「それにしたって、強情な爺さんだったな」
呟いて白い手袋を捨てたルイスにデヴィッドは前髪をかき上げて応じる。
「……ああ。まさかあれだけ自白剤を打っておいて、キザハシに関しての情報は最後まで吐かないとはな」
「さすがは古参の“デヴィッド”、おれ達の尊敬すべき先輩方ってわけだ」
しかし、情報が手に入らなかったわけではない。
「……とは言え、人間には違いない。彼が語ったのは、八桁の暗証番号だけか」
強靭な精神力は組織で幾度となく死線を潜り抜けて来た“デヴィッド”の一人なだけはある。
結局のところ、キザハシと何を目論んでいるのかは不明だったが、無数のパスコードとそしてデータ集積地点へと三日間の猶予でアクセスするのは不可能ではない。
ルイスは端末を操作し、最終階層へと辿り着いていた。
「……よし、アクセス完了。最後の鍵はそれだな」
「……講演会まで残り六時間……この土壇場でデタラメってだけはよしてくれよ」
デヴィッドは手元にメモしておいた暗証番号を打ち込み、データ共有システムの最終電子鍵を解いていた。
スクロールと共に表示されたのは作戦指示書であった。
「……これは……公式記録か? だが、こいつは……おいおい、なんてこった……ロンギヌス機関の――」
「秘匿ファイルへと作戦目的は隠されている。……なるほど、考えたな。もし、他のデヴィッドやルイスに勘繰られたとしても、そいつを道連れに出来る。これにアクセスすれば、俺達だって無関係とは言えない。悪く転がれば追放……いや、即時の抹殺か」
ルイスはホテルの窓際を意識のうちに入れていたが、デヴィッドは今さら機関からの送り狼を気にしたところで仕方がないと、トラックボールを押し込んでいた。
「お、おい待てよ! もしそれがキーで組織からの追撃部隊が来れば……」
「今さら逃れられるような身分でもないだろう。俺もお前も、組織の“デヴィッド”と“ルイス”だ」
秘匿次項へと抵触し、目的のファイルはその先に仕込まれていた。
「……ケース38……? これってのは……」
「話には聞いた事があるな。ロンギヌス機関の保有する記録の一つ。確か“SAYA”に関しての特務事項だったはずだが……」
「……よく落ち着いていられるもんだよ、お前は……」
呆れ返るルイスに比して、デヴィッドはファイルの深層へと突き進む。
すると「ケース38」へのアクセス権がアクティブになっていた。
恐らく、キザハシの“デヴィッド”が画策しているのはこの先なのだろう。
しかし、そのためには禁忌の記録情報を知らなければいけない。
そして、知れば戻れない。
一拍の緊張がないわけではない。
だが、それよりも使命感が勝っていた。
何よりも――同族であるはずの“デヴィッド”へと危害を加えたのだ。
最早、容易い道だとは思わないほうがいい。
展開された「ケース38」のファイルデータを一読するなり、ルイスの浅黒い肌が恐怖に青ざめていた。
「……なんてぇ……こったよ、こいつは……。キザハシが、嘘だろう?」
「嘘だとしても性質が悪いな。そして、なるほど、彼女の専属の“デヴィッド”だ。知っていた上で今回のミッションを遂行しようとしていたのか」
デヴィッドは即座に端末を通信モードへと移行させる。
「おい、待てって! 作戦指示書を見ていかなくっていいのかよ!」
「問題ない。この時点で、キザハシの画策している策はある程度見えた。後は、事実関係の洗い出しだ。まずはそれを、ジョエルへと問い質す必要性がある」
数回のコール音の後、通話が繋がる。
『何かな? 僕だって暇じゃないんだが』
「……ジョエル。知っていたのか。キザハシとケース38の関係性を」
『……これはこれは。まさか組織の内部情報へのハッキングを? 賢いとは言えないな』
どこか芝居じみたジョエルの反応に、この先は一手でも肉薄を躊躇えば仕損じると確証していた。
「……目を通した上で、キザハシの“小夜”と彼女の“デヴィッド”が計画していた作戦指示書に関して、話がある。時間は取れない。一時間以内に関係性の把握と、キザハシの“ルイス”を止めなければ……」
『その事だがね。キザハシの“ルイス”の操縦する戦術ヘリは正当な命令書を受諾してつい三十分前に出撃している。追撃は、難しそうだ』
一手遅れたわけか――デヴィッドは奥歯を噛み締めてその行方を問う。
「……出撃した装備は? 向かったのはセクション十五の講演会のホールだな?」
『悪いが、越権行為だ。それ以上の権限は今の君らにはない』
分かっている。ここから先を囲い込むのには、これまでのような傍観者のスタンスでは不可能だろう。
「……俺達に何をさせたい?」
『一つだ。一つだけ。今回の作戦目標の達成。それだけを考えていればいい』
「しかし、キザハシと……この素性は……!」
『――聞こえなかったのかい? オトナシの“デヴィッド”。今はまず、今回の作戦の滞りのない成功。そこから考えたまえ。その上で、どれだけでも誹りは受けよう。せっかくのオトナシの“小夜”だ。二度も三度も仕損じてくれるなよ』
まるで全ての意見を封殺するような物言いにデヴィッドは絶句する。
ここで出来ないと意見する事も、ましてやキザハシの秘密を暴露するとも言えない。
自分達は、既に転がり出した石なのだ。
「……それしか……それしかないと、言うのか……!」
『何度も言わせないでくれ。養殖場における、講演会の阻止と、そして特一級対象の暗殺。それ以外にない』
「……だが、ジョエル。原則を知っているはずだ。あなたほどならば、余計に。……小夜は人間を殺せない」
『だから言っているんだ。ヒトの王を殺せるのは、同時に小夜の特権だとも』
その言葉を潮にして通話が一方的に切られる。
端末を操作していたルイスは忌々しげに壁を殴りつけていた。
「しくったな! これは……! ここまでの情報の閲覧は、おれ達に後戻りの選択肢を奪った。……一分前に下された命令だ、デヴィッド。これより、講演会のホールへと赴き、そして“静観せよ”、と」
ルイスの口にした意味をデヴィッドは理解出来ずに愚かにも問い返す。
「……何だって?」
「聞こえただろう? 静観しろ、つまり、“何もするな”――手出し無用の命令だ」
「……それはおかしい。俺達が不都合な真実に触れたのならば、むしろ死なせたほうが得のはず……」
「組織にしてみれば、知った上でこれから先の身の振り方を決めろと言う事なんだろうな……。おれ達の“小夜”を、またしても見殺しにしろって事かよ、クソッタレ!」
ルイスの怒りも分からないわけではない。
もう何度も未成熟な“小夜”を見殺しにしてきた自分達だ。
何度も、次はないのだと覚悟してきたのに、今回は分かっていて「何もするな」と言う命令。
間違いなく、見知った真実はロンギヌス機関にとってのアキレス腱だ。
そして同時に、知ればただの“デヴィッド”と“ルイス”として、死ぬ事は許されないのだろう。
「……何もするなって? そんな事を……飲めるわけがないだろうに……!」
「いいのか? 背信行為だぞ?」
「お前がそれを言うか? ……ルイス、準備はしてあるな?」
目線で頷いたルイスはエレベーターを経て、地下駐車場に停めてある高級車のロックを外す。
運転席に乗り込むなり、網膜認証、指紋認証、静脈認証をクリアし、そのハンドルを握る際にバイタルでさえも記録される。
この時点で先の命令からの逸脱だ。
処分は免れないだろうが、デヴィッドは助手席へと乗り込んでいた。
黒光りする高級車が地上を目指してライトを照らし出した瞬間、デヴィッドは問いかけていた。
「……いいのか? お前は細く長くが信条だろう」
「今さら言ってるんじゃないっての、デヴィッド。それに、おれだって尻尾を巻いて逃げたなんて、自分達の“小夜”に……いいや、あどけない少女に誇って言えるか? そんな真似。おれは御免だね。なら、愚直でも頭から突っ込んでやる」
その信念の証左のように高級車はハイウェイへと滑り込んでいく。
デヴィッドは明けかけたセクション十五の黎明を窓越しに眺めていた。
「……時間がない。少しでも及び腰になれば――死ぬのは君だ、倉橋真那……!」