BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第二十三話 心の距離は何マイル?

 

 セクション間を移動しなければいけない、と最初にデヴィッドから宣告されて、真那は戸惑いを浮かべていた。

 

「……前回みたいに、戦術ヘリを使って?」

 

「いや、今回の移動は通常のルートを用いる。俺達は別口からセクションに入るが、君はイザヨイの“小夜”と共に任務に移れ。ミッション遂行に当たって、必要なものはジュリアが持たせたはずだな?」

 

 こくり、と真那は頷き、画材ケースに仕舞い込んだ刀を意識する。

 

「……もし……何かあったら……」

 

「マフラーの下にある首筋の発信機に、それに緊急時の対応マニュアルは目を通したはずだ。安心して欲しい。我々は“サヤ”をむざむざ死なせる事はない」

 

 デヴィッドの言葉を受けながら、真那は先刻の戦闘訓練を思い返していた。

 

「……私、その……もし、翼手と遭遇しても、戦闘に打って出られるか、分かりません」

 

「大抵の“サヤ”はそう言いながらも任務をこなす。それに関してで言えば、先達であるイザヨイの能力を信用するといい。彼女は強い“サヤ”だ」

 

 真那は背中にかかるデヴィッドの声が、どこか突き放す物言いを含んでいる事に勘付いていた。

 

 恐らく、ここから先の任務は、最初のように何でもかんでもサポートは出来ないのだろう。

 

 自分が“サヤ”として、一人でも戦っていかなければいけないはずだ。

 

 イザヨイの支援があるとは言え、戦いになれば自分の力を信じなければいけない。

 

 ――だが、それは。

 

「……戦闘訓練で、自分の力が出せた気が……しないんです」

 

「イザヨイのお墨付きだ。彼女は殺意がない相手に対してあそこまで立ち合う事もないだろう。君の戦闘能力は、翼手を狩るに値すると判断したはずだ」

 

「……けれどでも……何だか自分の中で、しこりがあって……」

 

「“サヤ”の戦闘本能がそれを補強する。倉橋真那、君は何も不安がる必要性はない。これまでと同じように……数多の“サヤ”がやって来たのと同じく、任務は滞りなく遂行されるはずだ」

 

「……デヴィッドさん。前の、“オトナシ”……先代の話は、してくれないんですね」

 

「したところで君を迷わせるだけだろう。任務開始まで、残り三時間もない。イザヨイと共に、君は街に潜んでいる28号翼手と、それを先導する上級翼手を駆逐してもらいたい。彼らは血で結びついている。上級翼手が一体、野に放たれれば、それを嚆矢として28号は拡散する。血の結束を絶て。奴らが下手に知恵を付ける前に、完全に打ち倒すんだ」

 

 どこか強い論調のデヴィッドは、これまで自分に語りかけてくれた優しさとは無縁のようであった。

 

 真那は画材ケース越しに自らの牙である刀を意識する。

 

「……分かり、ました……。“音無小夜”として……任務に当たります」

 

「……頼んだぞ」

 

 そうしてデヴィッドはベンチから腰を上げて立ち去っていく。

 

 その背中が完全に離れ切る前に、真那は振り向いていた。

 

 デヴィッドはこちらを一顧だにせず、機関の用意した格納庫へと進んで行く。

 

「――そんなに不安?」

 

 不意にかけられた声に真那は面を上げる。

 

 鋭角的な眼差しを誇るキザハシがこちらを睨んでいた。

 

「……キザハシ……さん」

 

「……あんたの戦闘訓練、見ていたわよ」

 

 歩み寄って彼女はベンチを指差す。

 

「……隣、いいわよね」

 

 有無を言わさない言葉繰りに真那は首を引っ込めていた。

 

 キザハシは刀を抱きつつ、こちらへと視線を投げずに問い質す。

 

「……何? 怖いの?」

 

「そんな事……いえ、怖い……んですよね、多分」

 

「何よ、多分って」

 

「……私が怖いのはきっと、誰かを殺しちゃうだとか、翼手と戦うじゃ、ないんですよ。……自分の力が至らない瞬間がきっと、一番に怖い……」

 

 前回、“隔離病棟”でショーコを手にかけ、そしてシュヴァリエを前に手も足も出なかった。

 

 その恐怖心が身を竦ませているのだ。

 

 キザハシは嘆息一つで憂いを打ち消したようであった。

 

「……あのねぇ、湿っぽい“サヤ”なんて、一番に死んでいく。いい? “サヤ”になったのなら、あんたは意地でも自分の面の皮を張らなくっちゃいけない。他の“サヤ”に侮られるだけなら、まだマシよ。問題なのは、任務に当たっている他人を、知らぬうちに傷つけるかもしれないって言う点」

 

「……他人を、ですか……?」

 

「そうよ。だって、あたし達が翼手を殺さないと、もっと犠牲者は出るのよ。確かにね、あたし達の戦いは誰かに担保されるものでもなければ、希望があるものでもないんでしょう。けれど、“サヤ”に成ったのなら、翼手を倒さなくっちゃいけない。あんた、一端にシュヴァリエ相手に刀を振るい上げたんだから、少しは自覚を持ちなさい」

 

「……けれどそれは、知らないから出来た事で……」

 

「知らないだけじゃ、シュヴァリエと戦おうなんて気も起きない。あんたの中には前任者の“オトナシ”が居る。なら、命をかけたあの鼻持ちならない“サヤ”に、恥じ入るような事だけはしない事ね」

 

 キザハシは刀を提げ、それだけを言いに来たかのように歩み出していた。

 

 真那は覚えず、その背中を呼び止める。

 

「……けれどもし……私が……翼手に倒されてしまったら? どうしろって言うんですか」

 

「……あんたねぇ。イラつかせるのもいい加減にしなさいよ。そんなの、別にどうって事ない。翼手と相打ちになる“サヤ”未満なんて大勢居る。吐いて捨てるほどにね。けれど、一度ならず二度までも翼手との戦闘で生き残ったんなら、確率とか運だけじゃない。あんたの中には間違いなく、“サヤ”が息づいているのよ。だったら、翼種殲滅のその日まで、抗い続けなさい。それが、“サヤ”に生まれついた人間の、拭えない罪のようなものなのだから」

 

 キザハシはそれだけ言い置いて立ち去ってしまう。

 

 デヴィッドもキザハシも、答えになるような事は結局、言い残してくれなかった。

 

「……自分で見つけるしか、ない……のかな」

 

 千佳を殺した。

 

 ショーコを殺した。

 

 それだけではない、患者の変じた翼手を殺し、両親の命をこの手で摘んだのだ。

 

 今さら被害者面をしている場合でもない。

 

 真那は立ち上がり、頬を張っていた。

 

 少しはこれで滅入っていた気持ちは晴れたのだろうか。

 

 分からない、何一つ。

 

 だが分からないなりに、自分の中で明瞭になったのは、たった一つだけの意地。

 

「……知らないだけで、死んで行くのだけは、一番に、嫌……!」

 

 この世界の仕組みを少しは知らなければならないだろう。

 

 それがたとえ、世界の裏側で爪弾きにされて生きて行く事であったとしても。

 

「猫背の自分」からは、もうさよならするべきであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よかったのか? あんな風に突き放して」

 

 潜入用の車を運転するルイスに、助手席のデヴィッドは無機質に応じていた。

 

「……俺が何を言ったところで、所詮は後方支援。門外漢の理論だ。……倉橋真那にしてみても、いいようにはならないだろう」

 

「けれどなぁ……お前さ、少し肩入れし過ぎだよ。あれは“サヤ”なんだぜ? 今までおれ達がやって来たのと同じように、どこかで不幸にも強い翼手と相打ちになるかもしれない。あるいは、アシッドの連中が仕掛けた罠にかかって、もっと酷い帰結を辿る可能性だってあるんだ」

 

「……何が言いたい、ルイス。お前にしては随分とお喋りだな」

 

 ハンドルを切り、ルイスはセクション間を繋ぐハイウェイを乗り継いでいた。

 

「……つまるところはな、お前がどうして、“オトナシ”の“サヤ”と呼ばずに、未だに倉橋真那の名前を呼んでいるのかって事だ。もうあれは、“音無小夜”のコードネームだろう?」

 

「……気分じゃないんだ。前任者の“音無小夜”があまりにも……強かったせいかもしれない」

 

 あるいは、ルイスには言わないが、彼女が身を挺して守り切ったのが真那であるのならば、自分はその遺志を継ぐ者として、真那を少しくらいは戦いから遠ざけたい意図もあるのかもしれない。

 

「強かった、か。……まぁ、“サヤ”連中同士の強さなんざ、担当しない限りはそこまで噛んでは来ないもんだが……“音無小夜”は、機関が保護して以来の最強の“サヤ”であった、とされているな」

 

「それだけに、他の“サヤ”達も一家言あるのだろう。自分より強い“サヤ”だ。先刻の戦闘訓練にも、彼女らの目があったらしい」

 

「怖いよなぁ、“サヤ”連中が集まって、鑑賞とは。シュミも悪いぜ」

 

 ルイスはそれとなく、ラジオのボリュームを絞っていた。

 

 ハイウェイの交通情報と共に、ニュースを淡々と読む声が飛び込んでくる。

 

『……続いて、セクション二十七において、“SAYA”感染者が急増しているとの報告が上がっています。セクション管理者はこれを受けて、セクション二十七を本日、21時ごろには完全封鎖する見込みです』

 

「“SAYA”への目覚めは着実に増えつつある。……だが、そんな彼女ら全員が翼手への対抗策に成るわけではない」

 

「皮肉なもんだ。“SAYA”のキャリアーが増えたところで、おれ達の優位には全く転がらないってのは。むしろ、エメトピア中央庁からの締め付けが厳しくなって、おれ達はさらに動きづらくなる。大規模になってくれば、シュヴァリエも動き始めるだろうな」

 

「……シュヴァリエ、か」

 

 前回、真那が会敵したとされるシュヴァリエの情報を、デヴィッドは端末上に呼び起こす。

 

「黒い外套に、肉体の硬化能力……翼手の基本スペック以上は引き出せなかった。キザハシの証言では、上級翼手の比ではないプレッシャーだったと言うが……」

 

「我らが“オトナシ”の“小夜”はそれに立ち向かって四肢断裂。敗走、か。苦いな、しかし」

 

「……ルイス、現状、機関が確認しているシュヴァリエは二体。“隔離病棟”のシュヴァリエと、そしてもう一体だ。こいつには……“サヤ”が五人も殺されている」

 

 デヴィッドが端末に同期させたのは粗い画素であったが、薄紫色の表皮を持つ翼手形態のシュヴァリエに惨殺された“サヤ”達の映像だ。

 

「仇討ち……なんて考えるなよ、デヴィッド。おれ達は“サヤ”とは違う。所詮、後方支援しか能のない、怖気づいただけのただの人間なんだよ。出来る事なんざ、せいぜい特殊弾頭をぶち込むくらいだろうさ。それも“サヤ”達の力を頼っての方便でしかない。無力なんだよ、おれ達みたいなのは」

 

 運転するルイスの浅黒い相貌に影が差す。

 

 ちょうどトンネルに入ったところで、デヴィッドは窓辺へと頬杖を突いていた。

 

「……せめて無事を祈る事くらいか。俺達、に出来る精一杯なんてものは」

 

「存外に距離があるもんなんだよ。戦場からなんて」

 

 ルイスの皮肉めいた論調に、デヴィッドは静かにこぼしていた。

 

「それは一体……彼女らの心の距離からは、何マイル離れているんだろうな」

 

 

 

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