BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene21 喪失の只中で

 

 灰色のコートを風に翻し、中空へと躍り上がったキリエは落ちゆくヨスガを射程に入れていた。

 

 この翼手も随分と奇妙な事を口走ったものだ。

 

「キサラギヨスガ」、などと言う名前を。

 

 どういうつもりだったかは知らないが、恐らくは少しでも油断を誘おうとしたのか。あるいはただの狂乱か。

 

 いずれにせよ、ここで首を落とし、そして終わらせる――キリエの意識はたったの一点。

 

 硬質化の弱まった頸部へと向けられていた。

 

 如何に再生能力の塊である上級翼手であろうとも、首を落とされて死なぬ道理はない。

 

 そのまま断ち割ろうとした、刹那。

 

 大剣が止められる。

 

 ヨスガにかかるかどうか、その一拍を留めたのは白銀の舞。

 

 抜刀された刃が天上の光を受けて輝く。

 

「……こいつか、デヴィッド」

 

『ああ。その翼手を殺させるな。そいつは貴重な“マーカー”だ』

 

「……デヴィッド……さん?」

 

 不意に喉から漏れた疑問。

 

 ――って、誰?

 

 直後、自身が開けた大穴よりセーラー服を翻す少女が太刀を振るう。

 

 キリエは咄嗟に反応して受け流したが、それでも自由落下からは逃れられない。

 

 ヨスガがステージ上に落下し、死に体で這いずる。

 

 それを守るかのようにして、降り立った少女は構えを取っていた。

 

「……退け」

 

 大剣を携え、キリエは少女と相対する。

 

「退けないな。私達にとってもここで迂闊な真似に出た翼手を死なせれば、中央庁へ干渉する機会を逸する」

 

「……だから、退けと……」

 

 踏み出しかけて、キリエの意識は内奥へと没していた。

 

 世界が切り替わり、傍らで泣きじゃくる猫背の少女が現れる。

 

「……どう、して……?」

 

 その少女は自分の袖を引いていた。

 

 顔は見えない。

 

 声もほとんど聞こえない。

 

 だが――「殺さないで」と訴えかけているのだけは分かる。

 

 前髪に隠れた面持ちの下で、少女は懇願する。

 

 声もなく、音もなく。

 

 ただただ、すすり泣くだけのか弱い少女なのに、振り払えない。

 

 硬直したこちらに、セーラー服の少女が抜刀したまま周囲を窺う。

 

「……酷い有様だ。如何に中央庁とは言え、人死にが出過ぎたな。これで情報統制は不可能だろう。リアルタイムでの映像も既にネットに出回っている。……この戦いも、か。どこまで相手の思惑だったのかは不明だが、私達を引きずり出すつもりだぞ、アシッドの連中は」

 

『そうさせないために我々が援護に回っている。――サヤ。眼前の少女は誰に映っている?』

 

 どうしてなのか、通信先の声が明瞭に拾い上げられていた。

 

 キリエ自身にも分からないその声の主に応ずるように、少女は答えを発する。

 

「眼前の相手は――二年前の“原生林”にて、消息を絶ったサヤの一人。――音無小夜だと、お見受けする」

 

「オトナシ……?」

 

 何一つ分からない。

 

 分からないと言うのに、その名がこびりつく。

 

 脳髄に染み付いて離れない。

 

『……やはり、そうか。姫川小夜。可能ならばオトナシの確保と、そして……洗脳の解除を』

 

「引き受けた」

 

 少女が太刀を構え直し、その刀身へと血の呪いを宿す。

 

 紅く照り輝く残火。

 

 楽園を侵す真の呪詛。

 

 それが明瞭に、そして雄弁に理解出来た――己は何者?

 

 キリエは震え出す歯の根を止められないでいた。

 

 何だ? 這い上ってくる恐怖の真の意味は。

 

 吐き気を催す、この感覚は。

 

 まるで、自分の立っているこの場所が最も間違いそのもののように、視界がぐらりと揺らぐ。

 

「音無小夜……。私はあなたに恩を返したい。だからこそ……必要ならば、討つ」

 

「何を言って……何を……」

 

「もう分かっているはずだ……! あなたも、この虚飾の舞台……茶番劇を」

 

 間違いだと言うのか。

 

 自分の積み上げてきた二年間を。

 

 愚かしいと言うのか。

 

 自分が守ろうとしてきた、全てを。

 

 だとすれば、目の前の少女は――何よりも許してはいけない、敵そのもの。

 

「……敵は、討つ……!」

 

 大剣を携え、キリエは少女の挙動に注意を注ぐ。

 

 少女は、こちらの警戒を怠らない。

 

 互いに砕け散った観客席を歩み、周回軌道を取って相手の一手先を見据える。

 

 歩みにほとんど隙はない。

 

 だが、一手でも誤れば即座に首を刎ねる――それは共通認識であっただろう。

 

 事実、少女の立ち振る舞いは洗練されている。

 

 問うとすれば、何故、翼手を生かそうとするのか。

 

「……その上級翼手は敵だ。それ以外にない」

 

「それは同じ認識だ。いずれ、この翼手も殺すが、今ではない。分かっているはずだろう。イレギュラーが多過ぎる。私達は……機関は、まだ死に絶えていない。だからこそ、ずっと、この二年間、探し続けていた。あなたを……音無小夜を」

 

「私の名前は更衣キリエ。……音無小夜では、ない」

 

 僅かに断定を躊躇ったのは、たった二年の月日しか知らないからか。

 

 あるいは、「音無小夜」と言う名前に何らかの引っ掛かりを覚えていたからかもしれない。

 

 少女はその眼差しを伏せた後に、残念そうに口にしていた。

 

「……そう。なら、私はあなたを斬る。その上で、認めさせる」

 

 血の残火を灯らせた太刀を構える。

 

 キリエは大剣を低い姿勢で対峙させ、相手の挙動を読んでいた。

 

 睨み合ったのはほんの一瞬。

 

 互いに観客椅子を蹴って一気に肉薄し、刃を滑らせていた。

 

 火花が舞い、直後には弾かれ合う。

 

 キリエは浴びせ蹴りを見舞い、格闘戦術で圧倒しようとしたが、少女も心得ていた。

 

 片腕を掲げて防御すると同時に完璧なタイミングでのカウンターを叩き込む。

 

 キリエは身をひねってその刃を掻い潜り、大剣を床へと差し込んで膂力を発揮する。

 

 木材と鉄材が断絶され、それらが分散して少女の視界を阻害していた。

 

 飛び退って着地し、大剣を構え直そうとしてキリエは不意に膝を折る。

 

 これまでの戦闘で損耗し過ぎたか、と考えたが、この程度でスタミナ切れを起こすはずがない。

 

 ならば何故――と思索を巡らせたキリエは少女の周囲に舞い散る真紅の粒子を視野に入れていた。

 

 刃を振るうと、纏った血潮が拡散して光を照り受けて赤く照り輝く。

 

「……それは……」

 

「あなたが音無小夜であるのならば、油断もましてや慢心も出来ない。よって最も素早い手段に打って出させてもらった。私の血の固有能力は、毒素。近接で打ち合えば打ち合うほど、刀に込めた血が拡散し相手の肺に溜まっていく」

 

 少女が一歩、また一歩と瓦礫を踏み締める。

 

 キリエは肉体が徐々に重くなっていくのを感じていた。

 

 内臓から、呼吸器官。

 

 血は酸素がなければ効力を失う。

 

 その要素を奪われたも同義。

 

 ぜいぜいと呼吸が乱れていく。

 

 少しずつ、身体から活力が枯れていくのを感じ取っていた。

 

 先ほどまであれほど動けたのに、今は筋繊維一つでさえも自由ではない。

 

「……あなたが間違いなく音無小夜であるのならば、今からでも遅くはない。私達と一緒に来て欲しい。私はあなたに救われた。あそこで命を拾われなければ、こうしてサヤに成れなかった」

 

「……サ、ヤ……」

 

「そう。サヤ。私は“ヒメカワ”のサヤ。あの時……キザハシさんとあなたが助けてくれた、未覚醒サヤ」

 

 ヒメカワと名乗った少女の記憶はない。

 

 否、そもそもサヤは実在していたのか。

 

 都市伝説の類ではなかったのか。

 

 だが、彼女は自分の眼前で佇む。

 

 真紅の瞳に、どこか寂しげな色を浮かべて。

 

 自分もサヤだと言うのか? サヤだとして、自分はこの楽園において異分子だと言うのか?

 

 こうして戦っている事が間違いで、その間違いを正すわけでもなく、ただただ堂々巡りで。

 

 キリエは掴んでいた大剣の柄から力が凪いでいくのを感じていた。

 

「……私が……あなた達の言う、サヤなのだとして……。どうしろって言うの……」

 

「難しい話じゃない。この中央庁は異常な場所だ。一度機関へと帰投し、音無小夜として再訓練を行って、そして勝ち取るしかない。このまかり間違った世界、終わりの淵に立った楽園への刃として。あなたは目覚めるべきだ。こんな虚飾に拘泥すべきじゃない」

 

 偽り、虚飾、茶番劇――。

 

 どうとでも言い換えられる言葉だが、キリエにはそれは許せない言葉であった。

 

 何故ならば――コープスコーズC班で過ごした日々は、噛み締め続けた幸福は、どれもこれも嘘ではない。

 

 家族ごっこだとしても、それでも真っ当にやってきた、やって来られた。

 

 ならば、これを続ける事に間違いだなんて思いたくない。

 

 どれだけ有限な日々であろうとも、宝石のような嘘であろうとも。

 

 それでも輝いている。

 

 その輝きに、煌めき続けた日々に唾を吐きたくはない。

 

 キリエはほとんど脱力していたが、大剣の柄を握り直す。

 

 痺れる肉体に火を通し、立ち上がっていた。

 

「……理解出来ない。あなたは音無小夜だ」

 

「……だとしても。私には捨てきれないものがある。捨てちゃいけない人達が居る……! だって、家族なんだから……! 私だけは絶対に、裏切っちゃいけないんだ……!」

 

 心の奥底に沈殿した想い。

 

 それが偽りであろうとも、絶対に。

 

 自分には譲れない線がある。

 

 ヒメカワは刀を握り、それから心底理解出来ないように頭を振る。

 

「……あなたはそんな風に成るべきじゃない」

 

「成るべきかどうかは私が決める……私が……決めたい……!」

 

 何よりも己の願いを裏切れない。

 

 ヒメカワはマフラーの下の首筋をさすっていた。

 

「……デヴィッド。これが彼女の答えらしい」

 

『……やむを得ない。姫川小夜、彼女を……“クラハシマナ”を、救ってくれ』

 

 ――クラハシマナ。

 

 サヤとしての名前ではなく、発せられた記号。

 

 だが、その名が。

 

 封じ込められた記憶の澱へと。

 

 光が差した、ような気がした。

 

 だが、それを否定するようにキリエは大剣を構え直す。

 

「……私の家族を、やらせはしない」

 

「……ならば。討つのに迷いはない。あなたを解放したい、この血の運命から。……そうだとも。これが私に出来る、唯一の……」

 

 ヒメカワが姿勢を沈める。

 

 直後、青い加速度を帯びて肉薄したその姿に、キリエは僅かに遅れて大剣を打ち下ろす。

 

 紙一重でかわした相手はまず、掌底でキリエの腹腔へと一撃を浴びせてきた。

 

 内臓が激震し、少女の膂力とは思えない打撃に肉体の芯から震える。

 

 奥歯を噛み締めて耐え、キリエは大剣を払う。

 

 ヒメカワは細い刀身でそれを受け流し、回し蹴りで格闘戦術を叩き込む。

 

 しかし、自分とて負けてはいられない。

 

 蹴りを受けてから、掌を伸ばしてヒメカワの頭部を引っ掴む。

 

 そのまま力の限り振り回すが、その瞬間に腕に激痛を感じていた。

 

 振るわれた太刀が食い込み、肘から先が断ち切られようとしている。

 

 瞬間的に軸足に力を込めて動きを封殺し、吹き飛ばすのではなく直下の地面へと叩きのめしていた。

 

 相手もうろたえたのが伝わる。

 

 キリエはそのままもう片方の腕で大剣を打ち下ろす。

 

 片腕くらいは奪ったつもりだったが、ヒメカワは身を躍り上がらせて刃で相殺していた。

 

 交わす刃の光が視界に差し込まれた刹那、互いに剣筋を打ち合って後退していた。

 

 ぜいぜいと息を切らす中で、ヒメカワは静かなる面持ちのままこちらを見据える。

 

 ――強い。いや、そうと規定した者の携える輝き、芯の強靭さ。

 

 ヒメカワは自分をどうしてもここで打ち取りたいらしい。

 

 ならば、とキリエは大剣を握り締めて切っ先をずらす。

 

「……こんな場所で、いつまでも駄々をこねないで欲しい。私もデヴィッドも……機関の皆が望んでいる」

 

「……そこが私にとって帰る場所だとしても……今は、譲れない……!」

 

「……何故分からない。そんな事をしたって、あなたは救われない」

 

 どう言われようと、キリエはここでヒメカワ相手に敗北する事だけは絶対にあってはならないと確証を持つ。

 

 自分が――たった二年でしかない、家族ごっこも、そして積み上げてきた「更衣キリエ」としての価値も――何もかもを捨て去るのは許されない。

 

 だが、サヤとしての戦闘性能は遥かに相手のほうが上だ。

 

 戦闘兵器として、完成されている。

 

 加えて先ほどの毒も効いていた。

 

 次第に、肉体に力が入らなくなる。

 

 無理を押したせいで、全身に毒が回ったのだ。

 

 膝が笑っているが、それを抑える事も出来ない。

 

「……私は……私は、守る……! 絶対に……!」

 

「それは誰にそう教えられた? 誰かに植え付けられた価値観のはずだ。あなたの意思じゃない」

 

「私の意思かどうかは……! 私が、決める……」

 

「そうか。ならば」

 

 醒めたような声音。

 

 そして、諦め切ったように告げてからヒメカワの瞳に真紅の戦闘色が宿る。

 

 恐らく交錯は一瞬で終わる。

 

 キリエの武器はこの大剣のみ。

 

 だが、ここで終わりを容認していいはずがない。

 

「……私は……」

 

 途端、すすり泣く少女が灰色のコートの袖を引く。

 

 振り向きもせず、キリエは少女を感覚する。

 

「……あなたは……」

 

 ずっと泣いている。

 

 猫背で、前髪を伸ばした弱虫な娘。

 

 そんな彼女が勇気を振り絞って、自分の手を引く。

 

 ――ここでやめろと言うのか。

 

 ここで諦めろと言うのか。

 

 キリエは内部世界で泣きじゃくる少女に、声を投げる。

 

「……あなたは、泣いてばかりじゃないの……」

 

 少女は答えない。

 

 その代わりのように彼女の袖を引く力ばかりが雄弁に物語る。

 

 ――泣いてばかりで何故駄目なの? と。

 

 誰かを傷つけるくらいならば、誰かの想いを挫くくらいならば、泣いてばかりでいいではないかと。

 

 だって、その想いの根底にあるのはたった一つ。

 

 たった一つの純真な想い。

 

 ――だって、誰も傷つけたくないから。

 

 だが、その意思に沈むのには、自分は背負い過ぎている。

 

 コープスコーズC班、隊長としての自分。

 

 そして、彼らの命を、彼らの明日を捨て去ってはならない。

 

 ――何故? と。

 

 心底疑問のように、少女の唇が紡ぐ。

 

「……だって、だってぇ……っ! だって私は……!」

 

 視界の中でヒメカワが掻き消える。

 

 最早、戦場に呵責はなく。

 

 ここで泣き喚くだけの存在など、何の価値もない。

 

 一太刀で、自分の首が落ちるか、あるいは心臓を貫かれて終わるか。

 

 いずれにせよ、ここに居るC班の四人が無事なはずもなく。

 

「……いや、だ……」

 

 失うのは。

 

 守れないのは。

 

 誰かの血を見るのは。

 

 何者にも成れないまま――死んで行くのは。

 

 その時、鋭敏な痛みが脳髄を突き刺す。

 

 見たはずのない景色。

 

 見るはずのない光景。

 

 黄金の稲穂の向こう側で、絶海が広がっている。

 

 断崖で白い波が弾け、そして一人の少女が手を差し伸べる。

 

 袖を引く猫背の少女ではない。

 

 麦わら帽子を被った、白いワンピースの少女がこちらへと振り返っていた。

 

 そのしなやかな足先で砂浜に満ちた波を蹴って、おどけたように笑う。

 

 どうしてなのだか、顔は窺えない。

 

 それなのに、その声は他の何よりも自身の内奥に響き渡る。

 

 紅を引いたような唇が、言葉を紡ぎ出す。

 

 ――戦って、■■■■。

 

 それが本当の名前であったのか、それとも仮初であるのかは分からない。

 

 分からないが、次の瞬間、キリエは猫背の少女の手を振り切っていた。

 

 あ、と小さな声が漏れる。

 

 まるで永劫の間違いのように、猫背の少女は取り残されていた。

 

 眼差しに燃ゆる真紅を宿し、キリエは見据える。

 

 背後を取ろうとしたヒメカワの太刀筋を。

 

 それが帰結する先を。

 

 咄嗟に大剣を翳し、一閃が弾け飛んだのを関知するのと応戦の太刀を振るったのは同時。

 

 ヒメカワの刀は弾き返されていた。

 

 彼女は飛び退る。

 

 先ほどまで首があった空間を、大剣の打ち下ろしが引き裂く。

 

 それが分かり切った断絶をよりハッキリとさせた。

 

 浮き彫りになった距離に、ヒメカワが声を発する。

 

「……あなたは――」

 

『時間だ。姫川小夜。ここまでの介入行動が限界だろう』

 

 首に巻かれた通信機器からの声に、ヒメカワは一度だけ抵抗する。

 

「しかし……!」

 

『命令だ。我々の存在をアシッドに嗅ぎ付けられれば終わる。君の身柄も同様に、だ。……残念だが、今回はここまでだろう』

 

「……了承した」

 

 ヒメカワが鞘に刀を収める。

 

 キリエは呼吸も心拍も、臨界点が近かった。

 

 毒素は呼吸器系を侵食し、今にも視界は閉じかけている。

 

「……私、は……」

 

「更衣キリエ。あなたはもっとちゃんと……向き合うべきだ。己の過去と、そして……何故、どこから自身の想いが生じているのかを。ヒトを守りたい? それは何よりも優先して? ……それは誰に教えられた? 何のために、今のまま戦う?」

 

「私、はぁ……っ!」

 

 そこから先は持たなかった。

 

 大剣を地面に突き刺して、脂汗の滲んだ身体は硬直する。

 

 息が苦しい。

 

 心臓がうるさい。

 

 なのに、瞼を閉ざすのは針が刺すように痛い。

 

「……ここまでだな。デヴィッド、帰投用の特殊弾頭を頼む」

 

『承認した』

 

 その言葉が放たれた直後、白銀の砲弾が天上より放たれ、天地を縫い留める。

 

 繋がれたワイヤーを確かめ、ヒメカワは離脱しようとしていた。

 

「……ま、て……」

 

 手を伸ばす。

 

 精一杯の虚勢。

 

 だが、精一杯の力を込めて。

 

 ヒメカワは落胆したように、目線を伏せる。

 

「……あなたに恩返し出来れば、よかったのにな」

 

 その言葉の是非を問う前に、ヒメカワの姿は天へと吸い込まれていった。

 

 追跡しようにも、肉体が言う事を聞かない。

 

 全身が毛羽立ったように感覚だけが暴走している。

 

「……みんな、は……」

 

 辛うじて残った意識の残滓で、C班の総員の無事を確かめようとする。

 

 アオはヤミに守られる形で、ステージ上で膝を折っていた。

 

 ヤミの削がれた片足は再生を始めている。

 

 モモカの肉体の損壊も酷い。

 

 タツヤは起き上がる気配もない。

 

 それでも、全員生きている――それだけを安堵の材料にして、キリエは意識を手離していた。

 

 ふらりと身体が傾ぎ、先刻までの激戦の気配が嘘のように、眠りの皮膜が訪れようとしていた。

 

「あ、れ……? けれど、私……」

 

 何か重大な事を取りこぼしているような気がする。

 

 それでも今は、この血濡れの舞台でキリエは何一つ自由ではなかった。

 

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