BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第二十話 誰も傷つけたくなくて

 

 顔合わせを、として引き合わされたのは自分とさほど年かさも変わらない少女で、真那はうろたえてしまう。

 

 ジュリアより応急処置を受けた両腕両足には包帯の痛々しい痕跡が残っていたが、その下はほとんど再生しているのが自分でも分かっていた。

 

 組織の“サヤ”が袖を通すと言われたセーラー服は自分の通っていたハイスクールにほど近いが、黒と赤の配色がより濃厚な死の香りを漂わせている。

 

 新調された衣服のはずだったが、血の死臭とでも呼ぶべきものが宿っていた。

 

 その同じ制服に身を包んだ相手は、一つ結びの長髪を括った少女で、先に遭遇していた“キザハシ”とも違う。

 

「……あなたが、“オトナシ”の新しい“サヤ”?」

 

 そう問いかけられて、真那は困惑する。

 

 未だに精神性は「倉橋真那」のままだと言うのに、「音無小夜」と言う名を纏わなければならない事実は、自分にとっては重石以外の何者でもない。

 

「……その……」

 

「困る事はないのよ。私だって、そうだったし」

 

 少しだけ気安さを滲ませた微笑みで、相手が手を差し出す。

 

「私は“イザヨイ”――十六夜小夜。これからお互いの名前を呼ぶ時は、ちょっとだけややこしいかもしれないけれど、すぐに慣れると思うから」

 

 華奢な手と、そして柔和な笑み。

 

 どこか人懐っこい小動物のような印象に、真那は戸惑う。

 

「……その、“オトナシ”……音無小夜、です」

 

「そう。じゃあ“オトナシ”呼びのほうがいいか」

 

 真那からしてみれば意想外でしかない。

 

 デヴィッドには予め聞かされていたのとは随分と様相が違ったからだ。

 

 彼は目線だけでこちらに注意を促す。

 

 ――油断するな、というアイサインであった。

 

 しかし真那にはそこまでの危険人物には映らない。

 

 むしろキザハシのような気性の荒い小夜を既に見て来た分、拍子抜けしたほどであった。

 

 ゆったりと握手を交わすと、イザヨイの背後にも自分と同じように二人の成人男性が付き従っているのを目にする。

 

 この二人が、彼女の「デヴィッド」と「ルイス」か――先んじて事情を聞かされているとは言え、それでも異様さが浮き立つ。

 

「じゃあ模擬戦に移りましょうか。両腕両足を切断されていたんじゃ、慣らし運転も必要でしょうし」

 

 イザヨイの微笑みには打算めいたものは何も感じられない。

 

 だが侮ってはならないのは明白であった。

 

「……あの、その……よろしくお願いします」

 

「そんな他人行儀にならなくっても。厳密な意味じゃ、私達は変わらないんだから」

 

 謙遜するその立ち振る舞いでさえも、少し画になっているのは彼女が歴戦を潜り抜けてきた“小夜”である証左か。

 

 灰色の戦闘訓練場はかつてキザハシが待ち構えていた場所と同じく殺風景で、真那は自身の武器である刀を握り締める。

 

 同じように、イザヨイも刀を握って僅かに姿勢を沈めさせる。

 

 真那は早鐘を打ち始めた鼓動を押し沈めるかのように、呼吸しようとして直後の血の臭気に咳き込みかけていた。

 

 まただ、と真那は感じる。

 

 こうして“サヤ”としての力を振るおうとすればするほどに、幾度となくブレーキとなるのは、千佳を殺した記憶と、ショーコへと刃を突き立てた感覚。

 

 そして何よりも――シュヴァリエに切り刻まれた恐怖が脳内に巣食う“サヤ”の血を押し留める。

 

 ある意味ではトラウマや強迫観念めいたものであった。

 

 戦いに当たっては無為で、そして障害となる記憶が網膜の裏で弾け飛ぶ前に、イザヨイの身体が掻き消える。

 

 青い残像を引いて加速してみせたイザヨイに、真那はデヴィッド達より教え込まれていた“小夜”としての戦闘術を思い返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ数日のカウンセリングでは、やはりフラッシュバックが弊害となる――そう教え込まれていたデヴィッドは、やはりまだうろたえたように、カーテン越しに自分へと語りかける。

 

「……倉橋真那」

 

「もう、私は音無小夜なんじゃないんですか」

 

「……ここはジュリアの病室だ。他の小夜の目もない。何よりも……君自身、その名を失いたくはないのだと、そう感じているんじゃないか?」

 

 痛いところを突くのだな、と真那はベッドの上で毛布を握り締める。

 

「……何度か、戦闘訓練、しましたけれど、やっぱり……」

 

「結果は聞き及んでいる。三十七回に及ぶ戦闘訓練の結果、“オトナシ”の潜在意識が呼び起こされたのは一度もない、と」

 

 きっと落胆しているに違いない。

 

 真那はこんな風になってまで他人を裏切るようには成りたくなかったが、どうしても最後の一線が躊躇うのだ。

 

「……あの、“サヤ”の力を振るう時、の感触、言ってもいいですか……」

 

「構わない。俺は君のデヴィッドだ。聞かされているかと思うが」

 

「……機関の“小夜”はデヴィッドとルイス、この二人の支援を受け、翼手を狩る、それがルール……でしたよね」

 

「……知らなくっていい世界の理を教えている気分には成るさ」

 

「でも、私はもう……“小夜”ですから。なら、知らなくっちゃいけないはずです」

 

 その言葉に一拍置いて、デヴィッドは応じていた。

 

「その言葉も、俺にしてみれば少し辛い。……いや、今のは聞かなかった事にしてくれ」

 

「駄目……なんですよね? “サヤ”の能力を振るえない、のって……」

 

「先に君の違和感とやらを払拭したほうがいいだろう」

 

 こちらに話の席を譲ってくれたデヴィッドに、真那は言葉にしていた。

 

 自らの内側を、掻き混ぜるような言葉繰りで。

 

「……“隔離病棟”で戦うまでは、簡単……ではあったんです。上級翼手と戦った時もそう。赤い……風みたいなのが、身体の内側から吹いて来て。それが私を染め上げるんです。その時だけは、全能感って言うんですかね……何でも出来ちゃう気になって。戦いへの恐怖も……一個もなくなって」

 

「それが“サヤ”の覚醒時の感覚か」

 

「……けれど、どうしても……それを意図的に出そうとすると、何かに阻まれちゃって……。出来ないんです、上手く……」

 

「……ジュリアの精神面談では、両親を手にかけた事、その上親友と、そして“隔離病棟”で顔見知りを斬り伏せた事が、君の心に……ブレーキのようになっているのだと報告書に書かれていた」

 

 一つ頷き、真那は言葉を継ぐ。

 

「……可笑しいですよね……。殺しておいて、今さら怖いだとか……殺されるのは嫌だなんて」

 

「……シュヴァリエとの交戦は完全に想定外だった。トラウマになるのも無理はない」

 

「いえ、でも……私がやらないと、デヴィッドさん達が……困るんですよね」

 

 決別したはずの「猫背の自分」が鎌首をもたげてくる。

 

 自分は、簡単には変われないのだ。

 

 たとえ、超常的な“サヤ”の血を身に宿していたとしても、それは全く――「倉橋真那」の脆弱な精神性のままで。

 

「……聞いたかもしれないが、君の肉体は最早細胞レベルで変異している。その血中に含有される翼手を唯一殺せる血――我々が“Sコード”と呼称しているものが、君の身体を作り変え、そして翼種殲滅に最適の肉体へと変貌させている。もう……元の生活には戻れないと思ったほうがいい」

 

「……この再生能力も、ですよね。ジュリアさんから聞きました。機関の“小夜”の中には、心臓を止められても生きている……そういう“小夜”も居るって」

 

 繰り返してもまるで実感などない。

 

 だってそれは、あまりにも――怪物じみている。

 

「……俺は君の痛みを癒せない」

 

 そうこぼしたデヴィッドに、真那は視線を振り向けていた。

 

 相変わらずカーテン越しで、背中を向けているのだけは分かる。

 

「俺は君達に、何一つ与える事は出来ないんだ。奪う事は出来てもね。……嫌な身分に集約されるものだよ、デヴィッドなんて」

 

「……けれど、デヴィッドさんは逃げずに……向かい合ってくれるんですね」

 

「組織の“デヴィッド”としちゃ三流もいいところさ。俺は何人も、君みたいな“小夜”を死なせてきた。無能の烙印を押しつけられても可笑しくはない。それでも、この身分に縋りつけているのは、ひとえに“オトナシ”の担当だったからだろう」

 

「……“オトナシ”……音無小夜」

 

 最早自分の名前だと言われても、まるで実感などない。

 

 まるで捕まえようとしては消え失せて行く逃げ水のような感覚だ。

 

 その最中で、全てが変わったあの夜――黒い獣と対峙してみせた精悍なかんばせの少女に、何も報いる事は出来ないでいた。

 

「……君に前任の“オトナシ”に成れとは言わない。成れるとも思っていないし、彼女は別人だ。倉橋真那、君ではない」

 

 そう断じたデヴィッドの論調はこれまでの中で一番、確信の声音を伴わせていた。

 

 自分は――音無小夜には成れない。

 

 成ろうとしても不可能なのだと。

 

 ジョエルの前で誓ってみせたのが聞いて呆れる。

 

 結局は誰でもない、所詮は小娘の抗いだったなど。

 

「だが、君は“サヤ”の力を持っている。その力が前任者と違ってもいい。翼手を斬る前に、一瞬でも相手に対し、慈悲を持ったっていいんだ。……たとえ機関としては翼手に対し、常に非情であれと教えられてきたとしても。……倉橋真那、君はその弱さを……飼い慣らせ。弱さと共に在るのも一つの強さだ」

 

 そう言い置いて、デヴィッドは立ち上がる。

 

 話はこれで終わりという事だろう。

 

「……“イザヨイ”の“サヤ”との顔合わせが三日後にある。彼女はこれまでの戦いを潜り抜けてきた、それなりに強さのある“小夜”だ。しかし、別段君に勝てとも、力を示せとも言わない。俺は……倉橋真那、君が自分を保ったまま、その上で“小夜”として生きるか、それとも別の道を模索するかは……決めて欲しい。それも……答えなのだと……いや、これは“デヴィッド”失格だな」

 

 煙に巻くように、デヴィッドは結論を先延ばしにする。

 

 彼なりの優しさなのだという事は分かる。

 

 それでも――自分は独りなのだ。

 

 独りになってしまった。

 

 たとえ、これから先、どれだけ“小夜”としての経験を積もうとも、もう自分の道を歩むのに、他人の手ばかりを借りてはいられない。

 

 誰かを頼るくらいならば、自分で運命をこじ開けて行く道を選ぶ――それだけが、「倉橋真那」に残された、最後の自尊心なのだろう。

 

 頬を熱が伝う。

 

 泣くのは、もうやめにしたい。

 

 だと言うのに。

 

 涙が止まらなかった。

 

 

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