BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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Sequel:3 Phantom Rain
scene23 堕ちた眷属


 

 臓腑を喰らうのはあまりにも慣れてしまっていて、「彼」はその行動を反芻する。

 

 牙から染みてくる血の香り。

 

 噛み締める度に、濃厚な死の臭気が鼻孔を突き抜ける。

 

 だが、はて、と戸惑う。

 

 自分は何なのだろうか。

 

 自分は何故、目の前の少女を殺し、その死肉を貪っているのだろうか。

 

 何一つ――分からない。

 

 何も分からないのに、少女らの血が甘美で芳醇な美酒のように感じられるのは確かだ。

 

 よろめきながら、死体を今一度観察する。

 

 しなやかな肉体。

 

 伸びやかな白磁の肌。

 

 柔らかな人間の肉。

 

 噛み応えのある程よい筋肉。

 

 少女は特にいい。

 

 喰らえば喰らうほど、味が染み渡ってくる。

 

 清涼感が胸に満ちる。

 

 少女の血肉は、甘ささえも感じさせる。

 

 四つん這いで臓物を食い散らかしてから、またしても疑問が脳裏を掠める。

 

 自分は何者で、そしてここはどこなのか。

 

 何も分からないのに、血の赤で塗れた唇を舐めると脳髄を痺れさせる快感が突き抜ける。

 

 これは本能に近いものだろう。

 

 そうでなければ、「彼」はそのように堕ちなかったはずだ。

 

 愚直なまでに己を律し、そして血の衝動には負けない存在であったはず。

 

 だが、こうなってしまったのがいつからなのか。

 

 いつから、こんな風に成り果てたのか。

 

 継続記憶はまるで持たない。

 

 持続可能な己はどこにも存在しない。

 

 意識の糸がプツン、プツンと何度も途切れている。

 

 気が付けば血塗れ。

 

 気が付けば獣だ。

 

 だが、そこに疑問を生ずるとすれば、それはほんの数分間。

 

 直後にはどうでもよくなっている。

 

 そもそも、人間を喰らう事に何の疑念が必要なのだろう。

 

 人喰いの怪物であろうとも、自分はここに充足感を覚えている。

 

 ならば、ここにあるのはただの獣の野生だ。

 

 そこに必然性はあっても偶発性はない。

 

 何度も咀嚼してから、「彼」は裏通りを危うい足取りで歩んでいく。

 

 その瞳に真紅を宿し、ぼろきれのような黒い外套に身を包んでいた。

 

 白磁を誇った肌はどこかくすんでおり、整っているはずの目鼻立ちは、今は見る影もない。

 

「……たり、ない……」

 

 足りない。

 

 何もかもが。

 

 それは記憶であり、理性であり、そして己の存在理由だ。

 

 どうして、何一つとして充足していないのに自分は生きているのか。

 

 分からないまま、彼は裏通りの壁に背中を預けていた。

 

 捕食したせいか、血脈がやけに熱い。

 

 心拍も呼吸も荒く、何度か息を切らしてから、ようやく視野が明瞭化してくる。

 

 造られた空は青く、操作された気候は少し肌寒いか。

 

 爪で地面を掻く。

 

 壊れかけた自我をあと一歩で押し留め、「彼」は呼吸を整えていた。

 

「……ああ」

 

 吐息が漏れる。

 

 如何に肌寒いと言っても、まだ吐息が白くなるのには随分と早いはずだ。

 

 なのに、彼の息は凍えていた。

 

 明滅する視界の中で作為のある空を雲が流れる。

 

 飛行機雲が突っ切っていくのを仰ぎながら、壊滅的な己の脳髄を確かめる。

 

 爪をこめかみに突っ込み、「彼」は脳を削いでいた。

 

 そうすれば少しばかりは意識が明瞭化するかと思われたが、ぞくりと嫌な感覚が突き立つだけで感覚野がマシになる事はない。

 

「……ああ、僕、は……」

 

 ふらつきながら、指先に纏いついた血へと視線を落とす。

 

 白い壁に、「彼」は綴っていた。

 

 己の思いを。

 

 そして、救われない自らの宿業そのものを。

 

 それは署名であった。

 

 自らの拙い存在。

 

 それを確立させるための、精一杯。

 

 身のうちから衝動として紡ぎ上げられた名前は、書いてみても自分自身だとは思えない。

 

 だが、それが唯一の「彼」が持つ自身の情報であった。

 

 血文字で記されたのは、見る者が見れば犯行声明なのだろう。

 

 あるいは狂気に堕ちた獣の呼び声であろうか。

 

「ああ……何でこんなにも……頭が痛いんだ……」

 

 片目から血の涙が伝い落ちる。

 

 損なった記憶。

 

 損なった存在。

 

 損なわれた自我。

 

 損なわれた過去。

 

 それでも――何者かで居るために。

 

「彼」は頭を抱えながらその場を立ち去る。

 

 残されたのは少女の惨殺死体と、そして――。

 

 

 

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