「あら。もう順応しているじゃないの。さすがはアンシェルね」
ネイサンの言葉繰りにアンシェルは肩を竦める。
「この端末とやらは、私が居た時代よりも随分と進んだようだが、人間の扱うそれならばさほど変わりはない。いつだって、私達はそうであっただろう? シュヴァリエは人界に常に順応してきた」
「百年以上の歴は伊達じゃないって事ね」
「それはお前のほうだろうに。……ネイサン、この世界は偏狭になったものだ。私と戦い続けて来たかつての“赤い盾”の連中も、ここまで追い込まれていたとは。あそこまで争っていたというのに、その帰結が自然消滅とは笑えぬ冗談だ」
端末を操作し、その指先でなぞる。
情報は集積化され、そして先鋭化する。
ロンギヌス機関と名前を変えても、その存在意義はほとんど変わっていない。
――全ての翼手の殲滅、か。
アンシェルはその在り方に辟易する。
「相も変わらず、奴らは懲りぬものよ。私らを滅ぼしたかと思えば、人間同士で喰い合いを続けていたらしい。その結果がこれだ。私達を排斥するためにあれだけ奔走したと言うのに、翼手を一匹残らず滅ぼすどころか、我々にとっての理想郷を創り上げた。まったく、弱小な人間風情だと言うのに、自ら破滅への誘因を辿るほかないとはな」
「その脆さが愛おしいとは思わないのね、あなたは」
「当然だろう。一度、その身で味わったのだよ、死の淵を。だと言うのに、同情の余地などあるものか。彼奴等を完膚なきまでに叩き潰す。そのためならば、あの雑兵共を蹴散らさなければな」
「雑兵ねぇ……。あれでもサヤよ?」
ネイサンの論調にはしかし、最初から諦観が浮かんでいるのが窺えた。
「……もう分かっているのだろう、言葉を弄すな、ネイサン。奴らは恐れているのだ。敵と捉えた相手をこうして伝承する事は出来ても、それはあくまでも恐れに過ぎない。語り継ぐ事のみでこそ、恐怖は伝達する。原初のヒトが炎や獣を恐れたように、どこかで分かたれた翼手と純正人類は互いを畏怖する。戦いの果てに何が待とうとも、私達は殺し合いを講じるほかない。まったく、どこまでも度し難いのは人の業と言うものか」
傾けたワイングラスには鮮血のような真っ赤なワインが注がれている。
美酒の香りを嗅ぎ、アンシェルは刻まれた「ボルドー」の名前を読み取る。
「それにしたところで……そろそろ気づいているんでしょう?」
「……お前は独断専行が過ぎるな。まさかあの戦いの只中で、私を囮にしてくれるとは」
「嫌ねぇ、そんなつもりはないわよ」
「だとすればこの耳障りな“声”は何だ? お前のそそのかしたシュヴァリエ“もどき”は醜悪が過ぎる」
先刻からずっと耳にこびりつき続けるのは、ロンギヌス機関に収監されているはずのシュヴァリエの成り損ないの“声”であった。
耳を劈く拷問の悲鳴。
そして、怨嗟を募らせていく唸り声。
どれもこれも――シュヴァリエとしては三流と言ったところか。
「あら? 彼をシュヴァリエにしたのは、あなたとしてはご立腹?」
「元々、劣化したサヤの血から作られたシュヴァリエだ。我々のような純正でもない。それをどう利用するつもりなのか、考えを聞きたいところだな」
「それに関しては、彼、が説明してくれるわ」
ネイサンが促した先にはモノクル姿の紳士が佇んでいる。
アンシェルは気配を探るが、その血の臭いでさえも、どう考えても……。
「……翼手ではないな?」
「人間の領分で動かせていただいております。マハラル様とは、また違う」
恭しく頭を垂れた老齢の紳士に、アンシェルは戦力とはまるで思えなかった。
「……ネイサン。私に要らぬ手間を取らせるつもりか? 人間では、話にならん」
「でも、純正人類よ? ……ああ、知らなかったんだったっけ? 今代のサヤ達は、アタシ達が戦っていたのと一つ、大きく異なるのよ」
「因子や血の精度が下がった以外に何がある? まだ弱くなるのか?」
「そうね、これはそういう事かもしれないわ。――現在のサヤは、“人間”だけは殺せない」
ネイサンの語った意味を咀嚼する前に、アンシェルは問いかける。
「……人間、だけ……? それはどういう事なんだ? 実際、この時代の劣化した翼手ならば殺せて見せた」
「言葉通りの意味よ。純正人類を殺す事は、今の“サヤ”達には出来ない」
「それに関しては、私が返答を。サヤのシステムがどの時代に成立したかは不明ですが、いつしかサヤは人間だけは殺せなくなったのです。それは、サヤに流れる殲滅の血が、翼手人類を抹消する事に特化した意味からも明らかでしょう。サヤは人間だけは絶対に殺せませぬ」
モノクルの紳士の言葉に澱みはなく、嘘の兆候もない。
「……どこまでも弱くなってしまったものだな、サヤ」
「ですが落胆させるものでないでしょう。ディーヴァのシュヴァリエである、アンシェル様、それにマハラル様も。あなた方には、枝をつけたシュヴァリエを解放していただきたいのです」
枝というのは言うまでもなく、ネイサンの作らせたシュヴァリエもどきだろう。
「……赤い盾の連中の居場所くらいは分かっているのだろう? 何故、これまで強襲をかけなかった?」
「ロンギヌス機関の事ですかな、それは。……彼らとて馬鹿ではありません。セクション間に存在する無数の逃げ道があるのです。拠点を一個潰した程度ではいたちごっこに過ぎない。では、どうするか? シュヴァリエ同士ならば、血の宿縁で察知する事が出来る、と聞いております」
「……我々に斥候をせよと言うか、人間風情が」
「無論、それなりの報酬は。……得た情報によると、D因子に覚醒した存在もそちらに隔離されているとの報告があります」
D因子――即ち求め続けている、ディーヴァがそこに居ると言うのか。
自分に内在する血に問いかけるが、確証は得られないまま。
しかし、ディーヴァとの再会を一秒でも早めたいのは事実。
「……私を謀れば、貴様の命はないぞ」
「それも承知の事です。私も出ますので、ご心配なく」
「高齢の人間など役に立つものか」
「アンシェル、それに関しちゃ心配要らないわ。彼は強い」
ネイサンが断言するのは珍しい。
少しだけ興味が湧いて、アンシェルは鋭い一瞥を投げていた。
「……名を何と言う」
紳士はその態度を崩さずに応じてみせる。
「――九頭、と申します」