BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene51 斬歌

 

 呼吸はいつもと同じ。答え方は何度も練習してきた――だから失敗は許されないとヤミはレコーディングスタジオの面々に挨拶する。

 

「よろしくお願いします……っ!」

 

 普段ならばこんな大声なんて出さない。しかし、今日ばっかりは晴れ舞台だ。普段の自分ならばやらない事にも挑戦していかなければ。キリエの事も、モモカの事も気がかりではあったが、今は自分の事だけを考えよう。そう思うとアオの気安い言葉もありがたくなってくる。帰ったらとことん褒めちぎってやろうとヤミはふんすとマイク前で声を整えていた。

 

 レコーディングはワンツースリー。これまでの配信で鍛えた不屈のメンタルと、コープスコーズの訓練で何度も物にした伸びやかな肺活量。喉の調子も万全。悪くない状態だ。それに加えて現場の雰囲気も決して険悪ではない。オーディションに来た引き籠りを笑おうというよりかは、レクディの歌をそれなりのレベルで歌える人材としてきっちりと扱ってくれている。

 

 声を出す。

 

 リズムを紡ぐ。

 

 これまで何度も、何十回、何百回と繰り返してきた所作。これまでの積み重ねの結果であり、研鑽と呼べるものであろう。

 

 音程は一音だって外す事は許されない。

 

 ゆえに、緊張感で喉がひりつきそうになるも、歌う時には笑顔を忘れずに。原曲へのリスペクトと、楽しんでくれているオーディエンスへの賛美を。

 

「よぉーし、そこまで」

 

 レコーディング室に入ってからようやくヤミは呼吸をつく。マジックミラーになっているせいでどのように審議をしているのかは不明だが、ヤミはいつでも次の曲に移れるように準備をしていた。

 

 もしかしたら態度も採点のうちに入っているのかもしれない。自ずと鼓動が高鳴ったが、それでもおくびにも出さずに毅然として応じる。

 

「レクディの曲の“歌ってみた”は拝見しました。すごいですね、数百万再生越えとは」

 

「あ、いえその……私はけれど……そこまでだとは……」

 

「歌に自信が出たのは? 活動履歴は二年未満との事ですが」

 

「あ、その……子供のころから歌うのは好きで……もちろん、レクディの歌はずっと慣れ親しんできて……」

 

 大人達がめいめいに相談しているのが伝わるが、好感触だとヤミは自身に言い聞かせようとする。このまま、何事もなくオーディションが終われば自分は――。

 

「――いいわけが……ないでしょう」

 

 唐突に差し込まれた声。しかし、どうしてなのだろう。老婆のように掠れた声一つで誰しもが黙りこくる。

 

「し、しかしですね……かなりのクオリティで歌ってくださっているんです。あなたの代わりに、雉子さんを採用しても――」

 

「黙りなさいよ。私の代わりなんて……居るわけがないでしょう」

 

 何かトラブルだろうか。ヤミが自身を持て余していると不意にレコーディング室が開き、一人の女性が歩み出る。

 

 その蒼い瞳孔に、憎悪と嫌悪感を滲ませて。

 

「落ち着いてください! レクディ!」

 

「……レクディ……?」

 

 まさか、レクディ本人が見ていたというのか。その感情を噛み締める前にレクディと呼ばれた少女はその手を払う。

 

「オニゲン風情が……私に命令しないでよ……!」

 

 撫でるように大の大人の顔をさすった瞬間、男達は蹲って呻く。何事かと数名の大人達が寄り集まっていくが、レクディは彼らを蔑みながらその喉から歌声を紡ぎ上げる。

 

 途端、ヤミの脳髄を衝動が震わせていた。

 

「……なに、これ……。気持ち悪い……!」

 

 膝をついてその歌声に耐えていると、男達の躯体が内側からメキメキと引き裂け黒い獣達へと変異していく。肉体が折れ曲がり、乱杭歯に宿らせた野生は他でもない。

 

「……う、そ……。翼手……?」

 

「殺しなさい」

 

 レクディの命令で一斉に翼手へと変化した大人達が襲いかかって来る。ヤミは咄嗟に逃げ道を探ろうとしたが、レコーディング室には逃走経路は存在しない。迫った翼手の牙にヤミはスーツケースを放り投げる。

 

 鋭い爪がスーツケースを引き裂くと、中から溢れ出たのは舞台衣装に混じっていた刀剣であった。帯刀許可を得たままであったため、ヤミはそれを握る。

 

 しかし、コープスコーズC班の中でも戦闘への適性が低い己が振るえるのはキリエ達のような大剣ではなく、剣先の短いナイフに形状の似た武器だ。

 

 咄嗟に翳し翼手の爪を弾き返すも、生来の戦闘センスのなさのせいで膂力によって吹き飛ばされてしまう。

 

 壁に激突し、背中に鈍い痛みが走る。だが、立ち止まっているような暇はない。すぐさま野生を剥き出しにして襲いかかってきた翼手へと訓練で習った薙ぎ払いで一閃。咆哮が劈く中で、ヤミは必死に逃げ場を探そうとしてレクディがせせら笑う。

 

「逃げられるわけないじゃない! ……何よりも、私の代わりなんて、屈辱よ。喉以外は喰っていいわよ。声帯だけ移植出来ればいいわ」

 

 どうしてレクディが翼手を率いているのかはまるで分からない。分からないが、ここで殺されるのをよしとしてしまえば、自分の努力は何だ? ここまで応援してくれたキリエやアオ、モモカにタツヤの想いを踏みにじる事になるのではないか。

 

 そんな思いが鎌首をもたげ、翼手達の猛攻に刀剣一本で耐え凌ごうとする。しかし、長くは持たない。

 

 レコーディング室を立体的に蹴り上げ、襲いかかって来る翼手の数と、その爪と牙。そこに理性など欠片もない。先刻まで自分の歌を評価してくれた人々ではない。

 

 ヤミは奥歯を噛み締めて刺突を見舞い、大写しになった翼手の顔面を斜に切り裂く。雄叫びが至近距離で爆ぜ、音響兵器とも呼べる翼手の声でヤミの肉体は転がっていく。

 

 今の一撃で鼓膜と三半規管に異常が生じたのか、わんわんと全ての現象が遠のいていく。涙が溢れ出る中で、ヤミは今一度武器を構えようとして、レクディの怨嗟の籠った眼差しを見返していた。

 

「声帯以外はどうとでもしなさい。こんな……ゴミのような人間、居なくなったところで誰も困らないわ」

 

 ヤミはその一言で動けなくなってしまう。

 

 散々、ごく潰しだの何だの言われてきたがそれでも彼らとの日々には温かみがあった。情があった。絆があったのだ。だと言うのに、他人からこうも見下されるのが苦しいなんて。しかも、他でもない憧れのレクディから。

 

「うぅ……っ」

 

 涙が止まらない。それでも、ここで死ぬのをよしとしない精神がある。ヤミは刀剣を構え直し、翼手と相対する。

 

 こんな事、本当はしたくない。彼らは元々、自分の歌を評価してくれたのだ。レクディの歌を歌っていいと、才能があると言ってくれたのだ。だと言うのに、自分に応えられる事は刃で殺すだけ。

 

 赤くぎらついた眼差しが一斉にヤミを捉え、その躯体が疾走する。

 

 動きについていけるとは思えない。思えないが、抵抗しないのもまた嘘だろう。

 

「……あたいは……あたいはぁ……っ!」

 

 翼手に押し倒され、武器を弾き落とされる。翼手の爪が、牙が、獲物を目の前にした野生の臭気が鼻を突く。

 

 ――ああ、このまま虫けらのように殺されてしまうのだろう。

 

 ヤミはその一瞬、力を抜こうとしていた。どうせ死ぬのなら、痛いのは嫌だな、と。瞼を閉じて、終わりの瞬間を覚悟した、その時であった。

 

「――えらいけったいな、やかましい声が聞こえるわぁ」

 

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