scene1 名無しの赤
――血の刻印が少女の運命を切り拓くのならば、たとえ待つのが悲劇であろうとも――その先へ。
セクションを通過する際、今どき古めかしい切符が流行っていたのは少しだけ意外だった。
女子高生達が車掌に切符を切ってもらい、めいめいにキャッキャと声を上げる。
「マジレトロだよね、これ」
「エメトピアが出来る前になくなった文化でしょ? でも一周回っていいかも!」
その模様を視界の隅に捉えながら、少女は同じ車両に乗り合わせた乗客を眺める。
移動中のサラリーマンや、家族連れなどがそれぞれに平穏を享受し、各々の日常に埋没する。
「ええ、ですから……。はい、もうすぐ到着しますので」
「ねぇ、ママ! 見て、あれが……!」
母親は二人の子供を連れており、窓際の四人掛け席で我が子をあやす。
「ええ、そうね。あれが、理想郷の中心。――エメトピア中央庁」
「お弁当、買ってきたよ」
父親らしい男性が四人掛けの席に座り、弁当を選り分ける。
そんな家族の向こう側の景色で、白亜の理想郷の中枢が屹立する。
操作された青空、制御された天候。
死に行く人々の数と、生まれる赤子の数は等価だと誰もが言う。
凍えるようにしてマフラーを引き寄せ、少女は文庫本へと視線を落としていた。
「切符を」
車掌の声に少女は荷物を手繰り寄せる。
「学生さんですか? 中央庁は初めてで?」
「ええ、まぁ」
画材ケースを窓際の席に傾けさせ、少女は切符を差し出す。
「きっと驚かれますよ。中央庁への市民権が開かれて、半年が経ちましたから。それもこれも、二年前の“SAYA”収束宣言があってこそです。中央庁は寛大ですよ。以前までなら直通の路線なんて引きもしなかった」
「中央庁に暮らす事は一種のステータスだったんですね」
「まぁ、自分も中央庁出身ではないので、あまり偉ぶれた事は言えませんが……。ようこそ、楽園の中心へ。あなたを歓迎しますよ」
切符が切られ、少女は鼻を利かせる。
切符から舞い上がったのは、血の残り香であった。
まだ新しい。
この車掌か、と疑いの目線を振り向けるも、車掌は何でもないように他の客へと向かう。
匂い立つ血の感覚は、間違いなく獣の存在を察知させたがまだ確証はない。
少女は画材ケースを片手に、車両を先頭へと歩んでいく。
先頭車両は高級感の漂う広々とした空間であったが、それ以上に血の臭いが濃くなっていく。
思わず鼻を覆って、少女は駆け抜けていた。
むせ返るほどの据えた獣の臭気。
だが、まだだ。
先頭車両がこの臭いの元だとすれば、敵はこの車両そのものを牛耳っている可能性でさえもある。
車両連結部へと歩を進めたところで、ハッと少女は振り返る。
その車両は貸し切りなのか、修学旅行生らしき学生が騒いでいた。
発せられる“声”がキンキンと頭蓋に響き渡る。
構えを取り、敵の狙いを定める。
姿勢を沈め、敵の応戦を予感していた。
「どこから来る……」
「エメトピア中央庁って思ったよりも大きいんだ」
「今のうちに写真撮っておこっと」
窓際の景色に夢中になっている修学旅行生が敵か。
あるいは、それを引率する教師が敵か。
歩きながら視界を巡らせていると、不意に“声”が劈いていた。
咄嗟の反応が出来ず、少女の足元へと千切れたキーチェーンが落ちる。
それが床で跳ねた、その瞬間。
金色の明かりが明滅し、車両内を照らし出す。
一瞬のうちに、先頭車両の修学旅行生は獣の赤い瞳へと変じていた。
全員の視線が少女へと突き刺さる。
咄嗟に構えを取り、画材ケースを振り翳す前に、横合いから学生がそれを噛み砕く。
発達した牙に、真紅の瞳。
涎が画材ケースを濡らし、唸り声が連鎖する。
直後には、少女は逃げられない檻へと囚われていた。
時速三百キロメートルをゆうに超える高速鉄道の一両丸ごと、獣達の領域だ。
学生に扮した獣が黒々とした皮膚を晒し、爪で襲いかかって来る。
先ほどの獣を蹴り上げ、真正面の敵には画材ケースから引き出した剣を向けていた。
瞬時に鯉口を切り、抜刀して叩き斬る。
しかし、敵は頭蓋を割られる前に飛び退っていた。
立体的に車両を使い、壁を這い進む。
「……厄介になるな。デヴィッド」
『補足している。だが、中央庁だとはな。半年前の市民権の配布が逆効果に働いたわけだ』
「特殊弾頭は?」
『生憎、中央庁にまで潜入するのは手続きだけでも時間がかかる。支部から飛び出すのはもっとだ。抑えられるな? ――サヤ』
「問い返すまでもない」
飛び掛かってきた敵を回し蹴りで吹き飛ばし、躍り上がった少女は居合い抜きで車両連結部に向かおうとして獣の群れに阻まれる。
その裂けた口腔が開かれ、“声”の音響兵器が身を嬲っていた。
肉体が引き裂かれそうな激痛が走る中、刃を薙ぎ払う。
獣達は巧みに回避し、車両と言う名の狩り場を支配していた。
「拙ク、弱イ、ナ……」
獣の笑い声が上がる中で、少女は刃で親指を切る。
血の残火が宿った瞬間、獣達が一斉に飛び掛かっていた。
少女は姿勢を沈め、抱えるようにして刀を下段に構え直す。
「殲滅する……貴様ら全てを」
血が螺旋を描いて舞い上がり、少女から拡散していた。
刃を振るうと、拡散粒子が赤く染まり、獣達の牙がかかる前に結晶化させていた。
洗礼を受けた獣へと少女は切っ先をねじって突き立てる。
絶命せしめた刃はささくれた結晶を帯びていた。
獣達が“声”で呼び合い、窓をその膂力で叩き割る。
まさか、と少女は絶句していた。
「……時速三百キロを超えているんだぞ……!」
風圧が少女の藍染色のセーラー服を煽り、対処が遅れたその隙を相手は見逃さない。
投げ出されるようにして、獣達は窓から逃げ出していた。
遁走する獣へと追撃の刃を見舞うも、その牙にかかったのはほんの四体ほどだ。
車両から飛び出すなど正気の沙汰ではない。
「……逃した。デヴィッド、追撃の是非を乞う」
『いや、追撃はいい。中央庁は我々にはまだ分からない事が多過ぎる。下手な騒ぎを起こして動きに支障が出てはまずい』
「では、どうする? 殺せたのはたったの四体だ」
纏っていた服飾から、中央庁市民権を得た旅行生を装っていたのだと判断出来る。
『充分だ。処理班が向かう。……いや、その必要もないかもしれない。中央庁も動き始めているらしい。サヤ、そこは任せて終点まで乗り合わせろ』
「構わないが……身柄を拘束されるのは旨味がない」
『分かっている。血は浴びたか?』
「……思ったよりもそれほどには」
『想定内ならば、何でもない風を装って席に戻れ。それと、気を付けておいたほうがいい。そこまで強硬策を取ると言う事は、敵も分かっているはずだ』
「ああ……。まさか車両一つ分を貸し切ってその潜入を許してしまうとはな」
『中央庁の思惑も分からないままだ。ともすれば、これは大きなうねりなのかもしれない。……何かを企んでいるとすれば、我々が介入出来る唯一の……』
「デヴィッド。時間だ。席に戻る」
血塗れの先頭車両は放置したまま、少女は画材ケースへと刀を戻そうとしたが、牙の一撃を受けたせいで破れていた。
仕方なく、鞘に納めて剥き出しのまま戻るが、理想郷に凶器を持ち込んでいるとは思われていないのか、誰も見咎めなかった。
前の席の学生らが窓の外を指差す。
「あれが中央庁? 本当に真っ白なんだ」
少女にしてみれば関係がない。予備のケースに刀を収め、ただただ鉄道が向かう先を睨む。
その真紅に染まっていた瞳が通常色の黒を取り戻していた。
『次の停車駅は、エメトピア中央庁前、エメトピア中央庁前となります。終点です。皆さま、お忘れ物のないよう、お気を付けください。エメトピア中央庁前です。ようこそ、理想郷の中心へ』