等間隔の心拍と脳波がモニターされ、アオは人工呼吸器を取り付けられたタツヤへと視線を振る。
「……なんてザマだ、まったく」
悪態をつきながらベッドの脇に置かれた果物を手慣れた様子で切り分けていく。
静謐に包まれた病室で、ただただタツヤが生きている証だけが反復する。
そう、反復だ。
生きている、だが現場復帰は絶望的だと宣告されていた。
「頸椎を痛めて意識不明とはな。お前にしてはあっさりとした幕引きじゃないか。それとも、お前には考えでもあるのか? たとえば……オレ達が困っているのを楽しんでいるだとか」
返答はない。
アオはウサギの形に整えたリンゴを並べて、それから何て詮無い事を考えているのだろうと自嘲する。
――タツヤはコープスコーズとして恐らく脱落だ。
頸椎の損傷がどれほどなのかは分からないが、こうして昏睡状態の時点で切迫しているのは事実だろう。
「……なぁ、猿渡。オレは今回の一件、どうにも納得がいかない。雉子の策には穴があった、それは認めよう。だが、オレ達の作戦立案に問題があったとは思えないんだ。だから、お前だけ割を食ったわけじゃない。オレや永瀬だってこうなる可能性はあった」
だが、結果論だ。
世界は結果だけで回っている。
どれだけ残酷であろうとも、それだけは決して揺るがない。
「……犬神君?」
病室を訪れたのはモモカであった。
点滴姿だが、少しは自己修復でマシに動けるようになったのだろう。
「……永瀬か」
「猿渡君……」
「意識不明だ。それに、頸椎をやられているらしくってな。いつ復活するかも分からんとの事だ。……笑えるな。無敵のコープスコーズであったとしても打ちどころが悪ければこんなにも簡単に戦線から離脱しなければならない」
自分の言葉があまりにも冷たかったせいか、思わずと言った様子でモモカは食って掛かる。
「そんな言い方……!」
「だが、そのほうが幸せかもな。あの場で誰もがイレギュラーだった。敵……上級翼手も、そしてそれを殺す寸前まで追い込んだ、更衣隊長も」
アオは思い返す。
キリエは上級翼手だけではなく、現れたセーラー服姿の少女とも互角に戦っていた。
「……犬神君はどう思っているの?」
「あれが恐らくは、中央庁の恐れる病理、“SAYA”だ」
「けれど収束宣言が出て……」
「あるいはそれでさえも織り込み済みなのかもしれないな。サヤと呼ばれる存在はもう居ない、そうする事で得をする勢力が居る、としか」
「けれど、“SAYA”って病気の名前なんだよね……? それが意味を持つとしたら……」
「永瀬。繰り言はやめにしようじゃないか。お前は知っているんだろう? サヤとは何なのかを」
肉薄した声音にモモカは敵わないなぁ、とぼやく。
「……うん、本当のところは分かってるんだ。“SAYA”はただのウイルスの名前じゃない。それを恐れて、封殺しようとした人達が居た。それこそが、私達の属しているアシッド、なんだって事を」
「お前はいつでも踏み込んではいけない領域まで踏み込む。その後にどれだけ悔やんでも遅いと言うのに」
「分かってる、悪癖だって。けれど、これをなくすとさ……私じゃない気がしちゃうんだ」
ハッキングの技能も、そして卓越した情報処理技術も。
どれもこれも彼女を構成する一つの要素。
そして、だからこそコープスコーズC班の皆と出会えた。
家族ごっこだとしてもやってこられたのかもしれない。
「……お前でなくなる、か。永瀬、オレは猿渡が離脱した事を鑑みて、コープスコーズとしての改良手術に志願する事にする」
それは寝耳に水であったのか完全にモモカは出遅れていた。
「改良手術って……それって私達に埋め込まれているって言う、翼手の血を呼び起こす事だよね……? 大丈夫なの……?」
「心配は要らない。何よりも、現状のままでは誰一人として守れやしないだろう。オレはオレの道で、絶対にこの中央庁で成り上がる……! そして最強の騎士の称号を戴くまで、オレは止まれない」
自分がシュヴァリエを目指している事は班内では周知の事実だが、それでもここまで苛烈に目指す事があるのだろうかと疑問に思われたのだろう。
己を大事にしてもらいたい、その気持ちがありありと伝わる。
だが、キリエが今はまだ復帰出来ない以上、この志を止める事は叶わないだろう。
「……分かった。これ、更衣先輩には……」
「言わないでもらえると助かる。要らん同情は不要だ」
同情、かとモモカは小さく呟く。
そう、同情だ。
タツヤが戦線離脱した事に対しての負い目を感じるとすれば全員だろう。
ヤミの作戦は上手く行っていた、タツヤも自分も、モモカもきちんと自分の職務をこなしていた。
ないのは力だけだ。
自分達に足りないのは、圧倒的な力だけなのだ。
そういう意味で言えば、キリエは他を凌駕している。
卓越した剣術に、血の力を用いての再生能力。
そして身体能力と反射速度。
どれもこれもコープスコーズでは生え抜きだ。
しかし、キリエを頼れないのも同時に存在する。
――当たり前だ。あの女は異常だろうに。
アオは上級翼手との対峙とそしてサヤとの交戦時のキリエを思い返す。
まるで化け物、怪物、どうとでも言い換えられるがその在り方は凡百のそれを逸している。
「……更衣隊長は、オレ達とは違う」
「そう、なのかもだけれど……信じたいじゃない。先輩だってきっと……きっと何かを探っているんだと思う。それが記憶なのか、それとも……」
――自分自身が“SAYA”であるのか、か。
正直、アオの胸中にはキリエが“SAYA”だとしてもさほど驚かないほど醒めたものがあった。
あれだけの戦闘能力を発揮して翼手を狩って来たのだ。
ただの人間だと言うほうがどうかしている。
「……永瀬。オレは改良手術を経て少しは戦力になるつもりだ。その間は、お前と雉子に任せるほかないが」
「私は大丈夫……。ヤミちゃんも、きっと。けれど……今度の任務はちょっと違うみたいで……」
モモカは当たり前のように格納型の端末を掌から取り出す。
病院にてハッキングレベルの端末の使用は厳禁のはずだったが、彼女は片手で器用に操作して資料を呼び出す。
「……“ファントム”?」
「そう、この“ファントム”と名乗っている劇場型の犯罪者を追うのが、私達の当面の役割みたい」
「……ただの殺人犯ならば他の部署に任せればいいだろう」
「そうじゃないのは、これもきっと翼手関係の事件なんだよ」
モモカの投射画面に浮かび上がった情報を読み取るに、ファントムなる怪人は婦女子をメインに襲っており、捕食された遺体は酷い損傷なのだと言う。
それだけではなく、ファントム自身事件現場に血文字を残す劇場型の犯罪者とされていた。
「……そんな時代錯誤な犯罪者、すぐに捕まるだろう。何故、中央庁は野放しにしている?」
「……多分だけれど、ファントムを追うのには普通の捜査じゃ駄目なんだと思う。それこそ、相手が対翼手、くらいじゃないと」
「だが、それほど凶悪な相手ならば発見次第確保、または抹消も視野に入るだろう。今さら捜査なんて馬鹿げているとしか……」
いや、この思考誘導もある意味では何者かの作為か。
ファントムが何者であれ、楽園の安息を脅かす存在であるのは間違いないのだろう。
「今は四十体の翼手の継続捜査は一般部門まで下りたし、私達は特殊な事件を追うのが合っているんだと思う」
「目下の問題は……更衣隊長の判断とそして上役がどう考えているか、か。いや、これは考慮に浮かべるまでもないな。恐らく、更衣隊長はこれを受けるつもりだ。そうしなければ中央庁の意に反する事になってしまうからな」
自分の結論にモモカは不安げな声を発する。
「あの、ね……? もちろん、更衣先輩は多分、一番いい策を提案すると思うの。それこそ、私達のことを考えて、ちゃんとコープスコーズC班に意味があるように」
「まるでその提言を受け入れられないような言い草だな」
一拍の沈黙。だが、モモカの真意はそこにあるのだろう。
「……私、ちょっとだけ先輩の事、信じられなくなっているのかも」
「だとしても、オレ達は総体だ。C班としての職務を全うするのに、隊長が下した判断に異を唱える事は許されない」
「うん……だからこそ、きついよね……。猿渡君が居ないのは……」
「どうせ、何でもない顔をして復帰するさ。猿渡の抜けた穴はオレ達自身で埋めるしかない」
ここで話していても堂々巡りなだけだ。
アオは早々に結論を打ち切って大剣を担いでいた。
帯刀許可は得ている。
モモカの傍を通り過ぎる寸前、彼女は言っていた。
「けれど……私達、一緒、だよね……? だってC班のみんなは……確かに家族で――」
「永瀬、お前がそう言う事を言い出すのは珍しいな。誰かにそそのかされたか」
絶句したところを見るに図星か。
アオは断ずる論調で言い放つ。
「オレはオレの道を行くだけだ。そこに何が待とうとも……ただただ、斬り伏せていく。それがオレに出来る唯一の……」
病室を出るその時、モモカは振り絞るようにして一言だけ口にしていた。
「それは違うよ……違うって……」