中央庁を毛細血管のように網羅する快速列車に揺られながら、ヒメカワはマフラー下の通信機からもたらされる現状を伝え聞く。
『……サヤ。また厄介な事になった。中央庁は別件を追うようになったようだが、マーカーだった翼手の信号は途絶えている』
「デヴィッド、私は引き続き、音無小夜を追跡する。その決定に異論はないのだろう?」
『もちろんだが、あらゆる事象が動き出している。……三分後だ。到着した駅で待っているとの事だ』
「……了解。ここに来るまで気取られずに?」
『それに関してはメッセージを受け取っている。“サヤだけに任せておけない”と』
「……よく言う」
ヒメカワは滑り込むようにして快速列車が駅へと辿り着いたのを見計らって降りる。
滅菌されたような白の駅舎で予めガイドされた裏通りへと赴くと、今回の同行者と顔を合わせていた。
「……遅かったですね、ヒメカワのサヤ」
「そちらこそ。中央庁ではその恰好は目立つ。――シフのイレイナ」
黒衣から白磁の肌を晒し、太陽光から隠れながら翡翠の瞳が向けられる。
イレイナは周囲を見渡して中央庁の息吹を感じ取っているようであった。
「……ここまで全てを排除する場所だとは。エメトピア中央庁。話には聞いていましたが」
「案外、誰しもが無関心だ。お前達が合流出来たのがある意味その証明だろうな」
イレイナだけではない。
シフの面々は集団行動が目立つからと、散り散りになっていたがヒメカワはその存在を感じ取っていた。
「……三人か」
「最大限の譲歩です。それに、あなたのデヴィッドの要請でもある」
「断り切れん、か。いずれにせよ、今回の敵は特殊だ。マーカーの上級翼手の気配は途絶えた。私達はこれから先、別の敵を追う事になる」
「それは先刻から……この中央庁で関知出来る敵の事ですか」
イレイナはサヤである自分より索敵には秀でている。
太陽光を嫌い、そして死の兆候を誰よりも察知しなければならない特性上、鍛え上げた関知網なのだろう。
「……どう見る?」
「間違いない事象を、いくつか挙げるとすれば。敵は28号翼手ではありません。それにしては、血の臭気が重過ぎる」
ヒメカワには何も感じられない。
ようやく中央庁の雑多な気配に慣れ始めたところだ。そうではなくとも血の関知は遮断されている。
「重い、と形容すると言う事は、既に無数の被害者が出ていると?」
「被害者、と言うのも適切なのでしょうかね。……あなた方サヤの索敵網はほとんど使い物にならないと聞きました」
「何だそれは。意趣返しのつもりか?」
「いえ、そうではなく。……これは致し方ないのかもしれませんね。あなたも分かり始めているのでは? 中央庁に住まう人間、いえ、未覚醒オニゲンですか。彼らはあまりにも……“平均的にならされている”。そう感じているのでは?」
ヒメカワは立ち止まり、イレイナが感覚するよりも速く抜刀する。
その刃が白磁の肌を誇るイレイナの首筋に向けられていた。
「……そんなに不機嫌にならなくとも。誰だって分かりますよ、これくらいは」
「……中央庁で索敵が使い物にならない、いや、ずっと纏いついていた違和感の正体か。そうだな、貴様の言う通り。中央庁の人間達は誰もが同じような血の匂いを漂わせている……まるで同一人物が希釈されて無数に存在しているかのようだ」
「意見は合致しますね。この血の匂い……これは――」
イレイナが結論を口にする前に、裏通りを三人の男達がよろめいてくる。
彼らは一様に瞳に獣の意志を宿しており、衝動に身を任せて涎を垂らす。
「……28号か」
「それも、血の質の低い……なるほど。強制覚醒させて私達を抑えようと言うのでしょうか。あるいはその手腕を見るために」
「厄介だな。……イレイナ、後ろは任せる」
「ちょうどいいリハビリになりそうですよ。少し……戦いから遠ざかっていた身としてみればね」
三人の男のうち、一人が駆け出し翼を有して飛翔する。
そちらは追わず、ヒメカワは残った二人へと刃に殲滅の血を宿らせていた。
駆け抜けると同時に剣閃を見舞うも、二人の男は黒い獣へと変じて弾かれたように飛び退く。
片方はビルの壁面をくり抜き、その膂力でヒメカワの背後から仕掛ける。
しかし、ヒメカワは振り向きもしない。
牙がかかるかに思われた瞬間、イレイナが黒衣を翻す。
その手には大型の白銀の剣たるガンブレイドが握られている。
「まずは、一体」
刃が翼手の首を刈り、次いで至近距離で放たれた弾丸が心臓を射抜く。
ヒメカワは加速度に身を浸し、飛翔した前方の翼手へとすぐさま追いついていた。
「その程度か」
敵を踏み台にしてさらに高空へと至り、切っ先を翼手の頸部へと突き刺す。
すぐさま真紅の結晶化現象が巻き起こり、空中で相手を蹴ってヒメカワは最初に飛翔した一体目を視野に入れる。
イレイナが銃弾で牽制するのを28号翼手はかわしつつ、距離を詰めようとしたのをヒメカワは自身の周囲に血の毒を撒き散らす。
赤い粒子が舞い上がり、己を暴風の一点に凝縮してヒメカワの太刀筋が交錯した翼手の背骨を叩き割る。
ひび割れた結晶と化した翼手を足蹴にしてヒメカワは深呼吸をつくと同時に、背後へと刃を振り向ける。
こちらへと剣先を向けたイレイナへと眼差しを交わす。
「……やるではないですか」
「そちらこそ。使い物にならないと思っていた」
「我々、シフを舐めないでいただきたい。これでも百戦錬磨です」
「そうだったな。……こいつらは恐らく、共鳴連鎖で覚醒した個体だ」
風に巻かれて遺骸が消え去っていく。
「データにあった、狙撃手。それではないのですか」
「その手の者である確証は薄いが、私達を追跡するのはそいつしか思いつかない。血の匂いも……追跡は難しい」
やはり中央庁では索敵網がまるで役に立たない。
それもこれも、街並みを彩る人々の匂いが一定であるせいだ。
中央庁に潜入して三日間以上経ったが、それでも狩人として感覚が鈍化したかのようである。
イレイナの言った通り、血の質が異様だ。
「……まるで誰も彼もが、“同じ人間”であるかのような感覚だ」
「その違和感は正解でしょうね。私も中央庁に入ってから、少しでも集中を切らせば索敵が役に立たなくなりそうです」
「シフのイレイナ。索敵に関してはそちらに一日の長がある。私はサヤとして、向かってくる敵を屠ろう」
「構いませんが、元々私達を呼んだ理由は、違和感だけではないのでしょう? ――音無小夜の確保と洗脳の解除。あなたとあなたのデヴィッドが入れ込んでいるようですが」
ヒメカワは殺気を帯びた真紅の瞳を据える。
いつでも殺せるとでも言うような意思表明だったが、イレイナは風と受け流す。
「……私は二年前のあの日に……二つ失った。一つは、私を必死に逃してくれた、階小夜。そして……私達では到底敵わなかった、シュヴァリエ相手に戦い続けた、音無小夜。……二人の消息は途絶えたままだが、私には分かる。あれは音無小夜だ」
「執着は、あまりよろしくはないと思うのですがね。しかし、そこまで確証があるのです。何故、音無小夜はこちらの言葉を聞き入れないのですか」
「……恐らくは、この二年間で洗脳を受けている。それか、何らかの……。中央庁は私達には窺い知れぬ闇を抱えている。ここに居ると……いつか狂ってしまいそうだ」
狂気に落ちるのはさほど時間はかからないだろうが、それでもこの中央庁の内包する闇を暴くその時までは刃を鈍らせるわけにはいかない。
「そういえば、あなたのデヴィッドの独断で、もう一人。サヤを投入する事になりました。これは言っていませんでしたね」
寝耳に水の事実にヒメカワは問い返す。
「……本当なのか、デヴィッド」
『ああ。シフが三名とは言え、今のところ敵に対応するのには一手足りない。俺個人の進言で、彼女を乗せている。……やれるか?』
『……はい。ここからでも、一応は』
『では、頼む』
その声にヒメカワは確信する。
「……まさか、ホムラバを?」
『君が追跡しかねると言うのならば、機関は最も索敵能力に秀でた彼女を投入するのも辞さない。大丈夫だ、“鮮血の魔眼”は健在だとも』
「……確かに、ホムラバの“鮮血の魔眼”ならば、この雑多な気配を切り拓く事が出来るだろうが……」
「何か二言がありそうですね」
イレイナの言葉に、ヒメカワは頭を振る。
「……いや。それが機関の采配ならば、私は構わない」
刀を鞘へと納め、ヒメカワは通信からの声を聞く。
『ヒメカワ。こちらでルートを辿ります。“鮮血の魔眼”は正常に作動していますので、ボクの言う通りに』
ヒメカワとイレイナは視線を交差させてから、ホムラバの言う通りの軌道を取る。
――たとえ何が待っていようとも、今は前へ。