BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene52 残花

 

 ヤミが目を見開く。レコーディング室に入って来たのは一人の少女であった。べんべん、とその手に携えた琵琶が音色を奏でる。顔を伏せた少女の声に獣達が飛び掛かる。いけない、とヤミが武器に手を伸ばそうとした。せめてコープスコーズC班の矜持を見せなければ、と。

 

「逃げてぇ――っ!」

 

 だが、少女に襲いかかった翼手はその直後、腕を寸断されていた。

 

「あかんねぇ、そんなのじゃ。下級翼手もいいところよ。獣を使役するのに、こんな精度やなんて」

 

 ヤミは震撼する。

 

 少女の携えていた琵琶の柱が閃き、そこから生まれ出でた銀閃が舞い上がり、翼手の腕を肩口から叩き落とす。血が滴る前にさらに追撃。翼手の懐へと潜り込んだ少女がその顎へと一撃で貫き、刃を返して頭蓋を一刀両断していた。迸る鮮血。赤く赤く照り輝くそれを一滴も受けずに、少女の肉体は躍動する。背後から迫っていた翼手の爪をかわしざまに一閃。一撃で片腕を切り裂かれた翼手へと、着地すると同時に足払いを行う。

 

 姿勢を崩した翼手の側頭部に向けて琵琶の海老尾で叩きのめす。脳震盪を起こした翼手の心臓へとすっと、刃が貫く。

 

 鮮やか、と言う言葉だけでは言い尽くせない。まさに踊るようにして獣達を誅殺する。刃が舞い上がり、舞い散る血でさえも拡散させて少女は舞踊を踏んでいた。

 

 赤に染まった血染めのステージ。血の赤と着物の黒の色彩のルージュ。少女は刀を振るい、翼手を一瞬で制圧していた。ヤミは気圧されて声が出ない。ただただ、その剣の鋭さに見惚れるのみ。

 

「……あかんねぇ。こんなところで、居るなんて。あんたさん、ちぃと迂闊とちゃうん? それとも、ここで会ったが百年目とか言う、凡庸な言葉がお似合いなんかなぁ? ――レクディ」

 

 切っ先を突きつけた少女にレクディは目を戦慄かせる。

 

「……あんた、何よ……」

 

「知っとるんとちゃうん? この感触、この殺気。この、ひりつくような血の匂いは」

 

「まさか……あんた、“サヤ”……?」

 

「……サヤ……? サヤって、あの……?」

 

 ヤミが戸惑っている間にレクディはこちらに気づいて手を引き寄せる。乙女の膂力とは思えない力でヤミは取り押さえられ、レクディは枯れ果てた声で命じる。

 

「“動くな”」

 

 どうしてなのか分からない。分からないのに、その言葉一つで表情筋一つでさえも動かせなくなる。まさに絶対遵守の声。血が湧き立ち、心臓が早鐘を打つ。

 

「……レクディ。あんたさん、まさかその子を翼手に?」

 

「……あんたが動いたらそうなるわ」

 

 詰めた声音に少女はからからと鈴を転がすように笑い始める。まるでそれ自体が愚行であるとでも言うように。

 

「……何がおかしい……サヤ……!」

 

「可笑しいって……ああ、そうやねぇ……。あんたさん、気づいとらんみたいやから言っとくけれど、その子、翼手には成らんよ。他のオニゲンは未覚醒みたいやったけれど、その子、もう覚醒しとるもん。そりゃあ、あんたさんの声はD因子の絶対命令を持つけれど、翼手にして肉の盾に、言うんは……美しゅうないねぇ」

 

「……翼手に成らない……? そんな人間、居るはずが……」

 

「それが居るんが、この楽園の中枢の面白いところやねぇ。さぁ、どうする? レクディ。その子を盾にしても、ウチはあんたさんの首を落とすのに五秒。あんたさんが歌を紡いで、逃げる時間を作るのにはどう見積もっても三十秒。こんなもん……子供の拙い暗算でも分かる思うけれど」

 

 少女が小脇に刃を構え直す。本気なのだ、とヤミには誰よりも雄弁に理解出来た。それ以上に、レクディにはこの結末を覆す術がない。どこにも、逃げ場なんてないのだ。

 

「……サヤァ……ッ!」

 

 奥歯を噛み締め、レクディが心底から憎悪するかのような怨嗟を漏らす。その瞬間、ヤミは手の届く範囲に刀剣があるのを感覚する。レクディは気づいていない。少女も分かっているのかどうかは不明。

 

 だが、翼手を率いたレクディが只者であるはずがない。ここで自分を殺そうとしたのは事実。

 

 ――だから、自分に出来る事は、一つ。

 

 ヤミは瞼を強く閉じてから決意の心拍と共に靴先で刀剣を蹴り上げる。舞い上がった刃にレクディの視線が注がれる。その一瞬の隙を突いて手を伸ばす。レクディに阻まれても関係がない。自分の道筋を切り拓くのはいつだって自分の意思――そのほんの一刹那、垣間見た。

 

 キリエの微笑みを。アオの嘆息を。モモカの温かな手を。タツヤの不器用な返答を。

 

 眩い輝きの中で、ヤミが刀剣を握り締めレクディの前に佇む。

 

「……逃げてください」

 

「……何を、言って……」

 

「レクディが! ……あなたが何者なのか、本当は何なのか……何も分かりませんけれど……それでも私……ううん、あたいにとっては憧れていた人なんです……っ! だから、ここで死なせるわけには――いかない……っ!」

 

 少女が刃を構え、姿勢を沈める。

 

 分かっている、怖い。こんなにも剣を手に誰かと対峙する事は怖いのか。こんなにも、誰かの味方をすると決める事は恐ろしいのか。こんなにも――胸が高鳴る瞬間が自分の人生で訪れるのか。

 

 ヤミは自ずと笑みを浮かべていた。

 

 ここで死んでもいいと、人生で初めて思えたからだ。ここがたとえ死地だとしても、それでも構わない。肉体が四散したとしても、それでもなお、生きていたと思える。

 

 レクディが逡巡を挟んだのはほんの一瞬。

 

 その腕を薙ぎ払い、レコーディングスタジオの堅牢な壁を砕いたかと思うと、少女へと一言だけ投げて身を躍らせる。

 

「……ここでの勝負は、持ち越しね……。“アマミヤサヤ”」

 

 ヤミが振り返って視線を投じたその時には、レクディの姿は既にない。その代わり、遠く長く翼手の音叉が宵闇を切り裂いていく。

 

「……逃がした、ねぇ」

 

 少女が太刀を携えたまま、ゆっくりと歩み寄ってくる。分かっている、ここで殺されても可笑しくはない。自分は恐らく、まかり間違ったのだ。きっと正しいのは少女のほうだったのだろう。それが分かっていても、憧れを捨てたくはなかった、それだけの我儘なのだ。

 

 少女の間合いに入ったその時には、ヤミは戦闘意欲を失っていた。だらんと構えを解くと、少女は刀を琵琶に納める。

 

「……何で……」

 

「何で殺さへんのか、って? 逃がした魚は大きいみたいやけれど、それはどっちにとっても、やからやねぇ。レクディを殺し損ねたのはともすればウチらにとっては厄災かもしれんけれど、それも遠い未来の話。もしかしたら違う結末が待っとるかもしれんし。今はとにかく」

 

 琵琶をべんべんと鳴らしてから少女が面を上げる。

 

 そこでヤミは初めて気づいた。

 

 少女の眼は爪で引き裂かれたような傷痕に閉ざされている。盲目の少女剣士――とヤミは感慨を噛み締める前にレコーディング室に割って入って来たのはドレッドヘアーの大男であった。

 

「急に出て行ったと思ったら……! 何をやってるんだ!」

 

「ああ、悪い事をしたねぇ。謝るから、そう怒らんといてや」

 

「怒らないなんてのは無理だろう……! こんなお嬢さんを巻き込んで……!」

 

「……お嬢さん?」

 

 お嬢さんと呼ばれたのが自分なのだとすぐに理解出来ないヤミがオウム返しにすると少女は雅に微笑む。

 

「あかんねぇ。リョウ。あんたさんのジョークが思ったよりも効いとらんみたいやけれど?」」

 

「……オレは冗談を言ったつもりはない。それよりも、だ! どうするんだ! この翼手の死骸を!」

 

「……あれ。翼手の事、知って……」

 

 その段になって大男はハッとして口を噤むが、少女は何でもないように告げていた。

 

「いつもみたいに結晶化するよ。そんなに生き急いだってしゃーないんやから」

 

 そう言うなり少女は琵琶の弦で指先を軽く切り、翼手の死体にそっと垂らす。滴った血の一滴が遺骸に染み渡り、やがて赤黒く結晶化していく。

 

「……まったく。証拠隠滅は大変なんだぞ……!」

 

「あんたさんに迷惑はかけへんよ。それよりも、こっちのほうが大事かもしれんね。レクディが居った」

 

「……ウソだろう? レクディが、こんな場所に……?」

 

 大男の返答にはどこか信じられない事実を反芻するかのような論調があった。少女は頷き、それから結晶化した翼手を仔細に観察する。

 

「歌の力は健在みたいやけれど、声は随分としゃがれとったね。恐らくは以前のように歌声で広域に効果範囲を拡大させる事は不可能やと思うわ。そうでないのなら、今頃このエメトピア中央庁は……っと」

 

 そこで少女は不意に自分が聞き耳を立てていた事に気づいたように、悪戯っぽく笑って唇の前で指を立てる。

 

「危ない危ない。沈黙は金、やねぇ」

 

「どうするって言うんだ? そもそも……そこのお嬢さんは何なんだ? レコーディング施設に居るって事は、歌手か何か?」

 

「……あ、あたいは、その……」

 

「うぅん? ……あんたさんの声、ちょっとだけレクディに似とるねぇ」

 

 今の一言だけで全てを見透かされたような気がして、ヤミは唾を飲み下す。大男のほうはいまいちピンと来ていないようで首を傾げる。

 

「そうか? ……あの歌姫、レクディと同じ声……?」

 

「リョウ。あんたさんは五感を使っとるから鈍いんよ。ウチはまだ分かる。声と匂いの感覚で、ね」

 

「その……あたい……ここに呼ばれて……。レクディのカバー曲……みたいなのをやってみないかって……」

 

「なるほどなぁ……。それで待っていたのはレクディ本人。なるほど、中央庁のアシッドが考えとる事もちょっと見えてきたかもしれんねぇ」

 

「オレはここを一刻も早く逃れるべきだと思うぜ。アシッドだって馬鹿じゃない。レクディの波長があったと見れば、すぐに送り狼を出すはずだ」

 

「せやねぇ……。ウチらだけで逃げるのは簡単やけれど……」

 

 少女の視線がこちらに向く。不思議な事に、盲目の少女であるのにはっきりと自分の姿を捉えているのが窺えた。

 

「――ウチらと一緒に来る?」

 

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