BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

25 / 183
第二十五話 獣たちの黄昏

 

 放課後には一件だけ、メッセージが届いていた。

 

〈一度、クラスに関して話し合いがしたい〉と、可愛いキャラもののスタンプと共にイザヨイのメッセージが端末上を浮遊する。

 

「どうしたの? 置いてっちゃうよー!」

 

 しかし今はこちらを優先だと、真那はきつく瞼を閉じていた。

 

 翼手の足跡があるのならば、自分一人でもいい。作戦遂行に迷いのないうちに、せめてイルムだけでも助け出さなくては。

 

 自分のような人間に友達になってくれると言っているのだ。

 

 彼女の命を無駄に散らすわけにはいかない。

 

 イルムは踊るように夕刻の街を駆け抜けていく。

 

 街並みは自分の住んでいたセクションとさして変わらないが、やはりと言うべきか、息づいてきた感覚が違う。

 

 漂う香りも、人波の静けさも、どれもこれも、二度と戻らない情景なのだ。

 

「音無さんさぁ、結構、おのぼりさんだったり? 他のセクションと差はないと思うけれどなぁ」

 

 ぼやいたイルムに、いや、と真那は答えていた。

 

「……ちょっと……懐かしくなっちゃって……」

 

「そっか。でも、音無さんはこっちに越してきたんだし、慣れないとね。このセクションは都会でもないけれど、一度人波に紛れてしまえば、割と分かんなくなる事もあったりして」

 

「……そう、なんだ……」

 

「そうそう。だってこの間もクラスで三人ほど、行方不明になったしねぇ」

 

 初耳な話に、真那は面を上げる。

 

 計算された斜陽の街で、イルムが口角を釣り上げたまま言葉の穂を継いでいた。

 

「よくある事じゃん? だって“SAYA”感染者だったって言うし。居なくなっちゃった人の事なんて、いちいちに気にも留めないよ」

 

 イルムは薄情なのだろうか。

 

 あるいは人間関係に淡白なのかもしれない。

 

 いずれにせよ、彼女より見せられた映像は間違いなく、翼手の獣性を感じられた。

 

 このままでは、彼女もその牙にかかりかねない。

 

「……イルムはさ、“SAYA”が怖くないの?」

 

「うん? 怖くないよ? だって、いずれ人間って死んじゃうし。遅いか早いかだけでしょ?」

 

「……そっか。達観してるんだね、イルムは」

 

「やめてってば! 大人からしてみればこんなの、下手に物分りのいい子供よりも厄介だとか思われてるし、内申点に響くんだから」

 

 そう言えば、自分もつい数週間前まではそっち側の身分だった事を思い返す。

 

 このエメトピアを蝕む“SAYA”という病理は恐ろしい――だがだからと言って、別段他人と会う事を遠慮するのも可笑しければ、下手に怖がるのも異常であったのだ。

 

 もし病気にかかったとしてもグミを服用していれば、何の心配もないのだと。

 

「……そう言えば、誰もグミ……食べてなかったよね?」

 

「あー、あれ? うちのクラス、ボイコットしてんの」

 

「……ボイコット?」

 

「うーん、ストライキ、とも言うかなぁ。だってさ、別にグミを食べていたからっていつまでも生きられるわけじゃないでしょう? だったら、服用の義務はないって」

 

 イザヨイがクラスに関して話したいと言っていたのはともすればそれか。

 

「……でも、グミを服用していれば、病気にはならないんだよ? そしたら、“SAYA”にだって……」

 

 脳裏にフラッシュバックするのは“隔離病棟”で斬り伏せていった患者翼手達だ。

 

 彼女らもともすれば、こうして“SAYA”を侮っていたせいで、ああして翼手化して行ったのかもしれない――そこで、ふと、疑問を覚える。

 

「……あ、れ……あそこって、“SAYA”患者のための病棟だったんなら、何で翼手に成っちゃったんだろう……」

 

 おかしい。

 

 翼手に成るのならば、“SAYA”である事に矛盾が生じるはずだ。

 

 だと言うのに、院長の“声”に導かれ、彼女らは翼手へと変異し、自分は何ともない。

 

「……どったの? 可笑しな事を聞くんだなぁ、音無さんは」

 

 工場地帯が近くなってきたせいか、夕映えに亡霊のような煙突の影が差す。

 

 イルムは白線の上を歩きながら、歌うように口ずさんでいた。

 

 その歌は今週もヒットチャートを爆走するアーティスト、レクディの新譜だ。

 

「……あっ、レクディ、ここでも流行ってるんだ……」

 

「当たり前じゃん! レクディ、マジでいいよねぇー」

 

「……うん。そう、だね……」

 

 千佳と交わしていた何でもない会話を思い出す。

 

 自分達は、一つ二つ先のセクションすら超える権限を持っていない小娘であったのに、どこで違えてしまったのだろう。

 

 そうだ、いつか――。

 

「……ねぇ、イルム。海って見た事ある?」

 

「海? うーん、ないなぁ……」

 

 人差し指で唇を押し上げて、彼女は考え込む。

 

 何だか教えられっ放しなので、真那は自慢したくなったのもある。

 

「……色んなセクションを超えて商売している人に聞いたんだけれど、エメトピアの管理が届かない、一面が青の、水の原が広がってる場所があるんだって。それが、“海”。一度写真で見せてもらったけれど、本当にすごかったよ?」

 

「へぇー、そんなになんだ」

 

「うん……いつか……イルムにも見せたいな。あのね、私、レクディのライブにも生きたかったけれど、いずれそこに連れてってもらえるって……約束、してたんだ」

 

 喫茶油処の店長との口約束だ。

 

 しかし、店長はいつだって自分達に新しい世界を見出してくれた。

 

 千佳と自分のような少女を鬱陶しがらずに、夢を見るのは自由なのだと説いてくれたのだ。

 

 そんな大人は周りには居なかった。

 

 どれだけ世界が平穏でも、どれだけ全ての脅威が消え去った理想郷であっても、子供達に夢なんて吹聴して回る大人は、誰一人として居なかったのだ。

 

 両親に愛がなかったわけではない。

 

 教師達だって、別に懇意にしてくれなかったわけでもない。

 

 ただ――夢なんて持つのには、白亜の建物ばかりが広がるこの理想郷はあまりにも、手広く、そして持て余す代物だったのだ。

 

 自分も千佳も、夢なんて語らなかった。

 

 将来何になりたいだとか、どう生きたいなんて指針、持ったところで意味を成さないのは分かり切っていたのだ。

 

「……でも、変な大人も居たもんだねー。それってフシンシャって奴?」

 

「……かも。変な大人だったのは、本当……。けれど、いつか海に行きたい。レクディのライブにも……イルムみたいな友達と一緒なら、いつかは行けるかも……」

 

「倍率高いらしいよー。ヤバいじゃん!」

 

 打算なく笑いかけてくれる。

 

 それだけで、真那は心を救われるような気がしていた。

 

 工場の敷地内へと、イルムは鼻歌を口ずさみながら案内する。

 

「こっち。先に入って。仲間達がそろそろ来るはずだから」

 

「……うん」

 

 ぎゅっと画材ケースに入った質量を確かめる。

 

 ――今度こそ、誰も死なせやしない。

 

「……友達を守るんだ……」

 

 そう呟いて誓ったところで、不意打ち気味に背後の扉が光を遮っていた。

 

 重い鉄格子の音。

 

「……イルム?」

 

 それは防護扉であり、少女の力では決して、びくともしないはずなのに。

 

 イルムは片腕で、重々しい扉を閉めていた。

 

「……ねぇ、仲間は? みんなが来てから、話を進めたほうがいいんじゃ――」

 

 そこまで口にして、イルムの肩が揺れる。

 

 直後に放たれたのは工場の天井に反響する高笑いであった。

 

 ひとしきり笑った後に、イルムは口角を釣り上げる。

 

「……ここまでバカだっけ? 機関の掃除人ってのは、さぁ……ッ!」

 

 真紅の光を宿した虹彩が獣の証として、薄暗がりで自分を捉える。

 

 ――罠にかかった無様な獲物として。

 

「……イル、ム……?」

 

 瞬間、彼女の姿が掻き消える。

 

 青い加速の色調を帯びて、イルムの片腕が真那の首筋を捉えていた。

 

 少女の膂力とは思えない万力の腕で締め上げられ、真那は当惑するよりも先に、呼吸困難に陥っている。

 

「……どう、して……」

 

「あっちのほうがさぁ……まだ慎重だったよね。クラスの中に何人紛れているのか、って探ってる感じだったけれど、あんたは全然! だから、ちょっとヤマ張ってみたんだァ……でも、本当にお笑い種ァッ! こんな見え見えの罠にかかる奴、今どき居るぅ?」

 

 イルムの腕が内側の骨格から組み替えられ、複雑怪奇に折れ曲がった腕が真那の首を捻じ切らんとする。

 

 爪が伸び、表皮から漂う獣の臭気に、真那はようやく声を発せられた。

 

「……翼手……!」

 

「せいかーい。けれど、ざんねーん。終わりだよ、機関の掃除人」

 

 視界が暗転しかける。

 

 如何に“小夜”としての身体能力が勝っているとしても、既に呼吸を封じられれば脳への血流は途絶え、そして酸素は欠乏していく。

 

 意識に靄がかかったように薄らいでいく中で、真那は天上を仰いでいた。

 

 反射する黄昏の景色が天窓の一部から垣間見える。

 

 途端、その景色が遮られていた。

 

 夕映えを切り裂き、制服を躍らせたのは――。

 

 直後に至近距離の銀閃が舞い、イルムの腕を両断する。

 

 血飛沫が舞い散り、世界が一瞬にして赤に染まっていた。

 

 真那は何度か咳き込みつつ、涙の滲んだ視界で、それを認める。

 

 スカートを翻し、腰だめに太刀を構えた少女が――十六夜小夜が目の前に佇んでいた。

 

「……イザヨイ……さ……」

 

「生きてるわね?」

 

 有無を言わせぬ論調に返答する前に、イザヨイの像が消え失せる。

 

 イルムが片腕を伸ばして彼女を薙ぎ払ったのだが、その時には既にイザヨイは直上を取っていた。

 

 イルムへと一閃で斬りかかったイザヨイに対し、切断された腕から再生された筋肉繊維が触手となって駆け抜ける。

 

 無数の軌道を描いた触手の腕をイザヨイは切断し、寸断し、そして眼前に迫ったものを打ち払う。

 

 その挙動に、所作に、迷いなど一拍もない。

 

 刃が振るわれ、イザヨイの躯体が跳ね上がっていた。

 

 イルムは舌打ちを滲ませてもう一方の手で扉へと手をかけたところで、肉体へと斜に一撃が入る。

 

「イルム……!」

 

 つかの間の友情を信じたかったのか、あるいは彼女が翼手であった現実を認識したくなかったのか、それは分からない。

 

 自分の喉から漏れた情けない慕情はしかし、裂けた彼女の口腔部が牙を有して開かれた事で突き崩されていた。

 

 次の瞬間、“声”が至近距離で爆ぜ、イザヨイが吹き飛ばされる。

 

 翼手ならば、操る“声”そのものに物理性能を持たせる事も可能であるのはデヴィッドから教えられていた。

 

 しかし、まさか、と言う思いが先に立つ。

 

「……嘘、でしょう……? うそ、だよ、ね……? イルムが、翼手なんて……」

 

 イルムは再生し切った片腕の触手を突き出し、イザヨイの攻撃を一瞬だけ遅らせた後に、飛び退っていた。

 

 夕闇に沈みかけていた世界から、亡者のように揺らめいてこちらへとやって来るのは数名の影だ。

 

 昏い色調を持つ異形達の影はどれもこれも、赤い瞳をぎらつかせている。

 

「……こんなに、翼手……?」

 

「やっぱり、張られていたみたいね」

 

「……イザヨイ、さん……」

 

 ようやく視線を振り向けると、イザヨイは目線だけで応じる。

 

「構えて。混戦になるわ」

 

「……ま、って……。待って、ください、ねぇ……。おかしいでしょう、こんなの……。だって、イルムは、私の……」

 

「――友達、なんて言わないよね? あんなに翼手の血の臭いが分かりやすい相手に」

 

 断じられて、真那は視界が薄暗くぼやけていくのを感じていた。

 

 全ての音が遠い。

 

 色彩が色を失っていく。

 

 現実認識が抜け落ちて行く中で、真那はイザヨイの冷徹な声を聞いていた。

 

「あれは翼手……それも群れね。恐らくは28号の血分けをされたハーレムでしょう。奴らは徒党を組む。こっちが一人二人なら、ねじ伏せられるって寸法でしょう。……嘗められたものね。しかも、こんな……工場跡地に誘い込まれるなんて」

 

 真那は地面へと手をつき、肩から滑り落ちた画材ケースの蓋が取れ、刀の柄が視界に大写しになっていた。

 

 嗚咽を漏らし、声にならない叫びを上げる。

 

「……“オトナシ”の小夜さん。相手を斬り払うわ。手伝ってちょうだい。あれだけの数は、さすがに私でも手に余る」

 

「いやぁ……そんなの……出来ない……ですぅ……っ」

 

「じゃあ死んでちょうだい。それくらい、自分でも選べるでしょう。自害は出来ないけれど、翼手に殺される自由は、私達にもある。……私は、ここで死ぬのは真っ平御免」

 

 イザヨイが刀を構えて駆け出す。

 

 彼女が払った一刀が翼手の肩口を捉えるも、明らかに多勢に無勢だ。

 

 一撃が食い込んでも他の翼手からの攻勢には守りに出るしかない。

 

 その爪が、牙が、次々とイザヨイの勢いを潰して行く。

 

 刃を振り払って応戦するも、四方八方から遅い来る翼手を確実に倒す最適手段など存在し得ないのだろう。

 

 一つ、また一つとイザヨイの刃が鈍っていく。

 

 血糊が零れ落ち、翼手がその衝動に吼えていた。

 

 真那は、しかし立ち上がれない。

 

 イルムは翼手だった。

 

 自分をここへと誘い込んだのも、最初から“サヤ”である事を確証しての行動だったのだろう。

 

 裏切られた痛みよりも、誰かを信じて、そしてまたも易く流れようとしていた自分の弱さが先に立つ。

 

 その結果がこれだ。

 

 イザヨイは相手へと牽制の太刀を見舞うも、どれも決定打にはならないのは明白であった。

 

「……私が……戦わない、と……」

 

 しかし、刀を握れるのか。

 

 もう一度、翼手と戦い抜く事を誓えるのか。

 

 誰かを救おうとして、結果として誰も救えない――そんな脆さに流されそうになる。

 

 それでも自分には、力があるはずだ。

 

 翼手を倒す。

 

 この世界にあまねく全ての人のために。

 

 そんなお題目のために、刀を振るえるのか。

 

 堂々巡りの真那の思考回路へと、イザヨイの徹底抗戦が映る。

 

 下段からの振るい上げで翼手の腕を寸断するも、すぐに背後から組み付かれ、地面へと突っ伏す。

 

 抵抗も、その眼差しに宿した憤りのような真紅も。

 

 どれもこれも、塵芥。

 

 だとすれば――自分は何を信じるべきなのだろう。

 

 デヴィッドもルイスも答えてはくれない。

 

 分かりやすい答えなんてない。

 

 それでも、私は――。

 

「……私は……目の前でもう……何も出来ないのだけは、嫌……!」

 

 イザヨイへと喰いかかろうとしていた翼手を見定めた瞬間、内奥より生じたのは衝動だ。

 

 赤い衝動が自我を覆い尽くし、旋風と渾然一体となって、真那は駆け抜ける。

 

 腰だめに構えた刀の鯉口を切り、イザヨイの頭部を潰そうとしていた翼手の腕を叩き割っていた。

 

 血飛沫が飛び散る中で、真那は真紅の本能に身を任せ、敵の爪を掻い潜る。

 

 胴体部へと一閃。

 

 そのまま膂力に任せて撃ち割り、臓腑の臭気が鼻孔を掠めたのも一瞬。

 

 骸を蹴り上げ、翼手の群れから躍り上がり、真那は中空でこの場に集った翼手の群れの数を、いやに醒めた意識で把握する。

 

「数は……十四」

 

 これまでの戦闘訓練では想定していなかった群れだが、自然と恐怖はない。

 

 血液が沸騰する。

 

 血潮が湧き踊る。

 

 真那は一体の翼手の頭蓋を蹴りつけ、その勢いを借りて背後の翼手へと逆手に握った刃で腹腔を貫く。

 

 既に血を滴らせ、「emeth」の血文字が赤く照り輝く。

 

 すぐさま引き抜くと同時に敵を蹴破り、ローファーの裏で肋骨を叩き割る感触を味わいながら、刃を返していた。

 

 軽く、それでいて踊るようなステップで翼手の爪を抜け、牙から唾液を迸らせた翼手の頭部を両断している。

 

 全く息が切れない。

 

 脈動も驚くほど静かだ。

 

 挙動している自我と、こうして俯瞰している自我がまるで剥離したかのよう。

 

 醒めた眼差しで、真那は次なる敵へと視線を据えようとしたところで、不意打ち気味に“声”が生じていた。

 

 生き残った翼手達が一斉に飛び退り、工場跡地に点在して、やがて骨格を軋ませる。

 

「……飛ぶ気か」

 

 吐き捨てた真那は敵の総数を鋭く意識に入れる。

 

 残り七体――しかし、継続戦闘は難しいだろう。

 

「……オトナシさん。相手は既に離脱挙動に入っている。デヴィッドに連絡するわ」

 

 イザヨイは首筋に埋め込まれている通信機器へと無線を繋いでいた。

 

 自分もマフラーの下に仕込んでいるそれに意識を向ける前に、翼手の群れは一斉に滑空していた。

 

「……デヴィッド。生き残った翼手が七体……街へと向かっていくわね」

 

『十六夜小夜。阻止出来なかったのは怠慢だな。……まぁ、いい。特殊弾頭を用意しておく。敵の攻勢範囲としては?』

 

「……ハーレムを作っていたようだから、このセクションに根付いている28号翼手の可能性が高いけれど、もう一段階上の上級翼手の線も捨てきれない」

 

『了承した。これより特殊弾頭の使用許可を本部に乞う。時間はさほどかからないとは思うが』

 

「急いでちょうだい。……これ以上被害を出すわけにはいかない」

 

 イザヨイの詰めた声に、真那はようやく、赤い世界から脱却していた。

 

 そして、血に染まった自分の両腕を眺める。

 

 震えが身を浸したのはまだ正常な反応だったのだろうか。

 

「あ、あ……」

 

 翼手を殺した。

 

 否、そうではない。

 

 翼手は――イルムのような少女の姿を取り、狡猾に自分を罠にはめようとしていた。

 

 その事実に怖気が立つ。

 

「……聞いていたでしょう? 翼手は擬態能力を持つ。あのイルムと言う少女はとっくの昔に、翼手に成り変わられていたのよ」

 

 冷静な調子を崩さないイザヨイに、真那は当惑していた。

 

「……でも、友達になってくれるって……!」

 

「友達、なんて浅い関係性で、死ぬところだったのよ」

 

 突きつけられた現実に、真那は瞠目する。

 

 イルムは最初から、自分が機関の手駒だった事は理解していたのだろう。

 

 そうなのだと分かっていて、自分に近づいた――だとすれば、もう誰も……。

 

「……誰も、信じられなくなっちゃうじゃないですかぁ……っ!」

 

「そうよ」

 

 短く応じてみせたイザヨイに、真那は濡れた面を上げる。

 

「だって、それが“サヤ”の宿命なのだもの」

 

 それが“サヤ”の宿命――自分より随分と長く小夜として戦っているイザヨイにしか言えない重みであった。

 

「……けれど……誰も傷つけたく、なくて……」

 

「だったら、“サヤ”の任務を放棄する? 言っておくけれど、それは機関で実験動物として扱われるという事。私は……まだやらなくっちゃいけない事がある」

 

「……やらなくっちゃいけない、事……?」

 

「エメトピア中央庁。そこに行く」

 

 イザヨイの発した短くも力強い言葉に、真那は茫然としていた。

 

「……中央庁……」

 

「そこで、何故“小夜”が生まれたのか。何故、翼手と戦わなければいけないのかを問う。それまで、私は死ねない。何を使ってでも、生き残る」

 

 イザヨイの強さは恐らく本物なのだろう。

 

 誰を犠牲にしてでも、目的一つを達成すると言うのならば。

 

 自分にはない魂の輝きであった。

 

「……私は、何を生きる目的にすれば……」

 

「自分で考えたほうがいいわ。最後の時、後悔しないでいいはずだから」

 

 後悔しない道を選ぶと言うのならば、ここで膝を折ってさめざめと泣いている状況ではない。

 

「……翼手は……ヒトを襲うんですよね」

 

「そうね。七体とは言え、私達に嗅ぎ回られたらそうそう逃げ場もない。このセクションを壊しにかかるかもしれない」

 

「……誰かが殺されるんですか」

 

「あるいは諸共、かもしれない」

 

 ならば、自分達にしか出来ないのならば――よろりと立ち上がった真那は、刀を鞘に納めていた。

 

「……やります。私、本当は怖いけれど……でもそれでも……自分の知らないところで、もう誰も……死なせたくない……っ!」

 

「怖いなんてのたまった小夜ははじめてね」

 

 そう告げたイザヨイはヘリの羽音を聞き留めて空を仰ぐ。

 

 イザヨイのデヴィッドが操縦する戦術ヘリへと、真那も乗り込んでいた。

 

「……残存している翼手は七体、か。少し厄介になりそうだが、特殊弾頭でどうにかして抑え込む。その隙に」

 

「ええ、殺すわ」

 

 逡巡の一つもないイザヨイの言葉に、真那は静かに震撼していた。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。