管理者として正しい判断を求める、とまだ年若い取引先の男は声にしていた。
「……しかしセクション管理者と言う役職上、早計な判断は……ミスター……」
「――ラビ、そう名乗っております。ミスターは不要」
断じてみせたラビなる青年は交渉中にも関わらず、ずっと端末を弄っている。
これが若者の感覚か、と気圧されを感じつつも、管理者は執務机からマッピングを共有する。
「そちらの提示していただいたマップ上に、28号が居るとの報告がありましたが……」
「我々としても早急に排除したい、そう考えての情報共有です。何も可笑しな事はない」
管理者はしかし、ここ一番で目の前のラビと言う男に権限を引き渡すのはためらわれていた。
「……セクション権限の一時引き上げと、そして管理者アカウントの引き渡し……。どれもこれも越権行為です。エメトピア中央庁の勅命だと言われても、なかなか首を縦に振るのには……」
「中央庁は寛容ですよ? 別段、この一事であなたがスキャンダルで追い込まれる事はないでしょうが、28号の放置が結果としてあなたの首を絞める事はあり得る。重々、理解すべき事柄かと」
「……その肝心要の28号の情報がこれですか」
今どき珍しい紙媒体の情報はそのほとんどを黒塗りされている。
それでも、セクション管理者の中でまことしやかに語られる噂に関して、一家言くらいは持つ。
――曰く、「中央庁の命令には逆らうな」、曰く「28号と語られるものには首を突っ込むな」とも。
この二つがここ数年、実感を伴わせて語られるのは単純に気味が悪いのもあるが、何よりも唐突に現れたラビなる男の素性が不明なのも違和感だ。
「……あなたが中央庁の人間である事以外、何も語られないのですか」
「中央庁に問い合わせてみてもいい。ラビ、というわたしの経歴にはそれ以上の情報はないでしょう」
本人が自信満々にそううそぶくくらいだ。
恐らく、中央庁を突いてもそれは藪蛇で、自分の首が挿げ変わるだけ。
「……この椅子の座り心地は悪くないのでね。あまり困らせないで欲しい」
深く腰掛けたこちらに、ラビはふふんと鼻を鳴らしてから、薄紫色のサングラスを持ち上げる。
「しかしですね、28号を放逐すれば、このセクションは死に絶えますよ」
「何を馬鹿な……。噂程度に踊らされて、市民を危険にさらせと言うのですか」
「今ならば、中央庁直属まで話を行かせないで済みます。私兵を動かす程度で事が収まるのならばそのほうがいい」
セクション管理者には自治兵とでも呼ぶべき軍勢が存在する。
それは市民からの信頼と、そして選挙と言う公正な機会を経て編成されたものだ。
今、自分の一存で動かせば次の任期を迎える前に余計な泥が付きかねない。
「……セクションの時間制限付きとは言え、一時閉鎖とそして軍隊の投入……どれもこれも次の選挙戦では不利に働く」
「では言い方を変えましょうか。28号が暴れれば、選挙までの任期、市民は果たして何人生き残れますかね?」
そこまで責め立てるという事は、やはり28号とはただのスキャンダルとは同一視しないほうがいいのか。
「……尋ねたいのは、もう一つ。28号とやらは、兵器なのですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えますね」
「言葉繰りは……」
「ああ、いえ失礼。そうとしか言えないのです。中央庁の機密事項に抵触しますので」
セクション管理において、エメトピア中央庁に意見出来る人間は片手で数える程度しか居ない。
それでもこのラビと言う仲介人を使ってきている以上、それは勅命と同義に考えるべきだろう。
「……軍を動かすとして、どれくらいの緊急性なのか。それくらいは教えてもらえるのでしょうね?」
「緊急特務性は、Aランクだと考えていただきたい」
端末投射画面から視線を上げない交渉人の言葉に、管理者は絶句する。
「Aランク……それは完全な秘匿軍務に抵触しますが……」
「だから、そうだと言っているでしょう。秘匿軍務として、28号を処置して欲しいのです。そうでなければ、我々としても大変困る。ああ、しまった。またゲームオーバーだ」
どうやら最近流行りのシューティングゲームに興じているらしいラビへと、管理者は椅子から立ち上がって言い置いていた。
「……私の経歴に傷がつく」
「今ならば、軍務だと言えば中央庁からの揉み消しも通用します。それとも、別の結末がお望みですか? 何なら、別のセクションで出ている“SAYA”感染者をこのセクションで出たと情報統制してもいい」
「それは……越権行為のはずですが」
「しかし、火のないところに煙は、とも言います。あなた方が秘匿している“SAYA”感染者、桁が一つ変わってくるのは困るはずだ」
それを交渉材料に出されれば、頷くしか道がなくなってくる。
「……了解しました。秘匿軍務として、28号に対処しましょう」
「物分かりがよくって助かりますよ、ムッシュ。この三十七区画を焼かなくって済むのですからね」
柔らかい物腰で立ち上がったラビは、嘘くさい笑みを浮かべて握手を求めてくる。
それをやんわりと拒否して、管理者は言葉を投げていた。
「……教えてもらえないのか。28号とやらが本当は何なのか、という事は」
「知れば戻れなくなりますよ?」
薄紫色のサングラスの先にある、怜悧な瞳が細められる。
これ以上はただの詮索になると、管理者は一歩引いていた。
「……秘匿軍務に充てる予算くらいは出してもらえるのでしょうか」
「もちろん。心ばかりの額ですが」
端末に表示された提示額に、管理者は身を強張らせていた。
「……予算案でもこんな額は通らないぞ……」
「それくらいは重要性の高いものなのです、ご理解を」
「それは……飲み込みますが……」
指紋認証でサインをしてしまえば、そこまでで自分はこの危険性を飲み込むと言っているようなもの。
しかし、今さら退く事も出来ず、管理者は小切手にサインをしていた。
ラビは上機嫌で端末を取り下げ、どこかへと通話する。
「あー、もしもし? 今、第三十七区画の許諾が下りました。28号の破壊処置を頼みます」
「……セクションの政は管理者のもののはずです……」
「中央庁に報告しなければいけない身分でして。これでも雁字搦めなのですよ」
そう言って微笑んで見せたラビは、直後にはまたシューティングゲームに戻っていた。
「では、失礼します。あ、そうそう。セクション管理者として、賢明な判断であった事を、付け加えておきましょう」
ついでのように会釈したラビが扉の向こうへと消えていく。
管理者は目頭を揉んで、疲弊を踏み越えていた。
「……しかし、セクションの一時封鎖と、秘匿軍務……。露呈すれば私は失脚が確実……。それでも、市民を危険には晒せない。難儀なものだよ、この身分も」
自嘲めいた言葉を吐いて、管理者はマップを見やる。
円形に取られた「被害区画」と規定された場所にはちょうどハイスクールが含まれていた。