BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第十三話 衆愚の感情

 

 困りますなぁ、と切り出した院長にラビは薄紫色のサングラスのブリッジを上げていた。

 

「しかし、これは確定情報ではあるのですよ。……小汚い狗が嗅ぎ回っている」

 

「ですが、ここは鉄壁の“隔離病棟”、奴らでは一生、攻撃を仕掛ける事も出来ない。腰が引けているのですよ」

 

 そう告げてからせせら笑った院長は、肥え太った恰幅を揺らしてゆったりとした革張りの椅子に腰かけていた。

 

 ラビと名乗った中央庁の男は怜悧な瞳を崩さずに応じる。

 

「勘繰られて痛い横腹がないわけではありますまい」

 

「話に聞く、“サヤ”ですか? ですがね、連中の使う“サヤ”は分かりやすい。これまでも何度か、この病棟に“サヤ”が送り込まれてきましたよ。その度に、我々は上へ下へと大混乱だ。それでも、今日までここが崩落していない事が結果そのものでしょう」

 

「いえ、それは承知しているのですがね。わたしのシュヴァリエが言うのです。耳にはしたでしょう? セクション三十七の爆撃措置」

 

 院長はラビの隣に佇む影のような疾駆へとちらと目線を配る。

 

「存じています。それが、件のシュヴァリエで?」

 

「いち早くわたしに危険だと進言した。優秀なシュヴァリエですよ。だからこそ、今忠告しているのです。“隔離病棟”の行いが明るみに出れば、中央庁にも影響が及ぶ」

 

 なるほど、と院長は得心した様子を見せたが、その実はシュヴァリエの一挙手一投足へと注意を向けている。

 

 黒い外套姿のシュヴァリエはフードを被っており、太陽を知らないかのような真っ白な口元が覗いているだけだ。

 

 一文字に引き結ばれた唇の色素は薄い。

 

 まるで死骸のように。

 

「して、心得てもらえますかね? 中央庁の言葉として受け取っていただければありがたい」

 

「……この“隔離病棟”の破棄、ですか。確かに、奴らに察知されてからでは遅い。ですが、そのような不手際を冒すとお思いですか?」

 

「セクション三十七の管理者は慢心が過ぎた。その結果はご存知の通り、セクションそのものをなかった事にするしかない。中央庁の執行組織である我ら“アシッド”がこうして掃除をさせられるくらいにはね」

 

「アシッドの皆様においては、大変なご足労かと思いますよ。中央庁のラビ殿、そしてそのシュヴァリエ、どちらも最大限の警句であると認識します」

 

「正直なところで言えば、これまでのように28号翼手を増やしていくのには、敵も知恵を付けている。どこかで全く新しい“サヤ”が生まれているとすれば、その脅威判定を上げるべきとでも」

 

「……それも可笑しな事を仰る。増やしているのではない、彼らは目覚めているに過ぎない。まどろみの中で、不幸な宿縁に苛まれたままで」

 

 院長は口角を吊り上げていた。

 

 ラビはこちらの応答にも全く衰えた様子もない言葉で返答する。

 

「……頼みますよ。“隔離病棟”の露呈は、さすがに爆撃でなかった事には出来ない」

 

 その最大限の侮辱に、院長は腰を上げていた。

 

「……ラビ殿、少し思い違いをされているようだ」

 

 直後、院長の姿は青い残像を帯びて掻き消えていた。

 

「……ラビ様!」

 

 シュヴァリエがその手刀を硬質化し、剣へと変えたその時には、院長の変異した腕がラビの首筋に添えられていた。

 

「シュヴァリエとまではいかなくとも、私だって上級翼手だ。何も年功序列だけで院長の座に上り詰めたわけではありませんよ。何ならこのよく回る舌、引っこ抜いてやってもいい」

 

 獣の鋭利な爪となった凶器を翳すが、ラビは口元にフッと笑みを浮かべて、うろたえた自身のシュヴァリエを制する。

 

「いい、そのままで」

 

「……ですが……!」

 

「院長。あなたの実力、何も過小評価しているわけではない。だからこその、忠言です。わたしはラビとして、中央庁にかかる火の粉を払う必要性がある。あなたが文字通り、鬼のように頼りになるというのならば、ここでは退きましょう」

 

 その言葉繰りに院長は片腕を戻し、ニコニコと人のいい笑みを浮かべてみせる。

 

「中央庁のご心労はかけますまい。ここまで来ていただいて大変恐縮ではありますが、“隔離病棟”が落ちるのにはまだまだかかりますとも。いや、そもそも一生、そのような事は訪れないかも」

 

 ラビのシュヴァリエは敵意を仕舞っていないようであったが、院長へとラビは促す。

 

「しかし、一つだけ。想定外の事は起こるもの。先のセクションの失態とて、28号翼手を制御し切れなかった不手際だった。決して自分がミスをしないという自負でもない限り、あまり傲慢にならないほうがよろしい」

 

「ラビ殿、しかしそれは当て擦りですよ。仮に、敵が“サヤ”を使ってここまで攻めてきたとしても、我々には策がある。加えて、この病棟に武器は持ち込めません。“サヤ”は刀を使うと聞きます。そのような分かりやすい武器など、どこにあると言うのですか」

 

 ラビは襟元を正してソファから立ち上がり、院長へと告げる。

 

「ですから、気を付けておくに越した事はない、という事ですよ、院長。誰だってしくじる事はあり得る。それが決定的な何かになってしまわないとも、限りませんからね」

 

 軽く会釈して身を翻したラビへと、シュヴァリエは続いていく。

 

 院長は肘掛けを握り締めて、一呼吸ついていた。

 

「何を馬鹿な。“サヤ”が現れたとしても、私には力がある。排除するのに、何の躊躇いもない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よかったのですか?」

 

 問いかけてきた自分のシュヴァリエに、ラビは目線も振り向けずに応じていた。

 

「“隔離病棟”はもう駄目ですね。これでは、あまりに慢心が過ぎる。中央庁はここで手を引く、このタイミングならわたしが訪れた記録は残らない」

 

「……すいませんでした。反応が遅れて――」

 

「アダム、君はどうです? あの院長、勝てると思いますか?」

 

 自身のシュヴァリエたるアダムの釈明を無視して発した言葉に、彼は端的に口にする。

 

「……確かに上級翼手、それもかなりのレベルでしょう。ですが、“サヤ”に対しての脅威判定が足りない。もし、相対したとすれば……」

 

「勝負は分からない、と言うわけですか。いいですねぇ、それも。分かり切った勝負なんてつまらないんですよ」

 

 ラビは中央庁から派遣されてきた高級車へと乗り込む。

 

 アダムは直前に足を止めて、恭しく頭を垂れていた。

 

「……帰路に至る前に……少しだけ気にかかる事がございます」

 

「ほう、何が……ああ、単にこの車がお気に召さない?」

 

 高級車には流麗な銀が用いられている。

 

「……僕は別の経路を辿って中央庁に戻りますので、それまでの護衛は」

 

「ええ、つつがなく。それにしても、君のようなシュヴァリエが、この“隔離病棟”の最後が気にかかると?」

 

「……あの院長は確かに強い。だからこそ、余計に気になるのかもしれません。もし……連中が本気で“隔離病棟”に“サヤ”を寄越すとすれば、それは並大抵ではないという……」

 

「なるほど。強者と戦いたいと言うのは生き物の本能的な欲求です。大事にしたほうがいい」

 

 アダムは一歩後ずさり、闇の中に溶けていく。

 

 三秒もしない間に、アダムの痕跡は影も形もなくなっていた。

 

 それの目の当たりにして、ラビは後部座席の窓で頬杖を突く。

 

「……その気配さえも悟らせない、上級翼手を超えし超常存在、翼手の騎士たるシュヴァリエ。なるほど、確かに最上の駒でしょうね。ですがそれにしたところで、迂闊もある。まだ……人間のように戦いたいなどと言う感情を残している。完璧な翼手と言うのには程遠い、か。出してくれ」

 

 緩やかに、車はセクションを抜ける高速道路へと白銀の車体を潜り込ませていた。

 

 

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