BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第五十九話 魔性の月

 

 呪符を放ち、翼手の腕を寸断する。

 

 生み出したのは針の〈古きもの〉だ。

 

 全身を武器として四方八方にばら撒き、自律兵装として運用する。

 

 デヴィッドは翼手にまるで近づかせない。

 

 相手が奇襲を講じたのならば、それを上回る速度で符術を用い、出現させた〈古きもの〉で相対する。

 

「銃が当たらないとは言え、そろそろ君達もきつくなってきたんじゃないか? いい加減、撤退する気にはらないのかな?」

 

 問いかけても獣の唸り声が返ってくるばかり。

 

 デヴィッドは黒曜石の瞳に慈愛を宿して、呪符を数枚、翼手へと投擲する。

 

 それらは相手の腹部や肩部に突き刺さるなり内側から膨張し、体内を食い破る芋虫の〈古きもの〉を召喚していた。

 

「……それにしたって、手数だけは多いんだね。誰が手引きしてるんだか」

 

 次なる攻撃手段に打って出ようとしたデヴィッドはその時、不意に気配を察知してそちら側へと呪符を張っていた。

 

「さすがですね。私の気配に勘付かれましたか」

 

「上級翼手……いいや、シュヴァリエかな」

 

 影から現れた相手は恭しく頭を垂れる。

 

「どちらでもございません。私はこの日まで、あなた様を待ち望んでいた者、と名乗ればよろしいでしょうか」

 

「繰り言は趣味じゃないんだ。敵なら敵の対応をする」

 

 面を上げたのはモノクル姿の老練の紳士であった。

 

 撫でつけた灰色の髪色に、清潔感の漂うスーツを身に纏っている。

 

「私はあなた様と争いたくはない。話を聞いていただけるでしょうか?」

 

「翼手の戯言を聞けと?」

 

「この世には、理と言うものがあります。何になるか、ではなく、何であるのかを。機関のデヴィッドとして、その力を振るう事、一時とは言え、疑問に思った事はないのですか?」

 

「僕は銃が苦手なんだ。こっちのほうが性に合っている」

 

「しかし、〈古きもの〉を扱えるのはあなた様だけ。何故、〈古きもの〉はあなたに従うのか」

 

「それこそ、戯言一つだろう。僕の生まれ持った力だ」

 

「では、生まれ持って何故このような力を?」

 

 紳士の言葉繰りには時間を引き延ばそうという気はないように思われる。

 

 まるで心底、この疑問点を氷解しなければならないとでもいうような口振りだ。

 

「……分からないな。だが持って生まれたのならば、それを行使する責務がある」

 

「ロンギヌス機関に飼われてでもですか」

 

「飼われたつもりはない。僕は僕の意志で、アシッドと対立しているだけだ」

 

 残りの呪符は十枚もない。

 

 もしこの紳士がシュヴァリエで、28号翼手を自由自在に操れるのだとすれば、それだけで死の危険性がある。

 

 だが、紳士はそのような兆候は見せなかった。

 

 それどころか、一枚の鏡を取り出す。

 

「この鏡に、あなた様の血の運命が宿っております。これを見れば、あなたはきっと思い出す。己の血に刻まれた、その運命を」

 

 投げられた鏡をデヴィッドは受け止める。

 

 紳士は一礼し、それから言葉を継ぐ。

 

「お待ちしておりますぞ」

 

 それを潮にして凝った影の中に溶け行くように、紳士の姿は消失していった。

 

「……何者なんだ。鏡……?」

 

 装飾の施されたそれは、薄紫色に表面が煌めいている。

 

 紳士の撤退を嚆矢としたかのように、翼手の群れは唸り声を上げて飛び退っていく。

 

「……一体、何だって言うんだ……」

 

 その時、不意に直通通信が接続される。

 

『兄さん! 大丈夫……なのか?』

 

「ああ、こちらに損耗はないよ。……ノノちゃん達は?」

 

 通話先でルイスが返事に窮したのが伝わる。

 

『……アマミヤ達はシュヴァリエに遭遇して一時退却。それだけじゃない。……兄さん、ノノがアダムに“血分け”を行った』

 

 その言葉は今の自分にとってあまりにも衝撃であった。

 

 思いも寄らず聞き返す愚を犯す。

 

「……何だって? まさか、そんな事……」

 

『本当なんだよ。……未確認だが、バイタルも脳波も安定している。これってつまり、アダムは“サヤ”のシュヴァリエに――!』

 

「逸るべきじゃない……とは言っても難しいだろうね。それにしても、血分けをするとは……。アダム君の肉体に少しでも変異があれば、機関の“ジュリア”へと報告を。全ての情報は彼女に送るべきだ」

 

『ああ……。なぁ、兄さん。オレ達は間違っていたのかな。シュヴァリエの参戦に、機関の内部での血分けによるイレギュラー……。ともすれば、この事態そのものがアシッドの思惑の中に――』

 

「あまりマイナスに考えないほうがいい。それに、これがたとえどうしようもないイレギュラーだとしても、僕らは進むしかないんだ。それが機関の“デヴィッド”と“ルイス”であるのならば」

 

 一拍の沈黙の後に、ルイスは応じていた。

 

『……そう、だよな。間違っていたとしても、オレ達に選択肢なんて元々多くなくって……。兄さん、サヤ候補生は今回、酷い様だ。恐らく五名も生き残っていないだろう』

 

 シュヴァリエが操った夜であるのならばそれも頷ける。

 

 しかし、事ここに至って戦力の増強どころか減殺となれば穏やかではない。

 

「……シュヴァリエの能力の早期解析を。それだけじゃない。……アマミヤだけの力では対抗出来ない事が浮き彫りになった。……機関は戦線を整え直す事になるだろう。翼手人類と戦うのに、ここまで僕らが不利なんてね」

 

 静かに奥歯を噛み締める。

 

 ここでの敗走は決定的な隔たりとなって自分達に横たわる事だろう。

 

 しかし、それを覆すだけの夜の証は、自分達に微笑まないようであった。

 

 書き割りのような黄金の月を仰ぎ、デヴィッドは呼吸する。

 

「……皮肉な事だね。僕達の力が至らないのを痛感するのに、こんなにも綺麗な満月だなんて」

 

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