BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene5 光と闇と

 

 血を贄にして、再生能力を取り戻した翼手はまず向かったのは裏通りであった。

 

 如何に楽園の中心地と言っても表通りを歩くわけにはいかない。

 

 暗がりを選んで行動し、その過程で“声”を聞く。

 

「……生き残ったのはたったの三十五体か。少し不安だが……」

 

 翼手達は自ずと集まっていた。

 

 それぞれ擬態し、使われていない公園で落ち合う。

 

「市民権の発布を利用しての中央庁の潜入は思ったよりも困難だったようだな」

 

 その中で、ビルの隙間から差し込む陽光を受けているのは女教師に擬態していた翼手であった。

 

 生徒に擬態していた者達を見渡し、それから声にする。

 

「想定外だったが、思ったよりは突破出来た。これは大きな躍進だろう」

 

「それはそうだが……。電車内で斬りかかっていた奴、気にかかる……」

 

「噂の“サヤ”か……。狩人の記録は途絶えているはずだが……」

 

 セーラー服を纏って刀を振るい、血の力で同族を結晶化させる特徴から鑑みて、間違いなくあれはサヤであったはずだが、その記録は二年前を最後に断絶している。

 

 総本山である機関とやらが既に失われているとの事だったが、情報の伝達ミスだったのだろうか。

 

「いずれにせよ、我々にしてみれば作戦の第一段階がクリアされたようなものだ。四人が死に、一人が捕らえられたが必要な犠牲だっただろう」

 

「……こっちとしても血を辿られれば厄介だ。どうするんだ?」

 

 女教師は怜悧な眼鏡の奥の瞳を細めていた。

 

「中央庁にて潜伏している上級翼手と連絡を取る。そうしなければ数で勝っていても狩人に追いつかれるだろう」

 

「潜伏している上級翼手の情報は……」

 

 端末を操作し、幾度かメッセージのやり取りがあった相手の名前を呼び起こす。

 

「教授」と名乗っている相手からは中央庁への経路や、もしもの時の合流先、そしてイレギュラーが発生した場合など複数のルートが提案されている。

 

 事実、彼のお陰でまだ半年しか経っていない市民権に潜り込めたのだ。

 

「“教授”の居場所に関して、手掛かりでも?」

 

「焦るな。焦ってしまえば、狩人に察知される。一歩ずつ、順調に行けばいい」

 

「嫌だぁ……ッ!」

 

 不意に一人の翼手が声を上げる。

 

 顔を押さえ、その躯体がメキメキと変異しようとしていた。

 

「……血が足りないか」

 

 女教師はその翼手へと歩み寄り、変異しようとしている牙を片手で抑える。

 

 爪が振るわれ、女教師の皮膚を引き裂いたが、すぐさま再生していた。

 

 懐から取り出したのはアンプルで、無理やり押さえつけ、その首筋に打ち込む。

 

「あ……あ……」

 

 血を与えられた事で少しは理性を取り戻したのだろう。

 

 翼手の姿から擬態先の生徒の姿へと戻っていく。

 

「……他にも血が足りない者が居れば早めに言え。もしもの時に吸血衝動を抑えられなければ我々が読み負ける」

 

「いや……まだ大丈夫だ」

 

 女教師へと黒々とした翼手の腕が振るわれる。

 

 痙攣する翼手が片腕で女教師を薙ぎ払おうとしたが、それを相手は受け止めていた。

 

「……言う事を聞け。総体で動かなければ勝利はない」

 

 唸り声が上がる。

 

 アンプル一本が作用するのには時間がかかるのだろう。

 

 再び翼手化しかけた相手へと、女教師は片腕を変異させていた。

 

 爪を揃え、瞬間的な曲刀にして翼手の腕を叩き切っていた。

 

 裏通りに血と叫びが木霊する。

 

「言ったはずだな? 総体で動かなければ負ける、と」

 

「あ……わか、った……」

 

 翼手の中には自らの因子を抑え込めない者も数多い。

 

 今しがた片腕を落とされた翼手はその一員なのだろう。

 

 比して女教師の姿を取る彼女は、その実力だけで言えば上級翼手相当だ。

 

 しかし、今次作戦に打って出たところを見るに一体で勝てるとは到底思ってないようである。

 

「これまで翼手は狩人に負けてきた。何故か。それは他でもない、単一の力だけではどうしようもない、埋めようのない力量差があったからこそ。翼手が真に優れていると誇示するのには、群れで戦う事こそが求められる。そうすれば、中央庁でさえも我々の力を無視出来なくなるはず」

 

「だ、だが……その件の中央庁から発布された市民権も万能じゃない。我々は速やかに、“教授”と接触しなければ……」

 

 女教師は、それくらい分かっているとでも言うように忌々しげに眼鏡のブリッジを上げていた。

 

「無論、それは可及的速やかに、でしょう。“教授”から追加情報は?」

 

 その時、トークメッセージへと新たな着信があった。

 

「よ、読み上げる……。“中央庁北区へと向かえ。そこに中央庁に元から棲み付いている翼手のハーレムがある。そこで次のメッセージを送信する”との事だが……」

 

 女教師は全員を見渡してから、軽く嘆息をつく。

 

「……行くしかないでしょうね。擬態が上手く構築出来ないものは別ルートを取りましょう。一人でも多く、“教授”に辿り着かなければ……」

 

 危険を押して中央庁まで訪れたと言うのに、死に絶えたのでは意味がない。

 

 彼らはそっと、陽の光が差す大通りへと歩み出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本部施設では相変わらず常駐のオペレーター達が詰めており、キリエは少しだけ緊張しながら上官の執務室へと入る。

 

「失礼します」

 

 キリエは陽光を遮られた暗い室内で、観葉植物を愛でている人影へと目線を振り向けていた。

 

 暗がりでも咲く花々は彩を見せており、その存在を誇示している。

 

「ああ、ご足労かけるな、更衣隊長」

 

「いえ。それほど遠くもなかったので。加藤総督は……」

 

「急ぎの用事でもないのだが、どうしても君を呼びたかったのもある。こんな辛気臭いところまでいちいち足を運ばせるのは気が引けるが」

 

 加藤は執務椅子へと座り直し、自分へと先を促す。

 

「……二時間前に受諾した三十五体の翼手の潜入。それに伴い、コープスコーズを稼働させよとの厳命。どれもこれも、中央庁を脅かす翼手の思惑が透けて見えます」

 

「君の所感は当てになる。敵はどこに居ると思う? 中央庁の外側か、あるいは内側に手引きする者でも居るのか」

 

 一拍の思索を巡らせてから、よどみなくキリエは応じていた。

 

「……両方だと感じています。半年前に中央庁が発布した市民権の弊害と、それを利用しての翼手の違法占拠。何者かの意思がなければ、直通列車一両分を使ってまで四十体近くの翼手が入り込める隙があるとは思えません」

 

「中央庁の施策がよくない方向に働いた、とでも?」

 

「と言うよりも、それを待っていた存在が居るのは明白です。これまで中央庁で観測される翼手は、せいぜい型落ちの28号が関の山でしたが、ここに来ての敵の増加。……どう考えてもこれまでの運用方針では頭打ちが来ます」

 

「つまり、コープスコーズC班には独自の権限を持たせて欲しい、と言いに来たわけか」

 

 キリエは首肯し、言葉の穂を継ぐ。

 

「C班は優秀です。彼らのメンタルバランスや戦闘能力は既に上級翼手に比肩します。よって、その活動領域を広げてくだされば、確実に戦果を挙げるでしょう」

 

 加藤は執務椅子に深く腰掛け、天井を仰ぎ見る。

 

「……私としては、君らにはきちんと権限を与えたいのだが……上はそう思ってはくれない。コープスコーズ自体が実験的な運用方針がある。そこに権力を持たせれば、要らぬ干渉を生み出す、とお考えの上層部も居ると言うわけだ」

 

「今日に至るまで、コープスコーズは実害を出していません。実験部隊であるのは承知の上です」

 

「それを加味して、君らには出来れば本件を追って欲しいのが本音だが……コープスコーズは君らだけではない。A班とB班は隠密に長けている。上が動かしやすいのは明らかにそちらだ。よくも悪くも、君らの実績が足を引っ張っているとでも言いたげなのだろうな」

 

「……本件を追えるのは我々だけです。処理班や清掃班の手は煩わせません。コープスコーズC班で実績を上げてみせましょう」

 

「そう言い切れればまだ楽なのだがな……。私の一存でコープスコーズC班の動きに全責任を負えると言えれば、事は簡単に進むのだが……。正直に話そう。本件は中央庁の施策自体を揺るがしかねない大きなヤマだと思われている。当然、あまりに対応が遅ければコープスコーズだけではない、実戦部隊が動き始めるだろう」

 

「アシッドのシュヴァリエ……ですか」

 

「逸るなよ、と言いたいところではあるが、それも現実味を帯びつつあるんだ。シュヴァリエが一度動き出せば、それはもう止められないうねりだろう。同時に、私はこうも思う。“シュヴァリエを動かすのが相手の目論見だとすれば”と」

 

 その考えにキリエは震撼する。

 

「……シュヴァリエ相手に勝てる算段を持っているとでも?」

 

「分からん。分からんが、そう思わないと読み切れないものある。我々のスタンスは一つだ、更衣隊長。――翼手を殲滅せよ。中央庁に潜入した敵は一匹残らず排除するのだ。元々、中央庁は穢れを許さぬ純白でなければならない。翼手の脅威は市民にとっての不信感と化す。エメトピア中央庁はクリーンなのだと言う意識操作は必要なのだ。市民権の政策も、間違っているとは一分たりとも思わせてはならない」

 

 理想郷の精緻さ、そして何人にも犯されざる領域である事は市民にとって一つのステータスだ。

 

 中央庁は決して穢れてはならない――その教えに、キリエは背筋を正す。

 

「……無論です。我々の営みを、翼手に崩させてはならない」

 

「結構。……さて、ここからは総督ではなく、君の担当としての話になるのだが……まだ、記憶が戻る兆候はないのかね」

 

 その問いかけにキリエは残念そうに面を伏せる。

 

「……はい。夢には、見るんですけれど……」

 

「どんな夢かな? コーヒーでも淹れよう。少しは話しやすくなるかもしれない」

 

 コーヒーメーカーで抽出した品のいい豆の香りが執務室に満ち満ちていく。

 

 キリエは夢の断片をゆっくりと話し始める。

 

「光、ですかね……光が横切っていくのを感じるんです。それを追おうとして、何度も掴み損ねて……結局夢の皮膜は晴れちゃうって言うか」

 

「その光が君の失った記憶……二年前以前の記憶と言う確証はあるんだね?」

 

「……多分ですけれど。それと、最近よく見るのは、泣いている女の子が居て……」

 

「ほう。それで?」

 

 促され、キリエは夢の記憶を手繰り寄せる。

 

「泣いている子のところに寄り添って、手を差し伸べるんです。その子の顔は見えなくって……手を掴む前に、問い返されるんです。“あなたの名前は……?”って。答えられないでいると、夢から醒めちゃうって言うか……」

 

「自己認識をその少女を通してやっているのか、あるいはその子自身が君の失った記憶そのものか」

 

 黒猫の絵があしらわれたマグカップを手に取り、キリエは呟く。

 

「……あったかい……」

 

「私は君の記憶が戻るのならば、それでいいと思っている。そのための業務、そのためのコープスコーズだと。もちろん、弊害となるのならば続けなくっても構わない」

 

「そんな……! 加藤総督は私の事を、ちゃんと見てくれているのは分かります。それに、C班のみんなも。私にはもったいないくらいで――」

 

 そこまで口にしたところで執務室の扉が不意に開かれる。

 

「おっと、お邪魔だったかしら?」

 

 現れたのは金髪の巻き毛の男であった。

 

 キリエはその黒スーツの男の事をよく知っている。

 

「お父様!」

 

 駆け寄ると、相手は自分の髪をそっと拭う。

 

「あら、キリエ。ちゃんとお仕事は頑張っているの?」

 

「はいっ! 私、お父様のお役に立てています!」

 

「……お邪魔なのはこっちだったかな」

 

 加藤が咳払いして、ここが上官の前であった事をキリエは思い出す。

 

 赤面して、すぐに離れていた。

 

「も、申し訳ありません……つい」

 

「まぁ、親子の仲がいいのはよい事だ。して、マハラル様。何かご用ですか?」

 

 問い返されて男――マハラルは襟元を正す。

 

「中央庁、内部監査室より加藤総督に入電よ。どうにも、侵入した翼手関連の話みたいでね」

 

「ああ、それならちょうど話していたところです。更衣隊長はよくやってくれていますよ。お父様であるマハラル様にしてみても鼻高々では?」

 

「あ、あの……っ」

 

「そうね。よくやってくれているのならばアタシも安心だわ。キリエ」

 

 マハラルに頭を撫でてもらうと、キリエは心の奥底から安心出来る。

 

 少しだけ首を縮こまらせて、上官の前なのに一人の娘として振る舞えるのだ。

 

「私、そろそろ業務に戻らないと……」

 

「報告書は受理している。更衣隊長、本部への報告ご苦労であった」

 

 一礼して立ち去る間際、キリエはマハラルに呼び止められる。

 

「キリエ。……何も不安がる必要はないのよ。記憶がないのも、今はいいじゃない。C班のみんなは家族みたいなものでしょ?」

 

 全て見透かされているのだな、とキリエは恥じらいも覚える。

 

「……その、私も頑張りたいですっ。絶対に、翼手の好きにはさせません! お父様のご期待に沿えるように……!」

 

「頑張ってね」

 

 背中は充分に押してもらった。

 

 キリエはよし! と自身に一喝して本部施設を後にしていた。

 

 

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