BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene10 与えられし福音

 

「何者なのか。そう問いかけたい気持ちが先行しているように映るけれど」

 

 前を行く女教師に擬態した上級翼手は後ろに続く年若い相手の気持ちを察していた。

 

「……正直に言えば。“教授”と呼ばれるほどの相手なんです。翼手としての歴は長いと見ても?」

 

「ええ、その通り。けれど“教授”はあくまでも、自分の姿、影でさえも掴ませない。そこから考察するに、“教授”は一般市民に身を隠しているとは思う」

 

「まさか……市民権発布より前にこの中央庁で人間のフリを? それは、さすがに……」

 

 信じ難い、と自分に続く相手は応じていた。

 

 女教師はそうね、と淡白に告げる。

 

「けれど翼手は……同族は常に歴史の闇に紛れてきた。それは十年二十年のレベルじゃない。必ず、どんな時代でも討ち手が居たように、私達も存在し続けた。それは、きっとただ単にいたちごっこに集約されない。必要悪、と言うものがあるとすれば、我々なのだと感じている。このエメトピアは……中央庁は何かを隠している。だからこそ、他セクションへと市民権の発布と言う形でアピールはしてきたはず。元々、この楽園は翼手のもの……そう信じたほうがまだ納得出来る」

 

 もっとも、この考えに同意した仲間はこれまで一名の例外もなく死んで来たが。

 

 残存した翼手、そして自分が率いるのに付いて来たのは二十名前後。

 

 酷い有様だ、と自嘲する。

 

 四十名の同胞が居たと言うのに、その半分は離反し、そして何割かは狩人に首を落とされていた。

 

 そう、狩人――この世界のどこからか訪れる闇の一派。

 

 歴史の証人。

 

 少女の形を取った、真紅の追跡者。

 

 だが、その名だけは、どんな翼手でも知っている。

 

 まるで遺伝子の奥底に刻まれた恐怖の記憶そのもののように。

 

「……サヤ……! 狩人がまさか中央庁まで潜んでいるとは想定外だったけれど」

 

 だがそのサヤでさえ、中央庁では自由ではないはず。

 

 他のセクションほどサヤの脅威が現実味を帯びていれば、四十人程度の徒党などとっくの昔に狩り尽くされている。

 

 その有り様が変わってきたのが二年前――二十歳未満の少女のみが罹患するとされてきた楽園を激震させた伝染病、“SAYA”が中央庁によって駆逐されたと宣言されてからだ。

 

 偶然の一致とは思えないその名称と、そしてエメトピアの中央庁が安全宣言を出したと言う事実。

 

 それは数名の名だたる上級翼手の箍を外すのには充分であり、一時は翼手による狩りが爆増したが、それも鳴りを潜めた。

 

 狩人は駆逐されなかったのか、それとも中央庁による炙り出しであったのか。

 

「……私は自分と同じような上級翼手がいつの間にかぷつりと連絡が途絶えたのを何件も知っている。彼らが殺されたのかどうか、それでさえも定かではないまま、時は経ち……半年前の市民権の発布で全セクションの翼手ハーレムが一気に動き出した。それが罠だとしても、我々は動かないわけにはいかない。このままサヤに怯えて過ごすのはもうたくさん。見えない脅威で腰が引けるくらいならば、中央庁に踏み込んででも我々の理想郷を描くべき。……けれどそれも、半数か」

 

「あなたを信じてないわけじゃない。……ただ、サヤの脅威はあまりにも我々の魂と血に、強く刻まれているんだ。“教授”なんて不確かなものに縋るのも、その表れだろうさ。……仲間達は逃げ隠れながら血を啜るのは疲れたんだろう。どれほど怪しくとも、中央庁の施策に乗って市民権さえ得られれば……変わってくる。実際に市民権を得た同族も少なくないと聞く」

 

「……それが確かな情報源ならば、だけれど。とにかく、一度“教授”と顔合わせをしなければ……」

 

『――その心配は要りませんよ。ここまで辿り着いたんですからね』

 

 指定された場所で不意に声が発せられる。

 

 まさか、張られていたか、と警戒を強めたのも一瞬。

 

 浮かび上がったのはVRアバターであった。

 

 無造作に端末が地面に直接置かれており、そこから明後日の方向を向いていたメイド姿のアバターが深く頭を下げる。

 

「……まさか、こいつが“教授”……?」

 

 待て、と女教師は仲間を制する。

 

「……逸らないほうがいい。“教授”なら、ここに来た意味くらいは知っているはず」

 

『ええ。ようこそ、理想郷の中心地、エメトピア中央庁へ。ワタシは“教授”です』

 

 だが、どう聞いてもその“声”は加工された代物であり、男なのか女なのかさえも分からない。

 

「……“教授”だとすれば、直接の対面を望む。そうでなければ、ここまで危険を押して来たのにあまりにも不義理だ」

 

『理解は出来ます。しかし、ワタシも自由ではない身。あなた方を歓迎は出来ますが、導くのはこのVRアバターの役割となるでしょう』

 

 仲間達が胡乱そうな眼差しを交わす。

 

 ここで空中分解しては全てが徒労に終わるだろう。

 

 女教師は切り込んでいた。

 

「……“教授”、だとすれば、あなたも上級翼手相当……それは信じてもいいんですね?」

 

『ええ。ワタシは間違いなく、あなた方の定義する上級翼手』

 

「ならば何故……“声”すら聞かせてもらえないのでしょうか? これでは信じろと言うのが無理になる」

 

 翼手ならば反証手段は人間の何倍もあるはず。

 

 だと言うのに、加工された音声では“声”のコミュニケーションも出来ない。

 

 その問いかけにメイドアバターは表情を翳らせていた。

 

『すいません。“声”のコミュニケーションは不可能なのです。理由は言えませんが、中央庁には翼手の“声”を完全に把握する一派が居る、とだけ言っておきましょう』

 

「……それは、サヤではなく?」

 

『サヤよりももっと恐ろしく、そしておぞましい者達です。ワタシは彼らの情報の一部を掴んでいますが、これを開示するのにはもう一手欲しい』

 

「おい! こっちは無条件にそっちを信じてるんだぞ……! だって言うのにこっちには隠し事かよ!」

 

 よせ、と命じる前にその不満が仲間達に伝播していく。

 

「そうだ! VRアバターなんて使って……結局は保身じゃないか!」

 

 いけない、と女教師は率先して声にする。

 

「“教授”は我々四十人分の市民権を代わりに受諾してくれたんだ……! 彼を疑うような者は……!」

 

「庇い立てするのか! 上級翼手だからって、見下しやがって……!」

 

 一人の下級翼手が変異し、瞬く間に翼手化して飛び掛かってくる。

 

 組み伏せられた女教師は抵抗こそ出来たが、ここで仲間を殺せばこの集団は瓦解する。

 

 その考えが脳裏に浮かぶのと同時に、ここでの行動を“教授”は探っているはずだと言う確信があった。

 

 凶暴化した仲間が肩口に噛み付く。

 

 牙が食い込み、血を啜られても女教師は反撃しなかった。

 

 翼手化すればたちどころに無力化出来ると知っていてもなお、だ。

 

 恐らくだが、“教授”はどこまで力を使わずに統率が取れる集団かを見ている。

 

 それを言葉で説いても今は押し留められないだろう。

 

 ならば、行動で示すまでだ。

 

 爪が払われようとしたその時、メイド姿のVRアバターより声が発せられる。

 

『――見事です』

 

 直上から榴弾が放たれ、下級翼手の表皮を焼く。

 

 再生出来ないほどの傷ではない。

 

 だが、誰が……と気配を探る前にその感覚は霧散していた。

 

「誰なんだ! 狩人か……?」

 

 呻き声を上げて後ずさった下級翼手は首を巡らせる。

 

『合格です、あなたのお名前を聞かせてください。ここで彼を殺す事も出来たはずですよね?』

 

 女教師はぜいぜいと息を切らしつつ、吸血された箇所を再生する。

 

 再生能力はこの中央庁に潜入した時点で下がっているとは言え、一瞬で服飾まで整える。

 

「私は……私は名前はもう、思い出せない。ここに来るまで無数の人間に擬態してきたせいで、元々誰だったかなんて……」

 

『ではワタシから提示を。あなたは今から“更衣ヨスガ”を名乗ってください。IDはこの端末に登録しておきます。これよりワタシとの接触はVRアバター越しに行っていただきます。構いませんね?』

 

 全員が呆気に取られていたが、女教師は歩み出し、端末を手に取る。

 

 そこには夢にまで見た中央庁の市民IDが登録されており、自分の顔写真と共に名前が照合されている。

 

「……“更衣ヨスガ”……それが、私の名前……」

 

『勝者には褒美を。敗者には罰を。ワタシはただ知りたいだけなのですよ。ヒトは、“それ”に生まれるのか。それとも、“それ”に成るのか。その答えを』

 

 ならば自分は、今この瞬間より「更衣ヨスガ」なのだろう。

 

 その確信を得て、仲間達へと向き直る。

 

「……これからの行動も、私に従ってもらう。異論はないな?」

 

 この端末は“教授”に認められた証。

 

 それをまるで褒賞のように、女教師――ヨスガは握り締めて左胸に翳す。

 

 血の宿業たる心臓を預けるに足ると判断しての事であった。

 

 こちらの覚悟を理解してか、同胞達の中には反論する者は居ない。

 

 それどころか、津波のように服従の頭を垂れていた。

 

 ヨスガは生まれて初めての感覚に身を震わせる。

 

 牙や爪で序列をハッキリさせるのではない。

 

 これは力とは別種の誘因だ。

 

『理解出来るでしょう? ヨスガ。これは“支配”です』

 

「これが……“支配”……」

 

 縄張り争いで殺し合った事もある。

 

 力では誰にも負けないつもりだったが、隷属を表すのはそれだけではない。

 

 否、それよりもなお色濃い、本物の上下関係。

 

 全身に走ったのは悦楽であった。

 

 まさか生き血を啜る以外でこれほど満たされるとは思いも寄らない。

 

「……私が……この更衣ヨスガが、導きましょう。“教授”、あなたの下へと。そこで我々は知るのです。本当の……理想郷の意味を」

 

 

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