BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene33 BLOOD‐Crack

 

 何度目かの覚醒とそして全身を貫く痛みの先に、ヨスガは肉体を変異させようとして指先の筋でさえも全く操作出来ない事に気付く。

 

 そうして両腕を拘束され、ヨスガはどことも知れぬ地下施設に監禁されていた。

 

 目の前には端末があり、投射映像越しに“教授”が声を発する。

 

『これでちょうど四十八時間だ。少しは兆候は出てきたかな?』

 

「兆候……」

 

『そう。君は覚えているか分からないが、狩人であるコープスコーズの隊長に、敗北した。他ならぬ存在、更衣キリエにだ』

 

 その事実だけで脳髄が白熱化していく。

 

 意識を漂白する怒りの残滓に、奥歯を噛み締めてヨスガは耐え忍ぶ。

 

「……状況が悪かった。勝てた勝負だった……」

 

『それを敗北と言う形にしたのは君自身と言う意味かな? それとも他の要因が働いたとでも?』

 

 彼の言葉は挑発めいていてヨスガは身を焼くような憤怒と共に声を発する。

 

「……何度も言わせるな。私は……勝てた」

 

『なるほど。それが君の自己認識か。だが、簡単な話をしようか。確かに勝てる要因はあった。更衣キリエはまだ、あの力を使いこなしていない。ならばその前に仕留めてしまえばよかったのだが、ここでイレギュラーが一つ目。中央庁にサヤが忍び込んでいた。これに関して弁明は?』

 

 高速列車でサヤと会敵した事をもっと仔細に語っていれば、サヤの介入は防げたかもしれない。

 

 それに関しては言葉もなかった。

 

「……何も」

 

『ではもう一つのイレギュラーだ。上級翼手である君が、性能では遥かに劣るコープスコーズのうち、一人も仕留められなかった。あの連中の一体でも殺していれば、まだ状況は違っていただろう。君には慢心があった』

 

「……ち、違う……!」

 

『何が違う? 何が異なる? 上級翼手であり、更衣ヨスガである君は敗北した。幸いだったのはサヤの血を受けなかった事くらいか。だが、君が率いた四十体の同胞はほぼ全滅したぞ。君の采配ミスだ。彼らは君を呪いながら死んで行っただろう』

 

「……やめて、……やめてくれ……!」

 

 頭を振ってその可能性を棄却しようとしたが、“教授”は冷酷に告げていた。

 

『――君が殺した』

 

 それはヨスガの胸中に黒々とした一滴となって広がっていく。

 

 強ければ死ななかった。強くあれば、誰よりも強い力を手に入れればもっと守れた。

 

 理想郷だってそうだ。

 

 何故、自分達翼手に微笑まない。

 

 これだけ人間が安寧を貪っているのだ、ならば翼手だって明るいところを生きてもいいはず――その資格は充分でなければならない。

 

「……私達は、もっと生きていたい……!」

 

『血肉を貪ってでも、かね?』

 

「……教授……あなただって、翼手のはずだ……!」

 

『確かに。だが、どのように生きていくのかは自分で選べる。それを他者に帰属している時点で、君はもう、終わり切っている』

 

 終わり切っている、か。

 

 ヨスガは項垂れたまま、その言葉を受け入れる。

 

 何も狩人から生き永らえられればいいと思っていたわけでもない。

 

 だが、犠牲になった四十名の同胞に対し心を痛めていないわけがない。

 

「……私がもっと……もっと力を求めればよかったのか?」

 

『少なくとも、戦いにおいて定石は二つ。敵を圧倒する力を得るか、搦め手で敵の意表を突くか。だが、君はどちらかと言えば前者の側だろうね。そして搦め手は他の仲間達が消えた事で使えなくなった。詰んでいるに等しい』

 

「……だから……! 私が強ければよかったのか? 私が……もっと純然たる力だけを求めていれば……!」

 

『全ては結果論に集約される。そこに理論も、ましてや理屈も存在しない。勝てる戦いだったか、それとも敗北を噛み締めるか。そこにだけだ、意味があるとすれば。君は更衣キリエ相手に、勝負にすらならなかった』

 

 教授の言葉振りに、ヨスガは拳を強く握り締める。

 

 掌が切れ、血が滴り落ちていた。

 

 今、自分に自由なのは血だけ。

 

 こうして噛み締めるばかりの悔恨。

 

 思い起こすばかりの愚かさを。

 

「……私を侮辱して、楽しいのか……!」

 

『まさか。これは結果論を口にしているだけだ。キサラギヨスガ、勝てるのならばその力を見せてみろ。ワタシは血は与えた。後は君の素質次第だ』

 

 己の素質。

 

 自分に何が出来るのかの問いかけ。

 

 牙を軋らせる。

 

 爪を立て、遠く長い咆哮を上げてヨスガは肉体の真髄を極めようとしていた。

 

 内奥に沈む。

 

 深く、深く。

 

 どこまでも沈んでいく。

 

 ヨスガの意識の生じた場所は、牢獄であった。

 

 これが現実の視野なのか、あるいは空想の視野なのかは分からない。

 

 だが、牢獄の中には一匹の獣が居る。

 

 黒く濁った皮膚を持つ、角持つ獣だ。

 

 どこかで聞いた純粋なる者だけに微笑むと言われる空想の神獣の事を思い出す。

 

 確か、「ユニコーン」と言ったか。

 

 しかし、その伝承に語られていたのは純白の獣のはずだ。

 

 目の前の存在は、どれもこれも逆転させた、まるで正反対。

 

 煤けた鬣に、折れた灰色の角。

 

 それなのに、こちらを見返す瞳は黄金であった。

 

 どこまでも醜いと断じようとして、その黒いユニコーン相手にヨスガは目線を外せなくなる。

 

 それは人界より蔑まれ、そして疎まれた存在。

 

 可能性を結実させる白の結晶であるはずの獣は、既に堕ち切っている。

 

 誇るべき角は砕け、肉体は煤まみれでありながら、瞳だけは煌々とする。

 

 黄金の瞳。

 

 煌びやかな眼差し。

 

 他の全てを棄ててでも、この獣は最後の最後、誇りだけは持っている。

 

 誇り以外は全て捨て去った、反転存在だ。

 

 黒いユニコーンは口腔部を開く。

 

 歯でさえもほとんど持っていない。

 

 この獣は、真っ当に餌の一つでさえも喰らえない。

 

 だと言うのに、その眼から光が消える事はない。

 

 黄金の眼球。

 

 それだけしか持たぬ、墜ちた神族。

 

 だが、この獣は自身が堕ちたとは思っていない。

 

 それどころか、逆だ。

 

 今にも気高く、そして己の存在意義を誇示するかのように、この獣は吼えるだろう。

 

 折れた角で、獅子を狩るのか。

 

 失った牙で、鳳凰に届かんとするのか。

 

 それを蛮勇だとは笑えない。

 

 この獣は――だって自分自身だ。

 

 今のヨスガは、間違いなく黒いユニコーンに魅せられていた。

 

 神獣である誇りを失わず、有り様に誰が唾を吐いたとしても、この獣は最後の最後まで自分の胸に突き立った自尊心だけは裏切らないのだろう。

 

 ヨスガは手を伸ばす。

 

 漆黒の一角獣は、吼え立てて拒絶するかに思われたが、その頭部を項垂れさせる。

 

 まるで永劫の忠誠を誓うかのように。

 

 全てを失ってでも、守るべきは誇りそのもの。

 

 裏切れないのは、自分自身。

 

 それを教えてくれた、今この胸に宿してくれた闘志。

 

 そう、これは闘志だ。

 

 まだ折れてなるものか、砕けてなるものかという真髄。

 

 牢獄からヨスガはユニコーンを自由にしようとする。

 

 獣はそれに追従し、そして折れた角を振り翳す。

 

 忠誠心の表れなのか、とヨスガがその頬に触れようとしたところで、不意打ち気味にその角がヨスガの左胸を穿っていた。

 

 完全に虚を突かれたヨスガの肉体が揺れる。

 

 砕けた角はヨスガの心臓を貫き、血が滴る。

 

 その血が灰色の角をてらてらと濡らしていく。

 

「あ、」

 

 これは自分だ。

 

 唐突に、それが分かった。

 

 牙を砕かれ、抵抗の気概を失い、そして喪失した事でさえも理解していない、愚かな自分自身だ。

 

 それが投影されたのが黒の一角獣。

 

 神獣でありながら堕ち、そして堕ちた事にまるで気付いていない。

 

 高潔でありながら、下劣。

 

 衆愚でありながら、清廉。

 

 どこまでも澄み渡った心ばかりを持て余す、獣の成り損ない。

 

 それが――自分だと。

 

 気付いた瞬間、ヨスガの世界は弾けていた。

 

 牢獄へと黒い一角獣はヨスガの身体を追い込み、その身に跨ってくる。

 

 まさに黒く結実した欲望。

 

 凌辱される精神に、ヨスガは灰色の天井を仰ぐ。

 

 ――ああ、どこまでも。

 

 自分は醜悪で、そして腐敗し切っている。

 

 こうして自らの魂を犯す事でしか、自分自身を誇示出来ないのか。

 

 ヨスガは瞼を閉じて、一角獣を受け入れる。

 

 誰が拒絶出来ようか。

 

 これほど哀れな生命体を。

 

 これほどに愚かな、人の紛い物を。

 

 抱き寄せる。

 

 今すべきなのは、この卑しい獣を突き飛ばす事でもなければ、殺す事でもない。

 

 受け入れる事だ。

 

 これが自分自身。

 

「キサラギヨスガ」の名を持つ、自分と言う名の罪。

 

 それが嚆矢だったかのように、現実の視野に戻ってきたヨスガは両腕を封じる鎖を断ち切っていた。

 

 不可思議な感覚だ。

 

 肉体を超越する、存在の証明。

 

 身体の傷も、精神に入った亀裂も、何もかも修復している。

 

 ただ一滴の血だけに過ぎない存在価値が、ここにさんざめく。

 

 だが、間違いなく自分自身の脈動。

 

 ――ここに居るのだと。

 

『おめでとう。君はこれで、新たなる力に目覚めたようだね』

 

 教授の言葉に、ヨスガは用意されていたらしい服飾に袖を通す。

 

「……聞くが、これは意趣返しか?」

 

『まさか。それが新たなる名前に相応しいだけだとも。更衣ヨスガ、今に縁は結ばれた。その血がただのけだものから、昇華される時が来たんだ。ご覧、その血を。その身に流れる、呪詛の結晶を』

 

 今しがたまで封殺されていた場所に溜まっていた血が結晶化している。

 

 それはこれまでの自分との決別。

 

 そして、これからの己との邂逅。

 

 身に纏ったのは、純白のセーラー服。

 

 教授の端末の真下には、漆塗りの箱が置かれている。

 

「……私に、狩人になれと言うのか」

 

『ここまではワタシも想定外だ。だが、君の血が望んだ結果に過ぎない。そう、先ほども言った。全ては――』

 

「結果論、か。気に食わん理屈だが、この世界を貫く真理ではあるのだろう」

 

 そう、真理。

 

 その理が気に食わなくとも、どうしても飲み込めなくとも、その一事だけは揺るぎない。

 

 真理は消えず、失われず。

 

 誰の手でも穢せない。

 

 その結実を、ヨスガは箱に納まっていた一本の太刀で思い知る。

 

 教授のアバターが振り返り、そして厳かに言い渡していた。

 

『おめでとう、更衣ヨスガ。いや、もうその名は違うか。縁によって結ばれた、魂の真の名を。君の名前は――更衣小夜だ』

 

 その名前がすとんと胸の中に落ちたのは、何も血の真髄を見せられたからだけではないのだろう。

 

 真夜中を生きるのに相応しい名前に、自身でさえも納得がいっていた。

 

「……私は、更衣……キサラギの、サヤ……」

 

 

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