BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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scene53 夜の始まり

 

 だからこそ、放たれた言葉は何よりも想定外で。ヤミが驚嘆に目を見開いていると大男が狼狽する。

 

「お、おい……! オレは反対だぜ……! このお嬢さんは日常に戻るべきだ!」

 

「けれど、レクディの正体知って、それでアシッドがほっとくとは思えんし。それに、この子、武器を持っとるんよ」

 

「……護身用のナイフじゃないのか?」

 

「これが護身用? 違うよ。これは“討つための”武器や」

 

 少女がヤミの手の中にあった刀剣を拾い上げる。眼で見ているはずがないのに、全てを丸裸にされている気分だった。

 

「……それはだが、お嬢さんの自由意思に任せなければ。どうする? オレ達はすぐにでもここを立ち去る。そうでなければアシッドの追っ手に引っ掛かるだろうからな。オレじゃなく、まずいのはお前だろう? ――“お市”」

 

「……オイチ……?」

 

「そう。座頭の市やから――お市。パンクロックバンド、ブライドフューリーのベースを担当しとる。しがないミュージシャンやね。あんたさんは? 来るんなら名乗ったほうがええよ。呼びにくいといざと言う時に困るもんなぁ」

 

「あたい……あたいは……雉子……雉子、ヤミ……」

 

「ヤミ? ええ名前やね。ほなら、どうする? ウチらと一緒に来たほうが面倒は少ないと思うけれど」

 

「お市、そんな……お嬢さんの選択肢を……!」

 

「言うとる場合やないよ。もうそこまで介入班が来とる。誤魔化せるのはせいぜい、数分程度。ヤミ、あんたさん、死にとうないやろ? ここで決断すべきなんよ」

 

「あたいは……」

 

 レクディのオーディションは嘘ではなかった。自分の歌声を評価してくれた人々はしかし、黒い獣に変じた。今さら何を信じればいいのだろう。キリエも、アオも応援してくれていたのに、死体になって帰るわけにはいかない。

 

「……あたい、お市さんたちに……付いていきたい……っ」

 

「よう言うたね。一旦決断したんなら、ほれ手ぇ」

 

 促されるままに差し出されたお市の手を取ると、不意に身体が浮かび上がる。否、そうではない。お市に引っ張られて宵闇を遊泳するようにレコーディングスタジオから飛び越えていく。

 

「え、えぇ~……っ! こ、こんなの……!」

 

「舌、噛むんよ。余計なことは言わんほうがええね」

 

 その言葉にヤミは口を噤む。お市に導かれるままに、ヤミはレコーディングスタジオから遠く離れたビル街の屋上に降り立っていた。

 

 ほとんど息切れしていないお市に対して、自分は戸惑いっ放しだ。顎下に落ちてきた汗の雫を拭っていると、お市は口走る。

 

「……嫌な臭いが漂っとるね。翼手を何匹か使って陽動でもしようって魂胆か。相変わらず、アシッドのやり方は見え透いとる」

 

「そ、その……っ! アシッドの事を、何であなたは知って……!」

 

「何でって……。ああ、そう言えば言うとらんかったね。ウチはアシッドの事、このエメトピア中央庁も一ミリも信用しとらんのよ。この偽りだらけの世界に、異を唱える者。それがウチ」

 

「異を唱えるって……でもそんなの、許されては……」

 

「そう。せやから、ウチはこの楽園じゃ鼻つまみ者やね」

 

 お市は本当に眼が見えていないのだろうかと思うほどに雅に微笑んでから鼻をつまむ真似をする。しかし助けてもらった手前、今は余計な事を口にする余裕もない。ヤミは深呼吸してから、白亜の建築物で塗り固められた理想郷の姿を顧みていた。

 

 このエメトピア中央庁には――何かがある。

 

 ファントム事件だけでも、四十体の翼手だけでもない。

 

 もっと恐ろしく、おぞましい何かが。今の自分にはそれを探る手立てなどないのかもしれない。しかし、生きているそれだけで接ぎ穂はある。チャンスは、必ず巡ってくるはずだ。

 

「せや。あんたさん、レコーディングしていたって事は歌えるんやろ?」

 

 不意打ち気味のお市の問いかけにヤミはうろたえながら応じる。

 

「そ、そんなに上手いわけじゃなくって……!」

 

「上手かろうと下手だろうとどっちでもええんやけれど、歌えるんならちょっとお願いを聞いてくれんかな?」

 

 もちろん、命を助けてもらったのだ。出来る限りお市には協力したい。

 

「……あたいが出来る事なら……まぁ」

 

「なら、契約成立やね。ヤミ、あんたさん、ウチらのボーカルになってくれへん?」

 

 思わぬとはこの事で、ヤミが呆気に取られている間にお市は次々と提案する。

 

「な……っ、な……!」

 

「ウチら、ボーカルになかなか恵まれへんくって。それでレコーディングで誰か引っかからへんかなーって思うとったところなんよ。だから、ヤミが歌を歌ってくれれば、ウチらにしても大助かり」

 

「け、けれどあたい……人前で歌うなんて……」

 

「あらぁ、それは可笑しいんとちゃう? レクディのオーディションに来とった言う事は、そういう承認欲求はあるって思うけれど?」

 

 きっと、お市は分かっていて自分の反応を楽しんでいるのだ。

 

 ヤミはこの提案を断ったら再びレクディの恐怖に怯える事になると、ぐっと息を詰めて自身を奮い立たせる。

 

 いずれにしたところで、キリエ達の下には戻れない。

 

 ともすれば彼女らにも危険が迫っているかもしれないからだ。

 

「……分かり……ました。じゃあその、ボーカルって言う事で……」

 

「決まりやね。けれど、解せんねぇ……。レクディがあそこに一人で居たって言うのもそうなら、あの声……。しゃがれ声なのも。それともう一個」

 

 お市がこちらへと振り向く。見れば見るほどに色白で目元の傷さえなければ息を呑むほどの美貌だろう。日本人形を思わせるおかっぱ頭を傾げさせて、お市は尋ねる。

 

「何であんたさん――翼手に成らへんかったん? それも変なんやけれど」

 

 その疑念はまるで常闇の中にある厄災の始まりのように、この夜に染み渡っていった。

 

 

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