BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene2 楽園の中心で

 

「――で、あるからして。ここのところは公式を使うんだよ。そうするとほら、ちゃんと解けるでしょ?」

 

 手元の端末にペンを走らせていると、言われた通り、簡単に解答出来ていた。

 

「わっ……本当だ。やっぱり教えるの上手いですね、更衣先輩」

 

「大した事じゃないってば。中学校の時に習っている範囲だし」

 

 給仕が歩み寄り、自分と眼鏡の少女の間にコーヒーとエスプレッソを置く。

 

「ごゆっくり。……中央庁の学生さんですか?」

 

「あっ、迷惑でしたかね……」

 

「いえいえ。お勉強も大事ですから。頑張ってくださいね」

 

 笑顔を向けた給仕に、眼鏡の少女は首を引っ込める。

 

「……暗に邪魔だって言われているんですかね……」

 

「そんな事ないんじゃないかな。勉強は大事だし、それにモモカちゃんはちゃんと頑張っていると思うよ? その頑張りが伝わったんだよ、きっと」

 

「えへへっ。ありがとうございます、更衣先輩!」

 

「うーん……私はモモカちゃんに上のほうで呼ばれるほど、仰々しい先輩ってつもりはないんだけれど」

 

 そう返答しながら、コーヒーにはスティックシュガーとミルクを一つずつ。

 

 最近、少し太り気味だから糖分は避けたかったのだが、勉強には甘いものが付き物だ。

 

 加えてこのカフェのコーヒーは少しだけ苦いので甘ったるくしないと自分は飲めない。

 

 まだまだお子ちゃまだな、と自嘲する。

 

「でも……先輩はすごい人なんですっ! 私が困っているって言えば、いつも勉強を見てくれますし!」

 

「放っておけないだけだってば。……熱っ」

 

 思ったよりも猫舌であった。

 

 それでもちょびちょびと甘いコーヒーを味わっていく。

 

 自分もエスプレッソにすればよかったな、と今さらの後悔。

 

「でも、中央庁の電子光学師の試験って、こんなに複雑なんですね……。資格を取らないと、中学校を卒業もさせてくれないなんて……」

 

「モモカちゃんは実地のほうが得意でしょ? なら、そっちは最悪捨ててもいいんじゃないのかな。問題なのは数学と、それに古文かな」

 

「……古い言葉は苦手なんですよ……」

 

 しゅんとしたモモカの頭頂部の毛が項垂れる。

 

 主人の感情に忠実な髪の毛だな、と感じる。

 

「まぁ、ある程度の勉強は教えられるとして……どうしよっか。五日後の実戦試験は、さすがに手伝いは難しいかな……」

 

「家で打ち込みは猿渡君にも手伝ってもらっていますし……さすがに先輩の手を煩わせるわけにはいきませんよ。それに、私と先輩じゃ、実力に違いがあり過ぎて、多分練習よりも前にへばっちゃいます」

 

 微笑んだモモカが眼鏡のブリッジを直す。

 

 そうだろうか、と中心街に面するカフェの窓を眺める。

 

 今も忙しく人々は行き交い、その営みを続けていた。

 

 白亜の建築物が居並び、中心街の外観は少しだけ異様だ。

 

 何せ、どの建物にも窓がない。

 

 中からは外が見えるのに、外からはまるで中の様子は分からない。

 

 景観条例に即した建築方針との事だが、どれもこれもまるで顔のないのっぺらぼうを見ている気分だった。

 

「……建築様式から考えれば……窓があったほうが安心出来るはずなんだけれど……」

 

「あれ? 先輩って建築の知識もあるんですか?」

 

「あ、いやこれは……うーん、何なんだろ。思わずついて出ちゃっただけ。忘れて? 私、多分素人だし」

 

「そうですか? けれど、私もこっちに来たばっかりの頃は上見て下見てって、おのぼりさんだったんだなぁ、って思いますよ」

 

「中央庁は完全な純白。白は穢れを知らない色調。……他のセクションからの人達も誘致しているんだから、その違和感も当然だよ」

 

 街頭モニターから正午のニュースが読み上げられる。

 

『本日はエメトピア中央庁の “SAYA”収束宣言から二年と四か月経った記念日です。市民の皆様は、失われた命と、そして感染防止に従事した医療従事者への感謝を忘れないようにしてください』

 

「でも、変な話ですよね。女の子にしかかからない病気がつい二年前にはこの世界中に流行ったって言うんですから」

 

「まぁ、それも歴史の授業の一ページになるのかもね」

 

 あるいは一行で片付けられる事柄か。

 

 トラックボール型の端末に投射された資料に目を通しつつ、ネットワークに流れていく噂を精査していく。

 

〈聞いた? 中央庁で“SAYA”が出たって〉

 

〈噂でしょ。って言うか、二年前から中央庁じゃ一人も罹患者は出ていないって話なのに。ソースは?〉

 

〈ないけれど……でも、私の伝手だと、“SAYA”って空気感染じゃないかもしれないって〉

 

 どれもこれも益体のない噂話の域を出ない。

 

 だが、二年前までこの理想郷、エメトピアを震撼させていたウイルスの名前であるのは間違いないのだ。

 

 はじまりは十五年ほど前からだと聞かされているが真偽は不明である。

 

 何せ、件のウイルスにかかったと言う人間を一人も見ない。

 

 どこかの医療機関にも居た記録はない。

 

 だが、記録はなくとも記憶はどこまでも残る。

 

 ウイルスの恐怖を、人々は語り継いでいく。

 

 口伝で強さが変わるなど、まるで妖怪変化の類だ。

 

「先輩、先輩ってば。……怖い顔していますよ? 何かありましたか? ――更衣キリエ先輩」

 

 名前を呼ばれ、キリエは思考を打ち切っていた。

 

 何故、自分はこうまでこのウイルスの事が気にかかっているのだろう。もう収束宣言が出されたのだ。

 

 ならば、誰も不幸にならないはずなのに。

 

「……ううん。ちょっと巷の噂話を見ていたから」

 

「人の噂も七十五日って言いますし、そんなの当てになりませんよ。第一、ソースはどこなんです? ソースは」

 

 モモカはこういった情報に関してで言えば自分よりもよっぽどしっかりした芯を持っている。

 

「……だよね。気にし過ぎかなぁ」

 

「それよりも、ですけれど……。スイーツ頼んでいいですか?」

 

「……ああ、ゴメン。もちろんいいよ。勉強会が終わるまでは何を頼んでもいいって言ったの、私からだったよね」

 

「じゃあ……すいませーん。ストロベリーアイスくださーい!」

 

「ストロベリーアイス、か。じゃあ、私はチョコミントを」

 

 お互いにアイスを頼んでから、ふぅむとモモカは教科書と向かい合う。

 

「えっと……エメトピアの全歴史……これって、新版ですか? 前と記述が違うような……」

 

「歴史に関してで言えば、割としょっちゅう変わっちゃうから。そこのところは柔軟性をもって、だね」

 

「……それっておかしくないですか? 歴史ってそんなに変動していいんですかね?」

 

「……まぁ、エメトピアになる以前の歴史って曖昧だし。だから古語とかは発見される度に更新されるわけだし」

 

 理想郷が完成するまでの歴史は、後から組み上げていくスクラップアンドビルドだ。

 

 何があったのか、何が起こったのかを後々の歴史で構築していく。

 

 こうであったのか、という憶測が挟まるような余地はない。

 

 楽園が「こうであった」と確定させれば、それが歴史となる。

 

 しかし、モモカはそれが納得出来ないらしい。

 

 腕を組んで難しそうに呻る。

 

「何だか……騙し騙しって感じですよね? これで本当に試験突破出来るのかなぁ……」

 

 陰鬱なため息をついたモモカに、キリエは言い添える。

 

「大丈夫だと思うよ? 私だって中学校の時は……そうだね、多分そういう風な試験勉強をしたんだと、そう思う」

 

「あっ……すいません。デリカシーなかったです」

 

 気を遣われるのも何だか居心地が悪く、キリエは返答する。

 

「いいってば。普通の人生なら、きっと普通に試験勉強して、きっと普通に友達とか居たんだろうし」

 

「普通……ですか? でも、それって――!」

 

 そこから先の言葉をコール音が遮る。

 

「ゴメン、ちょっと。……どうしました?」

 

『更衣隊長。緊急通達です』

 

 それだけで了承が取れたのか、モモカは嘆息をつく。

 

「……でも今は……」

 

「いいですよ。いつでも先輩は教えてくださいますし。それに、今日は先輩の奢りですから、後輩は何でも言う事は聞きます!」

 

 ぐっとガッツポーズを取ったモモカに一礼してから、キリエは支払いを済ませてカフェから出る。

 

 内密な話は、歩きながらが一番補足されづらい。

 

「……で、緊急通達って言うのは……?」

 

『中央庁へと潜入したとの通達がありました。28号です』

 

 まさか、とキリエは思わず歩みを止める。

 

「……この二年間、一回もなかったのに……?」

 

『一回もなかった、は語弊かと。しかし、公式には“なかった”とされていますね』

 

 オペレーターの冷静な声に、そうであったとキリエは持ち直す。

 

「……すいません。でも、緊急通達って事は、ただの28号じゃありませんよね?」

 

『お察しの通り。28号のハーレムと思われます。それが直通列車を通して来たと目されるのが、ほんの二時間前』

 

「監査局は何を……!」

 

『申し訳ありません。相手は相当に熟練した様子であったと。……既に清掃局が事後処理に乗り出しています。これより、更衣隊長には行動を開始していただきます。構いませんね?』

 

 カフェに残してしまったモモカの事が気にかかったが、それよりも今は任務だ。

 

 キリエは灰色のレザーコートを風にはためかせ、携行する画材ケースを意識する。

 

「……認証しました。ではこれより、私は……」

 

『はい。――コープスコーズC班隊長として、適切な対処をお願いいたします』

 

 襟元を正し、キリエは楽園に渦巻く動乱の予兆を感じていた。

 

 

 

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