BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第七十四話 君のために出来る事

 

 右手に宿った血の証が五指に躍動し、ノノは――否、「階小夜」は血濡れの指先で翼手を引き裂く。

 

 翼手らが引き剥がされ、先ほどまで喰らっていた血肉を吐き出していた。

 

 そうだろう、それはだって貴様らにとっては毒のはずだ。

 

 この世において、唯一の猛毒。

 

 ――サヤの血肉を喰らおうなど。

 

「……キザハシ……? あなた……」

 

 瞠目した様子のケイトの声も、今はどうだっていい。

 

 千切れた指先を払い、いつの間にか離れていた刀を引き寄せる。

 

 血が蠢動し、まるで触手のように自在に刀を握り込ませていた。

 

 呼気を詰める。

 

 赤い旋風に紛れた酸素が取り込まれ、獣の呼吸を実感させる。

 

 途端、真紅の煙が周囲から噴き出していた。

 

 何故なのだろう――煩わしい。

 

 何故なのだろう――心地よい。

 

 何故なのだろう――ああ、こうも。

 

「……ここはだって、あたしの世界。小夜の領域……」

 

 まず踏み込んできた一体目の翼手を何でもない挙動で一閃。

 

 首を落とし、直後には跳ね上げさせた剣筋で胴体を叩き割る。

 

 血を吸わせた刀身に「emeth」の証が宿り、真紅の残火が舞う。

 

 二体目はその牙を砕き、頭蓋を寸断する。

 

 上半分が金網に打ち付けられ、悲鳴が生じたような気がした。

 

 その声を皆まで聞かず、砕かれた脚部で相手を押し込み、心臓に一撃。

 

 急速に結晶化していく翼手を蹴飛ばし、その存在を霧散させる。

 

 肉体はこれまで感じた事のないほどに軽い。

 

 精神はこれまで感じた事のないほどに安息だ。

 

 脳細胞はフラットに設定され、心拍は落ち着き払っている。

 

 最後の一体は何度もこちらへと耳障りな“声”を発する。

 

 威嚇のつもりなのだろうか、片腹痛い。

 

 キザハシは一瞬で距離を詰め、まずは柄頭で顎を砕く。

 

 払った剣閃で片肘から先を奪う。

 

 飛翔能力を失った翼手を蹴飛ばし、相手の剥き出しの背骨へとわざと刀の峰で打ち据えていた。

 

 その巨体に似つかわしくない、弱々しい悲鳴。

 

 砕けていく骨の感触。

 

 蹂躙の愉悦。

 

 何度も何度も、それこそ血肉が削げ落ち、飛び散った血飛沫に陶酔するほどに。

 

 やがて、削ぎ落すような肉の感触も遠ざかり、キザハシの胸中は醒め切る。

 

「……つまらない」

 

 刀を翻させる。

 

 最早、首を落とすのにいささかの躊躇もない。

 

 そう断じた、その時であった。

 

「……キザハシ、さぁ、ん……」

 

 これまでなら“声”の一部として消し飛ばしてきた情報が、耳朶を打つ。

 

 ふと、赤い煙が意識から消え去っていた。

 

 残ったのは、血濡れの背筋を開いて喉奥からかっ血する翼手の――違う、彼女は。

 

「……トーマさん?」

 

 どうしてなのだろうか。

 

 今になって少女の声が聞こえたのは。

 

 キザハシは周囲に飛び散っている血と骨と、そして肉を目の当たりにする。

 

 ――自分がやったのか。

 

 違う。

 

 ――お前がやったんだ。

 

 違う。

 

 ――他に誰が居る? 討滅の担い手はお前だろう? 階小夜――。

 

「……だから! 違う!」

 

 声が残響する。

 

 クラブドールは狂乱の時から醒め、静まり返っている。

 

 進行役の人々や血の饗宴に浸っていた人々でさえも息を殺している。

 

 ここで一歩でも動けば、この少女は――自分は全員を捕殺するのだと本能の部分で理解されているのがぴりついた空気で伝わっていた。

 

「……あたし、は……」

 

 ケイトへと振り返る。

 

 彼女は怯えていた。

 

 その身を震わせ、自分の名を呼ぶ事でさえも叶わないように。

 

 静寂の只中で、ふと、拍手が生じる。

 

 それはたった一人の、白の衣服に身を包んだ少年の送った賛辞。

 

「素晴らしいね……! これがサヤ! これが討滅のためだけに研ぎ澄まされた存在か! 翼手を殺す事に特化した殺戮兵器! 皆の諸君、よく見ておくといい! 彼女は我々を殺す! 僕達を最後の最後には追い詰め、殺し尽くす! そのための道具だ、そのための兵装だ! 賛辞を贈ろう! 澱みない称賛を! 殺戮者への栄光を!」

 

「黙れェ――ッ!」

 

 空気を鳴動させてキザハシは吼える。

 

 その一声でクラブドールに集った人々が恐れを成したのが伝わっていた。

 

 彼らは潜在翼手人類たるオニゲン。

 

 自分の声一つで抑制される、対立種族なのだ。

 

 今の威嚇は自然界で肉食獣と遭遇した時よりも色濃い、種の根源部分を震わせたのだろう。

 

「……違っ……あたし……」

 

「さぁ、サヤ! 皆を殺してしまえ! 君の手なら出来るはずだ!」

 

 扇動するラビへとキザハシは刀を迫らせていた。

 

 グミによる肉体の鈍化があるとは言え、少年一人を殺すくらいは造作もない。

 

 そのはずであったのに。

 

「……刃が、届か、ない……?」

 

「どうした、サヤ。僕の心臓はここだぞ」

 

 左胸を指差すラビに対し、キザハシは一歩も歩み出せなかった。

 

 踏み込めない理由を探る前に、恐慌に駆られた観客が逃げ出す。

 

『み、皆さん! クラブドールは安全です! ここはきっちりと、オッズを問い質してから――!』

 

「うるさい! あんな化け物に殺されて堪るか!」

 

 バニーの進行役を突き飛ばし、その上で踏みしだく。

 

 観客達は血に飢えた傍観者である事を忘れ、ここから脱出する事しか頭にないようであった。

 

 逃げ出していく人々の流れと対立するように、ラビは一歩踏み込んでくる。

 

「不思議だ。やはり、僕は違うのかな。……オニゲンとは違う種族である、この世界での統制者。サヤ、僕は寂しいよ」

 

 ラビが突き付けた刀身を軽く握る。

 

 それだけで掌から血が滴ったが、キザハシの身に起こったのはそれ以上の変化であった。

 

 ぐらりと視界が傾ぎ、眩暈と頭痛、そして肉体の内奥から生じた、拒絶感。

 

 思わず膝を折る。

 

 ラビを殺そうとしただけで、身体は脱力していた。

 

「……君でも僕は殺せないか。嫌になるね、一割に満たない種と言うのも」

 

 ラビは興味が失せたように身を翻す。

 

 その背中へとキザハシは呼び掛け続けていた。

 

「……待て……! お前を……殺してやる……っ! 殺して……殺してやる……っ!」

 

「出来ないんだろう? 無茶はするもんじゃない。それに、君と僕は出会ったのは少し早かったようだ。お別れは済ませたほうがいい。血が繋がっていないとは言え、それでも姉だ」

 

 そう言われて、キザハシはハッと先ほどまで自分が一方的な殺戮を繰り広げていた事を思い返す。

 

「トーマさん……!」

 

「……うれ、しい。まだ、よんで、くれる……の?」

 

 呼吸は絶えようとしている。

 

 心拍も弱々しい。

 

 背筋は裂け、脊髄が血の赤から覗いている。

 

 分かっている、自分がここまでやったのだ。

 

 キザハシはトーマの手をぎゅっと握り締める。

 

 何の贖罪にもならないのは分かり切っている。

 

 それでも、自分の罪を彼女に重ねたかった。

 

 一時とは言え、友達で居てくれた存在に。

 

 一時とは言え、自分の気持ちに寄り添ってくれた誰かに。

 

「……キザ、ハ……シさんのて、あたた、かい……」

 

「そんなわけがない。あたしの手は冷たいよ……。人殺しの手なんだから……」

 

 そう返答するとトーマは血濡れの微笑みを寄越すのだ。

 

「……ばか、ね……。あったかい、のに……」

 

 掌からトーマの手が滑り落ちる。

 

 キザハシは刀で親指を切り、滴った血を彼女へと捧げていた。

 

 間もなく結晶化が始まり、トーマの肉体は朽ち果てていく。

 

 これがサヤの宿命。

 

 誰一人として理解者はなく、誰一人として許す事は出来ない。

 

「……でも、あたしは……」

 

 ケイトへと視線を振る。

 

 その瞬間、首輪へと流された高圧電流にキザハシは突っ伏していた。

 

「……悪く思わないでね。あんたがここまで化け物なんて思っていなかった。私の刃以上の存在は邪魔なのよ。……死んで頂戴」

 

 電圧が上がっていく。

 

 脳細胞を焼き切らせる炎熱と、肉体を痺れさせる拒絶にキザハシは何度も起き上がろうとして奥歯を噛み締める。

 

「……あたし、は……っ」

 

「黙っていて。怪物は人間の手で殺されるのよ。あんただって例外じゃない」

 

 キザハシは首輪へと指をかける。

 

 無理やり引き剥がそうとしたが、まだグミの効果が残っているのか、最大の力が籠らない。

 

「……死になさい、キザハシ。あんたはここで死んで、それでおしまい。もう二度と……出てこないで」

 

 心底の侮蔑が宿った瞳へと、キザハシは絶句していた。

 

 もう、誰にも頼れない。

 

 誰かが助けてくれる事など期待していたのだろうか。

 

 それとも――別の道があるとでも。

 

 とんだお笑い種だ。

 

 ――まだ希望なんてあると思っていたのか? そんなザマで。

 

 覚えず自嘲が漏れる。

 

 ああ、こうも度し難い。

 

 意識を手離そうとした、その瞬間、銃声が木霊していた。

 

 観客の絶えた会場で一人、デヴィッドの構えた銃口が硝煙を棚引かせている。

 

 その銃口の先はケイトに据えられていた。

 

「……うそ」

 

 ケイトが崩れ落ちる。

 

 こうもあっさりと、クラブドールで主人を気取って来た少女は絶命していた。

 

「……階小夜! 大丈夫か!」

 

 金網を解除し、デヴィッドが押し入ってくる。

 

 惨状を目にしてある程度は理解したらしい。

 

「……何があったのかは察する。しかし、今しがた機関の本部から最悪のニュースが届いた」

 

「……何よ」

 

「機関が強襲された、との事だ。つい一時間前の報告だから、ラグがある可能性はあるが」

 

 強襲、と言う言葉が意味を結ぶ前にデヴィッドは報告を続ける。

 

「その規模と戦闘能力から、候補試験で出現したシュヴァリエと推測される。……情報が錯綜していて……クソッ! ……時を同じくしてアマミヤが足止めを食らったと言う情報も入ってきている。今の機関は手薄だ。作戦指揮を待っているサヤだけで迎撃出来るとは思えない」

 

「……あたしに、まだ人殺しをやれって言いたいの……」

 

「人殺しじゃない、翼手への対抗策を――」

 

「人殺しよ!」

 

 放った感情の発露にデヴィッドは沈黙する。

 

「……こんなの、人殺しと何も違いなんてないわ……」

 

 一拍置いて、デヴィッドは通信へと吹き込む。

 

「こちらキザハシのデヴィッド。ヘリの手配は滞りないな? ……これより機関へと援軍に向かう。階小夜、やれるな?」

 

「……どうせ、嫌だって言ったって、あたしはもう……」

 

 翼手を殲滅するための“サヤ”なのだから。

 

 そう言い切れなかったのは弱さだったのだろうか、それとも。

 

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