不明なる現象と必殺をし損なったアマミヤの腹腔へとトンファーの一撃が食い込む。
臓腑が叩き潰されたかのような衝撃波と、背筋に突き抜ける激痛。
それが閾値を示す前に、次手である応酬がアマミヤの肉体を嬲る。
僅かなブラックアウト。
再び視界を取り戻し、肉体の感覚を再生した時には、アマミヤは血塗れで吹き飛ばされていた。
それはサヤの持つ潜在的な超再生のお陰か、あるいは歴戦を潜り抜けて来た習い性か。
アマミヤは刀を支えにして立ち上がり、九頭を睨む。
「驚いた。まだ動くとは」
「……何で、殺せんかった……」
「答えの帰結は単純なものでしょう? 最初から、察しがついていたのでは?」
憶測でしかなかった。何よりも、「それ」であるのにサヤである自分を殺せるわけがない――しかし状況は、何よりも雄弁に答えを示している。
「……あんたさん、人間……やね? それもオニゲンやない、純正人類……」
「ええ、よく知っているところでしょう? “小夜は人間だけは殺せない”と言うのは」
だが、信じがたいのはその戦闘能力と翼手を纏め上げるカリスマめいたものだ。
――完全に、人間の域を超えている。
アマミヤは刀を構え直し、相対するも、どうすると言う命題に駆られる。
相手は純正人類、それはつまり小夜にとって唯一殺せない存在。
畢竟、この勝負に乗った時点で敗北していたのだ。
この局面で勝利条件を探るのならば、まず逃走経路を取るべきであった。
敗因の一手が今になって痛いほどに分かる。
デヴィッドを捨てて――否、「デヴィッドも翼手も関係がない、この九頭と言う男と、自分が戦う事自体が、相性の時点で旨味がない」のだと。
「……けれど、あんたさんは幸運やね。サヤが人間を殺す瞬間を見れるんやさかい」
「これは意外。小夜は人間だけは殺せない、このルールが形骸化したわけがないのです。それに、今の交錯でよく理解したはずですよ。そちらの刃、届く事はない、と」
「よく喋るんやないの。その真意は、ウチを縫い留めて、ここで勝負のつかない戦いにつかせる事やろ? なら、一秒だって無駄に出来んやんか」
アマミヤは刃を払い、それから意識を研ぎ澄ませる。
「これ」を使うのは、もう随分と久しい、だが、やれるか、と己に問いかける。
「瞼を閉じて、勝負を捨てましたか。雨宮小夜」
空気の流れで分かる。
トンファーを構え直した九頭は、容赦をするつもりなどない。
少しでも好機が見えれば、瞬時に距離を詰め、自分を殺し尽くす――それが分かっているからこその、ほんの一秒未満の瞑想。
アマミヤはこの時、見渡す限りの赤い湖へと堕ちていた。
ざわめく臓物の森林。
今、赤い雫を立て、一羽の水鳥が舞い降りる。
灰色の毛並みをした水鳥はこちらへと向き直っていた。
豊かなその翼は血でてらてらと濡れている。
黄金に近い瞳が蠢動し、アマミヤを見据えていた。
くちばしが開かれ、ぎゃあ、と一声鳴いて飛び立つ。
静謐の赤い湖に、音が生まれる。
一滴の血が波紋を巻き起こしたその瞬間――アマミヤの視界は開けていた。
それは迷いなく、澱みもなく。
斬、と銀の刃が舞う。
九頭はトンファーを構えたまま、硬直していた。
咄嗟の防御に移るような余地もなかったのだろう。
驚愕に塗り固められた老練の表情が、まさか、と絶え絶えに声を発する。
「……そんなはずが……」
アマミヤは九頭の背後で刃を振るっていた。
途端、相手の肩口が赤く裂け、血潮が舞い上がる。
「……言っとらへんかったね。小夜は人間を殺せん、それは本当やけれど、致命傷にならんような太刀筋なら選べるんよ」
今は九頭の武器を操る両腕を、十分程度潰せればいい。
九頭ほどの人間にとってのそれは全く、さしたる傷でもない――それが仇となる。
強ければ強いほどに、踏み込める刃は深くなっていく。
「……離れ業……これが最強の小夜か……」
武器を振るえない九頭の傍を行き過ぎ、デヴィッドを小脇に抱える。
既に首筋に仕込まれた通信機より、本部から戦術ヘリが訪れていた。
その砲門が九頭を照準する。
「……ウチらは人間を殺せんけれど、人間同士なら殺し合いはお手の物やろ?」
「……冗談」
機銃掃射がもたらされたが、九頭の姿は掻き消えていた。
傷は決して浅くはないが、逃げるくらいは出来たらしい。
「……アマミヤ……オレは足手纏いに……」
「喋らんほうがええよ。あんたさんの傷は深いんやからね。それにしても……厄介な手を打ったもんやわ。これで、ウチの到着は三十分は遅れたんやから」
機関へとルートを辿った頃には既に事は終わっていると見るべきだろう。
それでも、アマミヤはヘリを操縦する構成員へと声を飛ばす。
「……出来るだけ最短ルートで頼むわ。ウチのデヴィッドを、死なせるわけには、いかんのよ」
しかし、とアマミヤは人知れず舌打ちを漏らす。
こんなにも後手に回った事は初めてならば、形だけとは言え「人間」を斬ったのも初めての事。
這い上ってくる嫌悪感に、思わず膝を折っていた。
「お、おい……アマミヤ? 何か打撃でも受けて……」
「ちょっと……黙っといてもらえへんかな……。なるほど、これがサヤの呪縛、か。……五分ほど意識を落とすわ。用事があったら肩を三回叩いて。何とか起きるから」
「何とかって……大丈夫なのか?」
閉ざされゆく意識に逆らうように、アマミヤは笑みを刻んでみせる。
「……あんたさんのほうが致命傷やんか。何でウチの心配なんてするんよ」
「それは……それはお前だって……オレ達のサヤじゃないか……」
そんな、普段なら一笑に付す言の葉に、アマミヤはああと感じ入る。
「……これが、サヤとしての、弱さなんやろうね……」