BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第五十二話 実力

 

「うん、ちょうど直下だ。繁華街だが、まぁこの時間なら大丈夫そうだろう」

 

「デヴィッド、油断はせんほうがええよ。この“サヤ”未満じゃ、もしかしたら取りこぼしかもしれへんし」

 

「いや、ノノちゃんの感覚を信じよう」

 

 そう言いつつ、デヴィッドの手持ちの端末には28号翼手の現在位置が今もリアルタイムで表示されているはず。

 

 自分の感覚が正解であろうと不正解であろうと、もう彼らには分かっているはずなのだ。

 

 戦術ヘリが滞空し、ワイヤーを下ろしていく。

 

「ここから先は出たとこ勝負。“デヴィッド”であるアダム君は後方支援に。“サヤ”であるノノちゃんは、前衛へと。守るものは居ない。出来るね?」

 

 乾いた喉へと唾を飲み下し、ノノは揺れる眼下の風景を捉えていた。

 

 繁華街の景観は白亜の建築物を損ねないように、とは言え、白昼に比べればぎらついている。

 

 大人達の悪意と、そして人々の欲望に染まった街頭に、一瞬だけ汗ばんだ拳をぎゅっと握り締める。

 

「……行きます」

 

 その言葉を嚆矢としてノノはワイヤーを掴み、降下していた。

 

 まずは二階層の屋上へと降り立ち、受け身を取ってワイヤーを手離す。

 

 マフラーの下に装備した首輪型の通信機器の状態を確かめていた。

 

『こちら、デヴィッド。聞こえていますね?』

 

「……聞こえているわよ、アダム」

 

『……そう言い返せれば充分です。28号翼手はそのまま、前進して五百メートル以内。関知野を奔らせてください』

 

「……簡単に言うわよねぇ、あんた達は」

 

 とは言え、実地で翼手の気配を探り出すのは自分の仕事だ。

 

 ノノは額から拡張する意識の網を感覚していた。

 

 翼手の“声”は依然として同じ位置から生じている。

 

 恐らくは、それほど距離もない。

 

 ノノは助走をつけて隣のビルへと跳躍していた。

 

 着地すると同時に、最短ルートを講じる。

 

 脊髄から意識の網を翼のように押し広げ、ささやかな自分の不安を押し殺すように刀の鞘袋へとじわりと汗が滲む。

 

 ――分かっている、狩人の夜だ。

 

 それを言い聞かせながら、ノノは繁華街の闇夜を掻い潜り、そして裏路地へと到達していた。

 

 追われている自覚はあるのか、それとも本能的なものなのか、一人の男性が突き当りに行き着いて首を巡らせる。

 

 ノノは早鐘を打つ鼓動を鎮まらせようと、胸元で拳をぎゅっと握り締めていた。

 

 これから自分は――この男性を殺す。

 

 眼前に突きつけられた事実からは逃れられない。

 

 何よりも、“サヤ”として戦うのならばこれくらいは飲み込むべき汚れの一つだ。

 

 鞘袋より刀を取り出し、ノノは鯉口を切ろうとしたところで、男性の不安そうな面持ちが不意に翳っていた。

 

 直後、ごきりと音を立ててその身長が倍近くまで膨張する。

 

 骨格が折れ曲がり、複雑怪奇に肉体を変貌させる様に、ノノは息を呑んでいた。

 

「……これが――翼手……」

 

 漆黒の獣は乱杭歯を覗かせ、真紅の眼窩を揺らめかせる。

 

 だが、これで覚悟は出来た。

 

 ヒトの姿のまま殺すのは抵抗があったが、これならば倒せる。

 

 ノノはすっと刃を抜いていた。

 

 白銀の直刀を構え、翼手へと地を蹴って肉薄する。

 

 最初の一太刀はまずはセオリー通りの一閃を。

 

 肩口を狙い澄ましたノノの一撃は翼手の剛腕に掴み取られる。

 

 しかし、それを予期しないほど馬鹿ではない。

 

 相手の表皮を蹴って躍り上がり、中心軸を据えて背後へと回り込む。

 

 太刀筋は腰だめに構え、ノノは刃を叩き込んでいた。

 

 翼手の巨大な体格差を物ともせず、その躯体が壁へとめり込む。

 

 ――よし、ここまでは訓練通り。

 

 自身の中に息づく“サヤ”の能力は想定以上に初陣でも発揮されている。

 

 ならば――決着を早々につけて、この試験を終わらせる。

 

 刃に指を沿わせ、ノノは血を刀身へと流し込んでいた。

 

 機関で用いる武装にはすべからく「emeth」の刻印が施されている。

 

 血がその文字を濡らし、赤い残火が灯った瞬間、ノノは肉体を躍動させていた。

 

 翼手へと斬撃を見舞えば、それだけで“サヤ”の血ならば確殺――そう信じ込んでいたノノは、割って入った人影に瞠目する。

 

 思わず攻勢を仕舞いかけて、相手からの刃への対応が一拍遅れていた。

 

 弾き返された火花に、ノノは当惑する。

 

「……どういうつもり……あんた、機関の“サヤ”候補生でしょう?」

 

 翼手を庇ったのは自分と同じ、“サヤ”の候補生であった。

 

 身構えた自分に比して、彼女は冷徹に告げる。

 

「分かっちゃいないのね」

 

 その言葉の是非を問う前に、相手は翼手の腹腔へと切っ先を突き込む。

 

 瞬く間に翼手は結晶化し、その遺骸の頭部を蹴飛ばしていた。

 

「28号の下級翼手は限られている。なら、蹴落とし合いでしょう? まさか、“サヤ”候補生でみんな仲良く、平等になんて思っていた?」

 

 せせら笑う相手に、ノノは太刀を構え直す。

 

「ああ、やる? そのほうが分かりやすいかもね。“サヤ”候補生同士、殺し合っちゃいけないみたいなルールもないし」

 

 だが、このやり取りはお互いのデヴィッド達に聞かれているはず。

 

 ともすれば、それでさえも些事だと判定している可能性もあるが、ノノはモニターしているアマミヤ達へと進言していた。

 

「……こういうモデルケースは?」

 

『あるにはあったけれど……まぁ、試験って言う名目やし、半分くらいは静観やね。何があったとしても、これから先に“サヤ”として戦っていくんやから、これくらいは跳ねのけるのが普通やろ』

 

 つまるところ、援護は当てにならない。

 

 ノノは深呼吸して、自身を戦闘用へと作り変えていた。

 

 脊髄より真紅の旋風が巻き起こり、自身を赤の世界へと誘う。

 

 自分も相手も、赤の眼光を宿しているのが分かっていた。

 

 それはまるで鮮血の色にも似て――。

 

「……来ないのなら、こっちから……!」

 

 相手が一気に迫ろうとして、ノノは反射的な応戦をしようとして、不意に首裏を粟立たせる感覚に飛び退っていた。

 

 何かが――自分達を観察している?

 

 予感でしかなかったが、こちらが後ずさった事で相手は優位に転がったのだと認識したらしい。

 

「逃げの一手って言うのは、機関の“サヤ”としちゃ、致命的かもねぇ!」

 

 相手の“サヤ”候補生が持つのは双剣であった。

 

 刀身自体は短く、曲芸めいた抗戦が得意な形状である。

 

 ノノは一閃で弾き返しながら、現状を鑑みる。

 

 このまま時間に任せていれば、試験は突破出来ない。

 

 それどころか、同じ候補生にやられる可能性だってある。

 

 かと言って、話せば分かるような相手でもなし。

 

 やはり、ここは実力で一度組み伏せるしかないが――出来るのか? と言う問いが鎌首をもたげる。

 

 ――あんたさんは小夜にしてみれば眼も良くないし、耳も良くない。実力は平均点に毛が生えた程度。

 

 アマミヤの厳しい評価が脳裏を掠める。

 

 相手の候補生は既に青い加速領域を会得しているのか、壁を蹴り上げ、速度を増して自分へと迫る。

 

 一挙手一投足でさえ、スペックは遥かに上だろう。

 

 だが、だからこそ。

 

 ――だからこそ、あんたさんは負けない戦いが出来る。これ、重要やのよ? 勝つのはまぁまぁ難しくても、負けない戦いが出来るって言うのは天賦の才能やわぁ。まぁ、ウチの血で覚醒したにしては、あまり美点とも言えんけれどねぇ。

 

 その言葉が滑らかに脳内へと流れ込み、ノノはフッと笑みを浮かべる。

 

「……うるさいってのよ、あんたは……」

 

 袈裟斬りの一撃が襲い掛かるのを、ノノは反射神経で回避していた。

 

 無論、この程度の回避速度など“サヤ”ならば当たり前の事。

 

 即座に返す刀が首を刈らんとする。

 

 ノノは刃を立ててその一撃を引き剥がし、そして手刀を候補生の脇腹へと突き込む。

 

 相手が僅かに姿勢を崩した隙を突き、もう片方の手へと持ち替えた刀を打ち下ろす。

 

「……手首を……! よくも……!」

 

 右手首を落とした程度では再生に秀でた候補生ならば簡単に修復出来るだろう。

 

 なればこそ、ノノは浴びせ蹴りを叩き込んでいた。

 

 格闘戦術においては自分にも分がある。

 

 うろたえた相手へと、先ほど死に絶えた翼手の死骸の砂を引っ掛ける。

 

 ――あんたさんは弱いさかい、使えるもんは何でも使いなはれ。たとえ敵の死体であろうと、味方の死体であろうと。弱者なりの戦い方ってあるもんよ。

 

 視界が封じられた、完全なる好機。

 

 ノノは太刀筋を煌めかせ、渾身の膂力で候補生の胴体へと峰打ちを炸裂させる。

 

 呻き声を上げた相手に、ノノは囁きかけていた。

 

「……悪いわね、これが弱者の戦い方よ」

 

 そのまま壁へと吹き飛ばされ、相手の候補生は昏倒したようであった。

 

 ノノは息を切らせながら、翼手の結晶を拾い上げる。

 

「……デヴィッドへ。翼手の死骸から結晶を採取したわ。これであたしは一抜けね?」

 

『かなりイレギュラーではあったが、間違えようもない。これで、君は晴れて――』

 

 そこから先の言葉をノイズが遮っていた。

 

 何だ、と思う間にノノの耳朶を打ったのは“声”であった。

 

 翼手の“声”ではない。

 

 蹂躙され、そして虐殺されていくのは、狩人であるはずの――。

 

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