BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第四十四話 騎士、降り立つ

 

 見知った声が、耳朶を打つ。

 

 直後、ヒルの怪物は両断されていた。

 

 何が起こったのかまるで分からない。

 

 血の雨が降る講堂で、黒いスーツに身を包んでいたのは、だって――。

 

「……店長……?」

 

 喫茶油処の店長がニヒルな笑みを浮かべて、自分の身体を抱きかかえている。

 

 不思議な事にヒルの怪物から降り注ぐ血潮は一滴だって店長の服飾を濡らす事はない。

 

「あら? みんなで勢ぞろい? ズルいわよぉ、アタシもアタシもぉ」

 

「……マハラル? どうして、姉様のシュヴァリエが……」

 

 ここに来て初めて息を呑んだ様子の白スーツに、店長は変わらぬ様子で声を投げる。

 

「アタシにだって、ここでせっかく、一張羅を振る舞えると思ったのにぃ! こんなのズルいわよぉ! あなたたちだけで味わおうって言うの?」

 

 瞬間、空間を飛び越えたとしか思えない速度で、黒衣のシュヴァリエの打ち下ろしかけた腕を掴む。

 

 大して力が籠っている風には見えないのに、黒衣のシュヴァリエは一歩も動けないようであった。

 

「……マハラル。僕の邪魔をしますか」

 

「お生憎様、アタシはジャンヌのシュヴァリエ。彼女の命よ。ちょっと勝手し過ぎじゃない? ラビちゃん。それにアダムちゃんも。せっかくなんだから、ここで摘むなんてもったいないでしょう?」

 

「……小夜は殺せる時に殺す。それはあなただって同じだ、マハラル」

 

「まさか? 止める? アタシを?」

 

 店長はふふんと何でもないように鼻で笑ってから、舞台上の白スーツへと一言だけ告げていた。

 

「――殺すぞ」

 

 ズン、と空気が重く沈む。

 

 その一声だけで、誰もが縫い留められたかのように動けなくなっていた。

 

「……くっ……さすがは最古参のシュヴァリエ……。姉様の差し金にしてはもったいないほどですね。……アダム、引き上げましょう」

 

 脂汗を掻いてよろめいた白スーツの命令に、黒衣のシュヴァリエがキザハシへと視線を投げる。

 

「忘れないでください。いつでも殺せた」

 

 キザハシは面を上げず、真紅の眼差しは昏く沈んでいた。

 

 真那はようやく自由になったとは言え、肉体の損傷があまりにも超過している。

 

「ジャンヌの命令なら始末しないといけないんだけれど……真那ちゃん。また会いましょう? だってアタシ、あなた達の事、結構好きだったのよ?」

 

「……どう、して……何で、店長は……私を……」

 

「こうしてシュヴァリエとして再会したのも何かの縁よね? 頑張ってね、真那ちゃん。アタシは応援しているわぁ」

 

 軽く手を振った店長と入れ替わりのように、先ほどまでヒルの怪物を操っていた青年が歩み寄ってくる。

 

「……小夜。君は本当に綺麗だ。僕がかつて焦がれた時と何も変わりはしない。それが逆に……愛おしいほどに」

 

 刀を振るえれば、この青年をここで殺せれば――自分達の目的は完遂される。

 

 そうなのだと、脳内では分かっていてもあまりに血が足りないせいか、判断力が鈍る。

 

 そんな自分へと青年は頬に指先を這わせていた。

 

 間近で見れば、絶句するほどのかんばせに、真那は抵抗の思考回路を浮かべる前に――その唇が奪われていた。

 

 一秒にも満たないくちづけに、真那は放心する。

 

「……駄目じゃないか、小夜。あの時も言っただろう? こういう時はちゃんと避けないと、って」

 

 微笑んだ青年は自分から手を離し、唇に付着した血を拭う。

 

「これが君の血か」

 

 そう呟いた青年は、絶対者のように自分を見据えて名乗っていた。

 

「――七原文人。君があの時、殺し損ねた人間だ」

 

「ふみ……と……?」

 

「分からないか。今の君は断絶されている。僕を憎いと思っていたあれほどの恩讐でさえも、時は無情にも掻き消すのか。……いいさ、もう一度、振り向かせてみせる」

 

「文人様……お時間です」

 

 そう告げられ、踵を返した文人へと真那は縋り付くようにして、身体を引きずる。

 

「……ま、て……。私達は……お前を、殺さないと……!」

 

「それはかつての約束がまだ失われていない証拠かな? あるいは、別の意思か。いずれにせよ、今度こそ君の手で――僕を殺しに来るといい。その時を楽しみにしているよ」

 

 文人を含む白スーツの者達は舞台から立ち去っていた。

 

 オニゲンは共食いの果てに、最後の一匹が鎌首をもたげる。

 

 ヒルの怪物の血を浴びて、ほとんどのオニゲンは死滅していたが、それでもまだ執念深く生きている個体が居た。

 

 真那はその個体と視線を合わせる。

 

 別に予感があったわけではない。

 

 しかし、確証はあった。

 

「……チトセ。私……何も、守れないで……」

 

 チトセと思しきオニゲンが姿勢を沈め、一気に距離を詰めて真那の肩口へと噛み付く。

 

 肉を貪り、骨を引き裂く爪と牙には、もうあの優しかった面影さえもない。

 

 だから、なのか。

 

 それとも、既に覚悟出来ていたのか。

 

 真那は刀を振るい上げていた。

 

「……ごめん、ね……」

 

 赤の一閃がオニゲンの首を叩き折る。

 

 醜い呻き声を上げて、チトセであったはずの獣は死していた。

 

 真那は今も滴り落ちる自分の血を指先からチトセへと捧ぐ。

 

 少しずつ、チトセであったオニゲンは痙攣しながらやがて沈黙して行った。

 

「……ごめん、……ね……チトセ……」

 

 直後には意識は黒く染まる。

 

 立っているだけでもやっとだった肉体が、安息を求めて消え落ちようとしていた。

 

 ここで死ねるのなら、少しは意味のある生だったのだろうか。

 

 そのような疑問だらけの視野ももう閉ざされる。

 

 今に、終わりは訪れると感じていた自分へと、声がもたらされていた。

 

 何度も自分の名を呼ぶデヴィッドの姿に、真那は暗礁の自我を手離していた。

 

 

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