にツキシロは囚われたのも一瞬、すぐさま持ち直していた。

 

「……分かった。私達を受け入れてくれる機関支部へと連絡。……私はこれでも、少しは伝手もある。まだ大丈夫な支部にも当てはあるかもしれない……」

 

 通信をツキシロが、飛空艇の操舵をクルメが担当する。

 

 自分は――まだ殺し切れていない翼手化した人々を、せめて一刀のうちに楽にするしかなかった。

 

 蠢く獣の臭気。

 

 エンジン部を食い破ろうとする翼手へと、灯里は刃を翻す。

 

「……ごめん……なさい……」

 

 これが最後だ。

 

 最後の弱さだろう。

 

 真紅の剣閃を打ち下ろす。

 

 もう――泣いてばかりの自分は捨てなければいけなかった。

 

 遠くの空を爆撃機が飛んでいく。

 

 そこから放たれた焼夷弾頭が獣に染まった大地を焼き、引き裂いていく。

 

 恐らく、このセクションはもうヒトが住めないだろう。

 

 燃え盛る炎が上げる黒煙を空の彼方に見据えて、飛空艇は雲を引く。

 

「……繋がった! ……こちら、セクション三、攻略班! ……繰り返す、こちらセクション三へと向かったサヤ……! どうか……」

 

 願いはあったのだろうか。

 

 贖いはあったのだろうか。

 

 血に染まった両手と、太刀を顧みる。

 

 飛空艇は間もなく受け入れられるのだろう。

 

 安堵したツキシロとクルメの声がわんわんと残響する中で、灯里は気を失っていた。

 

「……オトナシさん……ボクは……」

 

 涙が伝い落ちる。

 

 今だけは、これを責めないで欲しい、そう願って。

 

 戦闘兵器であるサヤだけを乗せた船は、彼方の空から昇ってくる陽の光を浴びていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『本日のニュースです。二年前、エメトピア中央庁の公式会見で“SAYA”の完全根絶が宣言され、長かった自粛期間を乗り越えられました。エメトピア市民の皆様におかれましては、失った犠牲を想い、そしてこれ以上あのような悲劇が起こらぬ事を願って。黙祷』

 

 市民が一分間の黙祷を捧げる。

 

 それから何でもないかのように喧騒は訪れていた。

 

「今日どこ行くー?」

 

「あっ、この間出来たカフェとかどう? 私がよく見てる配信者が居てさ。病み系の可愛い目で、チャンネル名は……」

 

「あっ、これカワイイー。登録ポチっと」

 

 端末上で投射された黒を基調としたロリ系の美少女アバターが回転する。

 

『みんなー! カワイイあたいにひっざまづけー♡ 病み病みの理想郷から届ける、サイコーにイケイケのチャンネル♪ “病みヤミチャンネル”の時っ間だぞ~♡』

 

「ヤミちゃん、マジイケてる! この間のレクディのナンバーを“歌ってみた”よかったー」

 

 いいねボタンを押しながら、街の人々は噂話に興じる。

 

「そう言えばさ、レクディ活動休止から二年だけれど……全然新曲出ないねー」

 

「あれだっけ? 『ラスト・リゾート』、におわせ半端ないよねー。やっぱあのまま終わり?」

 

「馬鹿。レクディは地下アイドルとしてやっていくってブログに書いてあったろ?」

 

「それ闇ブログでしょ? ってか、ヤミちゃん可愛すぎー! もうヤミちゃんでよくね?」

 

「確かに。レクディってちょっと高級感って言うか、お高く留まってる感じあったもんねー」

 

「本物見た事ないくせにー。ま、私もないけれどねー」

 

 人々は益体のない言葉と流行りものに身を浸している。

 

 ここが理想郷であるからだろうか。それとも人の在り方などその程度なのだろうか。

 

 どれだけ楽園の内側で生きようとも同じく。

 

 どれだけ鳥籠で飼育されようとも同じく。

 

『間もなく、官庁前に到着いたします。なお、この車両は車庫へと入りますのでお忘れ物のないようにお願いします』

 

 夜間の人気の絶えた急行列車に、少女が乗り合わせている。

 

 背広のサラリーマンがずっと、少女の前でつり革を握っていた。

 

 少女の落とした視線の先には文庫本があり、活字を黒曜石の瞳が追っていた。

 

 トンネルに入ったところで、サラリーマンの顎から先が引き裂け、三つ又の牙が出現する。

 

 少女は目線を上げず、肩に担いだ画材ケースを振るっていた。

 

 トンネルから出る前に、首を失ったその遺骸を蹴飛ばし、車両連結部に滑り込ませる。

 

 これも慣れた所作だ、と刃を鞘に納めてからマフラーの下で通信網が繋がる。

 

『標的は排除したか、サヤ』

 

「滞りなく」

 

 短く返答して、サイドテールに結んだ髪を揺らし、文庫本をなぞる。

 

 そろそろ仕事が終わってデヴィッド達と合流する頃合いだ。

 

『官庁前ー。お降りの皆様はお忘れ物のないようにご注意ください』

 

 降り立ってから、人払いをしたらしいデヴィッドとルイスに顔を合わせる。

 

「サヤ! ……焔刃小夜」

 

 ルイスが死体を確認しに向かう。

 

「……デヴィッド。ボクは変わってしまったのだろうか。この二年間で、たくさんの翼手を殺して……」

 

 骸を確認し、ルイスが伝令を打つ。

 

 間もなく処理班が訪れ、翼手の死体と痕跡を回収するだろう。

 

「……我々が出来る事は少ない。あの日……生き延びてくれた君達、サヤと、そして……」

 

 デヴィッドの瞳にはあの日以来、永劫に失ってしまった罪過が滲む。

 

「……ボクは音無小夜ほど上手くやれない。だから、期待し過ぎないほうがいい」

 

「……ああ、そう、かもな……」

 

 刀の血を拭った紙切れを捨ててから、夜の街並みを歩む。

 

 楽園は変わりない。

 

 滅菌されたような白亜の建築物。

 

 等間隔で背丈も管理された全ての現象と事象。

 

 ここはきっと、完璧に等しい理想郷なのだろう。

 

 仰げば見える星も、月の満ち欠けも。

 

 何もかもに作為が存在する。

 

 だからこそ、夜の歩き方だけは自分のものだ。

 

 しばらく当てもなく歩いていると、ポップアップのメッセージボードへと行き会っていた。

 

 それは過去の時代には「掲示板」と呼ばれたもので、駅近くに設置される決まりとなっている。

 

 その前に佇み、淡い光を浴びつつ指先を走らせていた。

 

「――あれから二年経ちました。表向きには“SAYA”は根絶され、エメトピアには安息が訪れたとされています。ですが、翼手の脅威は未だに健在で、ボク達の仕事が減る事はありません。……時々、考えてしまいます。あの戦いで、ボクがオトナシさんの代わりに戦えればどれほどよかったのか、って。けれど、二年経って、その考えも変わりました。……代わりなんて居ない。誰だって、特別な一人なんです。だから、ボクはちゃんと……ちゃんと生きていたいと思います。ボクが夜に生きるしかないと言うのならば、その在り方にせめてもの矜持を。そして……今でも信じているんです。また、会えるかもしれないって。音無小夜さん。あなたはきっと……きっとまた、帰って来てくれますよね?」

 

 そこまで打ってから「検閲により削除」と表示され、掲示板に記した想いは霧散していた。

 

 ホムラバは――否、灯里は無力感を噛み締めつつ、踵を返す。

 

 凍えたようにマフラーを引き寄せ、その呼吸を整える。

 

「……そう言えば、エメトピアはこのシーズンは冬だったっけ……」

 

 過去の遺物であるクリスマスやハロウィンと呼ばれる慣例行事をこなし、そして意味が分からずともそれらを享受する。

 

 楽園の人々は、ただただ口を開けて快楽を浴びるだけの奴隷だ。

 

 しかし、それが大多数の真実でもある。

 

 降り始めた、ささめ雪。

 

 凍え始めた、指先。

 

 満月が中天に昇り、世界を睥睨する金色の眼差しとなる。

 

 その怜悧な在り方は、音無小夜の在りし日の真紅の眼光を思い起こさせていた。

 

「この世界に、永遠なんて……そんなの一つだってあるはずがない、か」

 

 永劫に続くかに思われる理想郷も、いずれ終点がある。

 

 ならば、せめて歩みを止めないでおこう。

 

 地獄の業火に焼かれるしかなくとも、それでも。

 

 ――闇に堕ちた鳥籠の世界を、生きていくしかないのだから。

 

「オトナシさんはきっと、帰って来る。だから、ボクはその日まで……」

 

 誓う。

 

 誰にも負けない、と。

 

 ふと、掲示板に人探しの依頼が舞い込んでいる事に気付く。

 

 戯れのつもりで、灯里は書き込んでいた。

 

「人を探しています。背丈はそんなに高くない女の子で、セミロングに近い髪型です。名前は、音無小夜――」

 

 そこまで打ち込んでから、いや、と灯里は書き直す。

 

「名前は倉橋――倉橋真那です。もし少しでも情報があれば、連絡をください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『BLOOD/EMETH』 第一部 完

 




なかがきを三十分後に更新して第一部は終わります。ここまでありがとうございました。
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