BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第四十八話 刃は鋭く

 

 何度も、何度も何度も何度も――。

 

 肉体が内奥より砕け、再生し、響くのは激痛と神経系統が組み変わる感覚。

 

 血が沸騰し、拘束服で動きを制限された中で、波打つ鋭敏な痛覚に、何度目か分からない昏倒と、そして目覚めを繰り返す。

 

 何日経ったのだろう。

 

 何夜超えたのだろう。

 

 ある時、何の感触もない事に気づく。

 

 痛みもなければ、苦しみもない。

 

 肉体の中心軸が空っぽになってしまったかのような心地で、身を起こしていた。

 

 痛みの残滓を恐れて立ち上がる事に躊躇があったが、リノリウムの床は冷たく、体重を支える。

 

「……あたし……」

 

 そっと歩み出そうとして、つんのめってしまう。

 

 まるで全身が、これまで生きて来た経験値を清算してしまったかのようだ。

 

 指先を伸ばし、一秒ずつ肉体の感覚を取り戻さんとする。

 

 視聴覚――正常。

 

 嗅覚――正常。

 

 だが痛みだけが、どうしてなのだか過去の遺物のように鈍い。

 

 何度も肉を裂くかのような激痛に苛まれていたのに、今となっては遥か遠くの記憶のようだ。

 

 今しがたまで寝かされていたベッドへと体重を預け、それから脳髄が記憶している最後の記憶を手繰り寄せる。

 

「……あたしは……怪物に襲われた……?」

 

 鋭い爪が臓腑を突き刺したのは忘れようもない。

 

 ならば何故、自分は生きているのか。

 

 違和感ばかりが先に立つ中で、声が耳朶を打っていた。

 

「もう起きたのね……」

 

 眼鏡をかけた白衣の女性は、自分に近づくなり脈拍と心拍、それに脳波を素早くはかり、それから口にする。

 

「眩暈や感覚の麻痺は?」

 

「……ない……けれど、あたし……死んだわよね? ここはどこ?」

 

「それは……」

 

「――ジュリア。彼女が起きたようだね」

 

 医務室へと入ってきたのは黒衣を纏った二人組であった。

 

 一方は少し跳ねっ返りの印象が強い青年で、もう片割れは落ち着いた笑みが似合う好青年であった。

 

 好青年はその慈愛に満ちた笑みで、自分を検分する。

 

「記憶の齟齬は?」

 

「ほとんどないと思われるわ。それにしたって……まさか二週間もかかるなんてね。まぁ、その分の意味合いはあったのでしょうけれど」

 

 ジュリアの発した言葉に思わず問い返していた。

 

「二週間……? 二週間もあたしは……苦しみ続けて……?」

 

「いいご身分だよなぁ、被害者ヅラ。それ、どうかと思うけれどな」

 

「ルイス、彼女はまだ覚醒すらしていない。あまり好戦的にはならないほうがいい」

 

 咎めた好青年にルイスと呼ばれたほうは肩を竦める。

 

「……あの……あたし……怪物に殺されたんじゃ……」

 

「自己認識は正常。思ったよりも厄介は少なさそうだ」

 

 自分の震える手を、好青年は握り締める。

 

 あたたかな人のぬくもりを感じさせるしなやかな指先に、思わずどきりとしてしまっていた。

 

「名乗るのが遅れたね。僕の名前はデヴィッド、こっちはルイス。君は、確か……」

 

「ノノ……です。求衛ノノ……」

 

「そうか。ノノちゃん、君には残酷な運命が待ち構えている。……そろそろ入ってきたらどうなんだい?」

 

 デヴィッドの言葉に医務室へと足を踏み入れた人影は少女のものであった。

 

 室内だと言うのに番傘を携えており、一目で異常なのだと理解出来るも、その立ち振る舞いにノノは見覚えがあった。

 

「……あんたは……」

 

「あんたやなんて。教育が成っとらんね」

 

 そのやり取りで、ノノは完全に思い出す。孤児院へと訪れた、おかっぱ頭の少女。

 

 自分達の安寧を奪い去った――簒奪者の乙女。

 

「……あんたが……! あんたさえ居なければ……今頃あたし達は――!」

 

「あらあら、怖い怖い。噛み付く気概があるんなら、もう大丈夫やないの?」

 

 鈴を転がすような少女の声と物言いに、ノノは奥歯を噛み締める。

 

「……あんたさえ……来なければ、誰も……」

 

「誰も死なんかったって? それは勝手やわぁ。ウチが行かんかったら、あんたさんら、喰われとったよ?」

 

「喰われるって……あれは何? シスターが……化け物に変わった……」

 

 思い返すだけでも怖気が立つ。

 

 内奥から黒い獣へと変じていく、見知った顔達。

 

 どれもこれも悪い夢のようだ。

 

「――鬼や。ヒトの血ぃ、吸って長い間、生きとる」

 

「……鬼……」

 

 そう言われてしまえば、それ以外の形容は存在しないようであった。

 

 おかっぱの少女はデヴィッドと名乗った青年から一振りの刀を差し出されていた。

 

 それを受け取り、鯉口を切って瞬時に自分へと肉薄する。

 

 まるで気配も、そして殺意でさえも感じさせない挙動に、ノノは息を呑んでいた。

 

「……何……?」

 

 問いかけを発する前に銀色の閃光が揺らめき、ノノの肉体を叩き伏せていた。

 

 抵抗も出来ずに、自身の身体は冷たい床へと抑え込まれる。

 

「反応速度、それに抵抗も。まだ覚醒者には足りんのと違う? ジュリア」

 

 分からない。

 

 何も分からないまま、刀一本で少女に抵抗の気概でさえも奪われている。

 

 少しでも要らぬ行動に出れば、即座に首を刎ねると言う感覚だけが鋭敏だ。

 

「……血中のSコードは適正値……“血分け”の成功例と思われるわ。アマミヤ、あなたの血が、この子の中で生きている」

 

「……どういう……」

 

「あんたさんはウチの血で、ようやく命を繋いどるっていう、現状認識、出来とるん?」

 

 血――その言葉でノノはようやく、記憶の奥底にある雨空の下での口づけを思い返す。

 

「……あんたがあたしに……血を与えた……?」

 

「そう。生きるための血ぃを。けれど、あんたさん、随分と弱いんやね。ウチの血やから、もっと強い“サヤ”になるかと思うたけれど」

 

「……待って、“SAYA”? それって、エメトピアで流行しているっていう……病気なんじゃ……」

 

「そう、その“SAYA”、けれど、あんたさんらは勝手やねぇ。怖がるだけ怖がって、妹はん、監禁してたって言うやんか」

 

 耳元で囁かれた罪科の証に、ノノは声を上ずらせていた。

 

「ち、違う……! あれはシスター達が……勝手に……」

 

「勝手に言うて、あんたさん、知らん存ぜぬを通せるって? それは人でなしやわぁ。ウチが行った時、誕生日やったんやろ? あんたさん。と言う事は、妹はんの事、知らんってわけやないんやろ?」

 

「……ネネの事は任せて欲しいって……シスターに厳しく言われていたのよ……。あたしが口を挟んだって……死ぬ病気なんでしょう? “SAYA”って……」

 

「そういう風にセクションでは吹聴されているね。だが、その実は違う。“SAYA”の意味を、君は知る事になる」

 

 デヴィッドが顎でしゃくると、ジュリアは自分を後ろ手に拘束してから少女へと指示を飛ばす。

 

「……もう大丈夫。抵抗は出来ないはずよ」

 

「それなら、ウチも安心出来るわぁ。いちいち、こうして上下関係を分からせるんも大変なんよ?」

 

 少女の言葉とは裏腹に、そのような事は一ミリも思っていないのが論調で伝わる。

 

 きっと彼女は自分達が束になったところで擦り傷一つ負わせられないのだろう事は、想像に難くない。

 

「立てる? 落ち着いてちょうだい。アマミヤは私達の味方よ」

 

「……“アマミヤ”……」

 

「ウチの名前。雨宮小夜言うん、覚えんでええよ。使えるか使えんかも分からん“サヤ”候補者やもんね。まずは刀の錆びになるかどうかも図らんといかんし」

 

 そう告げてアマミヤは刀の切っ先を自分の喉笛に向けていた。

 

 剥き出しの殺意に中てられて、呼吸も儘ならない。

 

「……あたし、は……」

 

「へぇ、声出るん? なら、ちょっとはマシなんかもね。デヴィッド、頼める?」

 

「ああ、ジュリア、あとは任せて欲しい」

 

 ジュリアからデヴィッドへと、拘束服の手綱が引き渡され、アマミヤを先頭にしてノノは打ちっぱなしの灰色の廊下へと歩み出す。

 

「……ここは……エメトピアじゃ、ない?」

 

「エメトピアや。ここはまだ、ね。ちょっとの間、お口にチャック出来へんの?」

 

 そうは言われても、何も分からないも同義なのだ。

 

 少しの抵抗くらいはしなくては、全ての権利が奪い取られてしまいそうで、ノノはようやく落ち着き始めた自分を鼓舞するように声を発していた。

 

「……あんた達は、何なの? 鬼を……あの怪物を倒す……そういう人間?」

 

 問いかけに、アマミヤはふふんと鼻で笑う。

 

「人間、やて。笑うところやん、デヴィッド」

 

「アマミヤ、彼女は何も知らないんだ。笑ってはいけない」

 

「せやかて……傑作やわぁ。自分がまだ“人間”やと思うとるんやて、この子」

 

 別段、声を荒らげるわけでもなければ、特別、嘲笑するわけでもない。

 

 ただ自分の発した言葉一つに、アマミヤは心底可笑しいとでも言うように口元を覆ってからからと笑う。

 

 その響きには侮蔑の色が窺えた。

 

 まるで――永劫、自分には「人間」の証明の権利が存在しないかのような。

 

「……着いた。ここやね」

 

 訪れたのは灰色一色の広大な空間であった。

 

 閉塞感をどこかで感じるのは、エメトピアの白亜とは正反対の色調と、そして壁にかけられた無数の武器のせいだろうか。

 

 刀や槍、それに留まらず大槌や鎌でさえも見受けられる。

 

 全て、楽園では教本程度でしか見た事がない。

 

 だが、どれもこれも本物であった。

 

 本物の凶器である事に、特段の証明の言葉など要らないのだと、事ここに至って理解する。

 

 アマミヤはそのうち、一つを手に取ってから視線を走らせていた。

 

 ノノには陰影にしか映らない場所へと、アマミヤは吐き捨てるように告げる。

 

「……隠れとるつもり? おのぼりさん根性が抜けんのね、“ウキフネ”」

 

 その一言で影より人間が屹立する。

 

 影は少女の形状を取っていた。

 

 ヒッ、と短い悲鳴を上げた自分へとデヴィッドが口を開く。

 

「警戒しないで。……ウキフネの“小夜”、単独行動は禁じられているはずだよ」

 

「少し……知らない血の臭いがしたから来てみれば。ここはいつからあなたの領域になったのかしらね、アマミヤ」

 

「口の利き方を知らん子やね、相変わらず」

 

 アマミヤの言葉繰りに、ウキフネと呼ばれた少女は片目が隠れるように切り揃えられた短髪を片手で払う。

 

 ノノはその瞬間、真紅の眼光が覗いたのを確かに目の当たりにしていた。

 

 射竦められたように後ずさろうとするのをデヴィッドが許さない。

 

「大丈夫だ。彼女も機関の“サヤ”の一人」

 

「……機関? それに、“サヤ”って……同じ名前が、何人も……?」

 

「基本中の基本が成っていないようね、アマミヤ。自分の走狗を飼い慣らすんなら、もっと別のところですれば? 私の訓練場に立ち入らないで欲しいわ」

 

「あらあら、あんたさんの訓練場にいつからなったん? それとも……実戦に出るんが怖いから、いつまでも訓練してるん? 気の長い事やねぇ」

 

 自分のような小娘でも、アマミヤの挑発があまりにも愚弄している言葉であるのは理解出来る。

 

 ウキフネは片腕を翳すと、何もないはずの空間から引き出されていくのは杭打機だ。

 

 少女の痩躯には似合わない巨大なパイルバンカーが影より編み出され、それを引っ掴む。

 

「……アマミヤ、あなたはいつだって……私の気分を逆撫でする……!」

 

「来るんなら来ぃ。分かりやすくってええわぁ」

 

 途端、青い旋風を帯びてウキフネの肉体が瞬間移動と見紛う速度でアマミヤへと迫っていた。

 

 取り回しが悪そうな杭打機の銃身でアマミヤの肉体へと一打を加えてから、その撃鉄を起こす。

 

 牽制の一撃だけで、アマミヤの肉体は吹き飛ばされ、壁際まで追い込まれていた。

 

「……今の……」

 

 感覚するよりも先にウキフネは地面を蹴り上げて、アマミヤが到達するであろう空間へと回り込んでいた。

 

 ガコン、と重たい音を立てて杭が装填される。

 

「後悔させてあげる! その涼しそうな顔を、撃ち抜いてね……!」

 

 どうしてなのだか明瞭に理解出来た戦闘の模様に、ノノは声を上げていた。

 

「やめさせないと……! アマミヤが……死ぬ――」

 

「それだけはない。落ち着くといい」

 

 遮って口にしたデヴィッドの論調には確かなものが宿っていた。

 

 アマミヤへと撃ち込まれかけた杭は、彼女の脇を抜けて天井を貫通する。

 

 照明器具が粉砕され、灰色の地面へと降り注いでいく。

 

 細やかな白銀の粉塵が舞う中で、アマミヤは肘打ちをまず、ウキフネの鳩尾へと打ち込んでいた。

 

 軽い一打にしか見えなかったそれだけで、ウキフネの堅牢であったはずの姿勢が崩れている。

 

 パイルバンカーで先制攻撃したほうであったウキフネの臓腑が衝撃波にたわみ、静かにかっ血していた。

 

「……アマミヤ、あなた……!」

 

「――黙りぃや。ちょっとくらい、静かに出来へんの?」

 

 ウキフネの顔面へと貫手が見舞われる。

 

 その必殺の速度に、身を反らして回避したウキフネであったが、その時には片腕を掴まれ、まるで紙細工のようにアマミヤに振り回されていた。

 

「ほぉれ、鬼さんこちら」

 

 踊るような挙動で手を離したアマミヤに翻弄され、ウキフネは地面を転がる。

 

 巨大な兵装であるパイルバンカーを持っている側が一方的に蹂躙されるなど夢にも思わなかったノノは終始圧倒されていた。

 

「……すごい。何なの……」

 

 ウキフネは鼻血を垂らしつつ、持ち直そうとしてアマミヤの姿が掻き消える。

 

 一体どこへ、と首を巡らせた直後には、太刀を引き抜いたアマミヤがウキフネの首筋へと刃を添えていた。

 

「無駄な抵抗やって、分かってるんやろ? ウチには勝てへんよ、ウキフネ。あんたさん、だって弱いんやもん」

 

 まるで届かない抵抗。

 

 ウキフネも相応の使い手に、ノノには映っていた。

 

 恐らく、黒い獣も――自分達のようなただの人間には、彼女らの戦闘は視界に入った瞬間には死が覗くだろう。

 

 ウキフネはそれでも、反撃の銃身を振り乱し、アマミヤへと一撃を見舞わんと再び青い残像を帯びる。

 

 しかし、それは声によって中断されていた。

 

「――やめなよ、二人とも。見苦しいよ? “サヤ”候補生の前で、そんなの」

 

 

 

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