何度目かの呼吸を差し挟み、ワイズマンの者達の声が響き渡る。
『事態は切迫しているぞ、ジョエル』
「承知しております。しかし、まさか“サヤ”候補生の試験を利用しての28号翼手の作戦展開……どれもこれも、想定外」
『言い訳が通用すると思っているのか? 既に確認出来るだけで数十名の“サヤ”候補生のバイタルサインが消えたのを確認している。中にはデヴィッドとルイスでさえも罠にかかったとの事だ。これをどう清算する?』
ジョエルは落ち着き払った声で、対応策を返答していた。
「アマミヤでさえも撤退に追い込まれている現状、仕方ありませぬ。“音無小夜”のカードを切りましょう」
その宣告は、ワイズマンにとって完全に虚を突かれた形であったのだろう。
彼らは驚嘆を浮かべる。
『……何と言った? まさか、オトナシを解き放つと?』
「ですから、そう言っているのです。何度も聞き返さないでいただきたい」
しかしそれは――機関にしてみればまさに鬼札に等しい。
『……もし……シュヴァリエに音無小夜が殺されればどうする? その場合、ジョエル、貴様の首を挿げ替えるだけでは済まない』
「重々承知です。アマミヤのルイス、デヴィッド達の現在位置は把握済みだな?」
この査問会に召集されたルイスは苦々しげに口にする。
「……ポイントは把握しておりますが……そこにオトナシを投入すると? それはだが、送り狼としての役割をこなせるかどうか……」
「聞いていなかったのか? 音無小夜の即時投入こそが、彼女らの生存率を上げる。オトナシのデヴィッドとルイスには、既に厳命を与えてある。十分以内に現着、それは揺るぎない」
『ジョエル。長官としての越権行為に抵触するぞ』
「構いません。一人でも多くの“サヤ”候補生を救い出す。そのためならば、泥くらいは被りましょう」
『だが、音無小夜の調整は上手く行っているのか? 彼女は強いがゆえに……』
濁したワイズマンにジョエルは言ってのける。
「この緊迫した戦局を覆すのに必要なのは最強の“小夜”。それは間違いないでしょう。幸いにして、音無小夜は出来る“小夜”です。28号翼手を殲滅し、シュヴァリエの刃を遠ざけるだけの力を持つ」
これから先は、論ずるだけ無駄なのだと悟ったのだろう。
ワイズマンは責任を自分へと投げる。
『……知らんぞ。音無小夜の即時投入はあまりにも早計だ』
『左様。彼女はアマミヤに匹敵する小夜だが、制御系統が困難なのだと報告書にある。……やれると思うのか?』
「そう信じなくては死ななくていい者達まで死なせます」
断じた自分にそれ以上の言葉は重ねられなかった。
『……では作戦を遂行せよ』
ワイズマンの気配が消えてから、ルイスは声にする。
「……いいのかよ、親父。これじゃ、ワイズマンからの心証がよくないだけじゃない。オレ達は要らない禍根まで背負う事になる」
「だとしても、今、“サヤ”候補生を死なせる意義はない。彼女らは一人でもともすればこれから先、一騎当千に成り得る。それを信じてはいけないか?」
「……親父は夢想家だよ。“サヤ”なんて代わりが利くものだ」
「だとしても、彼女らの運命とて過酷。それに、ルイス。お前とて、兄であるデヴィッドの行方が気にかかっていないとは言わせない。デヴィッドを守れるのは“サヤ”だけだ。他の何者でもない」
「……アマミヤが撤退したってのは意外だったよ」
つい先刻もたらされた情報に、ジョエルは投射画面をなぞる。
「……まさか、シュヴァリエ、か。それも、最強の小夜の名をほしいままにする、雨宮小夜が、手も足も出ないとは。如何に特殊弾頭が彼女専用ではなかったとは言え、これは手痛い一打だ」
「……親父はさ。小夜に入れ込むものでもないよ。分かってるんだろう? “サヤ”はロンギヌス機関における生態兵器、彼女らの生き死にに親父が絡む事はないんだ。もっと、……長官として生きてくれれば、少しは楽なんだよ。オレも兄さんも」
「……長官として、か。だがそれは、無責任と何が違う。わたしは、あくまでも現場を担当するお前達に、恥じ入りたくない生き方をしたいだけだ。それ以外にない」
断言した自分にルイスはうろたえる。
「……もう、若くもないんだ。親父は隠居だって考えるべきなんだよ」
「ありがたい言葉だが、今はそのような場合でもない。ルイス、音無小夜のデヴィッドとルイスに同行しろ。これは命令だ」
「そ、それってさ! オレに……あいつらの走狗になれってのか?」
きっと、それは屈辱であったのだろう。
奥歯を噛み締めた様子のルイスに、ジョエルは間髪入れず告げる。
「戦闘を学べ。小夜の扱い方も、だ」
これ以上の問答は意味がないと判断したのか、ルイスは身を翻していた。
「……了解……だがよ、得心がいかない場合には……言わせてもらうぜ、親父」
「それともう一つ。ここではジョエルと呼べ。父と呼ぶ事は許さん」
ある意味ではここで一線を引いておかなければ、ルイスは血の繋がりに頼り過ぎてしまう。
それは彼にとって不幸な宿縁となるだろう。
査問会の扉を抜けたルイスの背中を見送り、ジョエルは情報集積地点へとアクセスする。
「……“サヤ”候補生を狙っての作戦展開。加えて上位翼手であるシュヴァリエの実戦投入。そして……最強の小夜の撤退戦か。どれもこれも、一夜に起こる出来事にしては、大き過ぎるな……」
ジョエルはそう結んでから、車椅子を押していた。