BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第七話 刃舞う

 

 デヴィッドがここらしいと端末で示したのは寂れたエメトピアの郊外であった。

 

 まずは誰が降り立つのだろうと窺っていると、キザハシが宣言する。

 

「手本を見せろって言うんでしょう? やるわよ」

 

「……言っておくが、数はそれなりだ。囲まれれば厄介だぞ」

 

 ふんと鼻を鳴らしたキザハシは、それこそ杞憂とでも言うように告げる。

 

「あたしがやられた事、今まであった?」

 

「違いない! まずは先陣を切ってもらおうじゃないか!」

 

 ルイスが戦術ヘリの羽音に掻き消されないように大声を出す。

 

 キャノピーを開くなり、キザハシは一本の命綱で舞い降りる。その行動には事態に流されていた真那も直下を覗き込んでいた。

 

「だ、大丈夫なんですか……? だって、何かが居るって……」

 

「ああ、大丈夫だ。特殊弾頭も必要ないだろう。彼女は“小夜”の中でも強くってね。君にとっては戦場を思い出すいい刺激になるかもしれない」

 

 キザハシの落着地点を真那は端末越しに眺める。赤い円で表示された何かが、キザハシに向けて少しずつ包囲陣を縮めていっているのが窺えた。

 

「……何が……」

 

 真那は思わず身を乗り出してキザハシの降り立った空間を注視する。

 

 途端、視野が拡大化され、これまで見えていなかったはずの仔細と、そして聴覚神経が鋭敏となって地上の声を拾い上げる。

 

 真那は思わず耳を塞いでいた。

 

「何この……声。耳が壊れちゃう……っ」

 

「よく見ておくといい。あれが“小夜”の戦い方だ」

 

 デヴィッドの助言に真那はガラスの天蓋の下で、黒い獣に包囲されたキザハシを視界の中心に捉える。

 

 集中しようと考えただけで、自動的に視野が最適化され、聴覚はキザハシの声を聴いていた。

 

「28号翼手の雑魚が、こうもわらわらと……」

 

 鯉口を切ったキザハシは鞘を天上へと投げ捨てる。

 

 それを嚆矢としたかのように一斉に獣達が襲い掛かっていた。

 

 鋭い爪が迫るも、キザハシは下段より振るった斬撃で叩き割り、直後には相手の首筋を掻っ切っている。

 

 そのまま踊るように獣の合間を抜け、直後には血飛沫が舞っていた。

 

 最低限の動きだけで獣の攻撃を捌き、反撃には一拍の迷いさえもない。

 

 三分も経たない間に、獣達は全員、斬撃部から結晶化を引き起こしていた。

 

 キザハシは刀を天高く掲げる。

 

 カチン、と放り投げた鞘がちょうど突き刺さり、戦域の終わりを告げていた。

 

「……こんなの、慣らし運転にもならないわね」

 

「……すごい……」

 

「キザハシは充分な実戦経験を積んでいる“小夜”だ。あれほど動けとは言わないが、目標にするといい」

 

 戦術ヘリがゆっくりと降下する。

 

 返り血を一滴も浴びていないキザハシは、倒れ伏している獣達を殺傷したと言われてもにわかには信じ難い立ち振る舞いであった。

 

「特殊弾頭もまるで必要ないわね。ここに群れのリーダー格は居ないわよ」

 

「ある意味では炙り出しに使われたか。翼手の数は?」

 

「確認出来るだけで七体……この場所から推測するに、あたし達のほうが上手い具合に引き寄せられたって感じ」

 

 キザハシは刀身を振るう。

 

 目を凝らせば刀は血を通しやすい構造になっており、その行く先には「emeth」の文字が彫られていた。

 

「……やはり群れのリーダー格は我々を警戒している、と?」

 

「そうでなければ説明がつかないわね。でも、下級翼手を増やすのにも時間が必要なはず。血のにおいを辿っていけば自ずとこのセクションに潜んでいる翼手の上級種くらいには――」

 

 そこから先を、真那は聞けなかった。

 

 キザハシの言葉よりも、朗々と響き渡る声に意識が向いていたからだ。

 

 真那は空を仰ぐ。

 

 エメトピアの中枢部から漏れ聞こえてくる天気予報のアナウンス、そして雑踏に埋もれた人々の言葉の数々、車などのエンジン音――それらの上澄みをろ過したように、たった一つの声が耳に届く。

 

 鼓膜を震わせているのは全く別種の声であるはずなのに、あらゆる雑音を剥ぎ取って、純然たる獣の雄叫びが残響する。

 

「……これ、声……じゃないんですか……?」

 

 出し抜けに問いかけたものだから、キザハシを含め三人が瞠目していた。

 

「……聞こえるのか? 声が」

 

 詰めた論調のデヴィッドに真那は僅かにうろたえる。

 

「あ……はい。これ、何の声なのか分かんないんですけれど、他の動物の声とは……違うように聞こえて……」

 

「……あたしには聴こえないけれど、どうやら内在する因子に左右されるからね。“小夜”の能力としては索敵に飛び抜けているとすれば……」

 

 デヴィッドは戦術ヘリに乗ったままのルイスの肩を掴んで尋ねていた。

 

「ここ数百メートル単位で、翼手の声をモニター出来るか?」

 

「……やられたな。やろうとしたが、どうにも雑多だ。恐らく、ここにおれ達を誘い込んだ時点で奴らの作戦通りなのさ」

 

「“声”が分かりづらくなっていると?」

 

 ルイスはヘッドセットを耳に当てて眉根を寄せる。

 

「ここの翼手がやられたのを察知して、下級翼手が“声”でお互いに呼び合っている。狩人が来たぞ、って言っているんだろうな」

 

「……ねぇ、でもこの“小夜”なら、追跡出来るんじゃないの?」

 

 どこかぶっきらぼうに言ってのけたキザハシが顎をしゃくる。

 

 真那は一歩後ずさっていたが、デヴィッドが詰め寄る。

 

「……やれるか? 倉橋真那」

 

「……わ……っ、分かんないです……。この声がその……翼手……? って言うのかさえも、私には……」

 

「“小夜”の中には索敵に特別な才がある個体も居るわ。あんたがそうなのかもね」

 

「……時間が惜しい。索敵レーダーを使いつつ、“声”の本丸を探る。キザハシ、そちらの索敵も頼りにしている」

 

「……いいけれど、あたしがそういうの得意じゃないのはジュリアから聞いていると思うけれど?」

 

「……いい、一人でも有用な意見が欲しいところだ」

 

「有用な意見、ね……。デヴィッドの身分でよく言う……」

 

 キザハシは一瞥を振り向けた後に、戦術ヘリへと向かう。

 

「来なさい、新人。あんたがもし索敵に秀でた“小夜”なら一発で親に行き遭うかもしれない」

 

 戸惑いながらも、真那は戦術ヘリに再び搭乗していた。

 

 何よりも、翼手の死骸まみれのこの場から一秒で早く離れたかったのもある。

 

 血の臭気が濃く、鼻孔を突く死の香りは、それだけで自我を洗い流してしまいそうだ。

 

 口元を押さえながら、真那は助手席のシートベルトを締めていた。

 

「……倉橋真那、これを聞いて欲しい。この声と君が聞いた“声”はどう違う?」

 

 デヴィッドより差し出されたヘッドセットをおっかなびっくりで手に取って耳に押し当てると、無数の声が反響していた。

 

 だが、どの声も真那が感じ取った“声”とは微妙に違う。

 

「……どれも、違います……」

 

「やはり、そうか。採取した奴らの“声”のサンプリングデータは全て、このセクションで現れていた28号翼手のものだ」

 

「つまり、下級翼手の“声”じゃないってわけよ。あんたが聞いたのは、上級翼手の“声”の可能性が高い」

 

「……上級翼手……」

 

「28号翼手と我々が呼称しているのは、あくまでも血によって増やされた自我の薄い存在に過ぎない。一度覚醒してしまえば、血に飢えて人間を食い荒らす。だが、そうではなく、自らの意志で他者に血を与え、そして数を増やす事を目的とする翼手が居る。それらを我々は上級翼手と呼ぶ」

 

「……ま、要は大元の親よ。その翼手を一発で刈り取れれば、一番いいんだけれど、大抵は他の28号の下級翼手を操って自分は隠れ潜んでいるのがほとんど。上級翼手は意図的に姿を消せる……いいえ、擬態出来る、と言ったほうがいいわね。エメトピアの社会構図においては珍しい事でもないんだけれど」

 

 どうしてなのだか、吐き捨てるように口にしたキザハシの論調に、デヴィッドもルイスも言葉少なであった。

 

「……とにかく、おれ達じゃ、連中の操る下級翼手の膨大なメタデータはあるものの、上級翼手……親玉のデータは少ないんだ。しかも、毎回波長が変わるものだから、その度にいたちごっこさ」

 

「“小夜”の力の持ち主は意図的に下級翼手のノイズを聞き分けられる者も居るって聞く。それがどれくらいの精度なのかは分からないけれどね」

 

「……あの、私……“SAYA”って致死性の高いウイルスだって事しか、知らなくって……」

 

「……デヴィッド、それにルイスも。まともにこの子に教えてないの?」

 

「これから教えようと思っていた矢先だった。君と倉橋真那が交戦するなど」

 

 自分の失態だと沈痛に面を伏せたデヴィッドに、キザハシは毒づく。

 

「あー、はいはい。そういうのいいわよ、別に。どうせ心の底じゃ悪いなんて思っちゃいないんだろうし」

 

「だがな、キザハシの“小夜”、さっきから複数地点で波長が拡散している。このセクションは思ったよりも手遅れかもな。これじゃ、奴らが手を回す」

 

「……奴ら……って」

 

 デヴィッドへとキザハシは了承の目線を配っていた。

 

「……何でもない、“アシッド”の尖兵共に、セクションを焼かれるってだけの話よ」

 

「“アシッド”……」

 

「一度に全てを理解する必要はない。今は、翼手の親の位置情報さえ知れればいいんだ。倉橋真那、セクションの中の大雑把な場所でもいい。分かるか?」

 

 デヴィッドから差し出された端末には赤い円形が各所より押し広がっている。

 

 これが、ルイスの言う下級翼手の声なのだとすれば、セクションのほぼ全域から同じ声が生じている事になる。

 

「そ、その……勘違いで……間違っているかも……」

 

「間違っていても、今はほとんど何もないに等しいのよ。少しの確証があれば、いつでも切り込める」

 

 キザハシの言葉に、真那はマップを凝視していた。

 

 直後、脳神経が弾け飛び、街並みの情報が思考回路へと叩き込まれる。

 

 そう意識したつもりはないのに、詳細な街並みが構築され、そして先ほど耳にした“声”が今も残響する場所が赤く染まった視野の大写しになる――。

 

「こ、ここ……ここ、……だと思います」

 

 指差したのはセクションの西側にある廃工場であった。

 

「……なるほどね、おあつらえ向きではあるけれど、目立たない」

 

「28号翼手が活発に活動するとすれば、それは夜だ。その前に上級翼手を駆逐し、下級翼手の活動を抑制する」

 

「それにしたって、あんた、思ったよりも“小夜”の適性はあるのかもね。まぁ、それが上級翼手の巣だったら、の話だけれど」

 

 戦術ヘリが羽音を散らし、エメトピアの空を掻っ切っていく。

 

 真那は今も耳に居残る“声”を探っていた。

 

 その“声”の主は少しずつ声量を絞っているように聞こえる。

 

「……何なんでしょう? “声”が、遠く……」

 

「探られている可能性もあると考えて、逃げ道を講じているのかもね。それにしたって……下級翼手の“声”がうざったい……!」

 

 キザハシが堪えかねた怒りをシートにぶつける。

 

 真那には下級翼手の声は逆に小さく聞こえていた。

 

「おい、まずいぞ、デヴィッド……。この調子じゃ、アシッドの連中がやってくる……。夜まで待っているような時間もない」

 

「分かっている。ルイス、目標地点まで飛んでくれ。そこでキザハシを降ろす」

 

「言っておくけれど、投げられた爆弾になるつもりはないわよ」

 

「分かっている。俺は君のデヴィッドではないからな。命令権としては薄いだろう。だが、ここまで現場に来たんだ。少しは助力願おう」

 

「……ホント、あんた達ってば節操のない」

 

 廃工場へと辿り着いた戦術ヘリが滞空し、ロープを垂らしていた。

 

「キザハシ、降下準備を――」

 

「要らないわよ、片道切符の保証なんて。それよりも、上級翼手はもし察知されたとなれば、相手も素早いはず。一気に仕留める」

 

 キャノピーを開き、目標地点を見据えたキザハシは、次の瞬間、ハッとして跳躍していた。

 

 何が、と真那が遅れた認識でその姿を捉えた時には、キザハシを狙って一直線に針のような器官が伸長していた。

 

 黒いその器官が戦術ヘリを薙ぎ払わんと迫った刹那に、真那はデヴィッドに引き寄せられていた。

 

「……跳ぶぞ」

 

 了承を浮かべる前にデヴィッドは戦術ヘリから飛び降りていた。

 

 真那は短く悲鳴を上げながら落下の途上にある世界を見定める。

 

 デヴィッドは垣間見えた取っ掛かりへと手を伸ばし、姿勢を整える。

 

 苦悶の表情を浮かべるデヴィッドに、真那は恐れを抱きながらも自分の手で体重を支えようとしていた。

 

 思ったよりも軽く、デヴィッドの躯体を引っ張り込んで真那は天窓を眼前にする。

 

 躊躇った一拍を断じ、デヴィッドは銃身で叩き割っていた。

 

 降り立ったデヴィッドに抱えられ、真那は埃まみれの地面へと着地していた。

 

 粉塵が舞い、真那は思わず咳き込んでしまう。

 

「……倉橋真那……無事、か……」

 

 

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