BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第二十二話 拭えぬ血

 

 理念としてはそこまでだ、と告げられてしまえば、ラビにしてみれば言葉を打ち切られたようなもの。

 

 薄紫色のサングラスの向こうで、怜悧な瞳を細めていた。

 

「しかし、我ら中央庁、特務機関――“ASEED”にしてみれば、絶好の機会でしょう。セクションナンバー32、なるほど、治安自体は悪くはない」

 

「しかし、我々にしてみればそれは踏み込み過ぎれば、奴らの介入を許す。アシッドとて、忌むべきロンギヌス機関と違って、中央庁の意に沿う組織。エメトピアの秩序を守るべくして、我々は組織された。そうだろう?」

 

 そう口にしたのは白い机に頬杖を突いて黒髪をいじる青年であった。

 

 神経質そうに目線を中空に向けており、特徴的な泣きボクロがある。

 

「ですが、わたし達は、これまでも幾度となく、セクション管理者へと忠告してきた。そのお鉢が回って来たと言うのでは? 兄様」

 

「ラビ、おれはね。お前の兄ではあるが、そこまで軽々しく呼ばれるような身分でもないんだ。エメトピア中央庁、特権部門も暇じゃなくってね」

 

 癖っ毛をいじりながら、青年は舌打ちする。

 

「しかし、こうして会合に直に出向いたのは、カルナ兄様とわたしだけとは。他の兄弟はどうしたのです?」

 

 カルナと呼ばれた青年は眼前に置かれたステーキ肉へと視線を落とす。

 

「皮肉めいているだろう? 全ての物流、そして情報を統括するおれ達に巡ってくるのが、こうして合成肉で作られた特上のステーキだと言うのも」

 

「わたしは好きですよ。合成肉のほうが、血が滴っている感じがして」

 

 ふんと鼻を鳴らしたカルナは、中空に据えている目線を鋭くする。

 

「それで、他の兄弟達は通信越しか。随分と思い上がった対応じゃないか。おれは暇じゃないんだぜ?」

 

『そう言わないで欲しい。カルナ、それにラビも。よく無事に帰ってくれた』

 

 白亜の部屋の中で異物のように、二つの黒い通信ウィンドウが浮かび上がっている。

 

 それぞれアクティブに設定されているが、通話先は窺えない。

 

「28号のテスト段階も過ぎた頃合いでしょう。どうです? また、兄弟の顔ぶれを合わせて食事会でも」

 

『そうしたいのは山々なんだが、タスクが片付かなくってな。こちらは第四十二地区にて、またしても暴動だ。まったく、ここまで滅菌された世界に何が不満なのだか。また、“消毒”しなければいけなさそうなんだ』

 

「それこそ、28号を上手く使えよ。何だって、中央庁の中でも、おれ達四人が存在していると思っているんだ? わざわざ重い腰を上げてセクション管理者に掛け合わなくってもいいだろうが」

 

 カルナは苛立たしげに肉汁を滴らせるステーキにかぶりつく。

 

 野生児じみた食事風景だが、それでもナイフとフォークを使う所作そのものは美しい。

 

『我々も、少しは休暇が欲しいものなのだが、そうも言っていられない。ラビ、“隔離病棟”が墜ちたと言うのは』

 

「事実です」

 

 ナプキンで口元を拭いつつ、ラビはステーキを切り分けていた。

 

 合成肉の特上ステーキから茶色の肉汁が溢れ出る。

 

『では話を通しておいた院長も』

 

「ええ、わたしのシュヴァリエが最早、不要と判断し、始末いたしました」

 

『そこに新たな“サヤ”が紛れ込んでいたと言う情報があったな? 掃除しておいたのか?』

 

「不明です。アダムはそれ以上は口を割らない」

 

「おいおい! シュヴァリエの一人や二人、御せなくって王の血族が泣くってくってもんだろ! アダムとか言ったか? 隠密行動だけが得意な、弱腰なシュヴァリエなんてとっとと云う通りにさせろよ」

 

「カルナ兄様、そうもいかないのです。わたしとて、この立ち位置についたのはつい最近。まだ五年も経っていないのですから。シュヴァリエには敬意を表さなければ。彼らは百年以上を生きている。年長者には、常に」

 

 一切れを口に運び、鮮血のように赤いワインを流麗に含む。

 

 カルナは苛立たしげに、面倒だな、とぼやいていた。

 

「シュヴァリエを持っているおれ達のような身分でさえ、奴らをどうこう出来ないってのは。なぁ、兄貴。そろそろ、おれにも渡してくれよ。持ってるんだろう? アンプルを」

 

『カルナ、まだお前には早い。それに、ラビのほうが心得ている。アンプルなしで、シュヴァリエと良好な関係を築こうとしているのならばな』

 

 カルナは白いだけの空間で、天井を仰いで文句を垂れていた。

 

「……それも、どうなんだかな。アシッドにしてみれば、そろそろ飛び回るだけの厄介なハエ共を叩き潰しておきたいだろう? おれに任せてくれよ。おれのシュヴァリエなら、簡単に連中くらい、巣ごと始末して――」

 

『カルナ、言葉が過ぎるぞ。それに、我々の理念とは食い違う。我々のほうから、ロンギヌス機関の者達には仕掛けない。それは“約定”も影響している』

 

 約定。

 

 その言葉を持ち出されれば、カルナとて強くは出られないのだろう。

 

 退屈そうに足を投げ出し、顎をしゃくる。

 

 すると、部屋の隅に佇んでいた給仕が歩み寄り、料理を下げていた。

 

「……なぁ、そろそろ段階としてはもういいんじゃないか? “隔離病棟”が墜ちたんだ。悠々とこちらの優位を語るのには、少し迂闊だろうさ。“SAYA”感染者は日々増えている。情報統制も万全とは言え、やはりその隙間を縫うのが連中のやり方なんだ。下手に賢しく戦力を増やされる前に、排除したほうがいい」

 

「カルナ兄様の意見でも、それに関しては同意ですね。28号翼手のテストにしては、“サヤ”を増やし過ぎている。それこそ“約定”に響きますよ? 我々にしてみても手を打つべきでしょう」

 

「おれの意見でもってなんだよ、ラビ。末弟のクセに、生意気言ってんじゃねぇ!」

 

「これは失礼。如何にこのエメトピア……理想郷を総べるに値する血を分けた兄弟とは言え、少し暴言が過ぎると思いましたので。シュヴァリエをアンプルなしで制御し、そして忠誠を誓わせる。何も、難しいとは思いませんがね」

 

 こちらが少し挑発的になったからか、あるいはずっと苛んでいる彼の仕事のせいか、カルナは立ち上がり、それから牙を軋らせていた。

 

 瞳孔が収縮し、眼差しが真紅に塗り替えられる。

 

「……何だよ、ラビ。やるのか? いいぜ、来いよ。お前の使えないシュヴァリエを引き千切ってやるよ。ほら、呼べよ、ラビ! お前のシュヴァリエをよぉ……ッ!」

 

「カルナ様、この場でのその姿はお控えください」

 

 料理を持ったまま意見した給仕へと、カルナは目線を振り向けると同時にその腕を振るう。

 

 瞬間的に硬化した爪が剣閃を描き、給仕の胸元から上を斬り伏せていた。

 

 血が迸り、白い空間を染め上げて行く。

 

「……抜けよ、ラビ。お前だって牙を抜かれたわけじゃないだろうが」

 

 濁り切った声で挑発するカルナに、ラビは落ち着き払ってワインを飲み干す。

 

「いえ、わたしはこのままで。ここは有益な会談をする場所のはず。殺し合いにしては小奇麗が過ぎます」

 

「……嘗めてんのか、てめぇ……ッ! シュヴァリエを呼んでみせろよ、ラビぃ……ッ! 中途半端なシュヴァリエなんざ、ここで血祭りに上げてやるよ!」

 

『カルナ、その醜態を仕舞え。ラビはお前に合わせて殺し合いなんてするつもりはない』

 

「おれに合わせて? 合わせてって言ったのか? 兄貴! おれは落ち着いているぜ! これまで以上に、クールな頭脳で! だから、てめぇのを見せろって言ってんだよ、ラビぃッ!」

 

「兄様、落ち着いてください。ここは殺し合いを講じている場合ではない」

 

「それ、おれに勝てるって言っているみたいに聞こえるぜ、ラビ! なら、てめぇだって成れるんだろ? 見せてみろよ! ここでやれないってのは、男じゃねぇんだ!」

 

 ラビは静かにワイングラスを置いていた。

 

 こちらが来ると判じたのだろう。

 

 カルナは斑点の浮かび始めた表皮を拡張させ、翼を構築しようとしていた。

 

 肉体が屈折し、変異しかけたのを止めたのは、一声であった。

 

『――およしなさい、カルナ。それにラビも』

 

 鈴を鳴らしたような女性の声に、カルナは硬直する。

 

「……姉貴……? 来ていたのか……?」

 

『さっきから聞いていれば、随分と落ち着きのない……カルナ、戻りなさい。その姿、軽々しく他人に見せていいものではない事くらいは分かるでしょう?』

 

 その言葉にカルナは変異しかけていた肉体を元の姿へと戻していた。

 

「……姉貴が聞いていたなんて、思わなかったんだよ」

 

『ラビ、あなたもあなたよ。挑発はよしなさい。カルナがそう言った事に気を取られれば我を失う事くらいは分かっていたはず』

 

「これはこれは、姉様からも忠言を受けるとは思いも寄りますまい」

 

『……嘘を仰い。あなたは、いつだってそう言う論調で煙に巻く』

 

「……醒めた。ラビ、後は任せる。おれは自分の業務に戻るぜ」

 

 カルナは襟元を正し、部屋を抜けて行こうとする。

 

「よろしいので? まだ会談は終わっていませんよ?」

 

「……どうせ、これ以上話したって建設的な意見とやらは得られないんだ。なら、おれは後からの説明にだって納得する」

 

「そうですか。兄様、久しぶりに会ったのに、随分と素っ気ないではありませんか」

 

「もう挑発には乗らねぇよ。……姉貴、悪かった。もうしねぇよ」

 

『そう言えるだけ、あなたは賢いのよ、カルナ。いい子ね』

 

 その声を受け取る前に、カルナは扉を潜っていた。

 

 くっくっ、とラビは内奥より生じた笑いを堪えられないでいると、鋭く指摘される。

 

『ラビ、分かっていてカルナをけしかけたな。悪い子だ』

 

「兄様、わたしはね。カルナ兄様のように直情的にはどうしても成れないんですよ。だからああいうざまを見ていると、どうしても、ね……」

 

『悪い癖よ、ラビ。あなたは他人を下に見る気がある』

 

「肝に銘じておきますよ、姉様。それにしたところで、カルナ兄様は随分とまた、分かりやすい」

 

 ラビは両断された給仕係へと歩み寄る。

 

 その遺骸の切り裂かれた部位より生じた血が、白い床へと広がっていた。

 

「……給仕を弔ってもよろしいでしょうか」

 

『その人間は、ただのヒトだろうに。そこまでしてやる義理もない』

 

「いえ、単にわたしの、気分なのですよ」

 

『ラビ。私達から言う事は、もう決まり切っている。エメトピアの中央庁、その意を借りているのなら、示しなさい。セクションの平和と安寧を。28号を使ってもいい。一日でも早く“サヤ”を駆逐し、そして理想郷の実現を行う。そのためなら、手段は選ばなくっていい』

 

「次の出向先はセクション二十三ですから。これまでよりもパニックに陥っている市民が多いかもしれませんね。彼らをセクション管理者が制御出来るかどうかが、まるで分かりませんが」

 

『我々にとってセクションは平穏に保たれていなくてはならない。分かっているな? ラビ。要らぬ感傷で事態を妨げる事だけは、してくれるなよ』

 

 その言葉を潮にして片方のウィンドウから通話が打ち切られる。

 

『……ラビ、あなたは優しいし優秀だから、心配はしていないけれど。上手くやれるのよね?』

 

「もちろん。成果をご覧に入れましょう」

 

『……頼むわよ』

 

 通話が切られ、静謐に沈んだ白の部屋で、ラビは遺骸を肩に背負っていた。

 

 血が仕立てのいいスーツへと滲み込む。

 

 それでも構わず、ラビは部屋を出るとほど近い場所にあった一区画へと、給仕の死体を埋めていた。

 

 砂をかけていると、不意に背後に気配を感じる。

 

「……何をやっているのか……と疑問がありそうですね」

 

「……ヒトを弔うのですか。あなたほどの人間が」

 

「いけませんか? 人間であるのならば当然の義務でしょう。死に対して、ヒトは平等でなければならない」

 

 しっかりとした墓標を立てられるわけでもない。

 

 ただ、死ななくてよかった命一つに、今は鎮魂の祈りを捧げるだけだ。

 

「……“声”が聴こえたので来てみれば。あなたも危なかったのではないのですか?」

 

「わたしのシュヴァリエは優秀でよろしい。ですが、それに関してはノーだと答えさせていただきましょう。なに、兄弟喧嘩ですよ、何でもない」

 

「……それにしては殺気が尋常ではなかったようですが」

 

「カルナ兄様は本気になりがちなのです。要らぬ心配をさせたようですね」

 

「……いや、無事ならばいいのですが……」

 

 ようやく埋め終えた死体一つに、ラビはエメトピアにて最も広まっている宗派の祈りを捧げていた。

 

「……人死ににいちいち頓着している人格ではないでしょう」

 

「そう見えますか? だとすればわたしは、まだ理解していただいていないと、自身を顧みるべきなのでしょうね」

 

「……機関の者達はすぐに仕掛けてきます。次のセクションへの移動を迅速にしたほうがよろしいかと」

 

「エメトピア中央庁に無策で仕掛けてくるほど、彼らも愚かではありませんよ。……とは言え、あまり長居すると、わたしにとっても不幸になりそうだ」

 

 血で汚れたスーツについた砂を払った自分に、アダムは怪訝そうにする。

 

「……それほどの衣服を身に纏っていながら、何故……」

 

「分かりませんか? ……分からないほうがいいのかもしれませんね」

 

「……三十分後、移動を開始します。エメトピア中央庁からの厳命ですので」

 

「手厳しい。もう少しゆったりとしていきたかったのもあるのですが、仕方ないですね。仕事ですから」

 

 そう言って襟元を正した自分へと、アダムは言い置く。

 

「ロンギヌス機関がどこで耳をそばだてているのか分かったものではないのですよ」

 

「それはその通り。まさか“隔離病棟”が墜ちるとは。わたしも無能の誹りを受けても何の不思議もない。少しだけ、自室に戻っていいでしょうか? 服を着替えなければ」

 

 アダムが一歩下がって建物の影に同一化する。

 

 彼の気配が失せたのを確認して、ラビはあてがわれた一室に並べられているスーツへと袖を通していた。

 

 古い衣服をダストボックスに入れてから、血糊の沁みついたそれへと言葉を投げる。

 

「……これも禊の血だ」

 

 

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