BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene18 その手は彷徨う

 

 キリエは謹慎が解除されるまでの残り二時間、どう過ごすべきか悩んでいた。

 

 その結実が上司の下へと向かうのだから、相変わらずの仕事人間だなと自嘲する。

 

「失礼します」

 

「ああ、来たのか。確か、まだコープスコーズC班としての職務は……」

 

 加藤が観葉植物へと水をやっている。

 

 キリエは少しだけ茶目っ気を出して後頭部を掻く。

 

「……何にもするなって言うのが何だか性に合わなくって」

 

「……なるほど。ではここに訪れたのは更衣隊長ではなく、更衣キリエと言う少女と言う意味かな?」

 

 加藤は自分の真意を分かってくれている。

 

 だからこそ、手間をかけさせたくはなかったのだが、行く場所がなければどうしようもない。

 

 本部施設で行ける場所はせいぜい限られている。

 

 マハラルに時間を取らせるのも悪い。

 

 本当ならば久しぶりに親子水入らずの食事でも、と思っていたが、彼は多忙だ。

 

「……お父様にはちゃんと会ってきましたので」

 

「マハラル様は健在だったかな」

 

「ええ。お父様はいつだって……私のために心を砕いてくれています。それがとても嬉しくって……」

 

 マハラルの横顔を思い返すだけで満たされた気分になっていく。

 

 これが親子の情か、と実感していた。

 

 たとえ過去が何一つ暗礁に沈んでいたとしても、この気持ちだけは本物だと信じたかった。

 

「そうか。そう言えば、これはまだ君には早いかもしれないが、C班は既に行動を開始しているらしい。今朝方、作戦指示書が届いていた。当然、全員の帯刀許可も」

 

 寝耳に水で、キリエは目をぱちくりさせていた。

 

「……それは……」

 

「彼らも彼らなりに動かなければ、と心掛けているらしい。涙ぐましいじゃないか。隊長の手は煩わせない、と」

 

 それは素直に喜んでいいのだろうか。

 

 帯刀許可に関してで言えば、モモカの戦闘能力はさほどのはずだ。

 

 だと言うのに、逆に危険に晒すようなものではないか。

 

 その表情が出ていたのだろう。

 

 加藤は目を細めていた。

 

「……飛び立つ雛を見送るのも先達の役目だよ」

 

 それだけで了承が取れていたが、しかし、とキリエは食い下がる。

 

「……アオ君はともかく……他のメンバーは……」

 

「四人でちゃんと作戦も建てていると言う。雉子ヤミ、だったか。彼女が本作戦の要らしい。どうやら四十体の翼手の行方はそのまま、雉子隊員のやっている……何と言うのかな。アバターアイドルの名簿に登録されているようで」

 

「ヤミちゃんの……? けれどだとして、まだ四十体の翼手は……」

 

「健在と見るべきだろう。奴らを一網打尽にするために君の部下が考え出した作戦だ。了承はすべきだと思うがね」

 

 確かにC班がここで躍進するためには、このヤマを押さえないわけにはいかないだろう。

 

 だが、自分を欠いて彼らだけで四十体を倒し切れるだろうか――その疑念が鎌首をもたげていた。

 

「……加藤総督。私に現時点での謹慎の解除命令を」

 

「許可出来ない。悪いがね。この謹慎には私の一存ではない、中央庁の枢軸が絡んでいるんだ。この管轄では不可能だよ」

 

 たったの二時間。

 

 それが永劫に運命を分ける二時間になる可能性が高い。

 

 今、こうして本部施設から出ない時点で部下達の命を危険に晒しているようなものだ。

 

「……では、即時帯刀許可を。それくらいは可能でしょう」

 

「……向かうつもりかね。翼手が待つ巣窟へと」

 

「そうでなければ、私の存在意義はありません。もし……ヤミちゃん達が上手く事を転がせば、翼手達を一箇所に留めたまま殲滅する事も可能でしょう」

 

「時は一刻を争う、か。……しかしね、更衣隊長。上層部からの命令だ。二時間は絶対、何があっても君をここから出すな、と」

 

「……何故なんですか……! 前回はたまたま、翼手に後れを取っただけで……!」

 

「たまたまでも、君の本当の能力をC班の誰かが知る事は許諾されていない。……正直なところで言うと、C班内部と処理班だけで済んでまだよかった。これがもし……一般市民や他の中央庁の役人に露呈すれば私とて無事では済まないだろう」

 

 それだけ自分の存在はアキレス腱なのだ。

 

 ただし、自分自身、何故そのような力が身に備わっているのかはまるで分からない。

 

 欠落した記憶がそうなのだろうか、と憶測を並べる事は出来ても、実際のところ不明のままだ。

 

「……私が記憶喪失だから、信じてもらえないんですか」

 

「そうは言っていない。更衣隊長、少し落ち着いて趨勢を見るといい。案外、君の部下達は優秀に翼手へと対抗手段を持っているかもしれないのだから」

 

 それは希望的観測だ。

 

 アオならばともかく、タツヤやモモカ、話しぶりから鑑みてヤミでさえも動員しているのならば、誰かを守る事は出来ない。

 

 皆が精一杯だ。

 

 ――誰も傷つけたくないのに……!

 

 爪が掌に食い込むほどに握り締める。

 

 自分が至らぬがために、彼らを死なせるわけにはいかない。

 

「……どうしてもですか」

 

「どうしてもだ。その代わり、帯刀許可と申請は受理しておこう。本部を出れば君は即座に翼手との討伐戦闘に移る事が出来る」

 

 加藤に出来る権限はそこまでなのだろう。

 

 それ以上は――きっと誰かが許していない。

 

 内々で疑うのも馬鹿らしい判断だ。

 

 今はただ、C班が無事な事を祈るしかない。

 

「……そう言えば。何か進展はあったのかな。記憶に関して」

 

 加藤は執務椅子に深く腰掛け、こちらの動向を窺う。

 

 そう言えばフラッシュバックのように夢の欠片に触れたような気がしたが、どれもこれも手の中を滑り落ちていく感覚だ。

 

「……分からないんです。ただ……ただ、私が力を求めた時、女の子が……」

 

「それは猫背の少女かね?」

 

 こくりと頷くと、キリエは独白するように言葉の穂を継ぐ。

 

「……猫背で前髪も長い女の子はずっと……ずっとすすり泣いているんです。何で泣いているの? と聞いても、答えらしい答えは帰って来なくって……それが何よりも辛いんです。もう少しで答えは得られそうなのに、その手前で霧散するみたいに……」

 

「指先が触れるのは近い、しかしそれは永劫の距離を、か。辛いな、君も。しかし、それを聞いて少しだけ安堵したよ」

 

「……安堵、ですか……?」

 

「もし何らかの変化が訪れていたとすれば、それは君にとって幸運に転ぶのか、不幸に転ぶのかがまるで読めないからだ。その少女でさえも吉兆なのかそれとも……。君の経歴に関してで言えばコープスコーズC班隊長就任前はまるで存在しない。それらしい経歴は備えられるが、中央庁にハッキングして見せたあの天才少女……永瀬モモカは知っているのだろう?」

 

 モモカがコープスコーズに召し仕えられたのは元来持ち得る卓越したハッキング技術の賜物だ。

 

 中央庁が唯一、情報面で後れを取り、そして求刑を迫った最年少の犯罪者。

 

 その刑期を遅れさせるのと、そして少しでも減軽するための処置としてのコープスコーズ所属。

 

 平時はただの女子中学生として振る舞っているが、情報戦においてこの理想郷で彼女に匹敵する者は居ないだろう。

 

「……けれどモモカちゃんでも、私の過去は分かんないんですよね」

 

 叶わない夢だ。

 

 モモカの力ならば、少しは自分の真実に肉薄出来たかもしれない。

 

 だがコープスコーズC班に所属した以上、自分の権限でモモカのハッキングは禁じている。

 

 それは多少の親心もあったが、やはり危ない目に遭って欲しくない気持ちが強い。

 

 そうでなくとも、中央庁は何が渦巻いているのか時折分からなくなる。

 

 夜を贄とし、ヒトの血を啜る鬼――翼手。

 

 それを狩るための存在としての死体兵団、コープスコーズ。

 

 相反する存在として屹立する自分達は、決して折れてはならない。

 

 その矜持を胸にして、戦い続けなければいけないだろう。

 

「少しは期待……と言うのも変だが、あったのだがね。永瀬モモカは君の真相に辿り着けなかった。恐らくは、だがマハラル様との親子関係にも気づけていない。それもある種、呪縛めいたものか」

 

「い、いえ……っ! お父様は何も悪くは……」

 

「ああ。言葉のあやだよ。ただ……君はコープスコーズから逃れられないんだ。隊長と言う身分もある。それだけではなく、君は知り過ぎている。中央庁の機密を。だからこそ、私は呪縛だと言ったんだ。これは拭えない……」

 

「呪縛……。けれど私、嫌じゃないんです、この状況。……平穏で、心が落ち着くって言うか……いつまでも笑顔で居られればきっと、それは叶うのかもしれないって言う、希望を持てるんです。何だか変ですよね……。記憶喪失だって言うのに」

 

「いや、変でもないさ。何よりも前向きなのはいい。少しでも進展があれば、私にも教えてもらいたい。その行く末に幸あらん事を――」

 

 そこで執務室の扉がノックされ、赤い髪を結った受付嬢が顔を覗かせる。

 

「急務でして。大丈夫ですか」

 

 本部に詰めているオペレーター達は全員、同じ顔、同じ声、同じ容姿だ。

 

 姉妹なのだろうか、と考える事もある。

 

「構わんよ。どうした?」

 

「つい十分前に受理された情報です。四十体の翼手のうち、二十体前後をコープスコーズA班、B班が処理したと」

 

「おお、そうか」

 

 コープスコーズは全部で三班――AからCまでの名前は単純にランク付けだ。

 

 ただし、キリエでもA班とB班には滅多な事では遭遇しない。

 

 協力作戦もなく、それぞれの構成員の名前すら知らなかった。

 

 ちら、とその書類に記されたA班の写真を盗み見る。

 

 コープスコーズA班はフルフェイスの仮面を被り、鍛え上げた肉体と大太刀一つで固めた戦闘集団であった。

 

 その骨格も、見た限りの容姿も変わりはない。

 

 A班だけでも六名は居るはずだったが、キリエは何度か本部ですれ違った際、何となくの感覚でしかないが気配が違うように感じたものだ。

 

 それは滅殺者としての意識が自分達とは根本で異なるからだろうか。

 

 それとも――彼らも別の意味で人間をやめているからだろうか。

 

 コープスコーズは別命、“死体兵団”。

 

 生きていると言う証左はなく、墓の下をねぐらにしているはずの亡霊が闊歩しているだけだ。

 

 自分もそうなのだろうか、とキリエは脳裏に掠めたその考えに瞼を閉じる。

 

 どこかで死んで、それで代わりのラベルを貼られただけの人生。

 

 きっと、簡単に、どうでもいい事で死んだに違いない。

 

 そうでなければ、もし劇的であったのならば。

 

 ここまで一向に思い出せないのも妙だ。

 

「残存する翼手は二十体程度と推測されます。しかし、その足取りは掴めず。当局は逃走している翼手の外見的特徴を探ろうとしていますが」

 

「翼手の持つ擬態能力。……厄介だな。血を吸った相手にしか擬態出来ないとは言え、それでも中央庁において被害が出れば少しは足取りが掴めるものの……」

 

「あの、加藤総督。もしかして、その出どころ、掴めるかもしれません」

 

 こちらが切り出した言葉に加藤は目を瞠る。

 

「それはどういった方策かね?」

 

「はい。……翼手によって捕食された人間は、偽装死体として出るとこれまでのデータで算出されています。ならば、この数日間で偽装死体が一つも出ていないのは奇妙です。これはつまり、四十体の翼手は誰一人として、吸血衝動に負けていないと推測されます」

 

「……なるほど。しかし、それだけでは分からない。数え切れていない被害者が居る可能性も捨てきれない」

 

 キリエは一度首肯し、受付嬢の資料へと目線を振る。

 

「その、いいでしょうか……? ともすれば、葬り去った二十体に絞り込む要素があるかもしれないので」

 

 受付嬢はコープスコーズ間の機密情報をきちんと隠してから、端末を差し出す。

 

「どうぞ」

 

 受け取ったキリエは処理された翼手の擬態情報を読み取る。

 

「……やっぱり。ここに記されている被害者名簿は中央庁には記録されていません。つまり、四十体は未だにこれまで通りの姿である可能性が高いと思われます」

 

「……中央庁で被害が出ていないのは僅かな安心材料だが……それで相手にとって不利とは限らないぞ」

 

「いえ、少なくとも翼手集団がこの中央庁に潜入して、既に丸二日……。その間に被害が出ていない以上、相手にとって捕食の必要性がないか、あるいはそれをカバーする方法があるかと」

 

「……興味深いな。翼手にとっての滋養、あるいは吸血に代わる何かを持っているか……」

 

「翼手が糧とするのはヒトの血肉……。持ち歩けるとは思いませんし、それに遺留品にも血液を保持しておくアンプルやそれに類するものがあったとは書かれていません。A班の仕事を加味すれば、これは不自然な欠落です」

 

 少なくとも自分達、C班であろうとも、遺留品に関しては特記するはずだ。

 

 それがないと言う事は、存在しないと言う意味だろう。

 

「……彼ら一体一体が、生き残るための方針を取っていないと?」

 

「と言うよりも、ここから読み取れるのは誰か……率いているリーダー格が存在していると見るべきでしょう。記されている状況と戦闘の損耗から鑑みて、この二十体は、言うまでもなく……」

 

「28号……下級翼手か。そう考えれば、この群れがA班の索敵にかかったのも必然と言うわけだ」

 

 加藤の理解に、キリエは言葉を重ねていた。

 

「もう一組か、それとも他の集団か……いずれにせよ、群れを統率する存在が居た……。それこそが、中央庁への潜入を指揮した、上級翼手」

 

 事ここに至るまで、上級翼手相当の存在は関知されてこなかった。

 

 ここに来ての可能性に、加藤は執務椅子の背もたれを軋ませる。

 

「……上級翼手……だが、だとすれば、君らC班が対応するのは……」

 

「ええ、危険です。加藤総督、これは急務だと感じています」

 

 交渉材料としての、C班が危険だと言うサイン。

 

 ここで自分が向かわなければ被害が出るのは抑え切れないだろう。

 

「……帯刀許可は下しているのだが……それだけでは危ういな。君」

 

 受付嬢を加藤は呼びつけ、端末へと署名する。

 

「よろしいのですか」

 

「構わん。どうせ、私にはこれくらいしか出来んのだ。――更衣キリエ隊長の謹慎を解く。これより、更衣隊長、任務に就き給え」

 

「……感謝します。加藤総督」

 

 挙手敬礼した自分へと、加藤は微笑む。

 

「なに、私に出来る唯一の貢献を、君が背を押してくれただけに過ぎないよ。それに、個人的な心象では、今すぐに向かうべきだとは思っていた。君が掴み取ったチャンスだ。……ここからは立場ではなく個人の物言いだが……C班を救え、更衣隊長」

 

「尽力します」

 

 キリエは受付嬢の端末を返す際に、帯刀許可を取り付けていた。

 

 執務室から出る直前、足を止める。

 

「……その、加藤総督……。本当に私によくしていただいて……」

 

「恩に着せるわけでもない。君が選んだ、ならばその足並みを私のような人間でも補助するのみだ」

 

 加藤の言い分が今はありがたい。

 

 キリエは執務室を後にしていた。

 

 その足取りに迷いはない。

 

「……待っていて、みんな……! 絶対に、助けるから……!」

 

 

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