BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第二十八話 ならば剣を取れ

 

 イザヨイは奥歯を噛み締めて躍り上がる。

 

 こちらへと足蹴を見舞おうとして、その一撃が空を掻いていた。

 

 真那は回り込んで一太刀を浴びせようとして、イザヨイの身体能力を前に霧散する。

 

「馬鹿にしないで! ここまで生き延びた実力は伊達じゃない!」

 

 ローファーに仕込んだ鉄製の刃で首を掻っ切らんと迫る。

 

 真那はそれを紙一重で回避し、肉体を飛び退らせていた。

 

 マフラーの下――首筋にまるで首輪のように埋め込まれたのは緊急用の電子部品である。

 

 それを引っ掴むと、イザヨイも同じように構えていた。

 

 彼女にしてみれば武器がないも同義。

 

 なるほど、帰結する先は一つか。

 

「……来ているわね? デヴィッド」

 

「……David」

 

 互いに深く呼吸し、そして叫ぶ。

 

「武器を寄越しなさい!」

 

「sword!」

 

『認証』

 

『認証した! ルイス、壁の向こうだ!』

 

 途端、直上より放たれた特殊弾頭の白銀の砲弾が空気をねじり込みながら地面へと着弾する。

 

 それと同時に壁を粉砕し、自分の呼び寄せた特殊弾頭がイザヨイを貫かんと迫っていた。

 

 彼女は横っ飛びしてそれを回避し、互いの攻勢が入れ替わる形で砲弾に触れる。

 

 花開くように、白銀の蓮の花の中央より刀が引き出されていく。

 

 真那はそれを逆手に握り締め、イザヨイが腰だめに構えた時には飛びかかる。

 

 瞬時の抜刀が閃き、相手が刀身を晒す前に一閃、さらに二の太刀が閃く。

 

 イザヨイが一手遅れ、鞘に仕舞われたままの太刀で応戦するが、真那は相手へと斬りかかった反動を用いて躍り上がり、中空で太刀筋を叩き込む。

 

 イザヨイは舌打ちを滲ませて真紅の眼光で真那へと鞘に納めた刃を翳す。

 

 両断の一撃が食い込み、衝撃波が拡散していた。

 

 その余波で鞘が砕け落ち、反撃の太刀が翻る。

 

 上段より打ち下ろされた一閃を掻い潜り、真那は浴びせ蹴りを見舞っていた。

 

 イザヨイが柄頭でこちらの脚部へと打撃を叩き込む。

 

 骨が軋み、筋肉繊維が通常の人間ならば破砕されていただろう。

 

 内在する“小夜”の再生能力がそれを凌駕し、蹴りは完遂されていた。

 

 壁へと吹き飛ばされたイザヨイが持ち直すよりも素早く、真那の赤い薙ぎ払いが少女の躯体を組み伏せんとする。

 

 灰色の粉塵が舞う中で、イザヨイの肉体から血が迸らなかったのを、真那は関知野で認識する。

 

「……正直、ここまでやるとは思わなかったわ……」

 

 四方八方から聞こえてくるイザヨイの声は、人間のそれとは違う。

 

 それはまさに、翼手の放つ“声”と同質の音量兵器であった。

 

 こちらを撹乱させ、位置情報を掴ませないように何重にも反響する。

 

 真那が振り向いた時には既に砂煙は晴れ、“声”の方向へといち早く刺突を浴びせ込もうとしたが、それはただの“声”の残滓だ。

 

「……けれど、“サヤ”としては私のほうが上……私が――勝つ」

 

 貫いたのはイザヨイの張っていた罠だ。

 

 残響し続ける“声”だけを疑似餌にして、本体の気配は直上より刀を大上段に振るい上げる。

 

 必殺の息吹の灯った一撃に、真那は舌打ちを滲ませて射抜いた“声”の地点で刃を返していた。

 

 削岩機の勢いを宿らせた一閃を肩に担ぎ、真那は直上より舞い降りるイザヨイの必殺の太刀筋へと返答していた。

 

 互いに弾かれ合い、火花が舞う。

 

 宵闇の中で一瞬だけ双方を照らした赤い残火に、真那は殺気に照り輝くイザヨイの真紅の瞳を見据えていた。

 

 血が滴る。

 

 心臓を貫かれ、先刻の刃の応酬で肉体もまともに再生していない。

 

 それでも――内奥から生ずる赤い旋風が。

 

 体内より血を沸騰させる生への渇望が。

 

 今も呼ぶ。

 

 今も叫ぶ。

 

 ――生きろと。

 

 勝って生き延びろと、咆哮する。

 

 まるで平時の自分とは隔絶されていた。

 

 戦う事、生き抜く事だけに特化した殺戮機械。

 

 敵を抹殺し、そしてその生存の証明さえも残すまいとする決戦兵装。

 

 ――これが“音無小夜”。

 

 翼手を狩る者の血か。

 

 狩人の宿命に衝き動かされるように、真那は刃を反転させてイザヨイを近づけさせない。

 

 足元の血の海が蠢動し、まるで生き物の一部のように刀へと呼応して血の刃を飛ばす。

 

「emeth」の血の刻印が脈動し、一撃だけでも28号翼手を殺して見せるだろう。

 

 必殺の刃に、イザヨイは特殊弾頭に込められていた短刀を掴み取っていた。

 

「……“サヤ”とやり合う可能性を考えなかったわけじゃない。これはあなたにとっても毒になる……!」

 

 投擲された短刀の先端部に括りつけられていたのは爆薬である。

 

 斬れば起爆。

 

 そして、斬らずとも着弾すれば肉体は無事では済むまい。

 

 真那はしかし、一瞬の逡巡でさえも浮かべなかった。

 

 イザヨイが使えたのならば、自分も使えるはず――と言う確証があったのかも分からない。

 

 分からないままに――真那は“声”を放っていた。

 

 翼手の放つ質量音波。

 

 それが中空で短刀を縫い止め、着弾の前に信管を無効化する。

 

 地面へと落下した瞬間、起爆の炎が上がり、裏通りが延焼していた。

 

 破砕された景色の中で、真那は悪鬼羅刹の如く、イザヨイへと刀を握って立ち向かう己を俯瞰する。

 

 ――これが、“オトナシ”の“小夜”。

 

 震撼すると共に、これならば彼女らや翼手にも恐れられるとどこかで納得もしていた。

 

 あのキザハシでさえも、自分相手に真っ正面から立ち向かう事はしてこなかった。

 

 自信と太刀筋に関しては一日の長があるはずの彼女でさえ、“オトナシ”に関しては一歩引いていた理由が、今ならば分かる。

 

 これは――純粋な生物としての畏怖だ。

 

 この生き物に行き遭ってはならない。行き遭えば死ぬだけだ。

 

 真那は刃へと指先を添わせ、「emeth」の刻印を復活させる。

 

 確実にイザヨイを抹殺するつもりなのは自明の理だ。

 

 何よりも、一度裏切られて、殺されかけたのに温情を浮かべる余地などない。

 

 死神の威容を伴わせた自分自身に、イザヨイは刀を構える。

 

「……どっちが鬼だって言うんだか」

 

 自嘲してみせたイザヨイが駆け出す。

 

 真那も地を蹴り上げ、一拍の後に交錯する。

 

 青い残像を伴わせて加速した二人の太刀は、互いの肉体を斬り伏せるはずであった――だが、イザヨイの刃は自分を捉えない。

 

「……きっと待っていたのね。こういう終わりも」

 

 真那にだけ届いた、イザヨイの今際の“声”。

 

 直後には真那の刃はイザヨイの肉体を切り裂いていた。

 

 臓腑を薙ぎ払われ、その余剰衝撃波でイザヨイの身体は粉砕されていた。

 

「……イザヨイ……さん……?」

 

 裏通りに面した壁を血濡れにして、真那はようやく止まる。

 

 そこでこの場を作り上げた一人である白スーツの女性が、遠巻きにこちらを眺めて硬直しているのを視界に留めていた。

 

「……ひっ……」

 

 短い悲鳴を上げ、女性が逃げて行く。

 

 追撃する気にもならず、真那は全身に宿していた血の脈動が失せて行くのを感じ取る。

 

 ただ、ゆったりと。

 

 イザヨイへと歩み寄っていた。

 

 彼女の肉体のほとんどは壁の血溜まりと同化していたが、それでも肉体は保たれている。

 

「……ああ、まったく。あなたって最後まで……計算通りにいかない……」

 

 そう言って笑ったイザヨイは激しくかっ血する。

 

 デヴィッドに聞かされていた。

 

 如何に“サヤ”の肉体とは言え、一度に大量出血させられれば再生不可能であると。

 

「……イザヨイさん……何で……?」

 

 自分でも不明瞭な感情であった。

 

 問い質したところで、彼女は裏切り者だ。

 

 自分は体よく利用されたに過ぎない。

 

 だと言うのに、問いかける愚を犯す。

 

「……分からない」

 

「分からないって……」

 

「……ずっと……“サヤ”に成る前に……エメトピア中央庁に行きたかった。そう……約束した……事があった。でも、誰と約束したんだか、忘れちゃった……な」

 

 寂しく微笑んで、イザヨイは自身の胸元を叩く。

 

「……ここよ、音無さん。間違え……ないでね」

 

 殺せという事だろう。

 

 真那の刃を握る手は震えていた。

 

「……出来ないよぉ……っ。何で……言ってくれたら、少しは……役に立てたかも、しれないのに……」

 

 涙ながらに訴えかけた真那に、イザヨイはフッと笑う。

 

「……そっかぁ……そういう道も、あったんだなぁ……」

 

 まるで思いつきもしなかったように告げてから、イザヨイは折れた刀を持ち上げていた。

 

 抵抗するわけでもなければ、今さら生き汚く応戦するわけでもない。

 

 その刃の帰結する先に、真那はいやいやをするように頭を振る。

 

「……駄目だよ、駄目……。イザヨイさん……」

 

「あなたが……殺してくれないなら、自分で決着をつける。それくらい、させてちょうだい……。先輩の“サヤ”なんだから、ね……」

 

 真那は刀を取り落としていた。

 

 そのままイザヨイへと、血塗れの彼女へと強く抱擁する。

 

「……駄目……だからぁ……っ! 死を選ぶなんて、絶対に……!」

 

 これまで二度も自分の意志で愛しい者達を手にかけてきた。

 

 目の前でこれ以上取りこぼすのが嫌だっただけの、ただのエゴだ。

 

 それでも――イザヨイは優しく返す。

 

「……あなたはとても……心が穏やかなのね。だから、“サヤ”になっても、自分を見失わずに済んでいる。けれど、気を付けて。“オトナシ”の血は、あなたを孤独にする。きっと、最後の最後には、その隣には誰も残っていないでしょう。……けれど、希望も、あるのね」

 

 大粒の涙が頬を伝うのをイザヨイは真正面から見据えて、真紅の瞳を細めていた。

 

「……音無さん。あなたの、本当の名前を、聞かせて……? “サヤ”になる前の……」

 

「……倉橋、真那……」

 

「そう。じゃあ、マナ。後は頼んだわよ。私の、本当の名前は――」

 

 そこから先の言葉を遮るかのように、イザヨイは真那の肉体へと刃を叩き込む。

 

 しかし、拙い抵抗のためではない。

 

 射抜いた先には彼女の心臓があった。

 

 互いの血が混ざり合い、灰色の地面を濡らす中で、真那は慟哭していた。

 

 ――こんな出会いでなくともよかった。

 

 こんな形で別れるなんて、誰も望んでいなかったのに。

 

「……倉橋真那……これは、イザヨイの“サヤ”か……」

 

 拳銃を携えて合流してきたデヴィッドは周囲の敵影を警戒しながら自分の背後につく。

 

「……何があったかは……機関の連中の領分になりそうだな。一級レベルの“サヤ”の離反があったんだ。恐らくは組織の中でも魔女狩りめいた異端審問が始まる。……倉橋真那、俺達、デヴィッドとルイスも、無事では済まないかもしれない」

 

「……ヒビヤ、ルイ……」

 

 自分の口からようやく漏れ出た言葉に、デヴィッドは立ち止まる。

 

「……それは……」

 

「十六夜小夜の……本当の名前……です。私だけに、教えてくれました……彼女は……」

 

 イザヨイの開かれたままの瞼をそっと閉ざし、真那は咽び泣く。

 

 その肩をデヴィッドはそっとしておいてくれていた。

 

「……これからが大変だ。倉橋真那。ワイズマンの連中は“サヤ”へと内偵を走らせるだろう。それだけでも翼種殲滅を掲げる機関にしてみれば亀裂になりかねない。どうなるかは……俺でも保障出来そうにないんだ」

 

「……デヴィッドさん……彼女の刀、打ち直せますか」

 

 自分の右肺を貫いた刀を、今だけは愛おしく撫でる。

 

「しかし……」

 

「私……失ったものを……被害者の視点だけで見ちゃいけないんです。だから、これは私の牙でもある……」

 

「……考慮しよう」

 

 ヘリの羽音が耳朶を打つ。

 

 恐らくはこのセクションを管轄する機関の者達の手が及んだのだろう。

 

 翼手が刈り取られ、そして平穏が訪れるはずの白亜の街は、この時ほど無情に映った事はない。

 

 まるで穢れなんて存在しないように振る舞う理想郷に、真那はぎゅっと拳を握り締めていた。

 

「……許、さない……。翼手を……最後の一体になるまで、刈り取ります。それが、“サヤ”の宿命であるのなら……」

 

 血が解け、三つ編みになっていた長髪が揺れる。

 

 真那はしかし、燃ゆる闘志に揺れる真紅の瞳を、夜の帳へと向け続けていた。

 

 

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