BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第十八話 誓い

 

 ――これでもまだ、生きている。

 

 両腕両足を失っても、まだ。

 

 真那はキザハシから処置を引き継いだ白衣の女性を視界に入れていた。

 

 彼女は確か、ジュリアと言っていたか。

 

「……あの……」

 

「喋らないほうが良いわ、今はね。シュヴァリエに行き遭ったと言うのならば生きているだけでも奇跡よ」

 

 キザハシも怯えているようであった。

 

 一体何があったのだろう。

 

 翼手のうちの一体にしか思えなかった相手に、自分は一瞬でしてやられてしまったのだ。

 

「……私、何にも出来ないんですね……」

 

「そんな事はない。あなたのお陰で、“隔離病棟”は墜ちた」

 

「……あそこが、“SAYA”感染者の“隔離病棟”だったなんて……」

 

 しかし、だとすればより違和感が際立つ。

 

 何故、院長の“声”で彼女らは翼手へと覚醒したのか。

 

 自分は“声”による誘発は受けなかったと言うのに。

 

「……ジュリア……さん。教えてくれませんか? 翼手って何なんです? 私達のような……“サヤ”って、何なんですか……?」

 

「……今はあまりにも膨大な情報が横たわっているのよ。それを私の権限で身勝手に口にする事は出来ない……御免なさいね。不義理なのは分かっているのだけれど」

 

「……何で私は、“SAYA”感染者になったんですか。グミは常用していたのに……」

 

 半ば恨み節だった。

 

 ジュリアに言ったところで解決しないのは目に見えている。

 

 だが、そのせいで自分は両親を手にかけ、そして――最愛の友人であった千佳を殺し、ショーコまでも刃を突き立てた。

 

 思い出すだけで、身体が震えてくる。

 

 何故、自分が彼女らを殺さなければいけなかったのだろう。

 

 あの日――あの夜に舞い降りた麗しいかんばせの少女。

 

 彼女が全てを変えた。

 

 少女の日々との隔絶、“サヤ”としての闘争。

 

 全く理解出来ないまま、自分は“隔離病棟”の者達を皆殺しにしたのだ。

 

 つい数日前まで普通のハイスクールの生徒であった日常とは既に隔絶されている。

 

「……理想郷のはずだったのに……」

 

 斬り落とされた両腕両足へとジュリアは懸命に包帯を巻くが、その先から血が滲んでいく。

 

 出血多量で死んでもおかしくはないのに、どうしてなのだか頭はいやに冴えていて、これでもまだ自分は死なないのだと明確に理解させられていた。

 

「……少し、いいか?」

 

 カーテン越しに言葉をかけて来たのはデヴィッドであった。

 

 ジュリアが応答しかけて、彼女は絶句したのが伝わる。

 

「……長官自ら……?」

 

「ああ。……倉橋真那。動けないとは思うが、少し付き合ってもらいたい」

 

 デヴィッドはわざとこちらに視線をくれず、ジュリアはベッドから車椅子へと自分を乗せる。

 

 ルイスが一瞥を振り向けてから、デヴィッドの背中に自分達は続いていた。

 

 その背中がどうしてなのだか、少し小さく見えてしまったのは気のせいだったのだろうか。

 

「……デヴィッド……さん。私、最初から、そうだったんですね」

 

「“隔離病棟”の事を教えずに君を送り込めと言うのは上の命令だった。……すまない」

 

「……いえ。知っていたからって……何が出来たってわけでもないでしょうし」

 

「……“サヤ”としての力に未覚醒の君ならば、病棟の者達を撹乱させる事が出来ると踏んでいた……そう考えて作戦を練った者が居る」

 

 いくつかの廊下を折れてから、荘厳な真鍮製の扉を開く。

 

 大きくアーチを取られた木製の執務室で、一人の年若い青年が背を向けていた。

 

 彼はくるりと振り返り、そして人のいい笑みを浮かべる。

 

「……はじめまして……と言うのは適切じゃないかな。“オトナシ”の“サヤ”」

 

 真那からしてみれば、相手は初対面のはずだ。

 

「……ジョエル。ロンギヌス機関の長官だ」

 

「長官……って、事は……」

 

「僕が命じ、僕が指揮した。“隔離病棟”の作戦、お疲れ様。予想以上の戦果だった」

 

 ジョエルは立ち上がり、それから執務机の背後に纏ったホログラムへと触れていた。

 

 青空のホログラムを手で撫ぜ、それから波打たせる。

 

「君は“サヤ”と言う名の兵器として、我がロンギヌス機関としては重く見ている。翼手人類を殺し尽くすのに、少し弱過ぎるのかもしれない、とも」

 

「……ジョエル……! それは違う……!」

 

 デヴィッドが前に出かけて、それをルイスが制する。

 

「やめておけ。……おれ達は所詮……」

 

 頭を振ったルイスに、デヴィッドは奥歯を軋らせていた。

 

「その事なんだがね。“オトナシ”のデヴィッドとルイス、君達には引き続き、彼女のサポートをしてもらいたい。辞令が下った、と言う奴だよ」

 

 飄々としたジョエルの言葉に二人は目を見開いていた。

 

「……我々が処分されない……という事ですか」

 

「だから、そう言っているじゃないか。それどころか、これからも継続的に、彼女……“音無小夜”のミッションを支援してもらいたい。既にワイズマンの連中からは約束を取り付けてある。何も問題はない」

 

「……何も問題はないって……彼女の気持ちは……! 倉橋真那さんの気持ちはどうなるんですか……っ!」

 

 堪りかねてジュリアは声を発したようであった。

 

 本来、このような場で彼女は発言権を持たないのだろう。

 

 ジョエルは少しだけ意外そうに肩を竦める。

 

「気持ち? そんなもの、頓着していればすぐに摩耗する。“サヤ”は兵器なんだ。それにいちいち心を砕いていてどうするって言うんだ?」

 

「……でも、倉橋真那さんは……少し前まではただの女学生だったんですよ! あまりにも……残酷な……」

 

 ジュリアの言葉繰りに、ジョエルは心底侮蔑するようにして、返答を被せる。

 

「あのさぁ。倉橋真那ってのはもう死んだも同然なんだよ。何度も言わせないでくれ。彼女は“オトナシ”の“サヤ”だ。それ以上でも以下でもない。“サヤ”はロンギヌス機関の保有する兵装として、翼手を狩り尽くす。それ以外の生存価値なんてない」

 

 断ずる論調のジョエルに、誰もが言葉を返せなかったのだろう。

 

 しかしこの時、真那はふとこぼしていた。

 

「……私が……“サヤ”だから、みんな……不幸になったって言うんですか」

 

 ジョエルは首を傾げた後に、ああ、と合点する。

 

「そう言えば、君はセクション三十七で両親と友人を処理したんだったか。これはすまない。褒めるべきだったね。よくやったとも。最初期にしては、翼手を三体も殺したのは上出来だ」

 

 乾いた拍手が送られる。

 

 張り付いたような笑みと共に。

 

 その瞬間、真那の意識は赤い旋風に呑まれていた。

 

 全ての現象が真紅に堕ち行き、両腕両足の断面が不意に熱くなる。

 

 熱を帯びたままの衝動で、真那の肉体は疾走していた。

 

 両腕両足がないはずなのに、車椅子を蹴り上げ、骨と筋肉繊維で再生した剥き出しの腕がジョエルの傍に立てかけられていた模擬刀を掴み上げる。

 

 誰もが反応さえも出来なかったのだろう。

 

 ジョエルの襟首を掴み上げ、その切っ先を突きつける。

 

 銀色の閃光が、ジョエルの頸動脈を狙い澄ましていた。

 

「……さすがは、“オトナシ”の“サヤ”だ。瞬時の再生能力、そして能力への覚醒。全てが一級と言ってもいい」

 

「……取り消せ……! 私が……みんなを殺したなんて……!」

 

 自分とは思えない、獣のような唸り声であった。

 

「……うん? 取り消す必要性はないんじゃないか? だって、翼手を始末したんだ。褒賞しても、貶める戦果じゃない」

 

 直後、白熱化した思考回路が太刀を打ち下ろさんとする。

 

 誰かの声がかかったような気がしたが、構うものか。

 

 ジョエルを殺し、ここで打ち止めにする――その目論みはだが、直前で留まった刃によって中断される。

 

「……なん、で……殺せるのに……っ!」

 

「無理だね」

 

 断言口調のジョエルは眼前に迫った殺意の刃を前にしても狼狽え一つない。

 

「君は人間だけは殺せないんだ」

 

 その言葉の持つ重みに、真那は愕然としていた。

 

「人間……だけ、は……」

 

「逆を言うと、翼手は殺せる。しかし、人間だけは殺せない。他のどのような生物を殺し、数多の生態系の頂点に立つであろう、君のような存在でも。人間だけは手にかけられない。これは“SAYA”感染者全員の共通点だ」

 

 真那はそっと、デヴィッド達へと視線を振り向ける。

 

 デヴィッドはばつが悪そうに顔を背けていた。

 

「……ジョエルの言う通りだ。“サヤ”は人間だけは殺せない」

 

 絶望的な宣告であった。

 

 これほど憎いのに。

 

 これほど殺したいのに。

 

 脳髄は殺意で埋め尽くされているのに――人間だけは殺せないなど。

 

 性質の悪い冗談かと思われたが、ジュリアが歩み寄ろうとする。

 

「……倉橋真那さん。刃を仕舞って」

 

「……ここでこいつを殺す……!」

 

「出来ないんだってば。分かってくれよ。君が息巻いたところで、人間だけは殺せない」

 

「……だって言うんなら――」

 

 自分で自分を許せないのならば、と真那は太刀筋を自分の首筋へと添えていた。

 

 このまま刃を引けば少しはマシな帰結を辿れるはずだと。

 

 しかし、直前になって刀身は止まっていた。

 

 どれほど力を込めても、一ミリも動かない。

 

 襟元を正し、姿勢を整えたジョエルは言葉を継ぐ。

 

「……もう一つ、言っていなかったね。“サヤ”は自死が出来ない。これも君達の縛りだ」

 

「……自分で死ねない……?」

 

 そんなはずはない、と何度も試みるが、本能の部分で忌避するかのように、刃が震えはするが、決定的な間違いを犯す事はない。

 

 ジョエルは執務椅子の背もたれに片手を預け、デヴィッドへと顎をしゃくる。

 

「無為なんだって、分かって欲しいな。デヴィッド、誰でもいい。“サヤ”から刃を取り上げてくれ」

 

 ジュリアが率先して動き、岩石のように固まった腕から模擬刀を取ってから、自分の白衣を腕に被せていた。

 

 真那はその段になって先ほどまで何もなかったはずの腕が急速に再生している事に気付く。

 

「……嘘、でしょう……? 根元から斬られていたのに……」

 

「“サヤ”には超再生能力を持つ個体が居る。とは言え、そこまで瞬時に再生出来るのは“オトナシ”の素質だろうけれど。大概のちょっとした武器じゃ、君らは殺せないよ」

 

「……なら、ここで暴れてやってもいい……!」

 

「やめておくといい。兵器としての価値を失ったら、君は実験動物だ。まだまだ、“サヤ”に関しては分かっていない事のほうが多い。生態兵器として一生を終えるか、それとも切り刻まれて部品として一生を終えるか、どっちを選ぶ?」

 

 ジョエルの言葉は挑発的であったが、デヴィッドが言葉をかけたお陰で最後の一線は保たれていた。

 

「倉橋真那……。君はまだ、死すべきじゃない」

 

「……デヴィッド……さん……」

 

「……よかったじゃないか。ここで致命的な間違いを犯さずに済んだ。それにしたって、“サヤ”として生きて行くと言うのならば、その名前は捨てる事になる。倉橋真那、だったか。これまで積み上げてきた人生は無為に帰し、君はロンギヌス機関の兵器として運用される」

 

 ジョエルの挑発めいた論調は真那を苛んだが、それでも自分は今、ここでは誰一人として殺せないのが実情なのであろう。

 

 事実、ジョエルを殺せなかった。

 

「……私はどうすればいいって……」

 

「別に悲しむものでもない。戦闘訓練を経て、君は正式に“音無小夜”として、我々によって使用される。それは逃れようもないだろうね」

 

 いずれにせよ、ここで下手に抗弁を発したところで、自身の犯してしまった罪からは逃れ得ない。

 

「……一つ、聞いてもいい……?」

 

「どうぞ。大体の事は答えよう」

 

「……私は、戦いの心得なんてない。翼手を倒すって言っても……自信もない。それでも……やれるって?」

 

「“サヤ”は潜在的に翼手を殺し尽くすために存在している。君がどれだけ拒もうと、そういう風に出来てるんだ。もう戻るほうが難しいだろうね」

 

 ジョエルの淡々とした言葉に、真那は刀を提げ、それから一拍、これまでの悔恨を噛み締めるかのように瞼をきつく閉じていた。

 

 網膜の裏にちらつくのは、灼熱に包まれたセクションと、奪ってしまった命――血の記憶。

 

「……デヴィッド……さん。私を……“サヤ”にしてもらえますか」

 

「倉橋真那、しかし……」

 

「お願いします。だってそうじゃないと……千佳やショーコさんは……何のために死んだって言うんですか。私が殺したんです、二人を……人間で居られる間に。なら……罰を受けなくっちゃ……」

 

「そこまで思い切る事もないのに……」

 

 デヴィッドは心底自分を慮ってくれているようであったが、そこで空気を読まずにルイスが挙手する。

 

「長官、自分やジュリアを呼んだって事は、倉橋真那の“サヤ”任命だけじゃないんでしょう?」

 

「鋭いじゃないか。次のミッションが近づいている。元々は、別の“サヤ”に任命するつもりだったが、“オトナシ”の慣らし運転に丁度いい。倉橋真那――いいや、音無小夜。君には翼手の追撃任務に当たってもらいたい」

 

 ジョエルからの命令口調に口を差し挟んだのはジュリアであった。

 

「待ってください……! 彼女は負傷しているんですよ! それも、両腕両足を……」

 

「聞こえなかったのかな。“サヤ”に拒否権はない」

 

 ジョエルにしてみれば、投げた爆弾程度の価値。

 

 自分が失敗して死のうが、生き残ろうが心底興味でもないかのような。

 

「……倉橋真那さん、こんなの、受ける事はないわ。あまりにも身勝手が過ぎるもの」

 

 ジュリアの怒りを真那はしかし、醒めて聞いていた。

 

 ――“サヤ”は兵器。ならば、兵器の有用性を示さなければいつまでも生存理由があるはずもない。

 

「……分かりました。その任務、受けます」

 

「……倉橋真那……!」

 

 うろたえ気味のデヴィッドに真那は首肯していた。

 

「大丈夫……だと思います。だって、これまでだって戦えた、それなら意義はあるはず……」

 

「前向きで助かるよ。それにしたって、あの“キザハシ”が少しは興味を持っているところを見るに、君は何か人を惹きつけるものがあるのかもね」

 

 ジョエルの評に、処置をしてくれたキザハシの事が思い返される。

 

 彼女は自分の事をどう思っているのだろうか。

 

 中途半端な“サヤ”の力を手に入れた、眼の上のたんこぶかもしれない。

 

「ミッションの開始時刻まで時間は二日ほどある。君達はその間に、“サヤ”として戦うイロハを覚えてもらおうか。なに、それほど大変じゃないだろう?」

 

 真那はジョエルの言葉を受けてから、刀を取り落としていた。

 

「あ、あ……」

 

 今になって人殺しの咎が襲いかかる。

 

 そっとジュリアが肩に手を添えてくれたが、それでも拭えない。

 

「人殺しくらい、なんて事はないと思うけれどなぁ。君達、“サヤ”にとっては」

 

 敵意を飛ばそうとして、ジョエルは肩を竦める。

 

「……ジョエル。しかし、倉橋真那だけの作戦遂行は難しいだろう。同行する別の“サヤ”は居るのか?」

 

 デヴィッドの疑問にジョエルは端末を取り出していた。

 

「適任である歴の長い“サヤ”が居る。彼女にエスコートを任せようじゃないか」

 

 情報が同期されると、デヴィッドは眉間に皺を寄せていた。

 

「……彼女は大丈夫なのか? メンタル検査でチェックを受けていたはずだが。それに、“サヤ”として半年間活動していない」

 

「他の“サヤ”は皆、手が空いていなくってね。やはり28号翼手含め、各セクションで動きがきな臭い。ここは戦力の分散を行うべきだろう。それに“サヤ”の戦闘データをアシッドの連中に奪われるのはこちらとしても困る。小出しにしていきたいんだよ」

 

 そういえば、“アシッド”なる名称は前にも聞いたような気がする。

 

「アシッドと言うのは……?」

 

「それも自分のデヴィッドから話を聞くといい。君は何せ、未熟だ。デヴィッド、教えてやる事も多いだろう。この世界の仕組みと、そして“サヤ”の持ち得る力……どれもこれも特級の秘匿事項だが、もう世界の裏側で生きて行くしか道のない君とっては、それが指針となる」

 

 自分のデヴィッド――そう言えばキザハシも似たような事を言っていた。

 

 自分の、と言う意味はこれまで分からなかったが、教えてもらえるのだろうか。

 

「……倉橋真那。君の事を、俺達は全力でサポートする。……いや、それしか能がないと言われてしまえば、そこまでだ。俺達は“サヤ”にとっては消費される弾薬以下でしかない」

 

 どうしてなのだか、デヴィッドの口調には悔恨と、そして懺悔めいたものが窺える。

 

 彼がどのような思いで自分を支援しているのかも、そう言えば何一つ知らないのだ。

 

「……私は……何も知らない……」

 

「これから知っていけばいい。時間は……しかし、あるようで少ないからね。僕の口から命じさせてもらうよ。――音無小夜。デヴィッド、ルイスと共に敵を倒して欲しい。我々、人類にとっての敵、翼手を」

 

「翼手……」

 

 脳裏にフラッシュバックしたのは“隔離病棟”の院長や自分の両腕両足を切断した白い相貌の男性であった。

 

 彼らは翼手――倒すべき、敵。

 

「……ジョエル。一つだけ、約束して欲しい。彼女は我々の“小夜”だ。越権行為は慎んでもらおう」

 

 それがデヴィッドなりのこの状況下においての最大限の譲歩であったのは今の自分であっても分かる。

 

 ジョエルは首を引っ込めていた。

 

「僕は長官だけれどね。……だが、口出しは最小限にしよう。そうでなければ、いちいち“小夜”に入れ込んでいれば命がいくつあっても足りない」

 

 それは約束したという事なのだろうか。

 

 真那の手をジュリアが引く。

 

 つい先刻、瞬時に再生してみせた化け物の腕を、彼女は恐れずに取ってくれた。

 

「……行きましょう、倉橋真那さん。あなたはまだ……瞳から光を失うほどは……何も失っていないはずだから」

 

 それは親友と憧れの人を手にかけた自分にとっては随分と重い、呪縛のようなものだ。

 

 しかし、今は優しさに甘えている余裕も時間もない。

 

「……ジュリアさん、いいですか?」

 

 手を離し、真那は刀を額付近に沿えて、ジョエルへと向き直る。

 

 振るわれた刃が、前髪を切り揃えていた。

 

 千佳が言ってくれた「野暮ったい自分」――そこからのささやかなる脱却。

 

 そして、戻れない証。

 

 真那はその双眸でジョエルを睨む。

 

「……私は、戦う。……戦え……ます」

 

「その言葉が心強く思えるほどには、強くなってくれよ。そうでなくっちゃ、“小夜”の末席を汚すのには随分と、な出来だからね」

 

 身を翻す。

 

 もう、ジョエルとは話す事はないのかもしれない。

 

 どうであろうとも、この歩みだけは自分のものだ。

 

 踏み込んだ明日に、闇しかなかろうとも。

 

 今はただ、進むしかない。

 

「……倉橋真那、これからミッションに移ってもらう。これまでは自覚のないまま戦わせていたが、これからは違う。ロンギヌス機関の一員として、君には実戦に入る」

 

「……“サヤ”として……ですよね」

 

「……ああ、そうだ。君はこれより、一般的には倉橋真那ではなく、“サヤ”――音無小夜のコードネームを戴いてもらう」

 

 音無小夜――まるで冷たい、真冬の月明かりのような名前。

 

 それでも、歩いて行こう。

 

 名前を与えられたのならば、意味が存在するはずなのだから。

 

「……分かりました。私は……その名前を、引き継ごうと思います。“オトナシ”の“小夜”として……」

 

 だが、自分は知らなかったのだろう。

 

 この時の自分はまだ、待ち受ける運命がどれほどに過酷で、そして無情なのかを。

 

 知らないからこそ、受け入れられた、“小夜”の呪詛――。

 

「……私は、戦う」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二章 「戻れない道へ」了

 

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