BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene29 宵闇の血へと

 

 ビル風にマフラーを棚引かせながら、ヒメカワは索敵範囲を拡大していた。

 

「……前回の四十体はほとんど駆逐出来た。だが、妙な気配がしている。……強い翼手が蔓延っているようだ」

 

『姫川小夜、アシッドの作戦指示書へと今しがたハッキングを試みた。どうやら“音無小夜”……いや、彼女は先の作戦から身を引くらしい』

 

 デヴィッドの言葉に音無小夜――彼女をずっと見てきたその感慨が滲み出ていた。

 

 無理もない、二年前に永劫に失ったと思われたサヤが生きていた。

 

 それだけでも充分に衝撃なのに、そのサヤは自分達の敵としてアシッドの側に降っていたなど。

 

「……デヴィッド。無理そうならば今次作戦は私だけでいい。ルイスと共に後方支援に徹して……」

 

『言いっこなしだぜ、ヒメカワ。おれ達はあの日からずっと、時間が止まってるんだからよ。それに、オトナシを回収出来ればこの戦局はひっくり返る。アシッドとしても有用だと判断したから洗脳したんだろ?』

 

 ――洗脳。

 

 何だかそれも違うような気がしていた。

 

 洗脳などで自分達に歯向かっているわけではない。

 

 何か、致命的な取りこぼしで音無小夜はアシッドの味方となっているようであった。

 

「……いずれにせよ、中央庁の翼手は殲滅する。問題なのは相手のほうが戦闘を心得ている事だろうが……」

 

『我々も大きくは出られない。ヒメカワ、敵を一体でも討ち、そして機関へと勝利をもたらしてくれ』

 

「言われるまでもない」

 

 だが、翼手の気配は薄っすらとしか関知出来ない。

 

 何らかのフィルターがかかっているかのようだ。

 

 まるでこの中央庁と言う街そのものが、サヤとしての能力を拒んでいる風でもある。

 

 ヒメカワは仔細に視野を拡大させていると、不意に首裏が粟立つ。

 

 咄嗟の習い性で回避するが、それは銃弾であった。

 

 ヒメカワは素早く抜刀して向かってくる弾頭を断ち切っていく。

 

「……私を狙っての狙撃……? そんな事が出来る相手が、今のアシッドに居ると言うのか……!」

 

 だが狙われているのは事実。

 

 ヒメカワは刃を翳し、身をよじって飛び退る。

 

 問題なのはどこから仕掛けてきているか――そして、何故自分を狙うつもりになったのかの二つ。

 

 弾丸の軌道からある程度の位置関係ならば把握可能だったが、それでも一瞬の判断で相手を捕捉するには足りない。

 

 ヒメカワは刃を奔らせて弾丸を弾き落としながら、赤く染まった眼差しを奔らせる。

 

 ――この地点を最初から張っていたのか。あるいは偶発的に自分を見つけ出しての攻撃なのか。どちらなのかでこの後の迎撃は大きく移り変わるだろう。

 

「……デヴィッド。敵の武装は恐らくスナイパーライフルだが、アシッドはそのような武器を使ってくるか?」

 

『……これまでの常識が通用しない可能性が高い。アシッドの翼手やシュヴァリエが牽制程度ならば銃も使ってくるかもしれない』

 

「……要は当てにならんと言う事か」

 

 鞘に納めたままの太刀で狙ってくる銃弾を叩き落し、可能な限り敵の接近に気を張る。

 

 ――翼手との交戦経験から鑑みて、銃は恐らくは牽制であろう。ならば本懐があるとすれば……。

 

 直後、舞い降りたヒメカワは殺気を感じ取っていた。

 

 ビルを足掛かりにして一匹の黒い影が躍り上がる。

 

 一拍の呼吸を詰め、抜刀する。

 

 その白銀の太刀筋は敵を引き裂いたかに思われたが、刃は留まる。

 

「……なに……」

 

 血を伝わせていない太刀筋とは言え、それを止めてみせた相手は仮面を被っている。

 

 戦闘の喜悦に口角を吊り上げ、仮面姿に黒い外套を纏った相手の反撃をヒメカワは許していた。

 

 下段より叩き上げる刃の感触。

 

 咄嗟に飛び退り、ヒメカワは反撃の太刀で弾き返す。

 

 敵の姿は仔細に観察すればするほどに異様であった。

 

 片腕は義手だ。

 

 漆黒でありながら鋼鉄の義手を携え、生身の片腕を硬質化させている。

 

「……隻腕の翼手……」

 

 相手が身じろぎする。

 

 姿勢を沈めて瞬時に青い加速度に至った速力とその身に馴染んだ能力にヒメカワは反応が遅れてしまう。

 

 肩口を狙われたのを察知して刃を翳すも、敵対翼手の気迫は鋭い。

 

「サヤぁぁぁ……ッ!」

 

 白磁の肌に真紅の瞳。

 

 だが、大写しになった仮面の下には茶褐色の血脈が浮かんでいる。

 

「……こいつ、シュヴァリエ……か?」

 

 疑問形になったのは、シュヴァリエにしてはあまりにも鈍かったからだ。

 

 戦闘能力にしてみても、自分程度のサヤならば一撃で仕留めてもおかしくはないのに、どうしてなのだかこの翼手は迂遠な手を使う。

 

 まるで狩人を討つのではなく、狩人の顔を確かめるのが本当の目的かのように。

 

 ヒメカワは親指を犬歯で切って瞬時に血の毒を纏う。

 

 至近距離で受けた翼手が呻き声を上げて後ずさっていた。

 

「……血の毒が、有効ならば……」

 

「あぁ……っ! あぁがぁ……っ!」

 

 仮面を押さえて翼手が肩口を蠢動させる。

 

 直後、外套の下から触腕が伸びていた。

 

 ――下腹部に腕……!

 

 伸長した腕がヒメカワを拘束する。

 

 一時的とは言え、動きを封じられたヒメカワへと外套の翼手が舞い上がる。

 

 白銀の月を背負って再び至近距離へと迫った翼手が、狂気に染まった赤い眼差しを投げる。

 

 対抗手段には三秒遅れてしまう。

 

 その絶対的な窮地に、翼手はその唇を歪ませる。

 

 確実に獲られた――そう確信するだけの隙が流れるも、相手は声を詰まらせる。

 

 何か、致命的なものを失ったかのように、その震える唇が言葉を紡ぐ。

 

「……お前は……違う……」

 

 ハッとしたヒメカワは刃を奔らせて触腕を叩き切っていた。

 

 だがその時には相手も離脱領域を心得ている。

 

 ビルの屋上まで一気に舞い上がった外套の翼手はこちらを一顧だにせずに退いていく。

 

「……何だったんだ、奴は……」

 

『ヒメカワ……姫川小夜! 今、何があった……?』

 

「何が、だと? モニターしている通りだろう」

 

『いや……今の数秒間……本部との通信が途絶していた。ヒメカワ、敵の翼手は何かをしたのか?』

 

「……通信途絶……? 馬鹿な、翼手が何を……」

 

 そこまで口にして翼手の出現と前後した狙撃手の存在を思い返す。

 

 ヒメカワは索敵網を奔らせるが、やはりと言うべきか今しがたの翼手に気を取られて狙撃手の存在は薄らいでいた。

 

「……逃げられた。なるほど、ツーマンセル、か。だが、あり得るのか? 中央庁で翼手に……いや、シュヴァリエ相当に味方する陣営が居るとでも」

 

『どういう事だ? シュヴァリエに味方する、だと……?』

 

「言い方が適切ではなかったな。“シュヴァリエレベルの翼手に対し、デヴィッド、ルイスに相当する援護を行う一派が存在する”……と言う可能性だ」

 

『……それは事実か?』

 

「レコードを確認すれば嫌でも分かるだろうが、帰投するのはまだ先になるだろう。デヴィッド、そういう存在が居るとして、わざわざ私との会敵を狙ってきた事からも、相手は諜報に長けていると見るべきだろうな」

 

『俺達のような、バックアップの諜報員……か。だが、そのシュヴァリエは……』

 

「ああ。統率された感じじゃなかった。それに、シュヴァリエ特有の圧倒的な血の力も感じない。まるで野良だな。解き放たれた野生をそのままに、シュヴァリエとしての性能だけは有しているような……」

 

 ヒメカワは残留した血の臭いを辿る。

 

 血の質は明らかにシュヴァリエの強さを誇っていたが、何故なのだか希薄で散漫だ。

 

「……血のレベルが弱い。おかしい。やってきたのはシュヴァリエのそれなのに、残った気配はよくて上級翼手程度だ。これでは索敵に捉えるのも難しい」

 

『前回追っていた四十体とどちらが驚異判定として高い? ヒメカワ、そちらの主観でいいが……』

 

「四十体と……それを率いていた上級翼手。そちらのほうが遥かに強いだろう」

 

 断言したヒメカワはようやく刀を仕舞う。

 

 襲ってきた理由はいくらでも思いつくが、この中央庁でこれまで身を隠し続けた自分を察知出来た理由が思い至らない。

 

「……デヴィッド。中央庁の戦力が下がった、と言う報告は?」

 

『……いや、今のところはない。何故そのような事を聞く?』

 

「中央庁のやり口が変わった可能性がある。前回の音無小夜に、それに今のシュヴァリエレベルの翼手……どちらも奇妙だ。中央庁が何かを企んでいる可能性が高いだろう。あるいはもう実行レベルまで下りてきているか。いずれにせよ、これまでのような狩人のやり方では厳しくなってくる」

 

『……しかし、多くのサヤの人員は割けない。君一人でも随分と大きく打って出ているんだ。これ以上のリスクは背負えないのが、現状の……』

 

「分かっている。だが、私一人で勝てるかどうか……」

 

 弱音を口にすべきではないのは分かっている。

 

 だが、敵のやり方が明らかにこれまでと違う。

 

 音無小夜――否、相手の言葉を借りるのならば「更衣キリエ」と名乗っている存在。

 

 そして、翼手への対抗策としての少年少女ら。

 

 コープスコーズのあだ名を取る狩人の模倣――。

 

「……どれもこれも、何かの前準備のように感じるのは……」

 

『……待て。この通信網を傍受するのは……』

 

 デヴィッドの声にノイズが混じったかと思うと、不意に別口の通信網が繋がる。

 

『今しがたの交信を聞いて確信しました。姫川小夜、あなたに援護を送りましょう』

 

 凛とした冷たい冬の月のような声。

 

 その声の主をヒメカワは知っている。

 

「……貴様らは、だが昼は行動出来ない……」

 

『夜の間に中央庁に向かいましょう。今の中央庁ならば、私一人ならば潜入可能でしょうから』

 

 デヴィッドは反論材料を探そうとするが、今は一つでも確定事項が欲しいはずだ。

 

「……了承した。私は共闘も構わないと思っている」

 

『……だが、彼女らは……!』

 

「選り好みはしていられないと言う事だ。ここ一番で勝てればいい」

 

 心底、それ以外は考えていないかのように偽りで糊塗する。

 

 本来ならば必要ないはずの援護、しかし今となっては手段は選んでいられない。

 

『では、夜の間に向かいましょう』

 

「……ああ。頼んだぞ。――シフのリーダー、イレイナ」

 

 その名前を紡ぐと、通話口のイレイナはフッと笑みを刻んだのが伝わる。

 

『……最低限の意趣返しですか。甘んじて受けましょう』

 

 

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