BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene32 彼らの安寧

 

 アオが作ったのはコロッケで、今も芋の芳しい香りがリビングに漂っている。

 

 モモカがタツヤの不在を何よりも感じるのは、残された猫の世話である。

 

 餌をやると少しばかり心を許してくれてはいるが、タツヤのように馴染んでくれる様子はなさそうであった。

 

 その背中を撫でようとすると、尻尾を立てて威嚇される。

 

「……猿渡君、まだ意識は……」

 

「ああ、そうみたいだな。そう簡単に頸椎の損傷が治るとも思えん。時間だけを頼るしかなさそうだ」

 

 コーンスープの調合を行いつつ、アオはキッチンでコロッケの揚げ具合を確かめる。

 

「……ヤミちゃんは……そう言えばまた引き籠り……?」

 

「ごく潰しにはごく潰しの役割があるのだと、更衣隊長からは通達済みだ。あまり干渉するなとも」

 

「けれど……私達だってちゃんと、話し合えれば……」

 

 悔恨があるとすれば、タツヤを守れなかった事もそうなら自分自身の戦闘能力の低さだろう。

 

 そのせいで出さなくっていい犠牲を出し、楽園のロジックで消された者達を生んだ。

 

「……永瀬。確かあの時、上級翼手はこう言っていたな? “自分はキサラギヨスガ”、だと」

 

 不意打ち気味に放たれた問いにモモカは一泊遅れていた。

 

「あ……うん。そういえば言っていたかも。でも、変じゃない? 更衣って……だってそれは、先輩の……」

 

「永瀬。オレは何か……更衣隊長が隠し立てをしている可能性も視野に入れている。つまり、オレ達を上手く使って手柄を上げようとしている、とも」

 

 その言葉には猫の世話をしていたモモカも立ち上がって真っ向から反論していた。

 

「そ……それはないよ! だって……絶対! 先輩が私達を裏切っているって言うの……!」

 

「その可能性がないと言い切れるのか?」

 

「それは……」

 

 言葉に詰まった事が何よりの証明であった。

 

 もし――キリエが翼手の手引きをしていた場合、全ての辻褄が合ってしまうのも事実。

 

 だが、キリエほどの人格者がそのような真似に出るだろうか。

 

 それに、キリエ自身、命の危機ではあったのだ。

 

 自分を窮地に追い込んでまで、裏切りを遂行するだろうか。

 

「……ねぇ、犬神君。でも、先輩はそんな事しないよ。そんな風な人なら……私達はここまで付いて来ていないでしょう?」

 

「人間として優れているかと、人格者かどうかは別に分けるべきだ。そうでなければ足をすくわれるぞ。それに……珍客も居るようだからな」

 

 何を言っているのか分からないでいると不意にチャイムが鳴っていた。

 

 キリエだろうか、と玄関を開けると片腕を上げたのは想定外の人物であった。

 

「お疲れー。お昼の訓練は大変だったわね」

 

「えっと……確かB班の……」

 

「依代ミコ。依代でもミコでもどっちでもいいけれど、出来れば下の名前で呼んでもらえると助かるわ。はい、これお土産」

 

 ミコが差し出したのはささやかな夕食であった。

 

 だが、モモカにはまるで分からない。

 

 ミコがこの家を訪問する理由も、自分達と接触する意味も。

 

「……そろそろ来ると思っていましたよ」

 

 アオの言葉にモモカは振り返る。

 

 彼はコロッケを人数分、皿に盛り付けてサラダを準備する。

 

「……まさか、二人は……」

 

「騙し合い、とかは言って欲しくないのよね。あたしにも思うところがある。それは理解してもらえるかしら?」

 

 アオとミコがどこで接触したのかは不明だったが、彼ら二人の内包する疑問は同じなのだろう。

 

「……夕飯の席で話し合いましょう。ごく潰しは……まぁ、後でだろう」

 

「ごく潰し……? ああ、雉子さんの事? 彼女の戦い方はユニークだったから出来れば話を聞きたかったんだけれど」

 

「大した話になんてなりませんよ。……永瀬、座れ。依代隊長にも時間はある」

 

 ここで話を進めない事には前進も後退も出来そうにない。

 

 モモカは諦めて席に座ると、ミコが買ってきた肉まんを差し出される。

 

「美味しいよ、これ。結構並んだんだからね」

 

「……そ、その……! でも、先輩が裏切りなんて……」

 

「その話をする前に、すぐに食べちゃいましょう。肉まんは熱いほうが美味しいし」

 

 何だかペースを掴めず、モモカは肉まんを頬張る。

 

 肉汁がじわりと染み込み、高級店のお土産であるだけはあって美味であった。

 

「……それで、オレが言いたいのは前回の……四十体の翼手に関しての話です。そもそも四十体もの翼手を、如何に市民権があるとは言っても何者かの手引きが必要なはず」

 

「ま、待って……! それが先輩だって……!」

 

「可能性の話だ。ここから先は、どれだけ低い確率だろうと可能性として挙げられるのならばそれをベースにする」

 

 立ち上がりかけたモモカはミコに目線で制される。

 

「座って、永瀬さん。何もここで仲違いをする事はないわ」

 

 促され、モモカは不承ながら腰を下ろす。

 

「……何者かの手引きは間違いないだろう。それが更衣隊長であろうと、誰であろうと。だが、四十体の翼手はもうほとんど駆逐されている。この意味するところが分かるか?」

 

「……思ったよりも相手は本能を飼い慣らせなかった、とか?」

 

「半分正解ね。コープスコーズで集団を叩いたと言う報告もある。つまり、四十体の翼手のほとんどは、自身の吸血衝動を抑えられない、下級翼手」

 

「だが、下級翼手を束ねていたのは間違いなく上級翼手だ。その翼手は自身の事を、“キサラギヨスガ”と名乗っていた」

 

「キサラギ……ね。考えれば考えるほどに奇妙な事件よね。あなた達はキリエ隊長の事を信じたいけれど、これほどまでに状況証拠が集まっていれば疑うのも致し方なし」

 

「オレの意見を言わせてもらえば、更衣隊長は上級翼手の手引きを行い、その上でそいつを仕留め、何か手柄を上げようとした、と」

 

「犬神君っ! 先輩がそんな目先の事をするはずが――!」

 

「だからこそだ。この先に何かがある。そう見るべきだろう。ザコ四十体と上級翼手たるキサラギヨスガ……これは繋がっている」

 

 確証めいた声にモモカは唾を飲み下す。

 

「だとしても……私達が信じないと先輩の味方が居なくなっちゃうんじゃ……」

 

「更衣隊長が裏でそのような事に手を染めていようといまいと、あたし達が考えるべきなのかそうだった場合の対処。更衣隊長一人を処罰すれば終わりならいいけれど、前回のレポート報告を見るに、まだ上級翼手、キサラギヨスガは生きている。よってあたし達、B班も今回のファントムを追いつつ、キサラギヨスガに関して追跡調査を行いたい。これは何よりも更衣隊長の無実を証明するためよ」

 

 さすがに隊長だからか、ミコの言い分に勝てる気がしない。

 

 それとも自分自身、キリエに疑いの目があるのだろうか。

 

 自分達を必死で守ってくれたキリエが敵だなんて思いたくなかったのが正直なところだが、同時に彼女ほど優秀ならばそれくらいの偽装はやれるのではないかとも思える。

 

「……この事……ヤミちゃんには……」

 

「雉子さんには言わないほうがいいでしょうね。嘘をつけるタイプじゃなさそうだし」

 

「それに、他言無用だ。まだ更衣隊長の動きが読めない。……もし、オレ達の行動が全て予見されていれば、死ぬのは……」

 

 濁した先のおぞましさに、モモカは頭を振る。

 

「……先輩がそんな事をするわけがない……! 私は信じたいんです!」

 

「分かったから落ち着いて。別に更衣隊長が完全にクロでもないし。それに、あたしが言いたかったのは、それもなんだけれど次の任務よ」

 

「次の任務……」

 

「ファントム事件。少しだけ進展があったので共有するわね。どうやらファントムの実力は上級翼手相当。その上で、どうしてなのだか劇場型犯罪者のやり口で殺人を重ねている。けれど、ここには少し奇妙な点がいくつか」

 

「……奇妙、って、それはダイイングメッセージめいた血文字とか……」

 

「それもあるが、依代隊長はもっと根本的な事を言っている。翼手だと言うのに、致命的な疑問点を」

 

「致命的な……」

 

「被害者の状況は伝えた通り。臓腑を喰い散らかされ、そして血は吸われていた」

 

 モモカは食事の席なのに、と恨めし気にミコに視線を流す。

 

「……だが、食事にしてはあまりにも遺体の損壊が酷い。つまり……ファントムは捕食ではなく、完全に愉快犯として人殺しを行っている点だ」

 

「……でも、捕食目的じゃない翼手もこれまでだって居たでしょう? ファントムがそうじゃないとは限らないんじゃ……」

 

「奇妙なのはそれもなのよ。ファントムは上級翼手を超える実力を持っているとされている。けれど、如何に優れた翼手でも翼手である限り、吸血衝動と捕食からは逃れられない。だと言うのに、被害者の血はほとんど吸われていない。あたしは推論だけれど、これは何者かを呼び寄せる意味があるんじゃないかと考えている」

 

 何者か――その言葉にモモカは真っ先にキリエと戦ったサヤの姿が克明に思い出されていた。

 

「……まさか、サヤ……?」

 

「そのまさかの可能性が高い。ファントムはオレ達ではなく、対サヤを想定して疑似餌を撒いているとすれば……オレ達はサヤよりも先に動き出さなければいけない」

 

「で、でもですよ……? サヤに関しても情報はほとんどないって……」

 

 ミコは端末の投射映像をテーブルの中心に回転させる。

 

 カメラが捉えたのはキリエと戦った少女の姿だ。

 

「サヤとしての実力はかなりのもの。その上、サヤは翼手に対して血の毒を持っている。この事から鑑みて、このサヤを封殺するのはあたし達じゃ難しい」

 

「だったら……」

 

「だが、このサヤだけで全てが回るとも思えない。遠からず、援軍を呼ぶはずだ。その時をこそ、叩く」

 

 アオが拳をぎゅっと握り締める。

 

 モモカは転がりつつある状況に抵抗するようにして声を発していた。

 

「……あの、サヤが味方、と言うのはないんですか? だって、同じように翼手を狩るのだから、利害さえ一致すれば……」

 

「利害の一致、ね。けれどサヤの目的は明らかにあたし達への牽制。もとより、中央庁に与しない組織に所属しているんだし、どうあったところでサヤは味方にならないでしょうね」

 

 ミコの言葉は非情だが真実だろう。

 

 中央庁に潜んでいるサヤはいつ、翼手だけではなく自分達に牙を剥くか分からない。

 

 ただでさえ、前回キリエと会敵したのだ。

 

 その目論見が何であれ、単純に手を取り合えるとは思わないほうがいいだろう。

 

「永瀬。その事だが、サヤは刀に血を吸わせてそれで翼手を結晶化させる、ここまではいいな?」

 

 アオの確認にモモカは気遅れ気味に応じる。

 

「あ……うん。サヤの血は翼手にとって唯一の毒……だっけ」

 

「そうだ。だが、サヤも万能ではないと言うのは聞き及んでいる。サヤの血は闘争の色濃い武器にしか宿らない。弾丸に込めて運用するのは不可能であり、数秒で気化すると言う。だからこそ、だ。サヤは有用な戦闘兵器なのだろう。相手にしてみても、あまり時間をかけるのは旨味がないはず」

 

「それは同感だわ。正直、サヤ相手に勝てる勝てないの論法を持ち込むより、どうやってサヤと遭遇した時にやり過ごすかのほうが現実的でしょうし」

 

 モモカはしかし、サヤが本当に完全な敵かどうか判別をしかねていた。

 

 それはキリエと対峙したサヤが口走った言葉が端を発している。

 

 ――音無小夜。これが先輩の本当の名前なの……?

 

 だとすれば、キリエはサヤ側の人間と言う事になる。

 

 しかし、そのような事があって堪るか。

 

 彼女はこの二年間、自分達の隊長として戦い続けてきた。

 

 それなのに、本当のところでは裏切っていたなど考えたくもない。

 

「話としてみれば、サヤへの対抗策と、それに更衣さんのね。……どうにもどこか、感情の面で切り分けられていないようだから。あんた達で導いてもらえると助かるわ。こういう時に、同じコープスコーズとは言え無力よね」

 

 嘆息をついたミコにアオは言葉を差し挟む。

 

「いえ、こちらを慮ってくださって助かっています。それに……オレ達だけでは今回のファントムと言い、サヤと言い、勝てるとは思えない。B班との合同作戦は急務でしょう」

 

 意外だったのはアオが素直にミコの提案を飲み込んだのもそうならば、彼にしては少し憔悴しているようであったのもある。

 

「……依代隊長。その、私、出来る事は少ないですけれど、でも……! 先輩の助けになりたいです……! だってここまで……面倒を看てもらっているのに何も返せていないんですから……!」

 

 何よりも自分はキリエのために何かしてあげたい。

 

 その想いだけは純粋だ。

 

 たとえキリエがサヤなのだとしても、今胸を占めるこの感情は裏切るべきではないだろう。

 

「……ありがとう。正直なところ、あんた達が更衣さんの理解者で居ようとしてくれていて安心した。こっちでも出来る事はするからさ、せめてあの子の居場所になってちょうだい。それならきっと意義はあるはずだからね」

 

 ミコが立ち去ってからアオは踵を返す。

 

「……犬神君、もしかして猿渡君の事――」

 

「奴は戻ってくる。その時のために、C班が欠けるような事はあってはいけない。……あいつに失望されたくないだけだ」

 

 アオなりに不器用でも報いようとしているのだろう。

 

 それが分かっただけでもありがたい。

 

「……ごく潰しはまだ上で寝ているのか。おい、起きてこい。夕飯が冷めるぞ」

 

 二階から降りてきたヤミは寝ぼけ眼を擦りつつ、うん? と鼻を利かせる。

 

「あれ? イッヌさぁ……変わった人来ていなかった?」

 

「B班の依代ミコ隊長だ。……それがどうかしたのか?」

 

「いやぁ~、何か変な血の匂いだなぁ~って。……うーん、何だろ。すごく近い感じがするのに、すごく遠い感じもするんだよねぇ~」

 

「何だそれは。禅問答か?」

 

「いやぁ~、そういうんじゃなくってさぁ~……。何だろ。いつも嗅いでる気がするのに、変な感じぃ~」

 

「変なのはお前だけで充分だ。とっとと晩飯を食え。片付けに時間をかけたくない」

 

「おっ! イッヌのコロッケマジ旨オブジイヤーじゃぁ~ん! いっただきまんもーす!」

 

 早速コロッケにありついたヤミが恍惚の表情を浮かべるのを視野に入れつつ、モモカは専用のカスタム端末で情報を探る。

 

 検索すべきは、ファントムの消息であったが、それ以外にもマルチタスクで調べを尽くす。

 

 ――やっぱり。四十体の翼手の任務がどこに引き継がれたのかが不明瞭になっている。

 

 それはコープスコーズ内での情報封鎖もあり、自分達の戦った相手が次にどこで遭遇するか分からない不安もあった。

 

「……キサラギヨスガ、か……」

 

 

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