BLOOD/EMETH   作:オンドゥル大使

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第七十七話 灼熱の血

 

 刃へと指を添わせ、流れ出た殲滅の血が「emeth」の文字をなぞる。

 

 男が吼え立て、その掌に雷霆を帯びさせたのは少し遅い。

 

 キザハシは真紅の噴煙が命じるがまま、その太刀筋を打ち下ろす。

 

 男の肩口から心臓部までが引き裂ける。

 

「何故……何故だ! 貴様など、私に比すればあまりにも脆弱であると言うのにィ……ッ!」

 

 稲光が灼熱を宿し、キザハシの眼前へと振るわれるも、それに恐れるまでもない。

 

 ――頭蓋が焼かれるのならば、最短距離を辿ればいい。

 

 どうしてなのだか、今はその答えだけが明確だ。

 

 雷撃がキザハシの頭部を粉砕する。

 

 その一撃が致命的な脳髄を焼失させる前に――。

 

「あたしの刃のほうが、速い」

 

 下段より振るわれた一閃が男の腹腔から首筋までを一直線に断ち割る。

 

 男が地面に強く肉体を打ち付けられたその好機を逃さず、キザハシは血の衝動のままに首を落としていた。

 

 鼓動はこれまで感じた事がないほどに静かだ。

 

 ――どうしてなのだろう。

 

 ディーヴァを目にすると、静寂だけが心地よい。

 

 構えた太刀に再び血潮の火を灯す。

 

 ディーヴァは恐れるわけでもない。

 

 それどころか、喜悦を滲ませた口元から声が漏れる。

 

「おねえ、さ、ま。わた、し、をころし、て! くれ、るのね?」

 

 遊びに誘われたように弾んだ声で、彼女はそう笑うのだ。

 

 ならば――殺してやるのが自分の役割。

 

 それが“サヤ”としての最も至上に挙げるべき、真の望み。

 

「……やってくれたな、小夜」

 

 ゆらり、と殺したはずの男が起き上がる。

 

 落としたはずの首から漏れた怨嗟の声に、キザハシは静かに振り返っていた。

 

 無数の筋肉素子が首と肉体を繋ぎ、直後にはその背筋が裂けている。

 

 現れたのは堅牢な紫色の翼だ。

 

 他の凡百な翼手のそれとは比べ物にならない。

 

 力を誇示し、その能力を十全に発揮する一対の翼がまるで花開くかのように、めきめきと音を立てて広がっていく。

 

 それは人類が口伝し得る生物の生態系にはない。

 

 あえてたとえるのならば、童話に語られるであろう、竜種のそれであった。

 

 頭部の形状が変わる。

 

 頭蓋そのものが組み変わり、両腕が膨れ上がっていた。

 

 凶暴な爪を振るい上げ、赤い眼窩がこちらを睥睨する。

 

「……翼手」

 

 キザハシはディーヴァへと向けようとしていた殺意を、変異した翼手へと向けていた。

 

 ただの翼手ではない、相手は最上の騎士の名を戴く――シュヴァリエだ。

 

 翼手化したシュヴァリエが咆哮だけでキザハシの躯体を吹き飛ばす。

 

 その“声”は上級翼手と比べるまでもない。

 

 まさに音叉の質量兵器だ。

 

 肉体の制御を行うべく、血を通そうとして直上を取ったシュヴァリエの爪が腹腔へと食い込む。

 

 臓腑が焼き切られ、キザハシは唇の端からかっ血する。

 

「死ね、小夜」

 

 もう片方の腕に雷撃を纏いつかせたシュヴァリエに、キザハシは口元の血を拭い、それを放っていた。

 

 直後、ただの血痕でしかなかったそれらへと神経が繋がる。

 

 意志を持ったかのように血潮が無数の槍となってシュヴァリエの躯体を貫く。

 

 直撃した先から結晶化を引き起こす血の毒へと、シュヴァリエはその巨大な肉体そのものを灼熱へと変えていた。

 

 地上に現れた、まるで太陽だ。

 

 紫色に輝く暗黒太陽が照り返し、キザハシの肉体を今に朽ち果てさせようとする。

 

 だが、その時にはキザハシは降り立つべき地面を見つけ出していた。

 

 即座に疾駆を反転、相手を蹴って足場を維持する。

 

 咆哮だけで無数の防御隔壁に守られているはずの本部施設を半壊させていた。

 

 重力を無視して浮かび上がる砂礫へと、キザハシは的確に飛び移る。

 

 シュヴァリエの翼が揚力を得た僅かな隙へと刃を刺し込む。

 

 翼の付け根へと斬撃が食い込むが、次はそう簡単に崩させてくれなかった。

 

「墜ちろォ――ッ!」

 

 聴覚を破壊する恩讐の叫びに、キザハシは太刀で応じていた。

 

 質量兵装と同義の“声”が響くと言うのならば、それを足場に出来ぬ道理はない。

 

 一足飛びで直上を取り、首をめがけて刃を打ち下ろす。

 

「お前が墜ちろ」

 

 シュヴァリエは斬撃を一瞬の判断能力で回避したが、それでも片腕が犠牲となった。

 

 丸太のような腕へと血の毒が回り、シュヴァリエは自身で焼き切って根元から腕を斬り落とす。

 

 相手の呼吸が乱れているのを感じる。

 

 キザハシは静かな胸中で、今一度刀を構え直していた。

 

「……解せんな」

 

「何がだ」

 

「……前回相対した、“小夜”のほうが圧倒的に手練れであった、その感覚は間違っていないはずだ。……なのに何故、私は今、貴様と競り合っていると言うのか……」

 

「単純な話だ」

 

 キザハシは殺意の鈍らぬ切っ先を突き付けて、そして言い放つ。

 

「あたしのほうがお前よりも――強い」

 

 その言葉がきっかけであったか、あるいは既に怒りは頂点を迎えていたのかまでは分からない。

 

 しかし、視界が歪むほどの高熱が空間に注ぎ込まれ、シュヴァリエの殺気がキザハシを狙い澄ます。

 

「……殺す。量産型の雑魚が、吼えてくれる……!」

 

 雷撃が再び放射され、キザハシを射抜こうとするもそれらの軌道はどれもこれも分かり切った代物だ。

 

 刃を翻して稲光を断ち切り、跳躍でシュヴァリエの背後を取ろうとする。

 

 しかし、相手も歴戦の手練れ。

 

 背面へと回り込む前に払われた腕による蹂躙がキザハシを包囲する。

 

 振るっただけで雷の光球を編み出したシュヴァリエの技術、そして純然たる力は相当なものだろう。

 

 だがキザハシには。

 

 今の自分には「視えて」いる。

 

 赤い噴煙が巻き起こり、静かな鼓動を刻む戦場で冷徹に刃を薙ぎ払う。

 

 光球が爆ぜ、放出間際にして霧散した結果にシュヴァリエの赤い眼窩が驚嘆に見開かれた。

 

「……何だと……」

 

「それが翼手の生み出すものであるのならば、サヤの血で殺せぬ道理はない」

 

 簡単な話だ。

 

 シュヴァリエの生み出すそれでさえも、敵の一部であるのならば、サヤの血を編み込む事で結晶化現象を引き起こす。

 

 ただ、今ばかりは結晶化を超過して拡散しただけの事。

 

 キザハシはシュヴァリエの払った爪の一撃を掻い潜り、懐へと潜り込んでいた。

 

 斜に斬撃。

 

 シュヴァリエの肉体表層を結晶化が襲う。

 

 相手は表皮を自ら削いでそれを免れていたが、追撃の太刀が舞い上がる。

 

 赤い残火を灯らせ、「emeth」の血文字が空間に刻み込まれていた。

 

 次いで狙ったのは右目であったが、僅かに浅かったらしい。

 

 瞼を削いだだけで、完全に貫くのには至らない。

 

 それでも敵にしてみれば、片目の視力を奪われた事と同義。

 

 ほんの一時とは言え、右目が見えていない相手にとって、自分の血は脅威であろう。

 

 浴びせ蹴りで頭蓋を揺さぶり、切っ先を心臓へと向けようとして敵が吼えていた。

 

 音叉による質量兵装――だが既にその戦略は割れている。

 

 質量音波を足場にさらに好機を見出すつもりであったが、シュヴァリエの狙いは違ったらしい。

 

 キザハシは超感覚でそれを認識する。

 

 直上の天蓋を砕かれた本部施設が崩れ落ち、レイコンマの世界で残骸が垂直落下する。

 

 一時的とは言え、刃を払っての隙は生まれるだろう。

 

「一手遅れたな、小夜」

 

 シュヴァリエはディーヴァを抱え、自分の有効射程から逃れていた。

 

「逃げる気か」

 

「挑発には乗らんよ。だがな、私も少し侮っていたらしい。血の質の落ちた三流の小夜ばかりだと思っていたのだが……これほどまでに私と伯仲したのは、貴様が初めてだ。かつての昔、私と戦った“小夜”でさえ、これほどまでではなかった。血の決着は持ち越しだ。……ディーヴァ、掴まっていてください」

 

「う、ん? ……ねぇ、ねえ! さま? ま、た。あい、ま! しょう……?」

 

 音階もバラバラな言葉を吐いて、ディーヴァは華のように笑う。

 

 シュヴァリエが牽制の雷撃を放ちつつ、一瞬の間に高空に位置取り、離脱挙動に入っていた。

 

 潔い引き際だ。

 

 キザハシはそれを見届けてから、刃を鞘に仕舞おうとしてがくりと膝を折っていた。

 

 見渡せば、灼熱と破壊の爪痕は色濃く、それらを今さらに認識する。

 

「……これ、あたしがやったの……?」

 

 シュヴァリエとの初遭遇戦での戦果を感じ入るような余裕もない。

 

 キザハシは煤けた風の中で、砂利を握り締めていた。

 

「……逃がした……! あたしが殺すべき……あの子を。ネネ……いいえ、もう違う。――ディーヴァ」

 

 

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