BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第六十九話 宿業

 

 そう言うなり制服を脱ぎ始めたトーマに、今さら申し訳ない気持ちが溢れてくる。

 

「その……汚しちゃって……ごめんなさい……」

 

「別にキザハシさんのせいじゃないってば。それにしたって、デート。ちゃんとここまで来てくれるなんて意外だったかも。ウチもキザハシさんの事を誤解していたのかもね」

 

「誤解なんて、そんな……! でも……すごい家だよね? エメトピアじゃ、こういう建築物は珍しいはずだけれど……」

 

「ああ、それ? 特権って奴かな」

 

 動きやすいジャージに身を包んだトーマは何でもないように座椅子に腰掛ける。

 

「……特権って……?」

 

「さっき会ったでしょ? ラビ、あの子。……エメトピアじゃ何でもかんでも実力至上主義。その上で血統が特別だって言うんなら、レベチの待遇が与えられるってものよ」

 

「……レベチの待遇って……?」

 

「うーん……説明するのはちょっと難しいけれど、簡単に言えば将来の確約かな。あの子、ウチよりだいぶ頭の出来はいいから。あれでエメトピア中央庁からお呼びがかかっている、モノホンのエリートなんだよね」

 

 後頭部を掻きながら羅列されたプロフィールはにわかには信じられず、キザハシは愚鈍にも聞き返す。

 

「……でも、エメトピア中央庁って……」

 

「そっ。察しの通り、政治とか何やらの枢軸ってワケ。そこにまだ十歳成り立てのガキが招かれるかなぁ、普通は」

 

 トーマは菓子盆をテーブルに置き、チョコレートを頬張る。

 

「……でも、何でそんな……」

 

「知んないって。エメトピアのお偉いさんが決めた事だし、母さんとかに言わせれば、星の巡り会わせなんだってさ。本当、ウチが惨めになるだけだってば」

 

 何だかそれを言及するのは憚られる気がして縮こまっていると、察したトーマが場を和らげる。

 

「あっ、別に愚痴を聞かせたいわけじゃないんだって。ただね、そういうコトもあるっての、アミとかシズクには話しているけれど、キザハシさんにも言っておいたほうがいいかなって。だってさ、せっかくツルんでるわけだし、蚊帳の外はなしでしょ」

 

 話しているうちにトーマは随分とさばさばとした性格なのが窺える。

 

 湿っぽくずるずる引きずるタイプではないのは素直に羨ましい。

 

「……でも、それにしたって何でトーマさんを呼び捨てで? 弟さんだよね?」

 

「あー、それ? うちは実力主義って言うかさ。出来るんならたとえお手伝いのメイドだろうが、庭師だろうが採用するって考え方なんだよね。で、そんな考え方だから、一番頭の出来がいいラビはこの家じゃほとんど法律みたいなもん。そりゃーね? ウチの事はどんだけだって言っていいよ? けれど、あの子、友達とかも勝手に下の名前で呼ぶからね。本当にクソガキだと思うわよ」

 

 何だか愚痴と言うよりも家庭事情を聞かせてもらっているようで少しだけほっこりとする。

 

「……あれ? あたし、下の名前、言ったっけ……」

 

 その疑問が鎌首をもたげる前に、机の上にトーマは宿題を広げていた。

 

「今日のレポート、ちょっとめんどいじゃん? 一緒にやろうよ。そうすれば能率もいいし、何よりも完成まで早そうだもんね」

 

 トーマが色々理由をつけて家に招いたのはそれか、とようやく納得してキザハシは本日分のレポートを広げる。

 

 元々、孤児院育ちだった自分には一般の女子高生のやる宿題とやらがあまり理解出来ていない。

 

 それも慣れていくしかないのだろうか、と考えているとトーマはタイピングの手を休めずに尋ねていた。

 

「キザハシさんってさ。エメトピア中央庁には行った事ある?」

 

「中央庁……ううん、ない」

 

「だよね。けれど、変な話、中央庁に召し使えられるのが一番の幸福なんだって、ウチら生まれた時から刷り込まれているから。もちろん、ラビの目標は応援するよ? 姉弟だし」

 

 どれだけ愚痴っていたもそれでも姉弟だと言えるのは、尊敬に値するのだろう。

 

 自分ならば――と考え始めて、その思考回路そのものがおこがましい事を実感する。

 

 自分は実の妹を、一度として真っ当に扱った事などないくせに。

 

 ペンを置くとトーマは明らかに空気が変わったのを察してか、慮る声を出す。

 

「……どったの? 嫌なコトでも思い出した?」

 

「……嫌な事って、言っていいのか分からないけれど、あたしにも妹が居たの」

 

「居た、っていう過去形ってコトは訳アリだと思っていいのかな」

 

 こくりと力なく頷いてから、キザハシは機関の機密に抵触しない程度で、妹の事を口にする。

 

「……あたしが酷い姉だったから……妹とはほとんど話した事もないんだ。それなのに、こういう時には引き合いに出すんだから、ズルいよね……」

 

「うーん、別にそうでもなくない? ウチは姉妹の在り方なんて色々あるもんだって思ってるし。何なら、ウチと弟の関係のほうが変でしょ。せっかくの姉を呼び捨てにしてくさって、あのガキゃ……」

 

 拳を固めて言いやるものだから、少しだけ可笑しい。

 

 本来なら笑えるような境遇でもないはずなのに、今は笑えて来る。

 

「……ほら、そういうトコ」

 

「……そういう、って……」

 

「キザハシさん、美人じゃん。髪も綺麗だし、見た目だって悪くないのに……転校してからこの先、何て言うの? 追い込まれてる感じって言うか、何か強迫観念でもあるみたいな顔ばっかしてるしさ。今日、ウチらと一緒に帰らなかったら、もしかしたらリスカでもしてるんじゃないかって、女子の間じゃ噂だったんだよ?」

 

「リスカなんて……しないよ、そんなの……」

 

 したところで、たちどころに再生するサヤでは意味がない行動だ。

 

 しかし、こちらの本意とは違うところで、トーマは安堵したらしい。

 

「よかった。ウチらみたいな女子高生身分ってさ、自由なようで不自由だし。加えてこのセクション、治安良くないでしょ。お上が合法的に賭け事を認めてるって話はよく聞くから。確か……クラブドール、だっけ? あんなの、世の中が澱んでいる証拠だっつの。他のセクションに行けばさ、もしかするとマシなのかなーとかは、よく話すよ」

 

「……トーマさんは他のセクションに行きたいの?」

 

「そりゃー、マシなところで就職希望なのはモチロンだし。このセクションじゃ、よくて公的機関の受付嬢、悪けりゃ最底辺だからね。勉強はしてるんだけれど……この頭の出来だからさ。ウチはラビほど偉くは成れないの確定かなーって。ちょっとゼツボー」

 

 絶望なんて言葉を、まるで少女らは装飾のように使うのだな、とキザハシは感じる。

 

 本当の闇、真の絶望は口にするも憚られる響きだと言うのに。

 

「……けれど、それが生き方、か」

 

「キザハシさんさ、ヤバいバイトとかやってんなら足洗ったほうがいいよ。そりゃー、ウチみたいなどこの馬の骨とも知らない人間に言われるのはアレかもだけれど、でもさ。そこだけは自由でいようよ。女子校生で居られるのも残り数か月なんだし」

 

 そうだ、とペンを止める。

 

 潜伏先の彼女らは、いずれ女子高生の時間を終え、そして社会に出る。

 

 ――ならば、自分は?

 

 翼手を殲滅するサヤの烙印を押された自分は、どこへ向かうと言うのだろう。

 

 ともすれば、この地獄は永劫に続いていくのだろうか。

 

 それとも、どこかに出口があるのか。

 

 何もかも暗礁の只中にある矛盾思考回廊だ。

 

 サヤに成りたくて成ったわけではない――だが、この道を選んだのは自分の意志であるのは間違いない。

 

 アマミヤに血分けされたのもただの偶然。

 

 だが、アダムに血分けを行ったのは必然だ。

 

 それを認めなければ、ただの少女であった「ノノ」と言う名前を捨て「階小夜」に成った意味もないというもの。

 

「……どったの? おっかない顔して」

 

 自ずと目元に険が宿っていたのだろう。

 

 何でもないと取り成そうとして、端末が鳴る。

 

 コールされたのはクラブドールの主であるケイトの番号であった。

 

「……ゴメン、バイト先だ」

 

「あっちゃー。じゃあここでお開きかな」

 

 キザハシはメッセージを打ってから、荷物を纏めて部屋を後にする。

 

「あのさ、キザハシさん」

 

 呼び止められてドアノブを掴んだまま振り向くと、ラフな格好のトーマは軽く手を振っていた。

 

「また、ね。学校で会お」

 

 それは何でもない約束手形のように思われた。

 

 そうだ、少女らにはその程度でいい。

 

 だが、自分は戦地へと幾度となく赴き、その度に擦り減らしていく精神を持て余すだけの獣――。

 

「……うん、また」

 

 そう返せたのは、この眩い日常に情景を覚えていたからか。

 

 あるいは、まだ戻れるのだとどこかで楽観視していたからかもしれない。

 

 邸宅を後にする際、背中に声がかかっていた。

 

「……待ちなよ。トーマの奴、もう帰すって言ったのかい?」

 

 ラビが、自分を二階層から呼び止める。

 

 こちらを見下ろす眼差しは、純度の高い敵意のようですらあった。

 

「……バイトがあるから……」

 

「そうか。じゃあ、サヤ。君と会うのはもう二度とないかもしれないね」

 

 何故、下の名前を知っているのだろう――問い返そうとして再三のコール音。

 

 足を止めているような時間はない。

 

「……ゴメン」

 

 扉を開けて庭園を抜けていく直前、ラビの言葉がいやに耳に残った。

 

「まぁ、君達と僕の宿縁だ。いずれは決着をつけなければいけないだろう。……本当に、会うのがこんな機会じゃなければ、よかったのにね」

 

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