BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene7 覚醒

 

 帯刀申請は思ったよりも簡単に受理され、モモカは久方振りに握る自身の武器を感覚していた。

 

「軽量型ですが、身に馴染んでいる重さだと思います。困った事があれば、本部に報告していただければすぐに戦闘の許可ならば下りますので」

 

 自分の担当をするオペレーターは実のところ一人ではない。

 

 受付嬢は全員、判で押したように同じ顔をしており、赤い髪を後ろで結っている。

 

「い、いえ……! ご負担をかけるわけにはいきませんから!」

 

 とは言え、久方振りの帯刀は緊張する。

 

 偽装用の画材ケースに仕込み、モモカは尋ねていた。

 

「あの……これ、余計だったらあれなんですけれど……お土産」

 

 差し出したのは昨日勉強で使ったカフェで売られている茶菓子であった。

 

 自分の武器を最善の状態にしてくれている者達へのせめてもの礼である。

 

 受付嬢は手を叩いて喜んでいた。

 

「いいんですか? 甘いもの好きなんですよ。ねぇ、みんな」

 

 振り返った先には同じ顔の受付嬢たちが机を並べており、今も並列化した情報を共有している。

 

「助かります」

 

「助かります」

 

 全員の声色もまるで同じ。

 

 こうして本部施設へと赴くのはキリエと違ってたまにしかないモモカは首を傾げていた。

 

「その……オペレーターの皆さんは、姉妹なんですか?」

 

「そのようなものです」

 

 淡白に応じられ、モモカは軽く手を振る。

 

 すると、数名が振り返らずに手だけを振り返していた。

 

 奇妙だが、姉妹ならば口を挟む余地はないだろう。

 

 武器を携帯してから、アオへとメッセージを飛ばす。

 

〈こちらは既に囮作戦に入っている〉

 

 相変わらず簡素な文面だが、作戦は始まっている。

 

「……よし!」

 

 キリエに悟られてしまえば、この作戦も水泡に帰す。

 

 何よりも、これ以上厄介の種を増やすわけにはいかない。

 

 自分が彼女に出来るのは、こうして手助けくらいなものだ。

 

 だが――踏み出した途端、足が竦む。

 

 楽園の中枢たる中央庁で、武器を携帯するのは異端そのものだ。

 

 翼手を狩るためとは言え、異質なのに違いはない。

 

 平時よりも人の眼が気にかかる。

 

 それ以上に、コープスコーズとしての索敵の感覚を走らせていた。

 

 ――犬神君ほど巧くはないけれど……。

 

 血の臭い、そして複雑怪奇に絡み合った翼手の群れの気配を五感を飛び越えた域で察知しようとする。

 

 人々の営みに埋没する翼手を見敵し、そして滅殺するのには自分の強みを活かす事だ。

 

 モモカはまずは駅へと歩を進める。

 

 アオ達は大通りを探すと言うのならば、自分の担当範囲はこの中央庁を回る路線そのものだ。

 

 それに、駅ならば市民権を得ていない者達への発見が遅れるだろう。

 

 いちいち乗客を選別するわけにはいかないはずだ。

 

 一秒のダイヤの乱れもなく、電車が白い駅舎へと滑り込んでくる。

 

 乗り合わせる際、モモカは心拍が高鳴っているのを感じていた。

 

 ――自分は武器を持っている。それも殺すための武器を。

 

 翼手よりも自分のほうが凶悪なのではないか、という思考が脳裏を掠めたのも一瞬、座席へと座り込む。

 

 中央庁の電車は混雑を避けるためにいくつかの路線に分かれており、さらに細分化した在来線は常に人気を七十パーセント未満に抑えている。

 

 よって、中央庁では混雑と言うものを感じた事はない。

 

 むしろ、真っ昼間であるせいか、少し人気はまばらだ。

 

 モモカは深呼吸しようとして、不意に息苦しさに呼気を詰める。

 

「……これ、って……」

 

 感覚に間違いがないか反証する。

 

 ――間違いない。この血の臭いは翼手だ。

 

 しかし、まさかいきなり行き遭うとは想定外であった。

 

 モモカは電車の連結部から車両を下っていく。

 

 進行方向とは反対側の、後方車両には乗客はほとんど居ない。

 

 全員が別方向を向いているが、奇妙な符号はそれら全員から同じような据えた血の臭いが生じている事であった。

 

 まさか、と振り返って体勢を立て直す前に、一人の背広のサラリーマンが口を開く。

 

「……そちら側から追いついてくださるとは。我々もいたずらに被害を出さずに済みそうだ」

 

 それと同期して“声”が残響する。

 

 車両内を反射するのは翼手の音響兵器であった。

 

 窓が一斉に割れ、背丈も性別も、そして年かさもまるで違う者達の照準が自分に向けられる。

 

 この車両は狩り場だ。

 

 翼手にとっては自らの臓腑のようなものであり、そしてそこに迷い込んだ自分は愚かにも喰われにかかったようなものだろう。

 

 まず一匹。

 

 サラリーマンの姿へと擬態していた翼手が牙を剥いて飛び掛かる。

 

 モモカは咄嗟に画材ケースを突き上げ、翼手の顎を叩いていた。

 

 その頭部が揺れ、相手の包囲陣が一瞬だけ緩んだ隙を突き、すかさず抜刀する。

 

 刃を握るのは随分と前であったような気がする――それでも今、太刀を取り、それで断ち切る決断を取らなければ敗北する――否、敗退ならばまだいい。

 

 待ち構えているのは死だ。

 

 それも凄惨で、惨めなだけの捕食であろう。

 

 その牙にかかるくらいならば、剣を取れ。

 

 その刃で敵を討て――討滅の意識に全身を塗り替え、モモカは刃を薙ぎ払っていた。

 

 翼手の腹部へと食い込むが、瞬時の力の入れ方が甘い。

 

 そのまま雪崩れ込むようにして、モモカの身体は電車から飛び出していた。

 

 背中に伝う嫌な汗。

 

 浮遊感の末に、中空を漂う。

 

 翼手の膂力に押し出され、モモカは近場のテナントのビルへと降り立つ。

 

 電車の速度から弾き出されたせいで、肋骨へと鈍痛が走る。

 

 それだけではない。

 

 立て直しにかかるだけの時間も、ましてや余裕もないと言うのに鍛錬不足の自分では跨った翼手へと咄嗟の太刀筋を振るう事さえも出来ない。

 

「やめ……てぇ……ッ!」

 

 ようやく声を発し、太刀を払う。

 

 かかろうとした爪を掻っ切り、それを認識した翼手が隣のビルの屋上に佇む。

 

 電車に乗っていたのは五体ほどの翼手だ。

 

 そのうち三体が網にかかった事になる。

 

 三体の翼手はこちらへと距離を取りながら警戒を走らせていた。

 

「……娘。ただ迷い込んだのではないな?」

 

 ――どうする?

 

 この翼手は恐らく、それほど強くもない。

 

 だが、囮役としての作戦上、ここでキリエに助けを求める事も出来ない。

 

 緊急メッセージをアオへと咄嗟に飛ばしておいたが、彼が間に合うだろうか。

 

「一匹だ。とっとと殺して食い散らかしちまおう」

 

「まぁ、待て。我々に勘付いている。……中央庁にはまさか我々への対抗策があるのか?」

 

「ただの小娘だ。喰って終わらせたほうが早い」

 

 三匹の翼手は命令を待っているようであった。

 

 その立ち振る舞いから、下級翼手である事を察知する。

 

 倒すのならば、今をおいて他にない。

 

「……本部へ。永瀬モモカ。コープスコーズC班より入電。28号翼手三体と会敵しました」

 

『承認。適切なコード認証を乞います』

 

「コードは――」

 

 その言葉を発する前に翼手が動き出す。

 

 ビルを足掛かりにして一気に距離を詰めてきた三体にモモカは戦闘神経を走らせていた。

 

 如何に28号とは言え、普段から訓練をしていない自分にとっては素早い。

 

 ビルを自在に飛び回り、発達した爪で包囲しようとしてくる。

 

 モモカはビルの屋上から跳躍し、少しでも時間を稼ごうとしていた。

 

「識別信号は……C‐3355……! 永瀬モモカです! 特例措置の許可を……!」

 

「逃がすかァ……ッ!」

 

 腕と脇腹にかけて皮膜を形成し、飛翔した翼手の爪がモモカの背中へと食い込む。

 

 だが、翼手の爪や牙を弾く灰色のコートがその一撃を無効化していた。

 

 ただし、衝撃までは減殺出来ない。

 

 無様に転がり、モモカは屋上から飛び降りそうになってしまう。

 

 咄嗟の判断で投光器の鉄骨を引っ掴み、ギリギリのところで落下は免れたが敵はじりじりとにじり寄ってくる。

 

「……たった三体の翼手なのに……!」

 

 自分は一端に戦う事も出来ないのか――その悔しさに歯噛みする。

 

 片手は剣で塞がっている。

 

 アオ達が使っている大剣に比べれば軽いとは言え、自分の重量と剣の重さが合わされば相当なものとなっていた。

 

 揺らぐ視界の中で、悪鬼が嗤う。

 

「気を付けろ。何をしてくるか分からん」

 

「ただの小娘だ。何も出来んだろう」

 

「油断はするなと言う事だ。我々の思惑を悟られても旨味はない」

 

 我々――その言葉と三十五体の翼手と言う情報から鑑みて、この三体は末端だろう。

 

 自分は疑似餌の役割すら果たせず、雑魚の翼手に殺されると言うのか。

 

 翼手の爪が大きく振るわれる。

 

 ――ああ、死ぬのだな、という実感。

 

 こんな事ならば、もっと気楽に生きればよかった、という感慨が掠めたのもほんのレイコンマ一秒未満。

 

 次の瞬間には敵の牙が自分の腹腔を貫き、そしてただの捕食対象として上がるだけだ。

 

「……誰か助けて……」

 

 懇願も、ましてや命乞いも。

 

 どれもこれもコープスコーズには程遠い。

 

 翼手の野生に、モモカは意識を手離そうとして、不意打ち気味の旋風を背筋に感じ取っていた。

 

 辻風が舞い上がり、瞼を閉じていたモモカの相貌に血潮が飛び散る。

 

「……モモカちゃん!」

 

 ハッとして眼を開くと、そこには翼手の両腕を断ち切ったキリエの背中があった。

 

「……更衣先輩……? どうして……」

 

「本部に寄ったら、モモカちゃんが帯刀したって聞いたから……。何かあったのかってつけてみたの……。何でこんなに危ない事を……?」

 

 翼手は瞬時に再生を果たし、その両腕を拡張させて鞭のように振るう。

 

「更衣先輩……! 前……!」

 

「……んっ!」

 

 キリエは振り返りざまに一閃を浴びせ、28号翼手の肩口まで引き裂かせる。

 

 その立ち振る舞い、そして戦闘に慣れた眼差しは自分の勉強を見てくれている時とはまるで違う。

 

 狩人、もっと言えば戦いそのものへの忌避感を排除した――戦闘機械。

 

 カフェで微笑んでいたその相貌と同じとは思えない。

 

 冷たく切り詰めた怜悧な瞳と大剣が奔り、翼手の腹腔を刺突が貫く。

 

 そのまま力任せに振り抜いていた。

 

 キリエは雄叫びを放ち、翼手の巨躯を純粋な腕力だけで薙ぎ払う。

 

 上半身と下半身が生き別れになった翼手が屋上を落下していた。

 

 飛翔していた翼手が牙を立て、爪を振るい上げる。

 

 斬、と一閃が舞い上がり、翼手の片方の翼をもぎ取る。

 

「遅いよ」

 

 どこまでも冷徹。

 

 どこまでも凄惨。

 

 血潮が迸るのを一顧だにせず、追撃の刃で翼手の心臓を射抜く。

 

 斬撃を受けて翼手の肉体から力が消え失せていた。

 

「……モモカちゃん……っ!」

 

 キリエが自分へと手を伸ばす。

 

 その在り方に、モモカは武器を手離そうとして、キリエの背面に迫る黒い影を視野に入れていた。

 

「先輩! もう一体居ます!」

 

 その声が届く前に、翼手の爪がキリエの頭蓋を砕く。

 

 怪物の剛腕で振るわれた一撃に、キリエの見目麗しい相貌が引き裂かれていた。

 

 音が消える。

 

 自分の目の前で、キリエが殺された。

 

 その現実に打ちのめされそうになってしまう。

 

 伸ばされた手が虚空を彷徨い、肉体が虚脱する。

 

「手間ぁかけさせやがって……!」

 

 翼手がキリエの骸を踏み締め、貫手に固めた腕を振るおうとしていた。

 

 狙っているのは心臓だ――それが直感出来たからだろうか。

 

 それとも、キリエが稼いでくれた千載一遇の好機を逃してはいけないと言う感覚が迸ったからだろうか。

 

 モモカは全身をバネにして舞い上がり、翼手の直上を取る。

 

 吼え立て、大上段に刃を振るい上げていた。

 

「……討つ!」

 

 一閃が叩き込まれるも、翼手は致命傷を回避していた。

 

 片腕を落としただけで、相手はわざと断面を引き裂いて一撃の重さを軽減させる。

 

 つんのめったモモカは屋上を無様に転がり、先刻キリエが斬り伏せた敵の死骸の上で姿勢を持ち直していた。

 

 息が上がっている。

 

 荒い呼吸は、本来はあってはならない戦闘に直面している事を明瞭にしていた。

 

「……小娘が……!」

 

 翼手が遠く、長く“声”を発する。

 

 それは仲間を呼び寄せる残響音波だ。

 

 間もなく、敵の主力がここに呼び寄せられる事だろう。

 

 その時に、自分一人で勝てるのか。

 

 ぜいぜいと呼吸が安定しない。

 

 肩を荒立たせて、何度も何度も、落ち着けと心で訴えかける。

 

 しかし、目の前で無残に殺されたキリエの遺骸を視野に入れてしまえば、落ち着く事なんて出来やしない。

 

「……先輩……っ!」

 

 せめて自分の手で敵への報復の刃を。

 

 太刀を構え直した自分に翼手はせせら笑う。

 

「そんな震えた太刀筋で、何が守れる? 何が出来る?」

 

 翼手の哄笑が響く中で、モモカは歯の根が震え出すのを感じていた。

 

 今すぐ、敵を討たなければいけないのに、足が竦む。

 

 刃を構えるのだってやっとだ。

 

 キリエの死体から視線が外せない。

 

 本来は敵を睨まなければいけないのに、どうしても力が入らない。

 

「……片腕も再生出来たぁ……ッ! さぁ、これでやれるか?」

 

 敵の再生を許してしまった。

 

 より不利に転がっていく戦局で、モモカは太刀を握り締め、精一杯の虚勢で声を上げて振るい落とす。

 

 しかし、へっぴり腰の構えでは28号翼手の隙でさえも突けない。

 

 軽い歩調でかわされ、腹腔へと拳が叩き込まれる。

 

 その一撃だけで反抗の気概は折れていた。

 

 激痛に呻いた直後には、翼手の爪が払われる。

 

 頬に傷が走り、モモカは尻餅をついていた。

 

 立ち上がれない。

 

 膝が笑っている。

 

 それどころか、今しがたまで抱いていた闘志も。

 

 キリエに対して報いようとした気持ちも、何もかも消え失せていた。

 

 今はただ、死にたくないと涙が伝う。

 

「弱い狩人だなぁ。だが、武器を持っている。妙な連中だ。……話に聞いていた狩人とは違う……刀を使うのは同じだが、斬られても再生出来る。中央庁が作った新しい生態兵器か? 劣化品だな。こんなもの、あったとしてもしょうがないだろう。せめて、喉を潤すくらいの血潮の張りはあってくれよ」

 

 翼手の腕が振るわれる。

 

 死ぬ――殺される。

 

 ここで息絶えるのか、それとも無様に喰われ、奴らの血肉となるのか。

 

 翼手が口角を吊り上げる。

 

 恍惚にも似た喜悦に緩んだ頬。

 

 それを目の当たりにすれば、自分の武器など棒切れのようなものだ。

 

 相手は純度百パーセントの殺意を持っている。

 

 ここで、自分は終わるのか。

 

 何も成せず、何にも成れないまま。

 

 せめて、痛みだけは、と弱々しい自我が意識を閉ざそうとする。

 

「弱くって……ごめんなさい……っ」

 

「後悔の言葉はそれだけか? なら、死ね……ッ!」

 

 爪が網膜を貫く前に、その腕が硬直していた。

 

「あ……」

 

 思わず声が漏れる。

 

 血だ。

 

 逆巻く鮮血が、翼手の腕を絡め取っている。

 

 その大元へと、モモカは目線を振り向けていた。

 

「……何が起こっている……」

 

 分からない。

 

 分からないのに――目の前の出来事だけが妙に鮮明に映る。

 

 キリエの骸から無数の血が螺旋を描き、彼女の肉体を染め上げていた。

 

 灰色のコートが真紅に染まる。

 

 翼手によって切り裂かれた頭部が逆戻しのように修復し、そのかんばせは元に戻っていた。

 

「……何だ? 何故……自己再生だと……!」

 

 翼手が構え直そうとするのを、キリエの振り上げられた片腕が軽く吹き飛ばす。

 

 これまでとはまるで異なる速度の斬撃。

 

 翼手の腕は根元から斬り落とされ、宙を舞っていた。

 

「こいつ……!」

 

 修復したキリエの肉体の節々から血が舞い上がっていた。

 

 空へと吸い込まれるようにして、血潮が渦を巻く。

 

 傷口が癒え、確実に殺されたはずのキリエが瞼を開く。

 

 モモカは息を呑んでいた

 

 深い赤に染まった、その眼差し。

 

 戦闘色を湛えた眼光が、射る光を灯す。

 

 間違いようもなく、それは狩人の眼であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マハラルが書類を提出する際、天井を仰ぎ見る。

 

「どうなさいました? マハラル様」

 

 加藤が書類を受け取りながら疑問符を浮かべていると、彼は喜悦の笑みを貼り付かせる。

 

「……懐かしい血の匂い……ちょっと事が動いたようねぇ。それにしても、二年ぶりじゃないの。久しぶりね――真那ちゃん」

 

 

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