「すごいですよ、このアバターアイドル。ご存知ですか? “病みヤミちゃんねる”ってのを運用しているヤミってアイドルなんですけれど、聴いてみてください。結構いい線行ってるって言うか、ちゃんと分析出来てますよねー」
上機嫌で告げる音楽プロデューサーを黒いドレスに身を包んだ少女は黙って聞いている。
「何て言うんですかね? やっぱり、カリスマって言うのは定期的に現れるって言うんですか? 彼女とのコラボ約束も取り付けましたし、この調子なら近いうちに復活公演も――!」
「復活? 復活って言ったの、あなた」
責める論調にプロデューサーは息を詰まらせる。
「そ、それはしかし……まぁ。だって二年も音信不通となれば、世間からは忘れられます。そればっかりは仕方ありません。大衆は分かりやすい偶像を求めているんです。ですが、あなたの残した曲の数々は素晴らしい。こうして、後進が育ってくれている。喜ばしい限りではないですか、だってこうして覚えてもらえるのですから」
「私だけじゃ、みんなに忘れられていると? そう言いたいのね、あなたは」
漆黒のドレスに同色の頭飾りで視線を隠した少女は、瞬間的にプロデューサーの首筋を捉える。
細腕からは想像も出来ないほどの膂力で持ち上げられ、そのまま締め上げられる。
「がぁ……っ! あぁ……っ!」
「答えなさいよ。私なんてもう要らないって言いたいんでしょう? 代替品が見つかったから、ちょうどよく身を引けって……! そう言いたいんでしょう! あんた達は!」
「た、助け……」
今にも窒息するか、あるいは頸椎を折られて死にかねないプロデューサーの姿に、ブースの隅で事の趨勢を見守っていた彼はようやく声を発していた。
「よしなさい。ここで殺していい人材ではありません」
それでも少女は手を離す様子はない。
嘆息交じりに、トドメの言葉を発していた。
「あなたが手を汚すのはもったいないと言っているのです。――レクディ」
それでようやくレクディは手を離す。
プロデューサーは咳き込みながら恐怖に駆られた表情でレクディを仰ぎ見ていた。
恐らくは絶対者のように映った事だろう。
「大丈夫ですか? 出来れば、これはご内密に。……まぁ、音楽プロデューサー身分ならば、出来ますよね?」
それは有無を言わせぬ論調であったが、プロデューサーは何度も頷く。
「もちろん……! 全てはあなたの思うがままに……レクディ……」
「ラビ。この男、駄目だわ」
そう言い捨てたレクディに傍観者を気取っていたラビは薄紫色のサングラスのブリッジを上げる。
「駄目とは? しかし、逸材を掘り当てたのですよ?」
レクディは漆黒のドレスを妖艶に着こなし、ソファに身を横たえる。
「だって、私の代わりを探しているんでしょう? それだけで……そうね。この世で最も許せない侮辱よ」
その蒼い瞳に宿った殺意にプロデューサーがひっと短い悲鳴を上げる。
ラビは恭しく頭を垂れてから、プロデューサーに進言していた。
「少し……彼女と話す時間をもらえますか?」
何度も頷いたプロデューサーがブースから出ていく。
それからラビは嘆息交じりに告げていた。
「……そんなに気に入りませんか?」
「当たり前でしょう? 私の復活、だとか。そういう風に盛り上げるのって、それは私がまるで一度死んだみたいじゃないの」
「……事実、そうでしょう? あなたは二年前の機関本部への襲撃時に、喉を潰された。あなたほどの再生能力を持つ存在ならば、すぐに喉くらいは修復するかに思われましたが、以前までのような歌声は出なくなった」
レクディは頬杖を突き、ソファの一点を睨んでいる。
まるで忌々しい怨敵を見据えるように。
「……あのサヤが……! 私の喉さえ潰さなければ、すぐに歌ってこの理想郷を壊したってよかった……!」
「血の力を無効化するあなたの『ラスト・リゾート』。その有用性を確かめられた代わりに、あなたは療養期間を設ける事となった。ですが、想定よりもずっと、世の中の流れは早い。一度でも休止を宣言すれば、それは消費されていくコンテンツの一つとなる。その果てがアバターアイドルによる“歌ってみた”動画。なるほど、確かにプロデューサーの目利きは確かなようですね。この美少女アバターアイドル、“病みヤミちゃんねる”のヤミはかなりの逸材です」
「私よりも随分とヘタよ。そんなの当てになるの?」
「確かにレクディ、あなたに比べれば全ての歌うたいは地表を這うノミのようなもの。しかし、この声帯があればあなたは返り咲ける。間違いなく、かつての栄光を取り戻せるでしょう」
瞬間、ラビの首へとレクディの指先が伸びていた。
今に首を引き千切るかに思われたが、触れる寸前で霧散する。
「……厄介ね、純正人類って言うのは」
「これは怖い。虎の尾を踏みましたかね」
「……確かに、その子の声帯を私に移植すれば、少しは回復も早くなるかもしれないわね。けれど、呼び出して何の抵抗もせずにやれると思っているの?」
「レクディ。あなたの影響力は未だに健在。あなたのオーディションとでも銘打てば、あちらから誘い込まれてくる。最終面接まで通してから、ゆっくりとその喉を貰い受ければよろしい。それに、少しばかり期待させたほうが奪う時に甘美が宿るでしょう?」
ラビの問いかけにレクディは心底侮蔑した様子で吐き捨てる。
「……あなた、最低ね」
「それは光栄な称号ですね」
恭しく頭を垂れるとレクディはマイクを握って声を吹き込む。
楽園の歌姫の歌唱は確かに随一であったが、二年前の本部強襲時に貫かれた声帯は彼女にとって最大の武器を殺していた。
――レクディの歌の効力が薄まったのか、あるいは喉笛を何度も引き裂かれたせいで以前までの歌い方を忘れたか。
いずれにせよ、理想郷を破壊する爆弾としては、二年もの休止は痛かった。
世間はレクディと言う名のカリスマを忘れつつある。
その一方で、過去の偉人としてコンテンツを消費するばかりの民衆の愚かさも際立ってくる。
人々にとっては別段、レクディでなくともいいのだ。
ただただ退屈な日々を救ってくれる何者かが居ればいい。
その何者かがどのような側面を持っていようとも、一時の享楽に身を浸らせられれば。
歌い終わり、レクディはマイクを握り潰す。
「……こんなの……私の歌じゃない……!」
「レクディ。時間はあります。オーディションを催し、その結果であなたの声帯を取り戻せれば僥倖。そうでなくとも、ともすれば歌を取り戻すきっかけになるかもしれません」
「歌を、取り戻す? あなた、本気でそれを言っているの? ……私にとって歌う事は呼吸する事のようなもの。それを封じられて、真っ当な感情でいられると思っているの?」
レクディにとっては世界を破壊する歌だけが存在証明であったのだろう。
元々、彼女とてD因子を持つサヤの一部だ。
この世界の裏側で戦い続けるしかない身分でありながら、エメトピアではまるで神のように扱われている。
その栄光を手離すのは惜しい、それは分かる。
ラビにしてみれば解せないのは、今のレクディに何らかの目的意識が見られない事であった。
たとえ声帯を取り戻し、かつての歌声となって復帰したところで、レクディはエメトピアを壊すのだろうか。
だが、彼女も分かっているだろう。
ただ闇雲に壊そうとした挙句が、二年前の血で血を洗う殺し合い。
壊すだけではない、それを理解した上でレクディはどのように世界を塗り替えると言うのだろう。その時を待ち望むとラビは思わず絶頂しそうになってしまう。
この少女が、ただの歌声一つで獣達が跳梁跋扈する世界を変革するのだから。
その時、端末に着信がありラビは通話口に出る。
「はい」
『聞いたぜぇ……ラビぃ……。随分と歌姫サマにご執心みてぇじゃねぇか』
「カルナ兄様、レクディはそろそろ復帰すべきでしょう。そこに異論を差し挟む余地などない」
『……そこに居やがるのか。ちょっと聞こえないところで話そうぜ』
聞かれてはまずい話なのだろうか。
「レクディ、少々お待ちください」
「構わないけれど退屈はさせないでよね」
ブースを抜けてラビはカルナへと声を吹き込む。
「それで? 何があったんです?」
『レクディの身柄を狙っている連中が居るのは知っているよな? 如何に二年間、活動休止していたとは言え、その爆弾の役割は健在』
「ええ、それは。しかし、あの日間違いなく、機関は陥落した。それは間違いないでしょう。だと言うのに、向かってくるサヤが居るとでも?」
『困った事に、エメトピア中央庁でサヤの目撃例が出ている。こいつが単独なのかまでは不明だが、どっちにせよ気に食わねぇ。サヤなんざ滅ぼしたつもりだったってのに、まだ生き残りが居やがるってのが癪に障る。……ラビぃ、てめぇはレクディを使ってそのサヤを殺せねぇのか』
「知っての通り、レクディは二年前の戦いでサヤを封殺するための歌を歌う事も出来なくなっています。それだけではなく、翼手化潜在因子を呼び起こす事も不可能。今の彼女は、ただのアーティストですよ」
『それを子飼いにするのは惜しいんじゃねぇのか? かつてに比べりゃ、四神官全員が集まる必要性は減った、だが足並みを崩していいとは言われてねぇ。ラビぃ、てめぇは今四神官じゃ戦力外なんだ。せめてそのお姫様の機嫌は損ねねぇ事だな。そうでねぇと存在価値を失っちまうぜ?』
血が繋がっていなくとも兄としての警句か。
あるいは自分に今、何の力もない事を侮辱しているのか。
いずれにせよ、カルナの言う力とは純然たる力でしかない。
彼は理解していないのだ。
レクディが完全復活すれば中央庁だけではない、エメトピアがひっくり返る。そのために合致する声帯を持つ少女らを募った。
「失礼します。少し時間が迫っていて」
ラビは通話を切ってからヤミの動画を流し見する。
己の歌声と賛美を謳歌し、向けられる羨望と承認欲求を満たすその姿、立ち振る舞い。
どれもこれも、レクディ復活の下地にしては完璧な逸材だろう。
しかし、アバターアイドルと言う在り方が少し特殊であった。
アバターアイドルにはいわゆる「中の人」と呼ばれるものが存在する。
もし、相手の容姿や姿かたちが男性の場合も大いにあり得るのだ。
そうなったとしてもレクディにとっての優先順位は歌声を取り戻す事なのだろうか。
「……レクディ。次のレコーディングも迫っています。出来るだけ迅速に動かなければ写真週刊誌も……」
「分かっている。……ええそう、分かっているのよ! だって言うのに、全然……!」
レクディの振るった拳が精密機器を粉砕する。
この二年間で彼女の自意識は地に堕ちたと思っていいだろう。
それでも復活の兆しがあるのならば、とラビは期待していたがレクディ自身の精神状態も儘ならない。
「……大丈夫です。中央庁アシッドはあなたを見捨てる事はない。あなたこそが、この偽りに糊塗された世界を壊すのです。だからこそ……」
だからこそ、落ち着いてくれと。
レクディは肩を荒立たせて、それからゆっくりと呼吸を整えていた。
「……私は、最も優れた歌姫……」
「その通り。それは揺るぎようもない事実。レコーディングの予定も立ちつつあります。このまま、ヤミを特別オーディションに読んだあかつきには――」
「ええ。潰すわ。その声を奪うために……!」
レクディの蒼い瞳に殺意が宿る。
きっとレクディは声帯を取り出せばすぐにでもヤミを殺すつもりなのだろう。
自分の歌を利用して成り上がっている相手だ。
憎くないはずがない。
「……ええ。滞りなく。レクディ、あなたが楽園の歌姫に返り咲くために」
ラビは恭しく頭を垂れていた。