第三十話 四神官たち
情報は何よりも速く、光よりも精度が高くなければならない。
「文人様、二日後にセクション十五にて、講演の予定が入っておりますが」
文人はナイフでローストビーフを切り分け、肉汁が滴るそれを口に中へと放り込む。
何度も噛み締め、生命と血が混然一体となって胃の腑へと落ちて行くのを感じる。
「……四神官は? 遠隔での会合とは言え、彼らの意見を問いたい」
滅菌されたような白いテーブルにつくのは、遠隔地で同席している四人兄弟達であった。
カルナは警戒の眼差しを食卓へと注いでいる。
『……文人様。恐れながら、これは……?』
「知らないかい? 洋菓子の一つでね。ギモーブって言うんだ。美味しいから食べてみるといい」
柔らかく微笑みかけた文人が促すも、カルナは困惑している様子であった。
それは彼の斜向かいに座るジャンヌも同じで、彼女は食事の席である事を強く意識しているのか、その気高い眼差しには詰問の意図が見て取れた。
『……文人様。このような事態に手をこまねいている場合ではないはずです。……私も、少し迂闊でした。“サヤ”の中にも話が分かる者が居ると考えての行動だったのですが……』
懲罰は免れない、そう言った論調に文人は首肯する。
「うん。けれど、小夜がそういう気質だったのだから仕方ないだろう。それにしたって、すごいじゃないか」
文人は前面に投影された機関の“サヤ”同士の戦いを興味深そうに眺める。
こちらの走狗であった“イザヨイ”と名乗る小夜が最初こそ優勢であったが、目を瞠るのはもう一人――全身を切り裂かれ、心の臓に剣を突き立てられてもなお、立ち上がったほうの小夜だ。
血を纏い、赤い紅を引いて、もう一人の小夜はイザヨイを圧倒する。
その有り様はほとんど獣のそれでありながら、刃を振るう理知の塊には感嘆さえもする。
剣筋は鋭く、剣術は冴え渡り。
イザヨイはあっという間に攻勢を覆され、もう一人の小夜に追い込まれていた。
「……こっちの小夜を誘えばよかったんじゃないかい? よっぽど強そうだ」
『……私が交渉したのはこちらの“十六夜小夜”でした。彼女の実力は、彼の機関でもかなりの上位……そう伝え聞いていたのですが……』
側近が食べ終わったローストビーフの皿を取り下げ、次の料理を運んでくる。
鉄板の上で跳ねるステーキから漂う芳香に、文人は一拍呼吸を置いていた。
「本懐はこっちだったのかもしれない。まったく、分からないものだね。“サヤ”が増えたとは聞いていたが、この小夜は? 名前は何と言うか掴んだかい?」
『それは……その……私も混乱の中でしたので……』
「掴み損ねた、か。いいよ、構わない。失敗は誰にだってあるものさ」
涼しげに言ってのけたこちらに比して、ジャンヌは一生の不覚のように鋭い視線を投じていた。
無理もない。
彼女にしてみれば手痛いしっぺ返しであったはずだ。
裏切るはずの相手に仕留められた小夜など。
「……しかし、興味深いね。今までたくさんの“サヤ”の戦い振りを見てきたけれど、彼女ほどの苛烈さを持っているのはなかなか居なかった」
血が形状を伴い、刀へと伝導して血の刃を払う。
それだけではなく、長髪を縛って三つ編みを結っていた。
『血を自在に操る素質を持つ……そういう“サヤ”、か』
ここに来て発言したのは四兄弟の長兄たるシリウスであった。
オールバックに撫でつけた髪で、白いスーツを身に纏う四神官の中でも最も発言力を持つ。
その証左に、彼が口を発すれば他の三名は控えていた。
『……文人様。私と私のシュヴァリエに任せていただければ、この程度の“サヤ”など、すぐに始末してみせましょう。ご命令を。エメトピアの王の勅命となれば、それは光栄な事です』
文人はナイフとフォークを優雅に、それでいて器用に用いてステーキを切り分けていく。
「駄目だよ、シリウス。君が出てしまっては、せっかくの原石を壊してしまうだろう?」
『しかし……この“サヤ”は危険なのは明白でしょう。それに、現状ならば、血に覚醒している可能性は薄い。だからこそ、ジャンヌと“サヤ”は結託出来た……! そのチャンスを逃すべきでは――!』
「シリウス。少しだけ、発言を控えようか」
その一声でシリウスの勢いは失われていった。
文人は雅な仕草でステーキを噛み、それから投射映像に目線を投じる。
「“サヤ”の出現は止められない。それだけは確かな事だろう。“SAYA”の発症者は?」
「全セクションで上昇しております。十二年で、五倍ほどに」
「多いね。けれど、どうしようもないわけでもない。君らにはシュヴァリエが居る。しかして、その戦力は万能ではないのは、分かり切っている事だろう? だから、今度はこちらから罠を張る」
『罠を……それはつまり……講演会で“サヤ”を……! 機関の連中の思惑通りに動くと?』
シリウスの言及に文人はゆったりと応じていた。
「いけないかい?」
『いけないも何も……! みすみす! 殺しに来いと言っているようなものです!』
「だから、そう言っているんだよ。彼女らが強いのなら、その刃が全くかからない場所で佇んでいるのはルールにもとる。何よりも、僕は会ってみたいんだ。今代の“サヤ”達に。彼女らは……ああ、やっぱり、美しいなぁ」
真紅の瞳が揺らめき、殺意を宿して白銀の太刀を振るう。
その死狂いのざまが、どれほどまでに麗しく見えて仕方がない。
言葉を選んでいる四神官の中で、ふと挙手した者が居た。
『よろしいでしょうか? 王よ』
『ラビ……ッ! お前は、文人様に馴れ馴れしく……!』
「構わないよ。君は、初対面だね。前のラビと違う」
『今代のラビを襲名しております。お初にお目にかかります、文人様』
どこか慇懃無礼にさえ聞こえる声音の彼は薄紫色のサングラスをかけている。
この直通の食事会でも、それを外そうとはしない。
「はじめまして、ラビ。何か考えでも?」
『“隔離病棟”、ご存知の通りかと思いますが』
「ああ、それも聞いている。墜ちたらしいね」
『それを推し進めたのが、この映像に映っている“サヤ”である可能性が高い』
ラビの挑発めいた言葉振りに、文人は興味深く映像の中の小夜を凝視していた。
「そうか、彼女が“隔離病棟”を墜とした“サヤ”か」
『しかし、直後にわたしのシュヴァリエが四肢を断絶し……無力化したはずなのですが。これを見る限り、超再生能力を保持しているようですね』
「心臓を貫かれ、両腕を落とされてもなお、相手へと喰らい付く、か。興味は尽きないな」
同じ条件でも恐らく、十六夜小夜と映像の“サヤ”には何か、雲泥の差であるものが横たわっているのだろう。
『そこで、どうでしょう? わたしにも考えがございます。文人様の講演会のご予定に、色を添えたい』
『……何を考えている、ラビ。貴様、我らの王たる文人様を愚弄する気か』
シリウスの論調にも、彼はうろたえた様子もなく、それどころかおどけるようにして告げていた。
『まさか。むしろ、文人様にしてみれば、現状をお教えする事にも繋がります。こちらにしてみれば利しかない』
『ラビ、あなたの作戦に乗って文人様を動かすのはどう考えても違う。それに、この戦闘状態の“サヤ”じゃ、あなたのシュヴァリエでも……』
『一度勝っております。それではご不満ですか?』
「……ふむ。いいね、ラビ。君のその不遜そうなのは、とてもいい」
『……文人様、愚弟が失礼を。礼儀を知らんのです。何せ、ラビはまだ四神官に就任してから五年しか経っておりません』
ラビはサングラスの奥の瞳を細め、こちらを真っ直ぐに見据えてくる。
『しかし、乗るかどうかは文人様次第。どうです? わたしの作戦に、乗っていただければ恐らく、最大のショウをご覧に入れましょう』
「面白そうじゃないか。僕が“サヤ”に出会う、それ以上のものを提供してくれると?」
『お約束します』
恭しく頭を垂れたラビに、残り三人が苦虫を噛み潰したように渋面を突き合わせる。
彼らにしてみれば新参者の神官が発言力を持つのは面白くないのだろう。
否、それ以上に、恐らく、このラビと言う男は――。
「……そうだね。けれど、シュヴァリエだけじゃ僕も少しだけ不安だ。だから――E保有個体を使う」
その発言にラビを除く全員が困惑していた。
『文人様……! まさか、“エンシェント”を? それは危険です! もし、制御出来なければ、機関の“サヤ”を殺すだけでは留まらないのですよ……!』
「重々承知しているよ。シリウス、君は優しいね。けれど、講演会に赴くのは僕の意思だ。だから尊重して欲しいな」
そう言いやると、シリウスは浮かしかけていた腰を下ろす。
『ですが、E保有個体はこの十二年間……我々でも使っておりません。ノウハウが残っていないのです』
「僕は覚えている。それじゃ不満かい?」
『それは……』
ジャンヌは視線を彷徨わせる。
「君達にとっても、いい刺激になる。これから先、翼手とシュヴァリエだけじゃ何かと不都合になるだろう? ここいらでカードは切っておいたほうがいい。有用な手だ」
笑顔を向けると、四兄弟はそれぞれに当惑を浮かべていた。
シリウスに至っては唇を震わせている。
文人は差し出されたワイングラスに注がれた血のように赤い液体に視線を落とす。
「全ては我々、エメトピアの繁栄のため。そのために、僕は行動したいんだ。もちろん、せっかく目覚めたんだから、君達と共に共調の道をね。それじゃ駄目かな?」
『……いえ、文人様がそう仰るのなら……』
『では、後ほどわたしが直通で繋げさせていただきます。その際に、我が方が持つとっておきをお教えしましょう』
ラビは舞台役者さながらに芝居がかった仕草で会釈する。
それを残りの三人は侮辱されたかのように忌々しげな視線を投げていた。
「頼むよ、ラビ。僕も、目覚めたところでね。情報はすくい上げているんだが、やはり疎いんだ。これでも努力は……しているんだけれどね」
文人は深く腰掛けた玉座の背面を伝う水色の血脈を意識していた。
地を這う無数の血流はエメトピア全土の情報を同期し、文人の脳内情報を更新していく。
『すべては、エメトピア――人類の繁栄のために』
そう結んだラビに、残り三人は続く。
『……理想郷の維持のため……我々に出来る働きは尽くしましょう』
投射映像が同時に消えて、唐突に人間の気配が失せた食卓を文人は見据えていた。
『……では文人様。後ほど……』
ラビの姿が掻き消え、側近と二人きりの空間に戻る。
「……寂しいな。僕のような人間でもそう感じるのは、変なのだろうか」
「いえ、決して。文人様、ワインを」
「ああ、そうだったね。けれどまぁ、ワインの味だけは上々だ。これだけは変わらない」
文人はそのラベルを一瞥する。
そこには「ボルドー」という古い地名が刻まれていた。