「……ラビ! 私の失敗を……嗤うつもりなのよ、あの子は……!」
ジャンヌは通信を打ち切るなり、壁にかけられていた絵画を切り裂いていた。
変異したその爪が聖母の描かれたそれを両断する。
嘗められている――その証明のように机の上には桃色のギモーブが置かれている。
「……文人様も分かっていない……! 導くべきは私達、時を忘れた四神官なのだという事を! あの子はまだ……若過ぎる……!」
恥辱に支配された視界の中で、ジャンヌは白スーツを掻き毟ろうとして、不意に声に呼び止められる。
「あら? ご乱心? せっかくの美貌が台無しよぉ?」
影が凝り、部屋の隅でその存在が明瞭化する。
癖っぽい金髪にどこか涼しげな目元を持つ男が腕を組んで佇んでいた。
自分と相反するように漆黒のスーツに身を包んだ彼の名前を、ジャンヌは口にする。
「……マハラル。帰っていたのね」
「ちょうど用事が終わってね。どうしたのよ、ジャンヌ。あなたにしては、迂闊じゃない? ようやく文人様に会えたのでしょう? なら、喜ばないと! 文人様は相変わらずイケメンだった?」
どこか茶目っ気さえも感じさせるマハラルの論調に、ジャンヌは少しずつ調子を取り戻して行った。
自分が我を忘れてどうする、と変異させた片腕を元に戻していく。
「……あなたは分かっていて、なんでしょうけれどね。よく戻ってくれたわ。私のシュヴァリエ」
マハラルはどこか芝居めいたように恭しく頭を垂れる。
「いつでも。淑女のためならば」
「……そうね。私も……冷静じゃなかった。カルナの事を言えないわ。まぁ、あの子は久しぶりに会う文人様に、一言だって何も言えなかった。小心者なのよ、昔から、ね」
「この世で血を分けた兄弟じゃないの。恨み言は言うもんじゃないわよ」
「……あなたが言うと笑えるわ、マハラル」
自嘲気味に口にしてから、ジャンヌは机の上に置かれたままのギモーブを掴む。
「……食べる? 疲れているでしょう?」
「あらぁ! いいの? 糖分は乙女にとっては大事だものね!」
ギモーブを迷いなく口へと放り込んだマハラルは、咀嚼してからそれで、と問い質す。
「どうするの? アタシの知ってるジャンヌなら、ここで退くわけないわよね?」
「……分かり切っている事を聞くのね。そうね、少し……熱くなったってどうしようもない。けれど、文人様が心配なのは、本当。今代の“サヤ”がどれほどの脅威なのかは分からない。もちろん、万に一つの可能性でしかないけれど」
しかし、王を欠くわけにはいかない。
この理想郷――エメトピアは文人なしではあり得ない。
「心配なら、アタシが行きましょうか。もちろん、文人様にはヒミツ、で」
「……いいの? あなたの心証が悪くなるわよ」
「いいのよぉ。だって、アタシはただのシュヴァリエ。けれど、あなたは違うもの。この理想郷を管理する四神官の一人、長女なんだもの。いつだって毅然と、ね?」
「……私のシュヴァリエが心底、あなたでよかったわ。少しだけ頭が冴えてきたかも」
「そう? 褒めたって何も出ないわよぉ!」
マハラルはふざけた言葉振りの多いシュヴァリエだが実力だけは確かだ。
その真髄を自分は知っている。知っているからこそ、彼の言葉は何よりも重い。
「……もしもの時には、“エンシェント”……いいえ、E保有個体と戦わないといけないかもしれないわ。その時には」
「倒せばいいんでしょう? 簡単よぉ」
マハラルは何でもないように言ってのける。
その自信の在り処は、何よりも彼の力そのものだろう。
「……それにしたってあなた、随分と長い任務だったのね。なかなか帰ってこなかったじゃないの」
「ああ、それね。副業が板についちゃって。そのせいで、まぁでも、あなたに心配はないでしょう? アタシのよく知っているジャンヌは、この程度じゃ折れない」
彼からの信頼が厚いのはありがたい。
しかし、それでも時折、マハラルはこちらでもうかがい知れないような闇を抱えているような眼差しがある。
そういった時、自分は何も言えなくなってしまうのだ。
「……マハラル。あなたを信頼している。だからこそ、これだけは……遂行して。私の顔に泥を塗った“サヤ”を殺す。異論はないわね?」
「もちろんよぉ! 当たり前じゃない。ジャンヌとアタシは、心の底で繋がった盟友でしょ?」
その言葉繰りもどこか笑えてくるものだが、彼に気負ったところはない。
心底、そう思っているような口ぶりで、冗長な言葉を吐く。
そこに裏も表も最初から存在しないかのような。
「……勘繰るだけ、無駄、ね。お願いよ。“サヤ”のデータが手に入れば、私達の勝利は揺るぎなかった。それを変えた人間が居るのよ。それだけでも……私にしてみれば、許せない……!」
「落ち着いてね、ジャンヌ。あなたは淑女なんだから。もっとおしとやかに、そうでしょう? 心配しなくっても、邪魔な“サヤ”はアタシが殺してあげるから」
そう告げてマハラルの姿は掻き消えて行く。
ジャンヌは壁に背中を預けて、深く呼吸していた。
少しばかり落ち着いてから、それでも、と呟く。
「……あなたは……私のシュヴァリエなんだから。約束は守ってよね……」