上がったのは「偽装死体」が二つ、との報告にキザハシは応じていた。
「……という事は、少なくともこのクラスのうち、二名が翼手に成り替わっていると?」
「その可能性が高い。キザハシ、しかしこれはまだミッションの序章だ。講演会までの時間は三日後」
人気のない緑地公園で、背中越しにキザハシは自身のデヴィッドと情報交換を果たす。
赤と黒のセーラー服に身を包み、季節外れのマフラーを首に巻いていた。
「分かっているわよ。……三日後には、こいつで……」
刀の入った画材ケースを抱え、キザハシはそういえば、と気付いた事を列挙していた。
白亜の遊具に跨った子供達が笑い声を響かせている。
ここは、眩しいほどに景色が白い。
何もかもを滅菌したかのように。
咲いている花々も、どれもこれも白百合ばかりだ。
「――以上。潜入しているクラスは恐らく、そうであると考えられるわね」
「なるほど、翼手人類にしてみれば、いい隠れ蓑という事か。アシッドの連中らしい、露悪的なやり口だ」
「一つ、いい? 今回のミッション、補充要員が充てられるって聞いていたわ」
「耳聡いな、ああ、その通り」
「あたしと一緒の現場って事は、イスルギか、カナデあたり? 彼女らなら、確かにしくじらないでしょうね」
イスルギやカナデの“サヤ”なら、一端の戦力にはなるだろう。
自分の中で沈めた納得に、デヴィッドは頭を振る。
「いや、今回の補充要員は彼女らではない。イスルギもカナデも自分のミッションの途中だ。合流してくるような余裕はない」
思わぬ返答にキザハシは眉根を寄せる。
「じゃあ誰? 言っておくけれど、半端な“サヤ”候補生なんて充てないでよね。お荷物になるだけなんだから」
「安心しろ。ワイズマンとジョエルの意思決定の上だ、合流予定なのは“オトナシ”の“サヤ”なのだと聞いている」
キザハシはその言葉に、思わず振り返りかけていた。
他人を装っての情報交換の場において、異常な行動であったのは明らかで、寸前で思い留まる。
「……ねぇ、待って……。あの子? だって、まだ彼女は……“サヤ”になったばかりで……」
「組織は使える“サヤ”を遊ばせておく余裕はないと来た。私として見ても、現状の“音無小夜”には、少し荷が重い任務かと思ったが、上の決定ならば仕方ないだろう」
自分のデヴィッドは黒い帽子を傾ける。
キザハシは“オトナシ”を――否、「倉橋真那」と名乗っていた少女の事を思い返す。
「イザヨイと打ち合っていたけれど、でも負けたんでしょう? なのに、あたしに死ねって言うの?」
「まさか。……そうか、この任務に先んじて就いていたせいで、教えそびれていたな。イザヨイは死んだ」
「何よ、まさか、オトナシのミスで?」
そうに違いない、と思い込んだ自分へとデヴィッドは言葉を継ぐ。
「いや、イザヨイは裏切り者だった。彼女はアシッドに通じていた」
それは、まるで意想外と言うもので、キザハシは目を見開いて絶句していた。
「……ねぇ、ちょっと待って。待ってよ、それってどういう……」
「時間だ。今日の報告はここまでとする」
「待ってってば……! イザヨイほどの理解のある“サヤ”が、裏切っていた? 機関を? そんな事ってあるわけが――」
「こちらへと声をかけるな、キザハシ。君の任務は、継続しての翼手のハーレムへの潜入と、そして三日後の講演会への参加だ。そこで仕上げにかかってもらう」
「……三日後まで大人しく待っていろって? けれど、あの子は……“オトナシ”は来るって言うんでしょう? あんな子を守りながら、あたしに戦えって言っているの?」
「終いだ。私は一時、帰投する」
立ち上がったデヴィッドにキザハシは奥歯を噛み締めて声を発していた。
「待ちなさいよ、デヴィッド!」
しかし、デヴィッドは立ち止まりもしない。
当然だ。
彼は本来、自分の「デヴィッド」ではない。
だから、自分に向ける感情も、所詮は道具未満でしかない。
「待って……お願いだから、少しは立ち止まってよ……」
凍えたように震え始めた指先を制するように、キザハシはマフラーを握り締めていた。
セクション十五は年中秋のような気候だ。
だから、通常ならば冬支度をする者も少ない中で、キザハシは苦渋と悔恨に瞼を閉じる。
「……お願いだから……少しはあたしを見て……“デヴィッド”……」
今はもう、永劫に失われた名前を呟くだけが、自分に出来る唯一の抵抗だった。
「セクション十五に?」
問いかけた自分へとラビは鼻歌交じりに応じる。
仕立てのいい白スーツに袖を通し、上機嫌で出立の準備を整えていた。
「ええ。文人様の講演会の護衛をね」
「……文人様、ですか」
「……何か言いたそうですね、君は」
勘繰ったラビへと、アダムは白い相貌を振り向けもせずに応じていた。
「いいえ、僕は所詮、ただのシュヴァリエ。意見するなど滅相もない」
「そうは思っていないように聞こえますが、まぁいいでしょう。姉様や兄様を出し抜いて、文人様の護衛にねじ込めたのは、ひとえにわたしの胸の内が知られていないから。それに尽きるでしょう」
「……いいのですか。どこに耳があるかも分からないのに」
ラビは片手を上げ、タクトを振るうように言葉を継いでいた。
「構いませんよ。今回の作戦の是非は、わたしが“彼女”に接触出来るかどうかにかかっている。今回、君の手は煩わせないかもしれませんね」
「……ですが必ず、“サヤ”は張っている」
「ええ、十中八九、それは。ですが、何も先制攻撃をする事もない。いいえ、全てが決している状況下で、どれだけ機関の“サヤ”が立ち回ったところで下手に出るだけでしょう」
「随分と自信があるご様子。既に手を?」
ラビのコネクションは自分にはほとんど分からない。
しかし、彼なりに作戦は練っているはずだ。
薄紫色のサングラス越しに、怜悧な目線が振り向けられる。
「気になりますか?」
「僕は貴方のシュヴァリエです。少しは生存率を上げる工夫が要る」
「工夫とは。君には相反するような言葉ですね」
嘲笑うわけでもなく、ラビはただ事実だけを反芻しているようであった。
「28号の配置でも?」
「それは既に。別の手が回っているようで癪ですが、恐らくはシリウス兄様か、あるいはジャンヌ姉様の策でしょう。しかし、不完全な28号の暴走は、文人様の危険に繋がりかねない。恐らくは、28号は疑似餌のようなもの」
「……上級翼手を潜ませている、というわけですか」
そうでなければ、いたずらに28号をばら撒けば、それだけリスクが高まる。
文人の護衛に当たる自分達に黙って、翼手の危険性を上げる意味もない。後々、追及が迫れば黙りこくるしかないだろう。
「君は相変わらず、シュヴァリエにしておくには惜しい。それだけ頭が回るのならば、ね」
「僕は新参ですよ」
「それもある一面ではいい、と思っているんですよ、わたしはね」
こちらへと囁きかけるように告げたラビは、護衛の者達を引き連れて車両へと乗り込んでいた。
取り残されたアダムは黒い外套の襟元を正す。
「……どんな場所だって、新入りには厳しいんですよ。貴方はそれを利用しようとしているようですが……」
しかし、ラビの思惑がどのようなものであろうと、文人を害する事ではないのだけは確かだ。
文人は王であり、法である。
エメトピアという理想郷を継続させるための礎。
そんな彼へと、害意を抱いた時点で粛清される。
「しかし、皮肉な。理想郷を回すのに、ヒト一人は絶対に必要なんて。……それは悪意とも呼ぶ」
呟いて、アダムは影の中へと没していた。