BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第六十四話 クラブドール

 

 刃を与えられ、まずは敵を見据える事だ。

 

 それが戦場における全てであり、原始的な松明の向こうから蠢き出したのは首輪を巻かれた黒き獣――翼手である。

 

 鯉口を切り、白銀の光を照り輝かせる。

 

 鞘を捨てたその時には、世界は真紅に煙り、灼熱の領域へと踏み入っていた。

 

 心得た加速度で翼手の懐へと潜り込み、その腹腔へと刃を突き立てようとして、剛腕に遮られる。

 

 獣の膂力が少女の矮躯を吹き飛ばし、セーラー服が土煙に汚れていた。

 

 その段階で意識したのは右腕に巻かれた鎖である。

 

 翼手は首輪から鎖に繋がれ、自分は右腕に手枷がある。

 

 手枷に埋め込まれた紅玉が輝き、心拍数を伝えていた。

 

『レディースアンドジェントルメンッ! さぁ、賭けた賭けた! 勝つのはいたいけな少女か、それとも獣か!』

 

 声が響き渡り、闇を照らし出す。

 

 投光器の重たい光の連鎖が翼手の相貌と、自分を交互に照らす。

 

 翼手は喉奥で唸った後に、大口を開けて咆哮していた。

 

 それに呼応するように太刀を振るい上げる。

 

『刀一本で勝つかー! それとも獣の牙が少女を食い破るかー! その決死の勝負、ここに集った紳士淑女の諸君だけが! 賭けのレートに掲げられるのですッ!』

 

 鳥籠だ。

 

 投光器の光が堅牢な鳥籠を浮き立たせ、繋がれた自分と翼手の主が一瞬だけ浮き彫りになる。

 

 相手は仮面をつけた紳士で、数名の奴隷の少年少女達に翼手の手綱を預けていた。

 

 奴隷の少年少女は苦悶の表情を浮かべながら、必死に翼手の鎖を握っている。

 

 その掌から滴った血が、床を真っ赤に染め上げていた。

 

 比して、自分の右腕の鎖を握っているのは同世代の少女であった。

 

 彼女は分厚い手袋越しに手綱を握り締めている。

 

「――やれるわね?」

 

 問いかけに自分は応じるように刃を薙ぎ払っていた。

 

 ギャラリーが色めき立ち、今この瞬間にもオッズが切り替わっているのが窺える。

 

『太刀を掲げた可憐なる少女が打ち勝つか! それともやはり、獣の野生が勝るか! さぁ、皆様方! 賭けの対象を変えるのならば今ですよぉ!』

 

 この場を取り仕切る道化の男の声に人々は熱狂しているようであった。

 

 分かりやすい歓声が上がらないのは、ここが閉ざされた地下闘技場であるためか。

 

 声で反証されたのでは堪ったものではないと、声を押し殺して命の駆け引きが行われていた。

 

 右腕の枷は自分の心拍と、そして下馬評を稼ぐために、身体状況をモニターしている。

 

 曰く、脳波だけではなく、穢れのない少女の証明であるための純潔の証でさえも。

 

「……反吐が出る」

 

 声にして駆け抜ける。

 

 翼手を制御するべく奴隷の子供達は悲鳴を押し殺し、その首輪を繋ぎ止めようとしていたが、どれもこれも児戯――虚飾だ。

 

 軽やかなステップで回り込み、赤い残火が断ち切る。

 

 その対象は――。

 

『……鎖を……?』

 

 翼手の首輪に接続された鎖を断ち切った瞬間、制御を失ったけだものは解き放たれ、振り返っていた。

 

 矛先が向いたのは奴隷の少年少女達を従えていた仮面の紳士にである。

 

 悲鳴が劈く前に、その爪が主を貫いていた。

 

 血飛沫が舞う鳥籠の中で、次いで恐怖した奴隷の子供達へと翼手が牙を突き立てんとしたのを、先回りして背中で受ける。

 

 翼手の牙が赤い血でぬらぬらと照り輝く。

 

 今も出血の収まらない背筋に突き立った異物へと、少女は刃を振るっていた。

 

 渾身の一閃が翼手の頭蓋を引き裂き、頭部が浮かび上がる。

 

 直後には洪水のように堰を切って、翼手の血糊が鳥籠の中を濡らしていた。

 

 奴隷の少年少女達を見据えながら、自分は立ち上がる。

 

『し、勝者は……ドール……! “血濡れの人形使い(マッドドール)”だぁーッ!』

 

 刃に付いた血を払い、捨て去ったはずの鞘を拾い上げる。

 

 右腕に確かめた証を掲げると、扉が開き鳥籠からの脱出権が与えられていた。

 

『さぁ、皆々様! 次の勝負までお立合いください! 次は、売られてきたともっぱらの噂の少女奴隷達をご覧に入れましょう!』

 

 ギャラリーの注目が次の演目に向いたのを感じ取ってから、声が掛けられていた。

 

「お疲れ様、相変わらずの立ち振る舞い、恐れ入るわ。――小夜」

 

「あたしの名前はそっちだと煩わしいので、苗字で呼んでください。お嬢様」

 

「そう? 私は好きだけれどねぇ、その名前。ま、いいでしょう。病気と同じ名前なんて、あなたもとんだ宿縁ね。“キザハシ”」

 

 その言葉に浮かんだ憐憫も飲み干してから、自分は――階小夜としての名前を認識する。

 

「なんて事はないですよ。ちょっとした、事故のようなものです」

 

 控室まで下がってから、ようやく安堵の息をついた仮面の淑女はその厚手の手袋を外していた。

 

 その段になってようやく枷に繋がれた鎖を外す。

 

 しかし、枷は嵌められたままだ。

 

 心拍、脳波、そして自分の考え得る事、何もかもが彼女にモニターされている。

 

「それにしても、曰く付きの名前よね。マッドドールなんて」

 

「お嬢様が名乗ったわけではないのだけは、知っておりますが」

 

 仮面を外した淑女は、まだ年若い少女の相貌に浮かんだ汗を拭う。

 

「因果なものよ? ここはセクションの中でも、管理者権限なんて存在しないんだから。私ほどの家柄でも、これでのし上がるほかない」

 

「治安は最悪レベルのレベルF指定……。ですが、お嬢様が拾ってくださらなければ、あたしは死んでいました」

 

「よしてよ。あなたの幸運の結果なんだから、キザハシ」

 

「ケイトお嬢様はあたしにとっての光のようなものです」

 

「あら? おべっかも上手くなったのね。それとも……今日の対戦相手に同情でもした?」

 

 網膜の裏でちらつく、奴隷の子供達の怯えた姿――。

 

「……いえ、まったく」

 

「でしょうね。あなたは鋼鉄の心を持つ、一振りの刃。そのせいで登録名は、勝手にマッドドールなんて付いちゃったけれどね」

 

「お嬢様がお気に召さないなら、今からでも」

 

「いいわよ、別に。私だって、悪い評判なんて慣れてるんだから」

 

 ケイトを名乗る淑女は煙管を取り出し、甘ったるい紫煙を吐く。

 

 その匂いは、少し苦手だった。

 

「……ですが、翼手に関しての情報統制は取れていないのですね。ここもエメトピアであるはずなのに」

 

「理想郷なんて、鉄道とセクション間の終着駅の壁一枚で、簡単に塗り変わっちゃうのよ。このセクション四十五では、これが正常。狂っているのは他の世界ってなわけ」

 

 ケイトは五指にそれぞれ指輪を嵌めている。

 

 どれもこれも、このセクション四十五では高級品だ。

 

 その一個だけで高層ビルが建つ。

 

 耳にも華美なピアスと、朱火色の櫛を髪には刺している。

 

 つい先刻の奴隷の子供達とは正反対の生きざまをまざまざと見せつけられ、キザハシは僅かに濁った己を吐露していた。

 

「……あの子達は、無事でしょうか……」

 

「なに? やっぱり同情しているんじゃない。飼われた人間が悪かったのよ。“獣狩り”の連中は、何を好き好んであんな化け物を使ってるんだか。どうせ使うなら、あなたみたいな煌びやかな女の子がいいわ、キザハシ」

 

 ケイトのしなやかな指先が頬を滑る。

 

 紅を引かれた彼女の面持ちが、息がかかるほど近づいていた。

 

「お嬢様。お戯れが過ぎます」

 

「そうかしら? そうであるのだと、あなたが規定しているだけじゃない?」

 

「あたしは兵装です。お嬢様がのし上がるための、刃に過ぎません」

 

「……そう。つまらない事を言うのね」

 

 ケイトの興味はそこで削がれてしまったらしい。

 

 ぷいっと顔を背け、煙管を吹かしていた。

 

「……失礼を。本日の自由時間を使っても構わないでしょうか? 血を洗い流したいので」

 

「いいわよ、別に。今日はいい具合にじりじりとした勝負で勝てたんだし。二時間あげる」

 

「感謝します」

 

 キザハシは踵を返し、据えた臭いの立ち込める通路を真っ直ぐに歩みながらセクション内アナウンスを聞いていた。

 

『クラブドールにようこそ! ここでは勝てば何でも手に入る夢のようなセクションです! 勝者には褒美を、敗者には罰を! 勝てればその望みは全て叶えましょう! それがセクション四十五、クラブドールの掟です!』

 

 アナウンスを行うのはこのセクション四十五で成り上がった女性モデルであった。

 

 猫耳と装飾華美な姿、そして煽情的なピンク色の下着を纏っている。

 

 換気扇の風がバタバタと激しく吹き抜ける中で、キザハシは煙草に火を点けた合流相手と相対していた。

 

 互いに無関心を装いながらスーツ姿の蓬髪の男は声を発する。

 

「潜入は慣れたか? キザハシ」

 

「どうかしらね。あたしにしてみれば、あんた達のやり口は随分と迂遠よ。もっと簡単に、セクションに潜む翼手を狩れるようにすればいいのに」

 

「それがそうもいかない。セクション四十五……通称、クラブドールでは力こそが全てだ。その実力だけで成り上がった者達が大勢居る。中にはもちろん、翼手の力を使って、その地位を築いた者も、な」

 

 そうだ、キザハシに命じられていたのはセクション四十五を牛耳る翼手の殲滅指令。しかし、あまりにも相手が狡猾に逃げ回っているために、別の手を使う事を機関より推奨されたのであった。

 

「……それが、サヤである事を隠しての、有力者の刃になる事なんてね……」

 

「薬は上手く機能しているだろう?」

 

「薬って、グミでしょう? まさか、グミにサヤの因子を抑制する効果があるなんて思いも寄らなかったけれど」

 

「足りなくなる頃合いだろう。一週間分だ」

 

 袋に包まれたグミはちょうど一週間分で、この関係を自分の都合で終える事が出来ない事も雄弁に告げている。

 

「グミの処方はジュリアの診断が要るはずだけれど、あんたみたいなデヴィッドに成り立ての人間は何も聞いていないわよね」

 

「私はデヴィッドとしての職務を全うするだけだ。キザハシのサヤ、敵は全て滅ぼせ。お前にはそれが出来るのだと、前任者から伝え聞いている」

 

 前任者――その言葉尻に滲んだ僅かな忌避感は、彼らの序列を物語っている。

 

 デヴィッドとルイス、そしてジュリアという役割に集約される価値。

 

 ロンギヌス機関の持つ呪詛のような形式そのもの。

 

「サヤとしての力の抑制は、これまで通り六時間程度と見ていいのかしらね?」

 

「ああ。六時間のリミットを超えると勘付かれかねない。気を付けろよ、このセクション四十五は謎が多い。クラブドールの仕組みが全てを支配しているんだ。翼手であろうと、そうでなかろうと力こそが全て。ここまで分かりやすい構成もないだろう。翼手を追うに当たっては、血の力を使えないのは辛かろうが……」

 

「大丈夫よ。あたしは……だってキザハシの小夜……ここで折れるわけにはいかない」

 

「その言葉が聞けただけでも収穫だと思うべきなのだろうな。小夜としては初の単独任務だ。もしもの事があれば首輪に報告しろ。敵の“声”によって阻害されない唯一の交信手段だ」

 

 キザハシはマフラーの下に巻かれている首輪を感覚する。

 

 これも、機関から縛られている証そのもの。

 

 小夜である限りは一生、飼い主には逆らえない――。

 

「……承知しているわ。あんた達の援護だって期待出来ないんだから、あたしが……やらないと……」

 

「気負い過ぎるな。言っておくが、サヤの補充要員とて万全ではない。お前らが居なくなっても替えが利かないとは言い切れないんだ。これだけは分かってくれよ」

 

 今代のデヴィッドはそれなりに自分に入れ込んでいるようではあったが、それも所詮は距離のある代物だ。

 

 だって――どう頑張ったところで、自分は小夜。生き抜くのには戦いしかない。終わりのない螺旋に赴く事でしか存在価値を示せないのだから。

 

 曲り道でデヴィッドと別れる。

 

 彼は煙草のパッケージを掴んで片手を振っていた。

 

 その背中に応じる事は自分には出来ない。

 

「……戦いに赴くのはどうせ、あたしみたいな前線のサヤ……。でも、どうあったって……あたしが、やらないと……」

 

 初の単独任務で失敗は許されない。

 

 キザハシはネズミ達が走り抜ける路地裏で壁に背中を預ける。

 

 刀を握り締め、その柄をさする。

 

「……あたしが、勝たないと……だって、このクラブドールで生き抜くのには……あたしが……強くならないと。だって誰も傷つけたく……ないんだから……」

 

 

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