BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene16 闇のヨスガ

 

 会談の場を設ける、とヨスガは一時間だけ貸し切っていたのは交流スペースを兼ねたカフェであった。

 

 他の面々は中央庁の陰に潜み、息を殺しているのに自分は見た目だけはマシだと言う理由だけでこうして明るい場所でコーヒーをすすっている。

 

 無論、これは先んじて情報を得るための手段であった。

 

 眼鏡の奥の瞳を細め、ヨスガは端末を眺める。

 

 そこに表示されていたのはサムネイルサイズにまで圧縮された“教授”が操るアバターアイドルだった。

 

『会談の場に君だけでも来てくれて大変助かりますよ。他の者達は?』

 

「……あなたの指示通り、カフェの周囲に点在しておいた。いつでも襲撃は出来る」

 

『逸らないで欲しい。それにしても、統率者としての素質はあるようですね。更衣ヨスガ、君にはこれより、市民権を有効化するために必要な措置を取ってもらいます』

 

「その前に……。中央庁にも狩人が居る事が“声”のネットワークで明らかになっている。その狩人とは、音に聞くサヤなのか」

 

 もし、噂通りのサヤなのだとすれば、自分達の行動の如何は変わってくるだろう。

 

 どれほど群れを成していても、サヤに行き遭えば下級翼手の集団であるのだから、勝利条件には乏しい。

 

 しかし、“教授”はなんて事もないように返答していた。

 

『そのような話も耳に入ってきます。ただ、この中央庁にはサヤよりも厄介な相手が居る。聞いた事はありますか? コープスコーズ、死体兵団の事は』

 

「……いや……何だって? 死体……」

 

『やはり、中央庁以外だとその噂はあまり広まっていないようですね。彼らの迎撃率が限りなく百パーセントである事と、そしてその痕跡をまるで残さない事からも明らかでしょうが、中央庁が操る討滅の走狗ですよ』

 

「……それはサヤとは……」

 

『まるで違います。驚異判定で言えば、サヤの十分の一程度。下級翼手に毛の生えた程度の力量でしかない。ただし、ただ一人を除いて』

 

「……それに気を付けろと?」

 

『その中でも生え抜き、と断言してもいいのでしょう。この少女には気を付ける事です』

 

 顔写真が表示され、名前だけの簡素なデータベースが追記される。

 

「……更衣、キリエ……?」

 

 何故、“教授”に与えられたのと同じ名前を持っているのか。

 

 その疑念が鎌首をもたげたところで、相手は尋ね帰す。

 

『……どうです? “更衣”、の名前、あなただけのモノにしたくはないですか?』

 

 想定外の質問にヨスガは息を詰まらせていた。

 

「どういう……」

 

『あなたはこれまで、恐らく固有名詞を使ってこなかったはず。吸血した相手へと擬態し、様々なプロフィールを渡り歩いてきた。しかし、中央庁ではそれは逆に不自然に働く。また、市民は皆、己の名前を誇示している。その中で彷徨えば、28号翼手の自我は簡単に崩れる。そういう風に出来ているのですよ。白いばかりの建築物、窓がないのに監視されているような感覚に陥る街路、脳内まで漂白されていくように錯覚する地形。どれもこれも、ヒトの気を狂わせる。つい先刻の情報ですが、あなた方と別れた側の翼手達は殺されたそうですよ』

 

 まさか、と絶句したヨスガに“教授”は言葉の穂を継ぐ。

 

『しかし、この理想郷では死体さえも残らない。そこに生きていた、と言う証明は一切、残らずに霧散するのです。そうなってしまって、あなた方は耐えられますか? 苦労して中央庁の市民権を得ようとしているだけなのに、追い立てられ、殺されて居場所を永劫に失う。そんな屈辱に、あなたは狂わずにいられるでしょうか?』

 

 何故そのような問いを重ねるのか――否、それよりも。

 

 仲間は、同胞達は死んだのか。

 

 思いのほか胸中が静かな事に、ヨスガは衝撃を受けていた。

 

 ここに来るまで一蓮托生で四十人。支え合って生きて行く事を決めていたのに、そんな味方が殺されても何も感じない。

 

 想定外に静まり返った心の奥底で、嗤う自分を発見する。

 

 ――馬鹿な連中。“教授”に、ひいては自分に逆らわなければ死なずに済んだのに。

 

 そのような優越感を覚えるような自分ではなかったはずだ。

 

 そのような境遇の不幸さに嘲笑えるような自分ではなかったはずだ。

 

 だが、現実には違う。

 

 殺された相手には相応の罰があったのだと語る。

 

 無駄死にした相手には相応の愚かさがあったのだと悟る。

 

 ヨスガは思わず頭を抱えていた。

 

 間違いなく、こんな自分ではなかったはずだ。

 

 だが、この中央庁が。

 

 白さばかりが目に付く滅菌された楽園が。

 

 己の自意識を狂わせる。

 

 これまで構築してきた危うい綱渡りでしかない自己認識を揺さぶる。

 

 所詮、翼手として生きてきた自分の今の姿も、今の自我も後付けの代物だ。

 

 積み重ねてきたのは全く別種の人間性なのに、それを現状の自分として落としどころを求めている。

 

 そのあまりの迂闊さに。

 

 そのあまりの滑稽さに。

 

 ヨスガは喜悦に緩んだ口角を感じ取っていた。

 

 自分の言う事を聞かないから。自分の思う通りに動かないから、そうなる。

 

『……更衣ヨスガ』

 

「……私の名前は……更衣ヨスガ……」

 

『そう。あなたは更衣ヨスガだ。ならば、似通ったばかりの模造品は壊さなければいけない。そうでなければ――あなたがあなたで居られなくなってしまいますよ?』

 

 自我が足元から崩れ始める。

 

 何年、いや何十年か。

 

 血を啜り、肉を喰らって固めてきた己が、こうも簡単に消え去ろうとしている。

 

 その影を追うようにして、縋るようにしてヨスガは問いかけていた。

 

「……どうすれば……いいんだ」

 

『簡単な事。似通った相手は殺してしまうのに限る。更衣キリエ、この少女を追い立て、その血を啜り、その姿になればいい。そうすれば、あなたはこの世界で唯一無二。誰にも存在を脅かされない完璧に成れる』

 

「……完璧に……」

 

 熱に浮かされたように口にする。

 

 ――完璧。

 

 それは誰もが憧れる代物。

 

 それは誰もが手に入れようとも足掻くもの。

 

 だが、理想郷に棲む人々にとっては当然でもある。

 

 それまで疑う事さえもない完璧と言う名の称号を、自分は得られるのだろうか。

 

 この中央庁で生きていくのならば、死ぬよりも焦がれるものなのだろう。

 

 あるいは死んでまでも追い求めるのかもしれない。

 

 自分が生きてきた証。

 

 自分が佇んできた存在証明。

 

 歩いてきたという意味。

 

 ここまで来たのだ。

 

 失敗して、塵芥以下に成り果てて死ぬか。

 

 成功して、名を与えられて市民として生きていくのか。

 

 二者択一の世界で、ヨスガは選んでいた。

 

 己を構築する要素の一つとして。

 

「……私は更衣ヨスガ……私を脅かすものは、殺さないといけない」

 

『市民権の発布はそれが果たされてから、と言う契約でどうでしょうか? もちろん、他の皆さんには知らさなくってもよろしい。あなただけが特別なのです』

 

 市民権が交付されれば、自分達は等価だ。

 

 等価に中央庁の市民であり、そこに序列は消え去る。

 

 ともすれば、そうなってからでは手遅れかもしれない。

 

 今だけなのだ。

 

 彼らを統一し、支配した状態で己のさじ加減一つで転がせるのは。

 

 今の女教師の姿も、彼らの修学旅行生の姿も、当然ながら自己ではない。

 

 偽りに糊塗された、ただの虚飾だ。

 

 もし、それを剥がされた時に、今のような優越感はあるのか。

 

 いや、きっとないのだろう。

 

 ならば――今こそ。

 

「……分かった。彼らには私が言っておく」

 

『頼みますよ、ヨスガ。あなたは優れていますからね。それで、この少女を抹消するために、あなた方には市民としての責務を果たしていただきます。市民の流れに逆らえば、狩人の刃が迫る。ならば、人間として当然、流れるに足る場所に赴けばいい。現状、あなた方の名簿はとある有名人の下へと保管されている。本日中にそのアバターアイドルのリアルイベントがあるそうです。これは偶発的とは思えないのですが、ヨスガ、あなたを含む四十人はそこへと招待されている』

 

 その事実にヨスガは震撼する。

 

「……それは確かだとすれば……我々を」

 

『十中八九誘い出すための罠でしょうね』

 

 簡潔に言い添えた相手に、ヨスガは押し黙るしかない。

 

 しかし、“教授”は言葉の穂を継いでいた。

 

『ですが、あえて言いましょう。罠にかかったのは敵のほうだと』

 

「……どういう意味……」

 

『考えてもみなさい。四十体の翼手……敵はあなた方が仲間割れをしている事を知らない。その状態で赴けば、敵にとっては出鼻を挫く事が出来る。その隙を突いて、むしろあなた方が誘い込むのです。翼手の闇に』

 

「しかし、我々はさほど戦闘力には……」

 

『思い返してみるといい。サヤではない相手……いえ、サヤであったとしても。二十体以上の翼手を相手に、平時の立ち回りが可能でしょうか? ワタシは不可能だと感じる。そこにこそ付け入る隙が生じるのです』

 

「だが……我々は即席の対応力では……」

 

『ゆえにこそ、ヨスガ、あなたが導く。そうでなければいけない。更衣ヨスガの名前を、誇ると言うのならば』

 

「……私が、名を誇る……」

 

 魅せられたように口にすると、“教授”が通信先で微笑んだのが伝わってきた。

 

『その通り。確かに中央庁に潜入した時点では、あなた方はただの烏合の衆だったでしょう。ですが、統率者が居れば違ってくる。それこそ、確率論の悪魔でさえも味方につけて。あなた方はより高みへと上り詰めるのです』

 

 何故なのだろう。

 

 こうも心地いい言葉に、身を任せてしまいたくなる。

 

 だが、ヨスガは市民権を手に入れるためにここまで来たのだ。

 

 荒れ狂う流れを超え、血で血を洗う戦場を駆け抜けて。

 

 これまでの苦難、そして苦楽を共にした者も少なくはない。

 

 それでも――自分は上級翼手として、戦わなければいけないだろう。

 

『これは自由を勝ち取るための聖戦ですよ』

 

「……自由を勝ち取る……」

 

『我々翼手にとって、理想郷がどう微笑むのかをはかる試金石でもある。考えてみてください。どのような答えを出すのが最適なのか。リアルイベントの時間と場所は送信しておきます。これをどのように扱うかは、ヨスガ、あなたが決めるとよろしい』

 

 そこで唐突に“教授”との通話が切れる。

 

 まさか、ここ一番で背中を押して欲しい時に不意に繋がりが途絶えるとは思っておらず、ワークスペースのカフェでヨスガはうろたえていた。

 

「……ちょっ……“教授”……」

 

 端末からは返答はない。

 

 その代わりにリアルイベントの場所と時間が指定されている。

 

 そこに記されていたのは確かに、自分を含む四十人の翼手の名簿であった。

 

 恐らくは罠――それも出来過ぎている、あまりにも稚拙な代物だ。

 

 だが、ここに居るのか、とヨスガは端末をぎゅっと握り締める。

 

「ここに……更衣キリエ……と言う少女が……」

 

 今一度、顔写真と名前を見比べる。

 

 凡庸そのもののような顔立ちに、少し幼さの残った目鼻をしていた。

 

 しかし、眼光だけは凛としており、きりりとしたその双眸からは何らかの覚悟が窺える。

 

「……こいつが、私から名を奪おうとするのならば……」

 

 肉体が変異しかけて、ぐっと抑える。

 

 ここまでの衝動が身を衝き動かすのは初めてかもしれない。

 

 生きるために喰ってきた。

 

 戦うために血を啜ってきた。

 

 だが、これだけは違う。

 

 ――奪還のための、聖戦。

 

「……私が更衣キリエから、名を奪うために、戦う……!」

 

 そうでなければ、この少女をわざわざ“教授”が指定した意味がないだろう。

 

 相手は分かっていて、自分を焚きつけたのだ。

 

 永劫の夜の果てに名前を受け取った意義を。

 

 そして、その名を保ち続けるためには、存在証明をしなければならない。

 

 ――殺して、喰らって、奪い取ってやる。

 

 まさか楽園の中枢で、そのようなどす黒い感情が渦巻くとは予想外であった。

 

 ヨスガはカフェから立ち去り、仲間達が待つビルの陰へと戻っていく。

 

「……“教授”は……!」

 

 縋るような声に、ああ、と感じ入っていた。

 

 彼らには何もない。

 

 自分のように選ばれた名前を振るうわけでもなければ、ただただ血と暴力の衝動に負け、獣としての性を隠すわけでもない。

 

 それがあまりにも脆弱。

 

 あまりにも矮小に過ぎなかった。

 

「……“教授”は示された。これから先に訪れる場所と時間に、待っている、と」

 

 おお、とにわかに歓声が上がる。

 

「では、ついに市民権が……!」

 

「その通り。我々が望むものを間違いなく与えてくれるだろう」

 

「そ、それはいいんだが……アンプルをくれないか? リーダー……変異しちまいそうで……」

 

 震える指先で自分に触れようとした下級翼手の手を、ヨスガは払い除けていた。

 

「私はリーダーと言う名前ではない! 私は“更衣ヨスガ”だ!」

 

 戦闘意識が芽生え、下級翼手の片腕を寸断する。

 

 血潮が飛び散り、悶絶する相手へと足蹴で問いかける。

 

「もう一度、チャンスをやろう。私は誰だ?」

 

 呻き声を上げながら、下級翼手は何度も告げる。

 

「よ、ヨスガだ! あんたは更衣ヨスガだ!」

 

 その声に満たされていくのを感じる。

 

 支配欲、とも違う。

 

 征服感とも違う。

 

 これは――自らの存在が確立されていく事への確かな感慨。

 

 悦楽に近い、満足。

 

「そうだ……私を怒らせるなよ。“教授”の与えた名前だぞ。更衣ヨスガは……私だけだ。この名前は、私だけの称号なのだ」

 

 蹴り上げてから、その首筋へと乱暴にアンプルを突き刺す。

 

 痙攣する下級翼手を目にして、他の者達が慄いたのが伝わった。

 

「……貴様らもこうだ。少しでも私の機嫌を損ねれば、生きていけぬと思え。……既に狩人は、サヤが動き出していると“教授”からの報告にあった。私のさじ加減一つで、サヤに貴様らの居場所と名前を暴露してもいい」

 

 全員が凍り付く。

 

 狩人の恐怖で竦み上がった下級翼手へと、ヨスガは顎をしゃくって率いていた。

 

「……分かったならば行くぞ。時間も惜しい。指定された時間と場所で、我々はようやく市民権を得て永劫の安息を得るのだ」

 

 恐怖を宿しながら残り二十人余りが続く。

 

 自分達と別行動を取った者達は狩り尽くされる事だろう。

 

 後ろに続く事しか能のない彼らも同じだ。

 

 だが、自分は違う。

 

 自分には確固たる名前がある。

 

 名を与えられたと言う事は、役割があると言う事だ。

 

「……私は、“それ”になる……!」

 

 

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